フランス パリで乳がん治療

フランス生活20年目の節目に乳がんになってしまいました。パリのガンセンター、キュリー研究所で治療を始めます。

手術当日③

2017-09-27 16:12:49 | 乳がん
ようやく、飲み物を取ることができたのが病室に帰ってきてから4時間後。グテ(おやつの意)食べるー?なんていいながら、サービスしてくれたのが紅茶とビスケット。食べたくなかったけど食べなきゃ元気が出ないと思い、いただく。看護婦さんがトイレに行きましょうと連れて行ってくれ、絶対に下を向かないでといわれて目だけを下に向けトイレへ。狭いトイレで右手に点滴のコロコロがついた台と左にはドレーンを持ってやっと座れる。下を見ずにやるのは難しい。。日頃なんでもない動作がこんなに難しいなんて!当たり前のことがあたりまえじゃないって改めて思います。尿意はあまりなかったけど、普通に用を足せました。他の方はなかなかでなかった(尿が)とかブログなどで拝見しましたが私は普通でした。吐き気もなく、痛みもなく順調すぎて怖いくらい。この時点ではまだ手術着で、しかも太もも辺りを横にざっくり切られていて(なぜ、切られているのか不明)見た目は重病者っぽいと夫は言ってました。5時ごろにはお隣さんの家族も帰り、二人してしばらく、ツールドフランスを見ながら、あの人たちもしんどそうだねぇと言いながら、自分たちの病状を言い合いました。彼女はこの3か月で3回のオペをしたそうで、今回がその3回目。がんの進行が早く、2回の温存手術が無駄になり、今回全摘になったと聞いた時には言葉も出ませんでした。私も両胸を手術したことを伝えると、彼女も言葉を失くし、二人ともこれから大変だけど、一緒に頑張っていこうとポジティブな言葉を言い尽くすぐらいおしゃべり。彼女と同室になれて本当によかった。会話ってすごく大事で共有するものが同じだと、もっと伝えあえるし、分かり合える。夫や家族、友人も大事だけど、ガン友達もお互いに必要だと感じました。この後、夕食のサービスがあり、メニューはなんと、硬くてナイフで切れないステーキとスープ、リンゴのコンポート、なにかのピューレ。おなかすいているのに、硬いステーキって手術当日には信じられないメニューでした。

手術当日②

2017-09-20 22:33:45 | 乳がん
麻酔のマスクを口に当てられた後、意識が回復したのが術後の処置室。自分で目を覚ましたのではなく、看護師さんに、終わりましたよと声をかけられ目が覚めました。私の隣には2人の患者さん。まだ、眠っているようでした。ゆっくりと自分の状況を確認すると、左の手の甲に点滴がついていて(これは手術前につけた物)右脇からはドレーンが出ていて、心電図を取るのか手、足にパッチがついているようでした。全く痛みを感じなくて、ボーっとしていました。しばらくすると、看護師さんがもうそろそろ部屋へ帰りましょうというので時計を見ると11時45分。約二時間で両胸の手術を終え、思っていたよりも早く、びっくり。もっと大変で、痛くてと想像していただけに、いい意味での拍子抜け。これから手術を受ける方に言いたいことは、想像よりもはるかに楽です。心配ないです。そしてベットから車いすに乗り移り、あっという間に病室へ到着。隣の患者さんと家族が団らんしていましたが、看護師さんが私を一人になるようしてくれ、ベットの高さなど調節してくれたあとしばらく一人に。このとき、手術の緊張の糸が解けたのか泣いてしまいました。痛いとかじゃなく、ホッとして。とにかく眠くて夫が帰ってくるまで熟睡。20分ぐらいしてから看護師さんが血圧や点滴の袋を他のに変えたりしてくれました。まだ、水分補給もダメらしく、のどがカラカラだけど飲まずに口を潤す程度。この日パリは35度の真夏日。体温も測ってもらいましたが39度でした。夫は暑い暑いを連呼してましたが、体温が高い私はそんな風には感じなかったし、とにかく眠くてウトウトしてました。夫がそろそろ帰ろうとしていると、お隣さんが手術室から帰ってきました。彼女は旦那さんとお姉さんと会うと号泣。私は号泣はしなかったけど、彼女もホッとしたのだろうなぁと思いながら連帯感を感じずにはいられませんでした。

手術当日 ①

2017-09-13 16:17:01 | 乳がん
オペ室に入るのが9時半といわれていたので、受付には7時半に着くよう言われました。が、7時半についても受付に一人の人しかおらず、入院手続き担当は8時出勤だと言われる。。8時15分になっても来なくて、4回の病室へ行って待つよう言われました。4階へ上がってもナース誰一人いなくてどこが病室なのかもわからず、掃除の人に聞く。(このときナースさんたちは朝と夜の入れ替えで会議中でした)9時少し前に病室へ入り、金庫などの説明を受け、手術着に着替えてBrancadierという手術室まで案内してくれる人を待つ。その間はドキドキしてたけど、妙に気持ちが晴れ晴れというか、来るなら来いって感じでした。夫とも普通の会話してました。お昼はどこで食べるの~?とか。バンカディエは若い見習いの男の子でうちの息子と年は変わらない19か20ぐらい。照れくさいのかずーっと黙ったままで手術室前室に到着。迷路みたいに入り組んだ病院だから彼無しでは到着は無理でした。前室に着くと麻酔医と看護師さんに名前、どこの手術とかの質問に答え、早速、ベットに横になり、血圧、心電図をはかり、点滴をします。この点滴は何の意味があるのか聞き忘れました。しばらくすると麻酔医が、では麻酔しますと言い、肩の肩甲骨あたりにグーっと押すように注射。なかなか長く感じました。このときめまいがして眼鏡をかけていると酔いそうだったので眼鏡は外しました。このときの時間は9時半ぴったり。隣には高齢のムッシューとマダムがいましたが寝てるようでした。広い前室で3人の患者と5人ほどのスタッフ。スタッフの笑い声をボーっと聞いているうちに、知らぬ間に手術室へ。
手術室へ入ると執刀医の先生とスタッフ、別の麻酔科医があいさつしてくれました。この日予定だった執刀医の先生Bが病欠で急きょ私がすることになりましたと言われた時はビックリ。これで4人目の外科医のS先生。バカンスや病欠でしょうがないかもしれませんが、4人も変わるってちょっと不安でした。後は名前の確認、右胸全摘、左胸温存手術と声に出して確認して、麻酔科医の先生が口にマスクを当てた瞬間から記憶が無くなりました。

手術前日の準備色々

2017-09-06 22:59:05 | 乳がん
手術前日はゆっくりと休みたいところですが、この日は朝一番にマンモグラフィを使ってこの前左胸に入れたクリップを映し、手術の時に無駄に切ったり探したりする外科医の手間を省くため(患者のためにもこのやり方が予後がいいらしい。)そこに針金!!を入れました。麻酔をしていても、マンモグラフィで挟みながら入れるので、歯を食いしばるぐらい痛かったです。これが今までの検査などでは断トツに痛かった。あまり痛いとか怖いことは書きたくないけど(人それぞれなので)これは書き残したいぐらい痛かったです。時間が長く感じたのも痛かったからかもしれません。終わって胸を見たら針金が胸からピーンと出ていてびっくり。くるっと一巻してテープで固定して明日の手術までこのまま。。ジンジンとうずく感じ。そのあと今度はセンチネルリンパ検査の造影剤(またもや放射性物質)を胸に注射して手術の準備は終わりました。うずく胸を我慢して電車に乗ってやっと5時ごろ帰宅。次はいつシャワーが浴びれるのだろうと考えながら、全身シャワーを浴び、明日の手術は9時半からと電話があったので、8時に病院に入らなければならなくなりました。ということは、5時半起き。。ドキドキして色々考えてしまってあまりよく寝られなかったです。

骨シンチ検査

2017-09-06 22:32:57 | 乳がん
この日は骨シンチ、Scintgraphie検査。ビオプシーなどと違って痛くないとみんなに言われていたので安心して検査に向かいました。
痛くはないと言っても、放射能物質を体内に入れて被爆するので、なんとも気持ちの悪い検査です。
先生が白衣の上からプラスチックの防御服を着て現れた時は、毎日危険な仕事と隣りあわせなんだなぁと頭が下がる思いでした。
ここでも名前、生年月日を確かめ、いよいよ注射です。ちくっとしたのも感じないぐらいで、あっという間に終わりで、これから放射能物質が体、全体に回るまで4時間ほど待たなければいけません。11時ぐらいだったので少し早めにリュクサンブール公園のあたりで夫と食事をしたりして時間をつぶしました。その間にすることは、たくさん水を飲んでトイレに行って出して、また水を飲んでとトイレを行ったり来たり。。時間になって検査室に入り、大きな台の上に寝てその上をボードのような筒のようなものが顔の近くまで来たり離れたり。基本目をつむっていてと言われていたので、音楽を聴きながらウトウトして気がついたら終わっていました。そのあとも沢山水を飲んでと言われていたので沢山飲みました。早く放射物質を体から出したかったです。小さな子供や妊婦さんにも近づかないようにと言われました。やっぱり、目に見えないものは怖いですね。検査結果は10日後です。