瀋陽桜 珍紅花 沈赤花 shenyang yinghua 진잇꽃

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摩天楼 吃人! アンパンマン! - 沈阳桜 

2010-07-07 01:15:30 | 日記



中国の今年の七夕節は8月16日でしょうか。日本七夕は子供の行事なので年頃のあなたには、少しつまらないでしょうねP。
恋人のいない私は「そんなの関係ない!」です。7日は七七事変(盧溝橋)記念日です。J

2年前着工した墨田区の東京スカイツリーがかなり高くなりました。あと2年後に完成したときは、電波塔で世界一の高さになります。
東京には東京タワーが似合います。スカイツリーはなにか中国風で嫌です。東京タワーのほうがおしゃれです。

昨今韓流ブームに沸いた日本ですが、かつて日本は韓国併合に飽き足らず満州に進出した歴史があります。
2年後に完成したときは中国のGDPが日本を抜いており、韓流ブームに飽き足らず華流ブームも来ていると思うので、現在世界一の電波塔の広州風の形が対抗上ちょうどいいのでしょうか。

広州タワーを抜くことと、日本らしく武蔵を意識して634=むさしの語呂であえて634mにしたそうですが、34メートだけ広州を上回り、国民一人あたりのGDPは、まだ中国より、はるかに上位との日本のプライドが果たして保てるでしょうか。

世界一と言っても、ブルジュ・ハリーファ(ドバイタワー828.0m)には遥かにおよばず、「電波塔として」との前提条件をつけなければ、実は世界一ではないのです。展望台の450mにしても、森ビル上海ランドマーク(上海環球金融中心)のワールドフィナンシャルセンターの地上474mの眺望に及ばないのです。

地盤の悪い墨田区でこんなに高さにこだわる必要があったのでしょうか、国民一人あたりのGDPは、もう、シンガポールや香港や台湾に抜かれ韓国に並んだ日本は本気で経済地盤をかためないといけません。P

韓流ブームから韓国料理屋が増えましたね。韓国料理の焼肉はすきです。日本の焼肉やしゃぶしゃぶは豚もでますが、焼肉は牛とシャブシャブはラム肉がやはりおいしいです。J

中華料理が日本社会に広まったのは、戦前の大正デモクラシーの自由な時代だそうです。明治時代1906年、東京にあった中華料理店2軒が1923年には1500軒以上にまで増えたそうです。
戦後は中国東北部に長期駐在を行っていた宇都宮第14師団の退役軍が伝えた餃子が評判で栃木県宇都宮市は今や「餃子の故郷」と呼ばれるまでに餃子店が増えました。私は餃子が一番の好物です。池袋西のジャンボ餃子はすごいですP。

反動物虐待法案ではイヌとネコの肉の食用禁止の文言が入ったそうですねP。
たとえ禁止されても朝鮮族はイヌを食べます。ポシンタンはおいしく漢族も食べています。ネコは南の人しかたべません。(ペット犬が激増するなかで地方の伝統的な犬肉祭りも批判される傾向にあります。J

日本では、馬肉の刺身やクジラ・イルカもエビや蛸や魚の刺身同様に食べます。戦後しばらくは赤犬も食べていました。沖縄では蛇を食べ昔は猫も食われたようです。イルカは知能が猿より高いと言われ、国際的に非難がされますが、地方だけです。クジラは高価にはなりましたが一般普及して食べています。生きたままの魚や蛸の踊り食もし、楽器の三味線には猫の革も使い(沖縄は蛇で津軽は犬)ます。P。

中国では馬やロバも食べますが魚は生でたべません。蛇は南の地域でしか食べませんが、年寄りが生きたままの蛇の皮をはいで肝を生で食べることはよくやります。J

池袋北の中華で先日スズメをたべましたが、腹を壊しました。中国お土産にもらったロバ肉燻製ですが、我が家では私以外は誰も食べたくはないそうで不評です。ところでインターネットで見ましたが、広東省の「赤ちゃんスープ」や嬰児湯は今でもあるのですか。それから猿を料理する店はあるのですか。


まさか! 猿の脳みそは清時代までで、現代では違法です。南部の一部やベトナムではまだ食べると言われますがよく知りません。チンパンジーとヒトのDNAは98.9%同じだといわれるので、今日猿を食べることは、日本のクジラが欧米から非難されるのと同様な外国人の非難があると思います。
嬰児湯?「赤ちゃんスープ」とは堕胎児のことでしょうか、一部の地域の脱法行為でしょうか?。喫人は古代の話で近代からは完全に犯罪になっています。
堕胎とすれば一人っ子政策で農村部では男児の方が好まれ女児堕胎が多いことからでしょうか。まるで胎児が食されているような「赤ちゃんスープ」との表現は全くの誤解を生みますよ。
日本鬼子が平然と中国人を食べたというのと同じデマのたぐいの話題にされているのではないでしょうか???J。

 日本でも、胎盤を皮膚に埋め込む医療行為があります、堕胎児の料理はありませんが堕胎や胎盤を食する風習は昔地方にはあったようです。しかし、近年フランスで日本人が人肉事件を起こしたとき、フランスで無罪とされ日本で本まで出し、やはりという、うわさで嫌な思いをした日本人もいたそうです。
現代でも戦時中の日本軍のように日本人は人肉好きというな報道に関しては全て誤解です。あくまで戦時中の日本軍の行為です。同じように中国の喫人の歴史が一般化して論じられる誤解も多いですよね。現代中国でも秘密病院で死刑囚だけでなく貧困層や労働矯正所で生体臓器が提供とか、大量中絶で発生する胎児を栄養剤カプセル原料にしている疑惑さえあります。P

 日本では、近代中国では禁止されている喫人(人肉)文化の残骸がまだ現代でも残っているような中国文化への誤解が多くありますが、日本軍の話をすると、特に、中国の喫人の歴史や朝鮮の犬食文化や秘密病院などの疑惑を引き合いに大げさに出してきて、日本人は議論の本質を濁してごまかしますJ。

 でも、映画の日本鬼子の残虐行為は全てがデマではありません。戦争犯罪における、日本軍にとても不都合な話を理解してくれたのは、喫人の歴史を持った中国人だけだったと言う人さえいます!。P


欧米では、むしろ中国文化よりも日本人に対して、腹きり切腹・断首、侍の切捨て御免、人食日本軍といった残虐な日本人という誤解もなぜかまだ多いですね。現代日本は自殺大国で、不祥事があると自殺者で終結する事件や一家無理心中事件が時々ありますが、西欧では宗教的に自殺は一種の道徳的犯罪行為とみなすので、自決や一家無理心中さえ残虐行為のきわみと見えるようです。

唐代から宋代12世紀までは両脚羊として喫人(人肉)が流通していた歴史が中国には確かにあります。人肉饅頭は水滸伝にも出てくる話です。唐代には内臓が病気治療の薬として使用されるようになったともいわれています。死後結婚の遺骨発掘奇習もそうですが、近代では猟奇事件でしかありません。
四千年も前から脈々と受け継がれてきた喫人の歴史が流れていると言った魯迅の狂人日記は、あくまで旧体制を革命すべき喫人の因襲体制と見立てた比喩にすぎません。



 唐時代からでなく、古代紀元前の孔子の時代からも喫人はあり、孔子も人肉を食したとのではないかとの説があります。愛弟子の子路が争いで殺され「醢」(塩辛)にされたという挿話があり、孔子は涙ながらにその塩辛を食べたとも、家にあった「醢」を捨てさせたと記載もあることから、弟子の死を契機に喫人を止めたとも言われますが、一方で孔子の喫人を完全否定する説もあります。

(また、喫人風習がなくなった近代においても、 1911年の辛亥革命の士、徐錫麟と秋瑾は処刑後に肉が払い下げられたとも、1930年代の大飢饉や1957年頃からの大躍進政策時代の飢饉や、また文化大革命時(広西大虐殺)にもあったとも言われます。P)

 日本では、随の皇帝煬帝に「琉求人は戦死者を収容して共に食う」との報告がありました。琉球(沖縄)では唐代に常態化したと言われる中国の歴史より先行して喫人風習があったようです。また、古代ヨーロッパではベルテーン祭ヴァルプルギスの夜に子供をさらい食らう風習がありました。アステカ文明でも生贄を捧げ、内臓を食う風習がありました。
 日本では秀吉の時代に城で共食いが起こった記録や、江戸時代中期、東北地方の天明飢饉の際には人肉塩漬けの記録もあります。江戸時代には人胆丸という薬が獄門で処刑された死体から製造され広く普及していました。また、鹿児島の喫人風習は近年まで存続していたことも有名です。薩摩藩(鹿児島)では、囚人遺体を数人で食うゲーム(一番早く胆嚢を取り出した者が勝ちサツマイモが与えられた)「ひえもんとり」の伝統があり、週末に県民は熱中しました。明治の戊辰戦争では、幕軍死体さえ薩摩軍は食べたと言われ(「あんた方何処さ 肥後さの童謡の狸は、徳川との説まであります。)中国戦線でも熊本連隊では喫人があったと言われます。

 
戦時中の日本の共食い事件では、北海道目梨郡羅臼町の死体損壊事件が有名でした。日本陸軍の徴用船が難破し、極限状態に置かれた船長は、仲間の船員の遺体を食べて生き延びていました。日本の刑法には喫人を罰する規定がないため、釧路地裁は死体損壊罪(1年の実刑)の判決とします。(ひかりごけ事件)

 しかし、日本軍について言えば、1944年12月ニューギニア戦線の日本軍の第十八軍では「(連合軍の屍肉を食うことは許すが)友軍の屍肉の場合は処罰する」旨の軍令が発せられ、実際、同僚の日本兵の肉を食った4名の日本兵が軍令違反で処刑された事実さえ報告が残っています。
 
 一方、敵兵に対しては、本当に残念なことに、デマではなく戦時中は敵兵の人肉を食った証言記録や証拠が嫌になるほどに日本軍には多くあります。実際、敵兵屍肉を食うことは戦地では禁じられていませんでした。しかも、次第に生きた捕虜を処分して食うようもになります。ここに日本軍が鬼と恐れられた強さの秘密があるのだと言う人さえいます。

 戦後の平和教育でも日本ではほとんど紹介されていないだけに、事実を知った日本人には、特に若い人にはショックを与えてしまいます。また、その種の事実報道がある度に多くの罵倒や非難が発生するため事実上の言論統制や報道自粛が発生しており、今日の日本では語ることさえ完全にタブー化しています。(2009年にNHKのBSと総合テレビで放映されたニューギニア体験者(92才当時)の日本軍による「人肉食」を実名告白した報道がありましたが、南方戦線のニューギニアの飢餓状態での事例がやはり圧倒的でした。中国戦線でも、抑留者の証言で、日本兵が戦時中に中国娘を慰みものにした後油で揚げたり、焼いたりして食べた事例も本当に残念なことに一部にはありました。また、当時は、性病に贓物や脳味噌が利くというバカな迷信が一部軍内に広がって、捕虜を実際に犠牲にした証言もありました。敵を鬼畜と呼んだ日本軍は自ら鬼になりました。


一方「この悲惨な出来事は、わたしの目の前で起きたのです。日本兵がわたしの母をレイプし、そのあと殴り殺したのです。母は体をばらばらに切断され、皮をはがされ、肉片として軒先に吊るされ、この飯ごうでゆでられました。」等パプアニューギニア等では多数のこのような日本軍の蛮行の証言がおどろく数でありました。(パプアニューギニア、マーシャル、ミクロネシア3国での被害調査の実施結果について、1997年10月17日「週刊朝日」では、人肉食犠牲者報告は1817人とも、1998年8月4日「朝日新聞」では被害者2300余人とも報道されました。その人数や真偽の程は今日でも確定していません。これらの報道に、産経新聞1998年12月25日付け報道や正論等の一部の雑誌は、猛烈な批判報道をしましたが、証言事実を否定できるに足る反論ではありませんでした。)

 また、オーストラリア政府からも、日本兵に食べられたと見られるオーストラリア白人兵の死体について約100件程のリポートが戦後に証拠提出されていました。また、オーストラリア軍は日本軍の命令書を取得していました。それは「人肉(敵のそれは除外する)をとして知りつつ食したる者は死刑にせよ」と記載されていました。明確に敵兵の人肉は認容する記載でした。
そのため、オーストラリアでは、日本軍の組織的な行為だったといわれました。(「知られざる戦争犯罪」1993年田中 利幸)


 また戦後になってさえ、敗戦を知らなかった残留日本兵は、1946年から1947年にかけてフィリピン人をミンダナオ諸島で平然と食っていた事実が、マニラ公文書館には記録されています。(日本軍の敵兵への人食い(喫人)行為については、オーストラリアとフィリピンでは戦後、現地の裁判で戦犯起訴の記録があります。マニラの戦犯法廷では14名が死刑や終身刑が宣言されましたが1947年キリノ大統領恩赦で全員が放免され、日本に帰国ができました。)


 東京裁判においてはアメリカ人捕虜を軍刀で試し切りし、その内5名の人肉を部隊の宴会に供した小笠原の事件(父島事件)が、例外的にBC級戦犯として有名です。父島事件以外は東京裁判では、飢餓状態等を考慮し、多くの日本軍の喫人は、不問とされました。(近代戦争犯罪の例をいくら探しても敵を食した罰則例は見つからなかったからとも言われました。)

 また、マーシャル諸島の朝鮮人虐殺事件では(マーシャル諸島には約3万6千人の朝鮮出身日本兵が出兵されましたが、ミリ環礁の800人あまりの朝鮮出身日本兵のうち約170人がチェルボン島で軍に反乱を起こし7人を殺害した罪で100人あまりの朝鮮出身日本兵が日本軍に処刑された事件がありました。)生存者達の証言で日本軍は人肉を鯨肉と偽り提供していた疑惑が報道されており(東亜日報2006年10月報道)最近韓国政府が調査に乗り出しています。また、日本軍慰安婦問題で聞き取り調査を行った国連のクワラスミ報告には(北朝鮮慰安婦の証言者)日本兵は相手をする のを拒否した慰安婦の乳をえぐり死すると首を切り、その煮汁を飲めと強要したとさえありました。


 例外的に見せしめ的に戦犯処分がされた事例はアメリカ人捕虜を食したものでした。「最初は海軍が処刑した捕虜を喰ったが、そのうち喰うために処刑するようになった・・。肝は日清日露の戦役では薬用として食べられ、征露丸と呼んでいた。」日本では人肝は薬であるなどと士官や将校たちは主張し、大隊長個人の告白では、第307大隊本部、第308大隊本部、海軍基地の三カ所で百名以上の日本兵が宴会で皆が食べたと言いました。「人肉は戦意高揚のため食した」「日本軍の戦陣訓である、「生きて陵辱の辱めを受けず゛・・・という教えがあり、捕虜に対する行為は何をおいても許され」等と日本兵達は真剣に主張をしました。それは決して飢えて食べた事件ではありませんでした。責任者の将兵5人だけが処刑されました。その特殊性はアメリカ兵を食ったという点だけで、いわゆる日本軍が当時どのような意識で喫人をしたか、日本軍の蛮行がどのようなものであったかがよく理解できるものでした。

 日本軍自らが味方は食べるなと歯止めを出す程に、普及したようです。最初は飢えでなく士官や将校たちが主張したように「精神的高揚」儀式であったようです。一方で飢えの中で倫理を守った日本軍人も多くいました。実は日本軍人約230万人の犠牲の半数以上が戦闘でなく餓死といわれています。(戦時下の日本内地では幸いなことに飢餓による死者はあまりいなかった反面、内地に送られた「外米」収奪がもたらした戦地占領下の現地人には大量餓死が発生し現地の日本軍も飢えてしまったと言う皮肉な背景もありました。)P


「私は貝になりたいですか」?ユダヤ人にナチスがやった残虐行為と大差ないじゃないですか。J 
(経済的に困窮したナチスは、虐殺したユダヤ人死体を有効利用して、髪の毛で、絨毯や枕をつくりドイツ国民に配給し、死体から金、銀歯さえ抜き取っていました。)ナチスはアウシュビッツ等でユダヤ人をガス室送りにし死体を有効利用しましたが、ナチスは人の肉を食べることまではしなかったそうです。

(いいえ!違います。ドイツ人はユダヤ人は穢れていると洗脳されていたため、レイプや喫人をしなかっただけです。ナチス強制収容所内では、若者の処刑順の身代わりになった年配の高貴なユダヤ人がいた反面、飢えのため、収容者自身が仲間の人肉を食って生きながらえた証言さえあります・・。倫理を超え自らの命を提供してまで若者に生き残る希望を与えたのです。P)


 歴史上では、数々の飢餓の末の事件(中国でも日本でも)や未開人の蛮行、中国の喫人風習等を除けば、近代史で類のない人倫に反する行為とも言われましたが、日本軍にとって敵は鬼畜です。しかも最後は玉砕でしたから自暴自虐でなんでもできました。逆らえば自らの軍隊に殺される!しかたのない行為でした。歴史上、食料が無くなればどんな軍隊も崩壊しますが、日本軍だけは崩壊しませんでした。P。(しかし、それが誇れるの?でしょうか?J)



 日本の国際連盟脱退に刺激をうけ、ヒットラーも国際連盟を脱退します、枢軸国は、平和志向で国際連盟に結集した全世界を敵にまわしました。
 ナチスはユダヤ人虐殺の証拠は完全に情報統制して公文書等の証拠を処分しました。しかし、物証と証言が、すぐにたくさん出て世界中に蛮行が知れわたりました。そしてドイツは戦争犯罪を総括しました。同じ枢軸国でもイタリアではそのようなことはありませんでした。

 一方、日本軍もナチスと同様に証拠を処分しました。しかも戦前と同様に国内報道は規制され、一部の戦犯事件は別にして沈黙が金との態度を頑なに続けました。今でも平和教育や外交面では完全タブーとしています。しかし、それでも慰安婦、731実験、喫人、試し切り等の蛮行は隠しきれませんでした。それは、アメリカが、沖縄戦等の掃討の残虐や本土への無差別空爆、原爆のホロコーストを隠しきれなかったのと同様です。そして、日本軍の一部の行為のみが見せしめ的に、一部の政治軍人だけがA級戦犯者とされ、一部の軍人達がBC戦犯として裁かれ、その後、何故か日本もアメリカも戦争犯罪の真の総括を互いにせずに同盟国となったのです。
 

当時、生きて恥をさらすなと自決を強要した気高い日本兵は映画の中だけだったのですか。戦前日本や朝鮮の見聞を記したイザベラ・バードが絶賛した日本人の道徳は戦争でどこかに消えたのでしょうかJ。

 素晴らしいと絶賛されたのは、日本人が国内で築いた平民文化で、戦地の軍人が強要されたのは、切腹・切捨て御免が常識の武士文化を手本にした軍人教育です。「武士道は見事に死ぬことが最終的な美学」で、「義理を重んじ清く正しく生き抜く日本の庶民」とは全く正反対の文化でした。

武士のような自決が美化され強要された例が多くありました。ファシズム的な軍部の独走はありましたが、天皇(神道)を中心に団結した日本人にはナチスに洗脳されたドイツ民衆とは違う面があったと思います。

 ドイツ民衆は戦後ナチスを排除しました。今日ナチスを非難してもドイツ民衆を非難する人は殆どいないのです。日本は靖国も天皇も排除しませんでした。その違いは大きいと思います。ナチズムは宣伝も戦犯美化も旗やスローガン掲示さえも違法です。J

戦時中、日本国内では、母が飢えた我が子に自分の肉を食べさせる尊いたとえ話がありました。P

 それから、敵は鬼畜という軍事教育の影響でしょうか。捕虜は蓄ですから食べて当然という認識に至りやすいと思います。切腹や魚の生食や踊り食いが残酷でない日本文化の伝統が、戦地の抵抗なき人肉食に繋がったのだと分析する人もいます。J。


 国内と海外では倫理観も180度変わります。戦地では人間を蓄産物扱いし倫理感が全く欠如して、自分の命を落とすより、敵に罪を犯すより、逃げて卑怯者と恥をかくことだけが怖かったのが当時の日本人の心境といわれますP。

ルースベネディクトは、当時の日本文化を恥の文化と分析しましたJ。

 礼節を重んじ、降伏の恥より、自分の国の誇りのために命を捨てろと軍隊で教育されたのです。捕虜になることなどそもそも許されなかったのです。自決せず虜囚の辱めを受けることは恥とされました。特攻隊は自爆攻撃し自分の命まで気高く御国と天皇にささげました。日本国民も最後は敗戦ではなく玉砕自決と信じました。P

 逆に日本人でなければ、その命や辱めもなんら恥じることがなかったのです。捕虜に対する行為は試し切りの他、何をおいても日本軍内では許されており、戦地では、日本人でなければ、民衆や女・子供さえも、家畜どころか物扱いに実際しました。

 それって意味が分かりません。最後は一億総玉砕と言われ、若い軍人が降伏を否定され自殺行為を余儀なくされ、魚雷や戦闘機を操縦して敵に体当たりしたことは「聖戦で死んだ者は天国に行ける」 というコーランを信じる今日のイスラム自爆テロ行為にそっくりだとは思いませんか。終戦後も天皇陛下万歳との名の下で名誉の自決をさせた教育が異常だとは感じないのですか。自爆自殺攻撃を組織的に訓練された特攻隊が御国のためにと志願し、靖国に祭られることが名誉と思わせた精神と神道の残骸が未だに現代日本に存在すること自体、戦争の本質が、日本人には、いまだに、理解されていないことの証明ではないでしょうか。自爆も自決も玉砕も日本人がよく慰安婦問題で言うように強制ではないのです。しかしそれは、強制行為より遥かに卑劣で冷酷ですJ。

天皇制が存続したため、ドイツなどと違って、天皇に通じる神道・軍国教育はいまだに総括されていません。戦後も三島由紀夫が切腹・介添え断首した時は私はショックでした。もっとショックだったのは、当時の私の学校の先生がその腹切・首切り行為を日本的美学だと美化していたことでした。
三島の本から、美学は分かりませんでした。当時から愛国心を煽る教育も、同和教育と同様に文部省と日教祖に隠蔽され一部教師では続いていましたが、最近の学校教育はどうなのでしょうか。P。

しかし、日本は、中曽根のように演説中に天皇陛下万歳と叫ぶ政治家もまだたくさんいますし、靖国神社に参拝する政治家もたくさんいます。天皇の写真が飾ってある護国神社が日本各地にあり、そんな日本文化に異常とは感じたことは、あなたに言われるまでは考えたことさえもなく少しショックです。

戦前の学徒出陣式のニュース映像では、「この光栄ある重任に捧げ、挺身以て頑敵を撃滅せん。生からもとより生還を期せず。」と学生が自決覚悟を東條総理に答辞し天皇陛下万歳三唱で終わっています。「一億国民の全てが軍民一体となって玉砕する事で、連合国軍は恐怖を感じて撤退するだろうし、たとえ全滅したとしても、日本民族の美名は永遠に歴史に残るだろう」との主張は、ヒトラーナチスやイスラム自爆も顔負けの日本の狂気の世界と写るのですかね。実際のところ虐殺も敵地住民や捕虜だけではありませんでした。「生きて虜囚の辱めをうけず」という戦陣訓により、一般の日本兵にも戦果の悪化の下で自主的の名の下の実質的な虐殺(玉砕・自決)が決行されていました。P


イスラム宗教と日本の神道とは、英雄的行為への動機づけは似ている点がありますが、かなり違いますよ。戦後人間宣言した昭和天皇は、戦争責任を問われたA級戦犯の松岡らが合祀されるという動きがあってから自ら靖国参拝をしなくなりました。宗教的側面は今日では薄まっていますし、神道を信じるというより、お国や家族のためでしたP。

お国や家族のためが宗教でなければ、切腹や切り捨てご免!のような野蛮な侍時代のDNAの伝統の影響でしょうか?。日本では、昔から自殺が美化され、戦前までは、お国のために死ぬことや、武士の時代は何かあれば切腹やお家断絶で一家が自殺するなど、自殺文化が尊いものとして美化されていました。

現代でも、会社で事故があると責任者が自殺して事件が終結したり、生活に困窮すると一家を道連れに無理心中する等、日本では自殺が事件解決の契機として美化され同情を集めます。先進国の中では自殺が非常に多い国で命の尊さが薄い民族です。自殺は自分への犯罪行為で無理心中は完全な犯罪で、自殺は同情するべきではなく命の大切さからの観点では本来非難されなくてはいけない行為なのでしょうね。アラバマ州やオクラホマ州やインドでは自殺を犯罪として法律で禁止しているそうです。

また、捕虜になる辱めを禁じて自決を強要する日本兵の論理は、裏を返せば敵は捕虜になれば辱めて命を奪っていいという発想です。現代においても西欧化した日本人は、民族性を誇る裏では中国人をはじめとしてアジアを見下している意識があると思います。アメリカ兵はベトナム戦争でベトナム兵を殺した数をカウントするのに、(秀吉の朝鮮出兵の時のように)死体から片耳を切り落としたそうです。韓国軍も残虐行為に参加しましたが、ベトナム人を物扱いして枯葉剤も平気でまいた残虐行為や原爆投下をアメリカ人が全く恥じないのと同様に、西欧化した先進国日本もアジアでの残虐行為を恥じないばかりか優越感覚や植民地支配意識を無意識に持っているのではないでしょうか。捕虜収容所も欧米人収容にしか維持されませんでした。
だから日本人は買春ツアーなどをアジアで平気で実施できて家庭で恥を隠蔽するのでしょう。

しかも、オウム真理教や北朝鮮や中国の批判はできても、戦前からの洗脳の優越意識から完全にさめていないことに、ほとんどの日本人が、気づいていない現状を見ると、とても悲しくなりますね。今日の北朝鮮の行動を異常と感じ、経済制裁さえしていますが、そっくりな戦前の日本に気がつかないのでしょうか。当時日本は欧米からブロック経済の制裁を受けて自暴自棄の戦争をしかけました。そして今も靖国は存続します。それほど日本人の優越意識は強いのでしょうか。J

それも違うと思います。特攻隊員は海神に祭られ、軍国/愛国青年でも、本心は泣いていた人が多かったそうです。涙の数だけ別れがあり、お国のため、家族のため、散っていった若い命があったといわれますP。洗脳的自殺行為で無駄死というのは、悲しすぎる評価です。しかし一般の日本人は、今に蔓延るゆがんだ日本的洗脳の犠牲者だと思います。でも、あなたが言うようにバカにしているのでは決してないのですが、戦争でアメリカに負けたという意識はあっても、中国に負けたという意識がどうしても沸かないのは事実です。事実は中国を含めた世界中の反ファシズムの平和を求めた連合国に負けたのですが・・。コンプレックスの裏返しでしょうか、歴史書では紀元前からの歴史を中国は数千年持ち朝鮮半島も百年余を持ちますが日本人には無かったのです。


しかし、敗戦で多くの日本人は洗脳から開放され、戦後の若者は無知でも、もう洗脳教育はされていないと思います、戦後の洗脳の性格はむしろマスコミのコントロールだとも思いますP。

確かに、中国でも民間人の虐殺やレイプや食糧略奪の記録が山ほどあり、民間人も捕獲捕虜も銃剣の刺殺訓練用藁人形の代用とし、家畜や物扱いもしました。
中国で、鬼子と今でも恐れられ、飢えてむさぼる犬のように、口を開けば「メシメシ」と日本軍が今だに軽蔑され続けているのはそういう経過と事実からなのでしょうか、現実は本当に悲しすぎますね。

日本人全てが残虐だったわけではないのでしょうが、軍指導部は生きた捕虜を平然と刺殺の訓練とさせ敵人肉を食料に混ぜる行為も規制しようとしませんでした。罪悪感は戦後も全くない人が多いそうです。
日本軍は友軍兵の屍肉を食す事を禁止する一方で敵兵に関して禁止しなかった本当の理由は、日本人(大和民族)以外も「自分の家族と同じ人間なんだ」と認識することすら許さなかった軍隊の教育からでしょうか。

 しかし、それが戦争でした。日本軍の残虐行為はアジア人の捕虜にも欧米人の捕虜にも日本国民にさえ行われました。中国軍も日本人捕虜に対して残虐行為を行い、中国の自国民さえ虐殺しました。アメリカ軍も無差別爆撃で日本人を民間人も含めて大量虐殺し原爆のホロコーストを実行しました。(長崎・広島に徴用されていた朝鮮半島出身者も約3万人以上が、中国民も約1千人以上が原爆死したといわれています)。
自虐と感じることなく事実に基づく過去の戦争の残虐史の相互理解こそが戦争被害の記憶を乗り越え、軍縮の平和思想にも繋がるはずです。

 残虐行為と言えば関東軍731部隊が捕虜等を細菌などの人体実験にしたのも有名ですが、1932年から1945年にかけて都市部への細菌実験を日本軍が行った被害状況は深刻でした。ペスト菌実験や実験用のネズミ放逐で浙江省衢州市だけでも5万人以上の一般市民が犠牲になった記録がありますが、日本軍が関わったことは、戦後随分長い間隠蔽され続けました。

 日本の731部隊については、日本でも有名ですが、朝鮮人や中国人やロシア人等を「丸太」と呼称し、生きたまま捕虜を生体実験に供しました。
 戦後のハバロフスク戦犯法廷で川島清軍医少将(731部隊第4部長)の証言が残っており、人体実験数は3,000人以上とも言われますが、死者数には諸説あります。また終戦時、生存していた「丸太」用捕虜は証拠隠滅のために殺害処分されペスト菌ネズミは放逐されました。

731部隊の石井博士はGHQの尋問に対し、人体実験の資料はなくなったと一旦は主張しましたが、戦犯免責を求め人体実験戦資料をアメリカに引き渡しました。捕虜の虐待行為にも関わらず、東京裁判で731部隊の関係者は誰1人裁かれまずに済みました。

敵は民衆も捕虜もイヌやネコ・家畜扱いし、弄び、果ては人肉まで平然と、そして、恥だけは隠蔽する、日本内地や家族には完璧な情報隠蔽を行ない、正義・聖戦・勝戦の偽りばかりを宣伝することに全力を尽くし、学徒出陣や特攻隊員に「おめでとう。見事に死んでくれ」と軍人は言い、降伏して捕虜になることは認めず、自決を強要し、逃げる兵士は味方でも射殺しました。
戦後、皆貝になって、事実を語り始めた者は一部で、随分たってからです。しかし、戦争が美化されないよう事実は事実として語らねばと、勇気を振り絞って証言した元軍人も決して少なくはありませんでした。

全て事実ですが、これは、日本文化や日本人のDNAとは関係ないと思います。言い訳めいてもいますが、中国側の報復残虐もあったのも事実です。敗戦後、通化の3000名の虐殺など、とくにひどかったそうです。また、中国共産軍による日本人捕虜虐殺も1937年頃に発生しています。だまして、武装解除させた裸の満州開拓民に中国の暴徒は襲いかかり、無抵抗の女子供の区別なく、まるでニワトリでも絞めるよう鎌が草でも刈るように子供の首を切り落とし、鉈が女の頭に振り下ろされて虐殺と掠奪が行われたそうです。P


しかし、戦時中に共産党八路軍は1938年に、朱徳将軍署名で、日本人捕虜を殺害せず、親切かつ丁重に扱うようにとの命令を出しました。自決しないで生きた日本兵は人民の友であるという毛の主張に則ったものでした。軍紀も厳しく、民衆からの略奪は行わず、徴発した物は必ず対価を支払うか、現物で返却し婦女子への暴行も全く見受けられなかたため民衆に受け、その清潔さが後に八路軍の中国全土統一の原動力にもなりました。

また、終戦時の仕返しの虐殺に対して、蒋介石は「老子」の教えをひいて、中国本土に展開していた終戦時における200万人に上る日本軍への報復行動を戒めて、8月15日の対日戦争勝利の告示のラジオ放送で重慶から全国に向け「怨みに報いるに怨みをもってせず(以徳報怨)」と報道しました。[旧悪を思わず、人に善をなせ」「敵をも愛せよ」と述べました。日本人への復讐行為の暴走があったものの、その後収まり、多くの日本人や日本兵が無事帰国することができたのも事実です。J

 通化事件のあった満州の在留日本人は、むしろソ連軍侵攻で多くの犠牲者がでました。終戦の翌年に国民党と在留日本人が共謀して通化市で共産軍に武力蜂起して鎮圧された際に発生した朝鮮義勇軍と共産軍による、蜂起への報復的事件ですが、事件後は、中国共産軍では日本人に宥和的な態度をとるよう指示がされました。


満州では1946年春まで帰国をソ連が許さなかったこともあり、家族離散や死別帰国の悲劇が多くありました。帰国のさなかで身寄りのなくなった日本人の幼児は縁故または人身売買により現地の中国人の養子に出され、若い女性は中国人の妻となりましたが、日本鬼子との関係を隠して生活しました。

戦後随分たって残留婦人、残留孤児として日本政府に認定され日本国籍が回復され始めたのは1980年代以降からです。今でも毎年、少しづつ残留孤児の認定者が発生しています。しかし、殆どの日本人残留孤児らは、DNA鑑定で日本人の血縁が確認されたものの、言葉や思想や外見さえも、完全に中国人化しており日本に帰国した後の生活さえ困難を極めています。P

アメリカ主導の東京裁判はA級戦犯7人、BC級戦犯でも934人の日本人の命を犠牲にし、383人の日本人を終身刑にしました。国民党も百人切り競争事件等、中国各地の戦犯裁判で処刑を実施しました。しかし、新生中国とになった共産党政権では、周恩来は、米国主導の東京裁判のような戦犯処刑は一切行わず、日本人戦犯は全員無傷で帰国させるよう指示しそれを実際に実現させました。東北で帰国できなかった戦犯として収容された日本軍人に対しては、1956年、特別軍事法廷が瀋陽と太原で開かれ、日本戦犯45人に裁判が下り残り1000人余りの戦犯については起訴を免除し、相次いで帰国できました。裁判を受けた45人の戦犯も8年から12年の懲役刑が言い渡されたものの、大部分は刑期満了を前に釈放されています。当時捕虜への残虐行為を規制したのは儒教的精神や理想がまだ党にあったからでしょうか。中国共産党は日本人戦犯者の無期懲役判決も減刑し死刑判決さえ減刑し処刑は実質ゼロとしたのです。


軍人同士の戦闘行為でのお互いの残虐行為は、戦争ですからしかたなかったにしても一般民衆や無抵抗の捕虜を無差別に虐殺した倫理感や、それが国際法を無視した行為であったことへの無知や残虐行為との認識もなかったことへの反省が、ナチス同様に日本鬼子にも、問われているのです。
ナチスの思想は戦後排除されたのに、日本では靖国の思想は逆に堂々と戦後に温存され継続されています。
(1985年ドイツ降伏40周年記念でヴァイツゼッカー大統領は“過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる”と言ったのですが、ドイツ降伏記念日を「ナチスの暴力支配からの解放の日」として、ドイツ民は祝福しますが、日本では、「敗戦記念日」も終戦記念日と変え、政治家も生存軍人も右翼と一緒に(天皇も?)祝福などせずに、悲しみます! その悲しみは、戦闘犠牲の日本人に向けたもので、決して中国人や朝鮮人などの犠牲者に向けられた悲しみではありません。

しかも最近の日本では南京事件などについても、議論のすり替えさえ堂々とされています。J

 事実は封印され、日本の教科書からは、一般的な残虐行為の記述さえ消されました。心配なのはデリケートな最近の日本の若者が、これらの歴史と事実に遭遇した時、無知ゆえの衝撃的事実として受けとめるので、ショックをかなり受けるようですP。
見ざる、聞かざる、言わざるの、日本的知恵猿になろうともしますね。J

日本軍だけでなく、戦前の飢餓時の朝鮮半島でも人肉商の記事があり、現代の中国でも飢饉時や大躍進時や1966年から1976年の文革最中には「階級の敵を食う」運動があったとか、花岡鉱山事件等でも人肉行為があったとも言われ、瀋陽の蘇家屯地区の馬三家「労働教養院」は法輪功学習者を拘束し臓器狩りした疑惑さえありますよ。P

広西省武宣県での事件などは公式記録としては残されていません。しかし一部の集団的な特殊犯罪的猟奇運動が文革ではあったようですが、詳しくは知りません。法輪功は嘘ばかりついている団体で瀋陽のことも信用できません。飢餓の時代には、日本だけでなく、中国や朝鮮半島にもあったようですが、決して戦争犯罪の話でもありませんよ。
 また、花岡事件は、中国人を日本が強制労働させ、飢餓状態において悲劇の食人を発生させたのは、日本側の責任でしょう?。とても誤解を生む発言ですね。J


 日本軍や中国の歴史で人肉を食べた事実はショックですが、日本で子供に人気のアンパンマンは、正義の味方ですが、砂漠を行く飢えた旅人のところに現れて、自分の頭を食べさせるのですね、こういう発想自体があまりにグロテスクで自虐的で悲しいのですが、これも日本的発想なのでしょうか。J
 グロテスク?、本格中国料理だとあなたが言う蚕や犬肉料理の方に、もっとグロテスク感を私は感じますよ!。私には日本の戦後平和は誇りだと思います。それを自虐と感じるあなたの心が戦争を起こすのです。開放政策の繁栄が中国の誇りであるように戦後平和は日本人の誇りです。P


 
 古代世界では「死者を食べると、人の中で永遠に行きつづけると言う信仰や風習」は世界各地で見られます。
 キリスト教の発想では神聖な儀式でパンやワインを与える行為があり、イエスが自分の肉を食べて血を飲む人を、終わりの日に蘇らせると約束したことに由来しています。近代の教会では、パンがイエスの肉であり、ワインはイエスの血だとも解釈されています。

 戦前の宮沢賢治の童話で紹介されるさそり座の誕生のエピソードに、「イタチに自分の身を食べさせてあげればよかった。そうすればイタチも一日生き延びることができたはずだ。・・さんざん虫たちの命を奪ってきた私ですが、この次は、まことの幸いのために私のからだをお使いください」と悔やむサソリの話があります。

 アンパンの発想も似ています。戦争犯罪に対する自虐的検証は決して悪いことではありません。むしろ誇るべき懺悔的平和精神です。
 子供向けマンガなのでグロテスクとは感じたことは、私にはありません(我が子を食おうとしたアシュラというジョージ秋山の漫画はグロテスクでしたが..。)平和を意識した漫画です。戦争の悲劇と、かつて日本が主張した正義の戦争の虚偽の真実が裏に隠れているような気がします。それは、自虐や贖罪ではなく、日本人は総玉砕せず、敗戦後に生き抜き平和な社会を実現した喜びの命の勝利が潜んでいるように思います。戦後「平和」それは日本民族にとっては「生きる」ことで、日本の歴史においては、誇りでもあります。

「行軍したり、泥だらけになってはい回ったりするのは、一晩寝ればなんとかなる。ところが、飢えはどうしても我慢できない」。「 食べられないというのは、ものすごくきついですよ。飢えれば人肉だって食べようという気持ちになるんだから」などと、作者の「やなせたかし」は語っています。

ぼくらはみんな生きている」という歌いだしの『手のひらを太陽に』という歌が、1962年にNHK「みんなのうた」で歌われ1965年にはボニージャックスが紅白歌合戦で歌唱して、日本では広く普及しましたが、その歌の作詞家でもあった「やなせたかし」が、1968年に書いた大人向けの「あんぱんまん」は、空は飛べるけどさえない中年の日本のおじさんでした。



戦時中にお腹を空かせた子供たちに命がけでパンを配っていましたが、国境を越えてパンを配ろうとして、日本おじさんの「あんぱんまん」は自国の軍隊に撃たれて死んでしまいます。(敵国に走しる初代アンパンマンの正義は、日本軍によって葬られたのです。)

「あんぱんぱん」は、1977年には「熱血メルヘン 怪盗アンパンマン」として生まれかわります。
「怪盗アンパンマン」の敵は、家庭では双子の娘を持つ優しい顔を持ち、娘がいない外の社会では卑しい資本家のクロカワでした。
「ぼくは今もどこかの空を半かけのかじりかけの顔をしたままヨタヨタとんでるアンパンマンのことをおもう。アンパンマン!それでもやっぱり、君は、君の仕事がたのしいというのかね。
君はいうだろう「もちろん!ぼくはたべられるために生きる」と、世界中でたったひとりぼくだけはいつまでも熱烈な君のファンだよ。誰もよろこばなくても、編集者が反対しても、ぼくは君の物語をかきつづけるよ。」(資本家と闘った二代目怪盗アンパンマンの正義は、日本国民に愛されなかったのです。)

「主人公をあんパンにした理由は「外の皮はパン=西洋、内側はあんこ=純日本。見た目は西洋でも心は日本人である。」
その後、1973年に幼児向け絵本「あんぱんまん」1975年に「それいけ!アンパンマン」として、社会性を放棄し完全に幼児向けのマンガとなりました。しかし、「あんぱんまん」「怪傑アンパンマン」の真髄「正義」の精神だけは受け継がれました。

「 ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そして、そのためにかならず自分も深く傷つくものです。」

「そしてそういう捨身、献身の心なくしては正義は行えませんし、また、私たちが現在、ほんとうに困っていることといえば物価高や、公害、飢えということで、正義の超人はそのためにこそ、たたかわねばならないのです。」

「あんぱんまんは、やけこげだらけのボロボロの、こげ茶色のマントを着て、ひっそりと、はずかしそうに登場します。自分を食べさせることによって、飢える人を救います。それでも顔は、気楽そうに笑っているのです。・・・。」

「・・天皇は神で、日本の戦争は聖戦で、正義の戦いと言われればそのとおりと思っていた。正義のために戦うのだから生命をすてるのも仕方がないと思った。しかし、正義のための戦いなんてどこにもないのだ。正義は或る日突然逆転する。正義は信じがたい。ぼくは骨身に徹してこのことを知った。これが戦後のぼくの思想の基本になる。逆転しない正義とは献身と愛だ。それも決して大げさなことではなく、眼の前で餓死しそうな人がいるとすれば、その人に一片のパンを与えること。・・」と語られています。

 「やなせたかし」は、1941年に徴兵されて、中国戦線に従事しました。福州では暗号班の聯隊本部で中国兵向けの宣伝ビラ制作も担当したそうです。上海決戦の準備中に敗戦を迎えます。
 軍閥の悪政に苦しむ中国の民衆を助ける正義の戦争と信じたのに、中国からみれば悪魔の軍隊だったと言われ、当時の多くの日本兵と同様に価値観の逆転を経験します。そして、多くの日本人が敗戦時に自決や玉砕した道ではなく、心に傷を負いながらも「生きる」道を選択します。

 終戦を迎えた上海は幼年の一時期を過ごした地ですが、アジアの正義と信じた日本軍が、怒れる中国の民衆から大量の石を投げつけられる衝撃の体験をしています。弟は海軍に志願して特殊特攻工作の潜水型人間魚雷(回天)でフィリピンで自爆戦死しました。しかし、特攻志願した弟の行為を決して美化などしていませんでした。その自伝では、アモイでの父の病死や、戦争に殺され骨さえ戻らなかった弟への思いを語り、戦争を体験したものは必ず反戦主義者になる、「戦争は狂気・・」とも語っています。

戦争は狂気です。なんでもない普通の温厚な人物が狂ってしまう。隠れていた獣性が剥きだしになる。誰でもジギルとハイドの二重人格を持っており、平素はそれが抑制されているだけです。」

日本人を悪魔のように罵倒する反日運動があります。しかし立場を変えれば同じになる。憎悪を極端に扇動すれば、また戦争になって流血は避けられない。真に憎悪すべきは戦争です。」

「核兵器はもちろん廃絶すべきですが、劣化ウラン弾もその他いっさいの兵器も廃絶すべきです。ぼくは軍隊を増強している国はすべて信用できません。平和のための戦争なんてそんなのは幻想ですよ。・・」

「とにかくぼくは、飢えることが一番つらい。正義は常に逆転する。もし本当に正義を行おうとすれば、傷つくことも覚悟しなければならないと痛感するようになりました。そしてこれが、アンパンマンの物語の基本的なポリシーになっていきます。」(人生なんて夢だけど)



 
「そうだ うれしいんだ 生きる よろこび たとえ 胸の傷がいたんでも
「何のために 生まれて なにをして 生きるのか こたえられない なんて そんなのは いやだ  今を生きる ことで 熱い こころ 燃える だから 君は いくんだ ほほえんで」
「なにが君の しあわせ なにをして よろこぶ わからないまま おわる そんなのは いやだ」
「忘れないで 夢を こぼさないで 涙  だから 君は とぶんだ どこまでも 」
「そうだ おそれないで みんなのために 愛と 勇気だけが ともだちさ」
「そうだ! 嬉しいんだ 生きる喜び」
 アンパンマンの主題歌には、『手のひらを太陽に』と同じく生きる喜びがあふれているようです。戦争を知らない日本の子供達へ、悲しみを乗り越え、戦後の平和を生きることの喜びのメッセージさえ込められているようにも思います。P

 




日本では、天皇の歴史解明と戦争犯罪の話はタブーなのですP。

中国でも、文革や六四や政治批判の話は完全タブーですよJ。

(日本では・・タブーの内容を言う事さえダブーとされ、星タブー(アメリカ批判禁止)、菊タブー(皇室批判禁止)など隠語で言います。P)


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