黒ラブ ロックが行く

生まれつき肝臓が普通の犬の4分の1しかない、小さい黒ラブと、家族のお話です。

岩手県九戸郡野田村 被災地を訪問

2011年07月20日 | 東北地方太平洋沖地震

7月20日
台風が近畿地方に上陸し、関東地方へもむかっている。
変なお天気で薄日がさしてみたり、急に雨が降ってみたり。
晴れてる合間を狙って、黒ラブはお散歩します。



7月7日、七夕でした。

この日は父の従兄弟が住んでいる野田村へと向かった。

大間からおよそ5時間。
すれ違う大型のトラックの上には津波で流されたと思われるつぶれた車が
何台も重ねて積んであった。

野田村の標識が現れたとたん、瓦礫の山が、、、、。


海沿いの道路は泥がまだ完全に取り除きが終わっておらず、堤防はあちこちずたずたに
壊れており、どこもここもコンクリートから折れ曲がった鉄筋がにょきにょきとはえているようだった。

およそ35年前と10年前にも来たことがある。
35年前に来た時は早朝船に乗って沖合いのホタテの養殖場まで連れて行ってもらい
船の上で取れたてのホタテを食べたことが今でも忘れられない思い出。

10年前に来た時とずいぶん地形が変わっていたので迷ってしまいながらでも
何とかそれらしきところに着いた。


何かおおっぴらに写真など撮ってはいけないような気がしてこそこそと。
港ではこうして災害の復旧をしながら猟師さんたちが網の繕いなどをしていました。
これは流されてむちゃくちゃになってしまった網でしょう。


誰も会いないところをぐるぐる回っていたらおじいさんが来たのでたずねると、
ほらそこだよと目の前のおうちを指差した。
やっぱり、ここだと思ったけれど10年前と比べると地形が違う。
お家の前にも瓦礫の山が。
おうちを修理していた大工さんに、
こちらの方は?と聞いても、
さあ、どっかその辺に行ったんじゃないんかね。

野田村では住宅役310棟が全壊、38人死亡約120人が行方不明。


この松は地上から15mくらいのところにあるけれども、途中で折れているところまで
津波がきたのがよくわかる。


待つこと10分。
お散歩に出かけていた父の従兄弟の奥さんと無事再会。
まあまあ良くおいでくださいまして。と、とても綺麗な南部弁で話をしてくれました。
東北と言えば全部一緒くたにずーずー弁を東北弁と言うけれど、岩手県のこの地方では
南部弁と言ってとてもきれいな都言葉に近い言葉遣いをします。

前回来た時と地形が違うのですがと言うと
基盤整備で山を崩して平地にし、道路をよくして堤防をかさ上げしましたのんす。

地震の時おばあさんはどうしていらしたのですか?と聞くと
私達は、地震が来たら高いところへ逃げるのが約束でしてな、本当は家の納屋の2階が
そうでしたが一人で怖かったので、みんなが居る後ろのほうへ逃げましたのす。

はあ、前の家のおじいさんは昼真っからお酒を飲んでぼけてましてな、
流されてしまいましたのす。

88歳になるおばあさんは、大昔私が訪ねたことも全部覚えていてくれ、父や母が来た時のことも覚えていてくれていました。

おじさんは地震の後亡くなったそうでしたが地震とは関係なかったみたいでした。

お家は、家の前の石垣が流され、津波は座敷の上くらいまでしか来なかったのに
流されてきた松の木が居間のガラス戸を壊していきましたのす。

逃げた場所から見ていましたらな、真っ黒な波があの高い松の木のうえを覆いかぶさるように
きたのです。
それはそれは恐ろしかったです。と。
新しい堤防がもう少し長かったら家は大丈夫だったのですがな。

まあ、あのような瓦礫の山がおよそ5つ6つもあるでしょうかねえ。
と、淡々と話してくれました。

小一時間お話を聞いて、ほかの親類の方たちの無事も確認できたのでお暇をすることにした。

まあまあ、良く遠いところをおいでくださいまして。
何もお土産を差し上げられずにといって、
大工さんのおやつに買っておいたものしかありませんがといって、パンを頂いた。

被災お見舞いに行ってお土産をもらう私って、、、、。

おばあさん写真を一枚お願いしますと言うと、
こんなおばあさんの写真なんかと言いながらにっこり笑ってくれた。

また来ます。

それまでお元気で。





この後平泉へ車を飛ばす。


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