木っ端役人のぼやき

定年退職のカウントダウンの始まった50代!これで、長年の宮仕いも終わりかぁ~!!

孫社長の新卒説明会時の講演です。その二

2010-04-04 16:19:14 | Weblog
私にとって人生5つの大きな勝負があります。第一回目の人生にとっての勝負、志を立てて渡米ということであります。15歳のときにアメリカに渡りました。15歳の夏にアメリカに1ヶ月間の夏休みに英語の研修で行きました。もう目からウロコですね。

本当にもうアメリカの広い、世界で一番大きな国、一番文明が発達してて、力があって、輝くばかりのアメリカ。龍馬が「海外に行ってみたい、アメリカを見てみたい、ヨーロッパを見てみたい」、でも行けない。吉田松陰先生が「わしゃーアメリカに行く、外国に行くんだーッ」と船に密航しようとして、みつかって、切腹させられましたね。

あれほど命をかけて見てみたい、という人々が行けなかった外国を自分は見ることができる。そんなチャンスがあるから、見てみたい、と思って見てみたら、なんとびっくり、これは日本とは比べ物にならんぐらい何やらすごいということを感じて、これはもう居ても立ってもいられず、「脱藩だーッ!」ということで、バシーッと退学届けを出して、高校一年生の1学期で退学届けですよ。

校長先生も担任の先生も、せめて休学にしたらどうだ、せめてアメリカに行くというのなら大学に行ってからでもいいじゃないか。大学卒業してからでもいいじゃないか。せめて、いまどうしても行きたいというなら、休学にしたらどうだ。1、2年行って、様子みて帰ってくる、その辺でどうだ、手を打たんか、と。そういうような話でした。

私は校長先生に言いました。「先生!僕は弱い男です。アメリカに行って、英語がようわからん。ひとりで行ってどんな生活になるかわからん。困難にぶちあたったら、くじけて、弱い気持ちになって、戻ってくる古巣があればそこに戻ってくるかもしれない。それじゃ腹が据わらん。退路を断たないと。退路を断たないと、困難に立ち向かえない。だから休学届けじゃなく、退学届けにさせてください。

私はこの高校をすばらしいと思います。先生方も生徒も、僕には何も不満はない。だから不満があって退学するんじゃないんだ。みんなすばらしい友達で、みんなすばらしい先生で、こんなに一生懸命とめてくれる校長先生も担任の先生も、僕は本当すばらしいと思う。だから嫌いで行くんじゃないんです。チャレンジのために行って、挫けて帰ってきたら、ええことなにもない。だから、退路を断つんだ」いうことで勝負してアメリカに行ったんです。

行ったアメリカで、めちゃくちゃに勉強しました。自分で好きで行ったわけですから、自分で望んで行ったわけですから、言い訳いいとうない。死ぬほど勉強しました。みなさんが大学生で今現在と、当時の僕の状況と、5000人近くの人いますけど、絶対に言えること、僕より勉強しているヤツはいない。自信持って言える。なぜ言えるか? 途中で肺炎になっても、肺炎になったことがわからないぐらい、ゴホゴホ、ゼーゼー、頭がガンガンして、その状態でも一切休まずに、一度も授業を休まずに、いつも前列のど真ん中で座って、食い入るように先生を見て勉強して、トイレに行くときも絶対に教科書から手を離さない、読みながらトイレに入る。

道歩くときも教科書を読む、運転するときもイヤホンで授業の内容をテープでもう一度復習しながら、寝る時間だけ、寝る時間でも最小限の時間、もうろうとしながら、寝てる時間以外は全て勉強する。

英語がわからん、そんなことわしゃ言い訳に使いたくない。それまで日本にいて高校まではイヤイヤ勉強してましたよ。イヤイヤ勉強してるからいろんな言い訳言うとった。したくないものをしてるから。何のために俺は勉強せにゃいかんのか。

そうやって言ってましたから。こんなもの世の中に出て役立つんかー!とか言うてましたから。大概、手抜きの勉強でしたよ。でもアメリカに行って、それこそ血を吐いてる父親を置いて、泣く母親を振り切って、アメリカに行ったわけですから。そういう状況の中で、ワシがここで言い訳言って勉強さぼってどうすんや! 学生のワシにとっては勉強は本業や。

本業中の本業に命燃やしてちぎれるほど勉強しなくて、罰が当たる。思ってやったんですね。ですからここにいる皆さんより、少なくとも勉強の絶対時間では、一日当たりの勉強の時間数では、ワシに勝つヤツは誰もおらん。少なくとも同じくらいやってる人はおるかもしれない。

でも物理的な限界を超えるくらい僕は勉強した。そのくらい、燃やして燃やして燃やしまくって、やった。退路を断って、アメリカに行ったからには、でもそれは僕にとっては人生の大きな勝負どころ、転機だったわけですね。

その行ったアメリカで、高校1年生に入った。1週間で、校長先生にかけあって、もうこりゃいい、2年生に変えてくれ。2年生に変えてもらった。教科書を全部取り寄せて、3日たったらまた、全部2年生の教科書は全教科読んで、斜め読みして、校長先生に言いに行って、「2年生もいらん!3年生の教科書を全部くれ」言うて3年生に変えてもらって、また3日で3年生の教科書を全部読んで、「もうこれもいい、わしゃ高校はいらん! 大学に行きます。

先生さようなら」と言って、そのまま大学に行きました。だから高校生は、日本で1年生の1学期の3ヶ月間、アメリカで合計2週間。それで高校はもう終わり、と。ということでそのまま大学に行ったわけです。大学では死ぬほど勉強しました。その大学の3年生のとき出会いは突然訪れました。

19歳のとき。初めてマイクロコンピュータのチップの写真を見た。生まれたばかりのマイクロコンピュータのチップ。それを科学雑誌に1ページ写真が載っていた。これを見て「ガーーーン」と衝撃を受けたんですね。車を降りて、道で読みながら歩いてた。

そしたら何やら未来都市のような、未来の都市の設計図のような、カラーの写真があった。なんだろうな、不思議な写真だなあ。初めて見る写真だな。と思って次のページをめくったら、これがなんと、マイクロコンピューターのチップの基盤写真だったということを知った。

それが人差し指のさきっちょにちょんと乗ってるぐらい。これを見て、もうボロボロボローッと涙が出たんですね。全身の両手両足も指先がじーんとしびれて止まらない。人類はなんてすごいことをしたのか。人類は初めて自らの脳の働きを超えるかもしれないものを人類は作った。発明した。

このことのすごさをこのことの感激に、はショックを受けた。感動した。このことによって、20世紀のこれからの終わり、21世紀のどういうふうに人類社会が発展するんだということを想像し始めたら、もうおそろしい衝撃で、感銘を受けたわけですね。その結果それを使った発明に結びついたということなんですけども。<③に続く>

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