元徳(1329-1330)・元弘(1331-1335)年間から南北朝時代、相州の鍛冶師。
貞宗は正宗(相州正宗)の直門で、後に養子になったと伝えられる。
鎌倉から南北朝にかけての鍛冶師であるため、鎌倉様式のものと南北朝様式のものが現存する。
その作風は、正宗が創始した相州伝の鍛法をそのまま受け継ぎ、その技量も師に継ぐものがある。
師である正宗との相違は、やや大振りでそりのついた平造の脇差や、振幅が広く鋒(きっさき)の大きく伸びた太刀や片刃造の太刀や脇差がある点である。また、刃文においてもこの工は同じ湾れを焼いても正宗ほどの変化や働きが見られず比較的単調である。
貞宗の門下の信国[初代]・法城寺國光・備前元重の三刀工を、師正宗の正宗十哲になぞらえ貞宗三哲としている。
貞宗には有銘の作が、太刀・短刀を問わず一振りも残っていない。しかしながら、その門下に信国[初代](貞宗三哲の一人)がおり、弟子の作から師である貞宗の作刀を推定することが出来る。
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記載済み刀工 サ行
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貞宗は正宗(相州正宗)の直門で、後に養子になったと伝えられる。
鎌倉から南北朝にかけての鍛冶師であるため、鎌倉様式のものと南北朝様式のものが現存する。
その作風は、正宗が創始した相州伝の鍛法をそのまま受け継ぎ、その技量も師に継ぐものがある。
師である正宗との相違は、やや大振りでそりのついた平造の脇差や、振幅が広く鋒(きっさき)の大きく伸びた太刀や片刃造の太刀や脇差がある点である。また、刃文においてもこの工は同じ湾れを焼いても正宗ほどの変化や働きが見られず比較的単調である。
貞宗の門下の信国[初代]・法城寺國光・備前元重の三刀工を、師正宗の正宗十哲になぞらえ貞宗三哲としている。
貞宗には有銘の作が、太刀・短刀を問わず一振りも残っていない。しかしながら、その門下に信国[初代](貞宗三哲の一人)がおり、弟子の作から師である貞宗の作刀を推定することが出来る。
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