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フランス パリで乳がん治療

フランス生活20年目の節目に乳がんになってしまいました。パリのガンセンター、キュリー研究所で治療を始めます。

kinésithérapeute(通称キネ)の申請

2017-10-25 15:58:24 | 乳がん
術後は安静にしておくと、元の生活に早く戻れない気がして少しづつですが出来ることはやるようにしていました。簡単そうなのに出来ないことは息子たちに頼んで。洗濯を干すのがつらかったし、パスタを茹でようと鍋に水をたっぷり入れると右手が重さを支えきれなかったりとか簡単なのに無理でした。
右のリンパを廓清したので、看護師さんに右手はこれからずっと血圧を計ったり、注射をすることは避けるように言われ、重いものを持つこともダメだと言われました。腕が腫れて元に戻りにくくなるらしいです。庭仕事をするときも必ず手袋をはめ、もしケガをしたなら素早く消毒をするように言われました。リンパ液がないぶん傷の治りが遅く、感染もしやすくなるらしく、一生気を付けなければならないと言われた時は、一生なんて守れるかなぁと不安に。
手術から約1か月後キネの申請をお願いするためにホームドクターのところへ行き、ほぼ、傷口がふさがっているのでキネの治療を始めるOKが出ました。まだ、運転に自信がなかったので、ドクターの処方箋に自宅までキネが通ってもらえるように書いてもらいました。手術後約一か月の8月14日から、週3回マッサージを受けることになりました。


ドレーンを抜く

2017-10-24 13:50:01 | 乳がん
退院から4日目の月曜日、血の量も40mlより少なくなり、看護師さんに今日抜きましょうと言われ、覚悟を決めました。7日以降になるとチューブが傷口とくっついたりすると恐ろしいことを言われました。。始めにチューブを糸で縫い付けてあるので抜糸をして、1,2,3で息止めてその間に抜くからといわれ、大きく息を吸って1,2,3!はい、抜きまーすといって、しゅるるるーっと結構長い管を抜かれました。抜糸もチクっとしただけで、チューブも抜く感触はあるけど痛くはなくてホッ。これから少し、体液が出るだろうけどガーゼで十分だと言われて体が自由になって嬉しい!久々の解放感でした。自由に動ける!右腕はまだ半分しか上がらないけど、お風呂も当分無理だけど、気分爽快でした。次のステップは傷口がくっついてきたらkinésithérapeute(通称キネ) 理学療法士のもとリハビリが始まります。それまでは自宅でゆっくり療養です。

自宅での治療 hôspitalisation à domicile

2017-10-23 16:18:59 | 乳がん
病院は退院したものの、ドレ―ンがとれないので、毎朝看護婦さんが家に来てドレーンや傷口をチェックしたり問診をして下さいます。夜のうちに着いた大きな段ボールの中には、ガーゼ、ゴム手袋、消毒液、ドレーンの替え、医療用ごみのゴミ箱、手術着(!!)などが入っていました。この中の物を使って看護師さんは手当てをして下さいます。術後4日目にもなると血の量も少なくなり、リンパ液の方が増えてきました。この日は5日ぶりのシャワーを浴びようと夫に手伝ってもらいながら(ドレーンを持つ役)シャワーの前に夫を呼んで手術した体を見てもらいました。色々な感情がありましたが、いつかは見せなきゃいけないのだし、待てば待つほど見せることができなくなりそうでドキドキしましたが見てもらうことになりました。第一声は、。。。。。想像していたよりはいいと。もっと、違う傷を予想していたみたいで。左の方は手術したなんてわからないぐらいだねって言われました。ホッとしたけど、やっぱり夫に悪いなぁと思いました。隣の彼女は入院中、しばらくして落ち着いたら再建手術を受けるって言っていて、私はもう手術台にのぼりたくないなぁと返したら、旦那さんのこと考えてあげないと!まだ私たちは若いのよってって言われました。。手術翌日に次の手術のことを考えられるなんて、私には無理でした。。

退院日

2017-10-18 15:33:15 | 乳がん
二日目の夜は熱帯夜で汗をびっしょりかきましたが、それでも疲れていたいたのぐっすり眠れました。明け方、看護師の方が血圧、体温を測ってくれましたが熱も平熱になり、汗をかいたおかげかもしれないと思いました。朝食はパン、ジャム、ヨーグルトをいただきながら隣の人と喋っているとドクターの回診があり、私はまだドレーンの血の量が減らないので退院して自宅で看護師さんの処置を受けることになりました。隣の彼女は少なかったのでその場でドレーンを抜くことに。1,2,3ハイ、息すって~ハイ、はいて~止めて~と言いながら看護師さんが抜いてました。痛かった?って聞くと痛くはないけど、変な感じがするって言ってました。彼女は3回目なのでもう慣れたらしいです。私も病院で慣れている看護師さんに抜いてもらいたかった。。そうこうしているうちに、アシスタントソーシャル担当の方がこられて、私の退院手続き、自宅療養の看護師の手続き、タクシーの手配の仕方など書類を渡されてサインして終わり。ドレーンは筒型なので、ボランティアのマダムに頂いたチョコレート屋さんの紙袋に入れてましたが、アシスタントソーシャルの方に可愛い布で作られた肩から下げるドレーンバックをいただきました。これで両手は自由です!そろそろ着替えて準備しても良いと言われ、夫が来る前に準備完了。たった2泊だったけど、仲良くなれた隣人に折り紙で鶴をおったり、連絡先を交換したり、これからのお互いの健闘を称えあいました。泣かないように我慢してたのに、こみ上げてくるものがあってお互い笑い泣きしながら、さよならしました。本当に彼女と一緒の病室で良かった。
1階まで降りてタクシーを待つこと15分。タクシーとはいえ、普通のタクシーではなく、TAXI Conventioneeというセキュ加盟のタクシー。病院が出してくれるBON TRANSPORTを使って乗れるタクシーです。とてもじゃないけど電車で帰ることはできないのでこのタクシーで帰らせていただきました。
家の近くまで来た時に自宅療養の看護師さんからもう家に着いたと電話があり、早すぎてびっくり。少し待っていただいて無事家に帰宅。やっぱり家はいい!!!本当にほっとしました。息子二人が待っていてくれ、昨日会ったのになんだか少し大人になったような?気になりました。看護師さんと面会して、これから、毎日ドレーンの様子を見に来ること、傷の具合を見ることなど確認して書類にサインして終わり。午後からガーゼや消毒するアルコールなどが入った段ボールが届くので受けとって下さいといわれ、看護師さんは帰っていきました。
そのあと、義母、近所の友達が次々に顔を見にお見舞いに来てくれてました。友達のk子さんはわざわざ日本食を差し入れてくれて、感動。よく頑張ったねってほめていただきました。日本食、とっても美味しくて涙が出ました。

入院二日目②

2017-10-09 13:27:45 | 乳がん
スッキリして、パジャマ(前開き)に着替え午前中の検温、血圧を測っていると、ボランティアのマダムがやってきました。ボランティアの名前は前の生活のように生きる!(Vie comme Avant)というような名前の団体。以前乳がんを患った方々の団体で入院中の患者の話を聞いてくれるという素晴らしいボランティア。一人一人に声をかけていただき、個人的に話をしたい人は病棟のサロンまで行き話を聞いてくれます。私も色々と話を聞いていただきました。プロのカウンセラーではないので質問等はなく、ご自身の経験や私の経験したことをおしゃべりして気持ちがとても軽くなりました。ここでも少し泣いてしまいました。気持ちが不安定でどうしようもないとかは感じなかったけど、自分で思っているより平気ではなかったのだと思います。傷も麻酔の効果が切れてきて少しづつ痛みを感じるようになってきましたが、それでも想像以上に楽でした。
入院前に買いそろえなければいけない物の中にコットン製の前開きブラとパットがありました。切って間もないのにもうブラを付けるのって思いましたが、ブラ+パットを付けて退院するそうでびっくりです。いつまでも病人でいさせないこのフランスのやり方は結果メンタル的にも素晴らしいと思います。午後からは看護師さんがブラとパットを付ける練習をするからと傷口のテープを取りました。傷は真一文字に20センチ脇まで縫ってあります。縫い糸は体に吸収される糸なのでそのまま。パットの中の綿を調節してもらってブラを付けるとなんだか体がしゃんとした気持ちになって気分も明るくなりました。ブラの試供品も頂きましたがこれは腕が上まで上がらないとつけれないようなブラだったので(スポーツブラ)治ってから使わせてもらっています。
子供たちも夫とやってきて色々話をしたりしてくれました。入院は朝早かったので2日ぶり。お土産はヤクルトとアイスノン。自分たちは近くの中華レストランで食べ放題を食べてきたとか、パンテオン寺院は暑くて行かなかったとかどうでもいい話なのに嬉しくて嬉しくて。。明日退院だと伝えると、えぇっもう!?ってびっくりしてました。
2日目の夜は昨日と違い、検温にも血圧検査も来なくて一回コアルゴンの注射をお腹にぶすっとされて朝までゆっくり寝れました。ドレーンの方は、血がチューブの中で固まって流れていないようだったので看護師さんに言って変えていただきました。少しずづ血から黄色いリンパ液も見えるようになったので明日採れるかもといわれました。