maczu:Cafe

お茶や食の話。暮らしの中のひとコマの風景。
http://maczucafe.com/

留まる、留まらない

2006年02月08日 | できごと


持ち前のふたご座気質なのか、「とどまる所を知らない」というスタンスが好きです。また、無心にやっているうちに、そのイメージにはめられることに居心地が悪くなることもあります。

たとえていうなら、ライターとしてデビューして以来、続けてきた歌舞伎、狂言。伝統芸能の人的に言われることに抵抗を覚えるようになったのは、2年ぐらい前からです。「歌舞伎の人」、「狂言の人」と枕をつけて紹介される度に“なにか違う…。”そう覚えるようになりました。私以上にもっとそのジャンルに打ち込んでいる方々は沢山いますし、実のところ、やりたいこととできることは違うと実に染みてわかっているので、“それほどのもんじゃない”と感じてしまいます。

また、一時期、とても熱心に打ち込んでいたジャンルですが、あれこれ想うことがあってそうしたお仕事をすることに消極的になり、新たなジャンルを開拓するようになりました。それが私にとってはアジアだったのです。そして、maczu:Cafeというサイトを新たに作ったのも、固定観念からの脱却でした。まだまだ開拓の余地があるものはひじょうに魅力的です。周りから、当然のように最初に自分の本を出すのならば、歌舞伎関連の本をと思われていて、そういうお話を幾つか頂きましたが、結局、“まだまだ自分は語るまでもない”と思うと手が出せませんでした。そうして暗中模索するうちに出版したのが、『台湾カフェ漫遊』という台湾のカフェの物語です。

そうした中で私が続けてきた月読というサイト自体からも、自分の心との距離を感じ始めました。時間がないということも大きなネックとなりました。サイト管理だけではなく、仕事に終われ、せっかく手にした切符を劇場で切ってもらえないまま…、という舞台の切符が机の引き出しに溜まっていくのもツライことでした。

けっして続けたくない訳ではないのです。約5年の間、支えてくださった方々の想い。集い、熱く語らってくれた場所を主催できるのはとても幸せなことですが、一度、距離を感じると、“このままでいいのか?”という疑問と自分自身のサイトなのに入っていけないという孤独感を感じます。そして、度重なるウィルスメールや迷惑書き込みなど心の負担になることばかりが目立ってきます。

2005年の秋ごろから、月読を存続すべきか、いっそやめるべきか自問自答する時が増えてきました。自分が楽しいと思っていないのであればやめるべきだとも思いました。心にひっかかっていたのは、自分の都合でサイトを運営する身勝手さです。やりたいから始める、やめたいからやめるというのは、ひじょうに身勝手なことだと思ってきました。心根はなにも変っていません。一人でも多くの方に歌舞伎の楽しさや、菊之助丈という役者を知ってもらいたい、魅力を語らってもらいたいという気持ちはいまも続いています。

あれこれと思う内、ならば負担になることを減らそうと決めることが出来ました。それが掲示板の一本化です。管理しきれないでご利用者に不愉快な想いをさせてしまう、自分も申し訳なく思う…。そうならば、問題となる掲示板はいっそのこと締めようと決意しました。すると少しだけ、気持ちが軽くなりました。

ホームページを運営している人にとって、こうした悩みは多々あると思います。幾つか壁に当たって「やめたい」と思うことは管理者にとってはありがちなことだと思います。同様に私もそうした想いを経験できたことで、少しだけ管理人として成長できたように感じています…。

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真葛@泉美咲月