プラマイゼロ±

 某美少女戦士の内部戦士を中心に、原作、アニメ、実写、ミュージカル等問わず好き勝手にやってる創作、日記ブログです。

2016-03-07 23:59:40 | SS






「媚薬?」
「そう、媚薬」
「媚薬・・・」

 媚薬ばかりが連呼される不毛な会話に、マーズは顔をしかめた。そもそも真顔としかめ面のふたりが連呼する単語でもないし、真昼の会議室でふたりきりで椅子に腰かけ顔をつつき合わせ連呼する単語でもない。ヴィーナスあたりならうまいこと利用しそうなシチュエーションであるが、残念ながらここにいるのはマーズとそしてマーキュリーだ。しかも恐ろしいことに、マーズに媚薬の話を振ってきたのはマーキュリーだった。
 ヴィーナスに存在そのものが貞操帯とまで言われていた堅物マーキュリーが、媚薬という言葉を連呼しているのである。しかも真顔である。もちろん息荒く鼻の下をめいっぱい伸ばされながら言われたらもっと困るのだが、それにしてもどのようなリアクションを取ればいいのかわからず、マーズはオウムのように言葉を繰り返した。

「これ、媚薬なの」

 マーキュリーの親指と人差し指に挟まれているのは、小さな小瓶であった。ガラスなのかクリスタルなのかの判別はつかなかったが、透明の結晶に液体が満たされているのは、洒落た香水のようで、鏡台などに入っていても違和感がないように思えた。あまり薬物のようには見えない。
 しかし違法薬物の受け渡しでもあるまいし、ふたりきりの会議室でなぜそんな話を振られなければならないのか。いや、ある意味危険な薬物には違いないのだが。

「・・・で、媚薬だからなに?」
「よければあなたに使ってもらえないかと思って」
「よくないし、なぜなの」
「私が作ったから」
「なにを作ってるのよ・・・しかも、なおさらなぜ私なのよ」
「・・・あ、ごめんなさい、マーズ。順を追って説明するわね」
「・・・そうして」
「もともとはヴィーナスにネタを振られたのだけど」

 マーキュリーの『ネタを振られた』という表現がなんとも軽い。なまじマーキュリーが使うだけに余計そう感じる。

「ネタ?」
「ええ、媚薬作れないのって」

 マーキュリーは大幅に省略しただけで、ほんとうはもっとヴィーナスとマーキュリーに仰々しいやり取りがあったのかもしれない。だが、その『ネタ』の中に、ヴィーナスのマーキュリーへの決死の(性的衝動を大いに含んだ)愛が詰まっていることと、その愛をマーキュリーが冗談以下のものだと思っていて今の説明でその表現にたどり着いたのだとマーズは察した。察しただけでこの場にいないヴィーナスをフォローする気はさらさらなかったのだが。

「で、ヴィーナスに言われたからマーキュリー、作ったの」
「ええ。医療担当の責任者としては、あらゆるものに精通しておいた方がいいと思って」

 負けず嫌いなマーキュリーであった。だが、媚薬が果たして医療の役に立つかはマーズにはさっぱりわからなかった。ものすごく好意的に考えれば強心の役割くらいは果たすかもしれないが、通常の怪我にも病気にも特に効かなさそうだ。そして元ネタのヴィーナスにも薬効は届いていなさそうだ。

「・・・で」
「で?」
「マーキュリー、どうしてそれを私に?」
「作ったからには、効能を確認したくて」
「・・・自分でやれば?」
「もちろん自分ではやったわ。でも、私じゃほかの薬を自分でいろいろ試してるから、薬効がきちんとあるか確信が持てなくて」

 『自分でやった』結果がどうだったのか知りたいが、マーキュリーのそんなプライベートな部分は別に聞きたくない。マーズは逡巡した。だが薬に対する恐怖心が勝ったマーズは、できるだけ動揺を悟られないようにして言った。

「で、薬漬けのマーキュリー、あなたには効いたの」
「数字の上ではね」
「数字の上って?」
「ほかの人に迷惑をかけるとよくないから、まず麻酔をかけて・・・心拍数とか脳波とか肉体のデータをいろいろ取ってみて、自分で確認したけど、数字を確認する限りいちおうきちんと計算されていた効能があったわ」
「・・・ひとりでやったの?」
「怪我や病気の薬じゃないし、いつかなにかの役に立つことはあるのかもしれないけど、これ自体は仕事でもないのに、誰かを巻き込むのもどうかと思って。媚薬の被験者になってって、部下に頼むのは問題でしょう」

 媚薬のデータを事務的に取るという考え方がもう謎だし、ひとりで解決しようとしたのも謎である。ヴィーナスは泣いているに違いない。

「部下に頼むのがおかしいなら上司に頼みなさいよ。そもそも、ネタを振ったのはヴィーナスなんでしょう」
「ヴィーナスは被験者に適していないわ」
「なぜ」
「だってあのひと普通じゃないもの」

 マーキュリーはさらりと言ったが、普通じゃないというごく短い一言にはマーズも思わず納得してしまうほどの猛烈な説得力があった。そして先ほどのネタ発言同様、その奥に潜む様々な出来事を思い返すと、マーキュリーの日頃の苦労がどくどくと滲み出ていると感じた。
 ヴィーナスの、媚薬を作れないのというネタ振りにはマーキュリーと使いたいという思いがあったに違いないのだが、結果がこれである。どちらの言い分もわからなくはないのに、噛み合ってない。

 だが噛み合わない果てに媚薬の行く末が自分というのもやってられない。マーズはため息をついた。

「・・・あなたの言いたいことはわかったわ。でも、どうして私なのよ」
「さっきも言ったけど、部下に頼むなんてできないし、上司は論外だし、だったらおともだちにお願いするしかないと思って」

 確かに、これは誰でも軽々しく頼めることではないだろう。仲間でも同僚でもなくおともだちと来たか。
 四守護神は確かに仲間で上司部下でそれぞれに役割と使命を持つチームだが、信頼し尊敬できる友人同士である。そしてマーズはクールな外見とは裏腹に友情に厚かったし、仕事人間のマーキュリーにともだちとしてものを頼んでもらえるというのは、正直誇らしいという気持ちがあった。

「いちおう聞くけど、それ使ってどうするの?使って、あなたがやったみたいに脳波やらのデータ取って数字確認するの?」
「いえ、自分はともかく、人の体でそう言うことをするのはあまり。特にこういうのは個人差があるし、そもそも『治す』薬ではないから。まったく効かないか、万が一気分が悪くなるとかそういうことがなければ、詳しいデータは必要ないわ」

 毒にならないか、薬になるかだけが知りたいだけということか。つまり好きに使えと言われているのだ。ずいぶん自由度の高い治験であるが、マーズがマーキュリーのプライベートに踏み込みたくないように、マーキュリーもまた然り、なのだろう。マーキュリーの興味は媚薬がもたらす効能ではなく、自分が必要な薬物を作る技術そのものということだ。

 だが、それはそれ、である。ともだちの頼みだからなんでも聞けるはずはない。マーキュリーに下心が一切なくても、マーズは笑顔でウェルカム媚薬と両手を差し出す気分にはもちろんならない。

「・・・悪いけど、お断りよ。マーキュリーを信用していないわけじゃないけど、そもそも具合が悪いわけでもないのに、薬を体に入れるのって好きじゃない」
「それはもっともね」

 マーキュリーは大して気を悪くしたふうでもなかった。もともと無理なことを言っているという自覚はあったのかもしれない。

「力になれなくて悪いけど」
「いえ、変なお願いをしてしまってごめんなさい。あなたならこういうのは好きじゃないだろうなというのはわかっていたけれど・・・」
「作ったものがだいじょうぶなのかってマーキュリーの気持ちはわかるけど、そんな、どうしても必要なものってわけじゃないんだからもういいじゃない」
「そうね、じゃあ、ジュピターにお願いしに行くわ」
「・・・は?」

 そうね、とじゃあ、の意味がわからない。マーズはそんな言葉が続くことを想定してもういいじゃないと言ったわけではない。思わず立ち上がったマーズをしかしマーキュリーはすでに興味がないようで、指の間で媚薬を傾け目を背けた。

「・・・待ってマーキュリー。なんで、ジュピター?」
「だって、ジュピターもおともだちだもの」

 それはそうだ。というより、そもそも、マーズより気さく、さらに言えばおせっかいなジュピターのほうが『おともだちの頼み』を断る可能性は低いだろう。マーキュリーにおともだちだからと言われれば案外へらへらしながら頼みを聞くかもしれない。
 『おともだちの頼み』は自分で終わりだと思い込んでいたマーズは思わず愕然とする。自分のところに来たということは、ほかに当てがない最終手段だとなんとなく思っていた。だが、ジュピターは最後が自分と知ればますます首を縦に振ってしまうのではないだろうか。

 その意味に気づいてマーズは愕然とする。マーズが思考を巡らしている間に軽やかに立ち上がりその場を後にしようとしたマーキュリーの肩を、思わず後ろから掴んでいた。

「わ、私が預かる!」

 媚薬を受け取ったジュピターがそれをどうするかは、わからない。もちろんマーズ以外の相手とジュピターがその薬品を使ってどうこうするのは考えたくもないことだし、かといって彼女がひとりでそんなものを使うとも思えない。
 こんな話をマーキュリーから聞いた後に、ジュピターの手にそんなものが渡っている可能性を考え続けなければいけない、その考えはマーズを恐怖させた。

「ありがとう、マーズ。お礼はするわ」

 振り向いたマーキュリーは、戦略を練っているときや政務を行っているときでは間違いなく見せないやわらかい笑顔だった。日頃は堅物で人見知りのマーキュリーの『おともだち』しか見られないその顔は、不特定多数の目に触れれば数多の配下の心を動かし、一部の痴れ者にとっては媚薬同様の効能をもたらすだろう(マーズはここでヴィーナスの顔が浮かんだが、深くは考えなかった)。だがマーズは配下でも痴れ者でもなく、プライベートな頼みを引き受ける『おともだち』であったから、もしかして、最初からこれはマーキュリーの策略だったのかもしれないと内心思うばかりだ。

 だが、それでも、マーキュリーの笑顔が見られるのがうれしいと思う気持ちはある。情熱の戦士マーズはやっぱり友情に厚いのだ。




 マーキュリーの『お礼』二日半の休暇だった。
 あまりにも生々しい数字にマーズは余計頭を抱えるはめになった。しかも、なんとなくこの二日半のうちにけりをつけろという暗黙の業務命令のような気もする。唐突になすべきことが媚薬のお試し以外なくなってしまったマーズは、自室に戻って海よりも深い溜息を吐いた。

 マーキュリーの親指と人差し指に挟まれていた小瓶は、今はマーズの指に挟まれている。やはり見れば見るほど薬らしくないその瓶はセンスの良い調度品のようで、ジュピターの部屋にさりげなく配置されていればさぞ似合っただろうが、マーズの部屋にもマーズにも少しも似合わなかった。

 かといって見えないところに仕舞い込むのも隠し事のようでいやだ。マーズは寝床に転がり、上からの光を瓶に透かして見つめる。結局として受け取ってしまったが、こんなものを使うのも、たかがこんなものに心を乱される自分もいやだ。

 無味無臭、経口タイプ、一回ポッキリ。マーキュリーはほかにもいろいろ説明してくれたが、マーズの頭に残ったのはこういう最低限の情報だけだった。

 マーズはともだちとしてだけでなく、能力の面でもマーキュリーを信用している。この薬を使ったところで命にかかわるようなことはないだろうし、こんなものを作って渡したマーキュリーに下世話な感情がないことはわかっている。彼女はただ負けず嫌いで、本気でヴィーナスの欲求に応えようとしているだけだ。ヴィーナスが望みも予想もしない方面にではあったものの、そこに確かにマーキュリーの矜持と深い愛は見て取れるのだ。

 そしてマーキュリーが本気なら、ともだちとして応援して協力してあげたいとも思うのだ。だから、使ったふりをしていいかげんなことを言ってマーキュリーをごまかすことも、マーズはしたくなかった。

「はぁー・・・」

 でも、だからってと思う心は止められない。マーズは珍しくぐずぐずとふて腐れると体を丸めて寝床に沈んだ。これからの行動に決心がつかず、慣れないことを考えているうちにマーズは眠りに入っていた。





「・・・マーズ」

 マーズが声をかけられて目を覚ますことは極めてまれだ。気配に敏感なのもそうだが、戦いの戦士であるマーズの寝所に入ってくる用事と度胸のあるものなどそうはいない。そして、その極めてまれを平気の平左でこなすのはもちろんジュピターであった。
 保護の戦士の名を冠する彼女は、マーズの戦士としての警戒心を刺激しない。そうやって目覚めるのが、ジュピターならこわくない。

「・・・ジュピター」
「あ、起こした?ごめん」
「・・・いい。なに」
「いや、二日半休みになったって聞いたもんだから、もしかしたら具合でも悪くなったのかと。着替えもしてないし・・・」
「・・・急に休みをもらって持て余してたのよ」

 ならいいけど、そう言って心配そうにしかし当たり前にマーズの隣に座るジュピターは、不思議とマーズの神経を害しない。勝手に部屋に入ってきたことに始まり、寝床に寝そべったままのマーズのヒールを足から抜いて、やや乱れた髪を静かに梳くのも、普通にそんなことができることとそれを許している自分がマーズはどちらもいまだに信じられないでいる。

「寝るならちゃんと寝なよ」
「寝る気はなかったのよ」
「せっかくの休みなのに。もったいない」
「・・・べつに、することないわ」
「じゃあなおさらちゃんと寝なよ。もったいない」

 子どもを寝かしつけるように、ジュピターはマーズの額に手を置いた。ジュピターが仕事を終えてやってくるくらいだからもう夜なのだろうが、中途半端に寝てしまって、ましてや隣にジュピターがいるマーズはもはや眠気を感じない。起き上がろうとしたが、なぜかジュピターがマーズの隣に横たわるのが先だった。

「・・・ちょっと」
「寝よ」
「私はもう眠くないし、寝るんなら自分の部屋で寝て」
「もう帰るのやだよ。顔見るまで心配したんだから」
「・・・それは悪かったけど」
「マーズが悪いんじゃないよ。でも、あたしは帰る気ないってだけ」

 隣に並んで、横になっている。マーズは不快でなく、神経にも障らない。いつもそれがマーズには不思議で、ジュピターが隣にいる自分は嫌いではないけれど、理由がわからない。保護の戦士だからだろうか。
 でも、戦士としてそうあるジュピターは構わないのに、こうやって勝手にブーツを脱いで転がっているジュピターのそばにいるのは自分だけでいいと思ってしまう。

 勝手にマーズの中に入ってくるジュピターを許せる自分はいつも解せなくて、でも結局それを許してしまっていて、それでも、そんな状況でジュピターの手に媚薬が渡ってしまうのはいやだった。
 
 向き合ったまま、静かにジュピターから口づけがやってくる。マーズはそれがジュピターが自分を心配させたことへの甘やかな咎めのように思えて、受けた。やわらかく押し付け合う口づけを数秒続ける。くちびるを離したときジュピターはふんにゃりと笑っていて、どうやら納得したらしい。

「いいな、急な休み。なにするの」
「さっきも言ったけど、持て余してるのよ。欲しいと思って取った休みじゃないから」
「・・・ゆっくり寝てればいいんじゃないかな。あたしだったら、目が覚めるまで寝て、時間のかかるレシピをためして、温室もいつもより手をかけてあげたいな・・・」
「・・・あなたに休み、代わってあげてもいいけど」
「んー、でも、それはだめだろ。そもそも、急に休みがもらえるなんて、どうしたんだ」
「マーキュリーに頼みごとをされて、そのお礼って」
「頼みごと?」

 媚薬を使え、というミッションだとわざわざ言うのもどうか。誤解されたらいやだと少し口ごもったマーズを、ジュピターは詮索しなかった。

「じゃあ、休みくれるような頼みごと、聞いてあげたんだ」
「・・・聞いてあげたというか・・・なんというか」
「マーズはやさしいな」
「・・・やさしくなんかないわ」

 薬を使いたいわけじゃない。でも、ジュピターが持っていると知っていれば、使われる瞬間ばかり気になる。疑っているわけではないけれど、ジュピターが媚薬を持っているまま自分のところに来なければ、もう夜を明かすことができない。
 それがこわくて、結果、自分が引き受けることになったのだ。

 ふにゃふにゃの笑顔を見せるジュピターを見て、やさしいのはあなたのほうだと言いたくなった。毒気のない笑顔はむしろ、悪いことなんてなにもしていないはずのマーズの罪悪感を刺激する。

「・・・媚薬なんて、いらないのに」
「え?媚薬?」
「そう、媚薬」
「媚薬~?」

 また媚薬ばかりが連呼される不毛極まりない会話だが、マーズはマーキュリーとのやり取りをジュピターに素直に話すことにした。自分が積極的に使いたいというニュアンスに取られないように必死にはなったものの、嘘ではなかったし、隠し事などしたくなかった。

「媚薬ねえ。マーキュリーも、おもしろいことするよな」
「他人に迷惑かけたくないとかで麻酔かけて自分で試したらしいわよ」
「おもしろい人だな・・・」

 ジュピターの口調は呆れ半分だが、もう半分は感心しているようでもあった。マーキュリーのともだちという立場から見て、マーズと恐らくそんなに考えていることは変わらないのだろう。そしてそれはまっとうな感想だとマーズは思う。

「で、それ、どこにあるの」
「これ」
「へえ。きれいだね。薬って言うより香水の瓶みたい」

 マーズは握ったままの瓶をジュピターに手渡した。マーズよりマーキュリーより長い指で瓶を挟んで光を透かして見るジュピターの仕草は、素直にマーズにきれいだと思わせた。瓶のかわいさも相まって、ジュピターが持っているのが一番違和感がないな、と思った。

「これ、どうやって使うんだ?飲むの?塗るの?」
「飲むらしいけど」
「へえ。加湿器とかに入れたら部屋中の人がへろへろになるのかな?」
「・・・それ、マーキュリーに振らないでよ」

 またネタを振られたと思えば、実験したいと思うかもしれない。マーズはややうんざりしながら、瓶のふたを開けたジュピターを見ていた。

「においはしないね。色もついてないし。ただの水みたい」
「無味無臭って言ってたわ」
「材料の都合もあったのかもしれないけど、こういうものこそ無味無臭って危険じゃないか?飲み物とか食べ物とか、なんにでも混ぜられるぞ」
「必要なのは技術で、たぶん広く実用化に乗り出す気はないからそういう工夫はしてなんでしょうけど・・・」
「マーキュリー、ひとさじ足りないな」

 結局そこに行きつくのだった。
 ガードが堅いわりにおかしなところで無防備だ。甘い空気よりはこの場にいないマーキュリーの突っ込みどころに終始し、マーズとジュピターは顔を突き合わせる。ジュピターはまた笑って、マーズもつられてあいまいに笑う。ひとさじ、という表現が料理好きのジュピターらしくて、それもマーズを笑顔にさせた。

「・・・で」
「え?」

 マーキュリーの突っ込みどころに笑っていたジュピターは、また瓶を傾ける。蓋が空いていた瓶からは、微かに、とぷ、という音がした。それが濡れた場所に指を絡げる音を少し連想させて、マーズを不意にどきりとさせる。光を当てる角度によって違う様相を見せる瓶のように、笑っているはずのジュピターは先ほどと少しだけ違って見えた。
 もともと予知の力を持つはずのマーズが、時折不意打ちのように心を震わせられるのがなぜなのか理由はわからない。ただ、いつも、ジュピターが。

 ジュピターは笑っている。 

「マーズは、どうするつもりだった?」

 水が揺れる音は、マーズは気がつけば自分の内側から湧き上がってきた気がした。





「おはよう、マーキュリー」
「おはよう、ジュピター」

 翌朝の会議室、マーキュリーは自分の次に入って来たジュピターに挨拶をされて、同様に挨拶を返した。いつも一番乗りのマーズは休暇だったので不在だったのだ。件の薬は使うにもタイミングが必要だから長めの休みを渡したが、悪い影響がなければいいなと思う。

「マーズは休みで、あー、ヴィーナスはまだか」
「あの人が定時に来るとでも?」
「あはは、マーキュリー、期待くらいしてあげなよ」
「それはそうだけど・・・」
「だって、そうじゃないと、あたしとマーキュリーふたりきりだからね」
「・・・え、ええ。マーズがいないから・・・」

 ジュピターは妙な言い回しをした、と思った。おかしなことは言っていないが、少しだけ違和感を感じてマーキュリーはジュピターを見上げる。

「ヴィーナスは遅いね」
「・・・ええ」
「待ってる間、ふたりでお茶でもしようか?」

 おかしなことは言われていない。どこにお茶が、とマーキュリーが思う前に、ジュピターは笑顔で水筒を顔の前に持ち上げる。用意がよすぎてマーキュリーは少し驚いた。マーズは来ないし、ヴィーナスはまだ来ていない。マーキュリーとふたりでいることを予想していたのかもしれないが、それでも。

「実は、かなり珍しいお茶葉が手に入ったんだけど、量が少なくてね。おいしく飲んでもらおうと思ったら全員に回せなくて、どうしようかなって思ってたんだけど」
「・・・そう」
「だから、ふたりで・・・どう?」

 ジュピターは少しだけ声を落とし、微笑んだ。会議室でふたりきり、ジュピターがマーキュリーに向き合って水筒を傾ける仕草は、なぜか昨日自分がマーズにした言動とかぶって見えた。もちろん自分はこんなふうに笑わなかったにしても。

「ありがとう、ジュピター。とてもうれしいわ。でも、やっぱり、ふたりに悪いわ」
「そう?」
「ええ、今こうしている間にヴィーナスが入ってきたらきっと気を悪くするだろうし、マーズは私の都合でお休みなのだから、私がいただいてしまっては・・・」
「うーん、やさしいねえ、マーキュリーは」
「そんなことは・・・」

 なんてことないジュピターの言葉にマーキュリーは返事をするが、気がつけばマーキュリーとジュピターの距離は近い。ふたりきりだからかもしれないが、ふたりきりだからこそ、そこまで近くなくてもいいのに、と思うマーキュリーは知らなかった。保護の戦士であるジュピターは、身内ならばマーズすら警戒させないほど難なく懐に入り込んでくる。気配を感じさせないわけじゃないだけに、かえって当たり前のように。

「・・・ジュピター」
「なに、マーキュリー」
「・・・近くないかしら」
「そりゃ、近寄ってるからね」
「まだ会議は始まっていないし、あなたと私が特別な会話を必要とするようなことは起こっていないわ。あなたと通常通り話すことは問題ないけれど、私もあなたも視力聴力にそこまで問題があるわけじゃないのだから、この距離は少し近すぎるんじゃないかしら」
「あるんだな、それが」
「ジュピター、視力か聴力に問題が?」
「問題はマーキュリーのほうだよ」
「・・・私はどこも悪くないわ」
「そうだね。悪くない。でも、マーキュリーはひとさじ足りないな」

 気がつけばマーキュリーは壁際に追い詰められている。マーキュリーは朝からジュピターにそうされる理由がわからない。ジュピターが淹れてくれたお茶を断ってしまったことが、気を遣ったつもりが却って無神経だったのか、あるいは気づかないうちにジュピターを怒らせてしまうようなことをしてしまったのかもしれないと思ったが、ジュピターから殺気や闘気のようなものも感じない。そしてジュピターは笑顔のままだ。
 人は極端に怒ると笑顔になるというが、そういうわけでもなさそうだ。だが、理由のわからない笑顔は理由のわからない怒りより怖い。

「ひとさじ?」
「そう、ひとさじ。今のままでも食べられなくはないけど、あともう一種類スパイスがあったら最高においしい料理が完成するのにって、そんな感じ」

 すでにマーキュリーはジュピターの体と壁に挟まれている。敵相手にこの姿勢を取っているのなら、彼女は戦士としてそして持ち前の知性で、自分より力も体の大きさも上回る相手相手に立ち回っただろう。だが相手がジュピターなのと、闘志そのものはない相手であること、そしてなによりこの状態になる理由がわからなくてマーキュリーは動けない。

「マーキュリー、動いちゃだめだよ」
「は、離して・・・!」
「だいじょうぶ。信頼して」
「なにを信頼って・・・!」
「あたしはマーキュリーにひどいことしたくないし、マーキュリーもこんなことであたしにひどいことしないって信じてる」

 足の間に膝を差し入れられて、片手で壁に肩を抑え込まれて、力でかなわないマーキュリーは技を放つしか逃れる術はないと悟った。だが、そこまで自分がすることはできなかった。
 頭では、守護神がこんな意味のないことで戦う理由がないことを知っているからだと思っているし、心には、ジュピター相手にそんなことしたくないという気持ちがある。そしてなによりも、知性の戦士としてもともだちとしても、ジュピターの意図が知りたくてマーキュリーは動けない。

「そう、いい子だから動かないで」

 子どもに言い聞かせるような口調で耳元でささやくと、ジュピターは空いた片手でマーキュリーのマーキュリーのあごを掴んで持ち上げる。そして肩から手を外すと、マーキュリーの目の前に見覚えのある瓶を掲げる。マーキュリーの産毛が逆立つ。

「ど、どうしてそれをあなたが・・・!」
「頭いいのに、その辺はまるで駄目だねマーキュリー。マーズが怒ってたよ」
「なにを・・・」
「マーキュリーに悪気がないのも、人に迷惑かけたくないって気持ちもわかってるんだけどね。でも、マーキュリーは麻酔を使って薬を試してるくせに、自分だけじゃわからないってやっぱりおかしいって」
「なら、マーズに、私が麻酔なしで薬を使うところに立ち会ってもらえばよかったとでも?」
「べつにマーキュリーが薬でどうにかなったって、誰も迷惑だなんて思わないよ。心配はするけど」
「だからって・・・」
「でも、正直今のマーキュリーの方が心配だからなあ」

 今のマーキュリーのほうが、というジュピターの意図はやはりマーキュリーにはわからない。だって今この状況をマーキュリーにもたらしているのはジュピターではないか。
 ジュピターは親指だけで器用に瓶の蓋を弾いた。ぴん、と硬質な音がして床に蓋が転がる音が聞こえる。マーズに託したそれを、ジュピターはどうしようというのか。

「こういうのはともだちより、もっと適切な人がいいと思うよ」
「なにする気なの・・・!」
「ひとさじ足すんだよ。スパイスだと思えばいい」
「・・・・・・!」

 マーキュリーのくちびるに瓶が触れる。マーキュリーはその意図に気付いて固く口を閉ざす。ジュピターは痛みを感じさせない強さでしかしマーキュリーを逃さない。

「あたしを倒す気がないなら抵抗しないで。痛いこともこわいこともしないから」
「・・・・・・・・・」
「誰も迷惑なんて思わないって。マーズも受けただろ。あたしも力になりたい。それに・・・ヴィーナスだって」
 
 ヴィーナスという言葉に反応したのか、あるいはすでにマーキュリーの目はジュピターの背中越しに映っていたものがあったのか。

「・・・朝から楽しそうね。あたしも混ぜてよ」

 それはジュピターの言葉ではない。そしてその来訪者を認めた瞬間、不可抗力のようにマーキュリーの喉が動く。
 ジュピターは背後からの声をもしかしたら待っていたのか、空になった瓶を手のひらに収めると慌てる様子もせずにマーキュリーから離れた。マーキュリーは液体が自分の喉の中を滑り落ちていく感覚を追いながらも、目はジュピター越しのヴィーナスから離せないでいた。

「おはよう、ヴィーナス」
「おはようジュピター。朝から会議室でなにしてたのかしら」
「・・・料理かな」
「へえ、マーキュリーを?」
「そうだねえ」

 顔は笑っているが、態度と口調からヴィーナスは怒っている、とマーキュリーは思った。そしてそれに気づかぬジュピターではなかろうに、ジュピターは特に慌てるでもなくへらへらとしている。自分を取り巻く状況にマーキュリーはついていけなくて、マーキュリーは両手で口を押さえてへたり込んだ。
 朝からこんな状況の渦中にいることと、予期せぬものを摂取してしまった現実は、日頃冷静なマーキュリーを柄にもなく動揺させた。ジュピターに追い詰められたときから心臓がずきずきと痛かったのに、薬のせいか今も収まらない。

「ひとさじ足りなかったからね」
「・・・なにが言いたいのよ」
「言いたいことは言い終わったよ。悪いけどあたしはもう行く。どうせマーズが来ないんだ、そこまで大事な会議なんてしないだろ?もうマーキュリーもそれどころじゃないだろうし」
「だから、なにをしたのよ!」
「マーキュリーに聞いたら?体で答えてくれると思うけど」
「待ちなさいジュピター!話は終わってないわ」
「あたしは悪いことしてないってば。それよりヴィーナス、マーキュリーを助けてあげなって。あんたのことが好きすぎて変な道に行きそうだったんだから」
「変な道って・・・」

 ジュピターがこれ以上行動を起こすことはないと判断したのか、ヴィーナスはへたり込んでいるマーキュリーを見やる。マーキュリーといえば、頬を染めてやや呼吸を乱し、しかし目線でジュピターを止めるなとヴィーナスに訴える。ジュピターはすでにどちらにも興味がないように出口に向かっていた。

「じゃあそのお茶はふたりで飲んでね。おいしいから」

 ジュピターは振り返らず部屋を出た。その後ろ姿はとても悠然としていて、意図は見えないにしても、不埒なものにも見えずヴィーナスは見送るしかなかった。

「・・・マーキュリー?」
「・・・ヴィーナス」

 ヴィーナスには、状況がわからなかった。だが、ジュピターには意図があっただろう。悪いと思っていない理由で、わざわざヴィーナスに見せる意図が。そしてマーキュリーにもその意図は読めていないこと、追いつめられていたマーキュリーがなぜああなったのか、それを確認したくてようやくヴィーナスはマーキュリーに駆け寄る。

「・・・お願い、見ないで」

 マーキュリーが頬を染めてやや呼吸を乱しているのはずっと変わらない。語気もそこまで強いものではない。だが自分の体を守るように抱いて、うるんだ目でヴィーナスからの目線を逸らすマーキュリーは誘っているようにしか見えなかった。
 見ないでというのはジュピターとの行為より今のマーキュリーの状態のことを差しているのだと察した。朝っぱらから、と思った。

「料理ねえ・・・ジュピターなにしてんのよ」
「自分でなんとかするから・・・放っておいて」

 マーキュリーとヴィーナスのやり取りは噛み合っていない。噛み合わないのはいつものことだが、いつもにもまして噛み合っていない。ヴィーナスはマーキュリーにというよりはこの状況に対して自分の思ったことを言っているし、マーキュリーの言葉は実質自分自身に言い聞かせているものだ。これは会話ではない。
 
 だがこの場で、意外なことにふたりの意図は通じ合いそうであった。ヴィーナスはマーキュリーの体に直接聞いた方が早そうだなと思ったし、この状況のマーキュリーを外に出してはいけない、とも思った。それはリーダーとしての責任感と人としてのやさしさと、あとほんの少し(当人比)の下心から湧き上る感情であった。
 そしてマーキュリーはこの薬を摂取した状況から逃れられないのなら、目の前にいるのがヴィーナスでよかった、といつもより胡乱な頭で思ったのだ。

 そんな思考に通じる理由は、ひとつ。そこには、確かに愛があったのだ。




「よ」

 まだ朝日が眩しい時間だが、今日のおはようは済ませている。ので、ジュピターの挨拶は非常に簡易だった。マーズももうおはようと言うことはなく、かといってジュピターのように一言言い返すこともなく、並んで廊下を歩きだす。

「今日はふたりで仕事か。もうひと仕事終わった気がするけど」
「・・・結構役者なのね」
「そんなことないよ。それを言うならマーズも相当だと思うけど」

 この朝からの会議室での寸劇の脚本を書いたのは、マーズだった。遅刻魔のヴィーナスがあの時間に来られたのも、マーズが通信機でヴィーナスにモーニングコールを入れまくったせいである。
 マーキュリー相手に素人同然の自分の策が通用するかどうかは甚だ疑問だったが、主演女優ジュピターはその役割を十二分に果たしてくれた。

「マーキュリー、ちょっとかわいそうな気もするけどね」
「・・・あの薬漬けにはいい薬だわ」
「それ、言ってること変だよ。わからないでもないけど」
「なら、いいでしょ」

 すでにサブリーダーの顔つきをしてがつがつと廊下を闊歩するマーズに、ジュピターは当たり前のようにマーズの歩調に合わせついていく。

「でも、薬っていっても、効果あるのかな?」
「さあ。あるんじゃないの」
「さあって・・・だってマーキュリーに飲ませたの、ただの水だし」

 ジュピターがさらりと明かしたその事実は、ここにいないマーキュリーには届かない。恐らくマーキュリーがそれに気付く前にヴィーナスがうまいことやっているだろう。というか、もう食われてしまえ、マーズは投げやりに思った。

「薬だと思い込めば実際にはただの水でも薬と同等の効果が得られるって話。だから、いろんな意味で薬漬けにはいい薬よ」

 それはマーズの策、というよりは、マーキュリーへの友情と個人的なマーキュリーへの理不尽な憤りであった。一見は両立しない感情を、どちらもマーズは捨てなかっただけだ。マーキュリーの頼みは確かに聞いたし、かといって内心思うことがあったマーキュリーの思い通りにはならなかった。

「やさしいねえ、マーズは」
「ジュピター、今日はがっつり仕事してもらうわよ」

 マーズの計画に乗ってくれた上に、ヴィーナスとマーキュリーのためにわざわざお茶まで用意してくれたジュピターにこそやさしいという言葉は似合うのに。だからジュピターの言葉に素直に答えるのが癪で、マーズは固い口調でジュピターに告げる。
 おそらくヴィーナスもマーキュリーもしばらくは戻って来まい。マーズに二日以上も休みをよこすぐらいだから切羽詰まった仕事はないだろうが、さすがにふたり抜けている状態では自分たちがきびきびと働くべきだ。マーズは廊下を突き進みながら一日の予定を組み立てる。
 ヴィーナスとマーキュリーがいつ戻って来るかはわからないから、それまでにできることはやっておかなければならない。ヴィーナスはともかくマーキュリーは仕事中毒だから、こういう意味でもいい薬だ。マーキュリーが多少不在でもこの王国は回ることを見せなければならない。

「ええ~?」
「ええ~じゃないわよ」
「だってさー、薬使ったのあたしなのに、結局あたしにだけ休みがないっておかしいだろ」
「それは・・・」

 それは、確かにそうなのだ。薬を使ったのは、マーキュリーではない。マーズでもなく、ジュピターだ。

 昨夜の話だ。マーズがどう使うか決めあぐねていた薬を、ジュピターは顔の前で傾けた。そして、マーズが止める間もなく自分で飲んでしまったのだ。唖然とするマーズを前に、ジュピターは猫のように目を細めて囁いた。それがマーズの耳から離れない。
 そして、昨夜はジュピターは自室に帰らなかった、否、マーズが帰せなかったのだ。だから、おはようは、おやすみと同じくベッドですませた。

 使えるという結果さえもたらせば、薬を使うのはマーズでなくてもいいとジュピターが言った。保護の戦士は、その名に恥じず当たり前のようにマーズを守ってくれた。

「いいでしょ。休みなんか。そんなに元気なんだから」
「マーズがやさしくしてくれたからかなあ」
「マーキュリーが変なもの入れなかったからでしょ」
「そりゃあそうだけど」

 これ以上ジュピターに余計なことを言われたくない。マーズは更に足を速める。
 だが、マーズががつがつと突き進む廊下が、やがて丁字に別れている場所に差し掛かる。同じ場所でのん気に仕事をするわけにいかないことをマーズもジュピターもわかっているから、ふたりはここで違う方向に向かわなければいけない。それは重々わかっていて、結局先を行くマーズが足を止める形になった。
 このまま黙って曲がってしまえばよかったのに。でも、追いかけられたら困るのに、なにも言わずそのまま遠ざかっていく足音を聞くのは。

「・・・ジュピター」

 だから、振り向いた。いかにも最後に仕事を確認するような顔で。ジュピターも足を止めてくれた。仕事に向かう顔には見えない表情で。

「マーズ」

 甘くてやさしい声。昨夜、薬をあおったあとジュピターがマーズに見せた顔と同じ。耳元で当たり前のように囁く仕草が逃れられなくて、そんな自分が恐ろしいのに、どうしても待ち望んでいる。昨夜、あれだけ触れ合ったのに。

「・・・今夜も」

 ジュピターが足りないのが薬のせいなら、マーズが足りないのは何のせいなのだろう。結局、薬が必要なのは自分たちではないということだ。そんなものなくても、昨日ジュピターがマーズに囁いた言葉がこびりついて今でも離れないのに。

『つかまえて』

 つかまったのは自分のほうだと、思ってたのに。そのやさしい腕にあまい声にやわらかい唇に誘うような媚態に、昨日つかまったのに。
 薬を飲んだジュピターはマーズにつかまえてとただそう言った。ほかでもないマーズに。言われなくても離せなかった。薬のせいなんかじゃなかった。絡め取られたのがどっちかわからないくらい抱き合った。そんなものを持っていたのにすぐに声をかけてくれなかったのが不安だったとジュピターが喘ぎながら漏らしたとき、マーズもまた泣きくなった。薬などなくても、離れられなかった。

「・・・言われなくても」

 ジュピターのほころぶような笑顔を見て、マーズは今度こそ踵を返す。不安になったり夜眠れなかったり、切れ者の友人を変な行動に走らせたり、まったくろくでもない感情なのに、胸に湧き上がる熱はどうにも嫌いになれない。まぶしさに目を細めながらマーズはようやく日常の朝を始める。


 薬を作ってと言ったヴィーナスも、薬を作ったマーキュリーも。薬を託されたマーズも、薬を飲んだジュピターも。そんなものに関わった理由なんて、下心や意地や友情や庇護の気持ちがいくらあったって、結局のところ。

 彼女たちは、恋をしている。そこにあるのは、確かにそんな感情だ。









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 こんな平和な時代があってもいい。 
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