まあ、昼前になったがあけましておめでとうございます!と言いたい。
まあ、昨年は姉が脳出血で倒れたり、母が脱水症状で入院したりとか個人的にはSNS内やYouTuberの締め出しを喰らったりとか、まさに『乱』の一年だった。
世は『戦』だがオレ的には『乱』だった。
しかし叔母にはよくして貰い、様々な参考になることも学んだ。
定期的に母を見舞うだけでなく姪に当たる姉の面会にも行っている。
姉は危機的な状況ではないものの、食事は摂れず、鼻から口に栄養を流されているだけの悲惨なことになっているらしい。(叔母から聞いた話)
娘をあのような形で亡くし生き甲斐を失ったのもあるが、精神的に崩壊しただけでなく、脳までダメージを喰らい半身付随になっている。
やはり脳は怖い、相当なダメージだったようで、時々おかしなことを言うのもむべからざるべきである。
まあ、目処が立たないのでなんとも言えないし、精神的に落ち着かなければリハビリも出来やしない。
まあ、一旦その話は置いておく、キリがないから。
去る昨年12月26日に退院した母ではあるが、年老いてやれることが少なくなっている。
まあ、仕方ない。今年2月で85歳である。
もう老人である。
だから出来ないことはオレがやると言う覚悟だし毎日やっている。
もう入院からの一人暮らしの際に決めたことだしそれが育てて貰った恩返しである。
21歳の時にマジに自殺しかけて「やめて」と母が泣いて止めなければオレは首を吊って自殺していた。「相談しようよ」と言わなければここにいなかったかも知れない。
あのことは母は記憶にないらしいがオレは昨日のことみたいに覚えている。
あれがあったから、止めてくれたから今生きていられるのだと思うと感謝してもし切れない。
だから恩返しは生きている限りはするし、亡くなってからも供養は絶対にする!
人は一人だけの命ではない!今は亡き人や、愛した愛犬の霊も背負って生きているのだとオレは思う、勿論生きている人の想いも背負って一個人があるのだ!
姪はそれに気付かず自分だけの命だと思い、浅はかに首吊り自殺をした。
背中に母である姉や父である義兄や、祖母である母や、ろくでなしとはいえ夫や、様々な人の想いを抱いていたにも関わらずである。
一番悔やむ亡くなり方をしたので叔母(母の妹)は「救える命やってん!早く私に言ってくれたら良かったのに!」と痛恨の極みだと言っている。
まあ、叔父(叔母の夫)も鬱病が原因で塞ぎ込むことが多く、首吊り自殺と言う最悪な結果になってしまい、叔母はそれを見たがためにその無惨な最期を姪の娘に感じたのであろう泣いて眠れなかったと言われている。
「幾らでもやり方があってん!」とかなり悔やんでいた。
まあ、今となっては仕方のないことであり、過去を巻き戻すことは出来ない。
まあ、命とは一人のものに在らずである!
今年は色々あるかも知れないが、母の出来なことも手伝いつつ、自らもやりたいことをしつつ、『学びに終わりなし』でやって行きたいと思う。
まあ、堅苦しい話はあまりせずにやりたい。
今年はSNS上やYouTuberとの諍いはなるべくは避けたいが、主義主張が違うとぶつかるかも知れない。
まあ、元の気性がかなり激しいためにキレたらハンパないのは歳を取っても変わらない。
まあ、丸くはなっては来たが闘争本能はまだあるらしい。
まあ、主義主張が合わなければの話であり、やたらと揉め事を起こすDQNではないと言うことを締め括りとして言って置こう。
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