goo blog サービス終了のお知らせ 

フランス パリで乳がん治療

フランス生活20年目の節目に乳がんになってしまいました。パリのガンセンター、キュリー研究所で治療を始めます。

放射線治療の始まり

2017-11-13 13:25:04 | 乳がん
術後2か月前には始めた方が良いと言われていた放射線治療。2か月と1週間過ぎたけど無事に始めることができました。初めに一番初めに取ったマンモグラフィー(術前)を提出し、スキャナーで体(腰から上)の軸を計り、脇から脇、鎖骨上から胸の中心と言った風にレーザーを当ててマジックで印をつけていきます。付けおわったら保護テープでマジックを保護して一日目は終わり。実際に放射線治療は翌日からでした。家の近所なので車で通院しましたが、結構な数の人がタクシー通院。これもセキュが100%あとで支払ってくれます。私の場合幸いなことに往復15キロほどだったので通院は楽なものでした。遠くからの人は往復120キロの人も。タクシーで来ていると言っていましたが、かなりの金額になっていると思います。。
通院時は19時から22時でその他の昼間などは他の患部のガン専用らしくて乳がんは最終の22時まで。なので夕飯を準備してから治療に行っていました。一週間ごとに予定表を渡されますので、その時間に行けばほとんど待ち時間は無しでした。フランスの病院の待ち時間は長いけど、ここは全く大丈夫。治療室はとても新しく、台に寝ころぶと桜と木蓮のパネルがあり、なんだかホッとします。真っ白な部屋よりずっといい。技師さんは常に2組で、気さくに話しかけてくれたりして初めての放射線治療はあっという間に終わりました。台に寝ころんでから10分ぐらいでした。放射線は痛みも何も感じなく、ただ、ジーという音のみ。本当にやっているのだろうかと思いました。。この日から22回の治療が始まりました。

PROSIGNAの検査結果

2017-11-08 16:34:25 | 乳がん
キュリー病院の私担当のオンコロジー先生、B先生。8月の終わりに電話があってもう2週間ぐらい検査結果に時間がかかるからと言われたので自分でも調べてみようと日本のネット情報を探しまくりました。悲しいことに、私担当の先生に限ってか、「この数字の意味は何ですか?」とか「これはどういう意味ですか?」などの質問はハッキリと答えてくれず、そんなことを知っても意味がない、みたいなあしらわれ方を何度かされました。言っても理解出来ないだろう見たいな感じで。患者に対し、いちいち言わない方針なんだなぁと思い、それなら自分で探すしかない。知らないままだと不安が大きくなると思ってネットで情報を集めました。ネット情報はとんでもないのもあるので、病院関係者や病院の質問コーナーみたいな所から色々見ていきました。
ビオプシーで出た結果のホルモンレセプターはOestrogenes が100%、Progesterroneが70%、術後病理結果ではKi-67は10%。リンパ移転なし。ホルモン治療が効く結果だと自分ではそう解釈しました。
二週間後、放射線治療を始めるにあたって抗がん剤をどうするかと放射線科のP先生と話し合いましたが、B先生の返事は無し。まだ結果が出ていないので放射線治療もおあずけ状態。すぐ始められるように体のスキャナー撮りをしてマーカーで体に印を入れたり準備万端で検査結果を待っていました。いよいよ、術後2か月になるという日の夜8時半ごろ(!!)B先生直々に電話があり、PROSIGNAの結果はrisque de récidive59(再発のリスク59)遠隔再発の可能性は14%、risque intermédiaire(中間リスク)と出たと連絡がありました。私の抗がん剤治療は14%が10%になるぐらいでリスクがすごく減るわけではないと言われ、頭が真っ白に。自分では低リスクと出るだろうと思っていたので、再発、遠隔移転、など恐ろしい言葉を聞くたびパニックになりました。しかも中間リスクの人には患者さんで決めてもらう方針だからと言われ、その場で(電話で!)どうする?抗がん剤する?しない?と言いてくる先生。先生だったらしますか?とか他の私のような患者さんはどっちを選んできましたか?とか色々質問しました。はっきりとは答えてくれず、あくまでも私に選ばせたい感じがひしひしと伝わってきます。。でも、抗がん剤によるリスクを教えてくれました。健康な細胞も抗がん剤によって痛むこと、心臓の負担も軽視できないことなど。いくら話しても納得できず、結局、夫が帰ってきてから話し合って決めますと電話を切りました。夫が帰ってくるまで不安で何も考えることができずにいました。帰ってくるなり、電話のいきさつを話すと夫は自分で決めていいのだったら、抗がん剤はやめようと。何度も考えて出なかった答えは夫の一声で決まりました。私は、抗がん剤治療を選びませんでした。

オンコロジーとのランデブー

2017-11-07 12:13:47 | 乳がん
8月の終わり、予定していたオンコロジー(ガン専門医、とりわけ治療方針を決める先生)とのランデブーは前日に電話があり急きょキャンセルに。理由を聞くと、手術の病理結果でハッキリと今後の治療を決めることができないとのこと。先生から直々電話でしかも治療を決めることができないってどういう事???ってパニックになりました。。
おちついて聞いてみると、抗がん剤をするかしないか微妙なところなのでもう一回他のテスト(PROSIGNA)をすることに。このテストは抗がん剤で治療すればどれだけのリスクがあるかどうかを見極めれるらしい。このテストに2週間ほどかかるのでそれ以降にランデブーを取り直すことになりました。また、テストの結果待ち。。。不安な気持ちでまた2週間。。しかも、放射線治療の先生には術後2か月までに治療を始めた方がいいと言われ、焦ります。。放射線治療は抗がん剤の後が基本なようで、放射線が始まれば抗がん剤はできないとも言われました。外科医のF先生は抗がん剤は必要ないだろうと言っていたので、お気楽に構えていたのに、この場になってなんだか怪しくなってきました。。

kinésithérapeute 通称キネのリハビリ

2017-11-01 21:34:18 | 乳がん
まだ運転には自信がなかったので、自宅にキネの先生が毎週3日来てくれることになりました。自宅に出張してくれる先生があまりいない中、義母のキネの先生に頼んだところOkをいただきました。義母は足が悪くて週2日キネの先生のリハビリを受けています。若い先生で話しやすくおしゃべりしながらのリハビリは気分転換も兼ねて気が晴れました。まずはうでの上がり具合を見てもらい、術後1か月から積極的に動かした方がいいと言われ、真上にあげるようグイグイ押されました、たまにピッと電気が走るような痛みぐらいでだんだん慣れてきました。始めのころは神経が切れていて麻痺しているのでそれほど痛みはなく、あ、触られているなぐらいです。傷口は真一文字に25センチあり、まだカサブタも取れていないけど、傷口をゆっくりマッサージされました。ここは所々痛みが走り我慢してマッサージを受けました。カチカチだった傷口ですが、今現在は柔らかくなっています。先生は重いものは持つのはいけないけど、他のことは以前と同じようにするように、動いて動いて動かすように!と激をとばされました。2か月半先生の指導を受けてほぼ以前のように生活できています。キネの先生様様です。

病理結果

2017-10-26 16:44:04 | 乳がん
術後3週間目の8月7日、病理結果が出たのでキュリー病院へ。始めに見ていただいたF先生。前にもまして、さばさばしていて病理結果をサッと手渡されて、サッと傷口を見て、何か質問は?って。傷口はきれいだし、結果を見たところ多分、放射線治療とホルモン治療になるわよ、とものの2分とかからなくてびっくりしました。ここまで来るのに色々質問しようと思ってたのに、ハイハイ、それでは次のランデブーは25日ね、といわれ診察室を半ば追い出されるように後にしました。いろんな人からキュリーは工場化していると言われましたが、少し納得。F先生だけかもしれませんが、納得できるランデブーではありませんでした。病理の結果は、
pT2(m)NO ステージ2
種類mucineux 粘液ガン
Grade 2
リンパ廓清の結果0
Ki-67 10%
大きさ32mm+16mmでした。
やはり、大きな腫瘍だったのでリンパにも移転しているだろうと思っていましたが大丈夫のようでホッとしました。このころはネット情報で喜んだり、落ち込んだりしていました。
次は25日のガン専門医のもと、今後の治療方針を決めて行く予定です。