木っ端役人のぼやき

定年退職のカウントダウンの始まった50代!これで、長年の宮仕いも終わりかぁ~!!

孫社長の新卒説明会時の講演です。その三

2010-04-04 16:23:00 | Weblog
まあ、さきほど言いましたように、親父は血を吐いて病気で入院してる状態でしたから、何年間か入院してました。あんまり家族に経済的な負担もかけちゃいけない。いうことで僕は19歳の3年生のときに、1日1つ、1日5分間、勉強以外に費やす。

食事するときも必ず教科書を左手、左手に教科書、右手で箸とかフォーク。そん時思ったんですけどねえ、一度ゆっくり両目でお皿を見て料理を食べたいな。そしたらどんなにおいしいだろうかな。そんな贅沢ってあるのかな。と思ったわけですよ。

皆さん食事するとき大概両目でお皿見て食べるでしょ。僕はね、そんな贅沢はなかったんですよ。そんなことはできない。必ず、食事するときも教科書をにらみながら、視野のはしっこにボーッっと見える皿にフォークを突き刺してとりあえず刺さったものを食べる。ときどき胡椒みたいなのがそのまま入ってガーッと叫んだりすることも。それくらいの状態。

だから5分間、自分に勉強以外の時間を与えるということはどれほどの贅沢か。学校の勉強以外の時間を僕に5分間与える。こりゃ大変な贅沢だ。その贅沢なその時間を1日1つ、何か発明をしようということにあてた。1日1つ何か発明して、その中から1つ1年間かけて選んで、その発明で一山あてようと、そういうふうに思ったわけです。1千万くらい稼ごうかなあ、と。

1日5分のアルバイトで1年間頑張って1千万稼げたら皆さんいいアルバイトだと思いません? 今の時代でもねえ?1日5分仕事して1年間働いたら1千万たまった。月10万円。そりゃいいアルバイトです。ねえ、なかなかそんなアルバイト、今でもない。30年以上前ですよ。33年前ったら、その当時の貨幣価値からすると気の狂ったような目標ですよ。

友達にそんないいアルバイトないかと聞いたら、みんなから笑われましたよ。お前アホかと。一瞬で却下でしたけれども。僕は真剣でした。そんなムシのいい話は発明ぐらいしかないぞ。あの松下幸之助さんですら小さな発明から会社を興した。ワシもなんか発明してみよう。

いうことで、自分に与えたレジャーの時間、つまり発明の時間。そこで1日1つ発明しよう。で、できました。完成しました。250、発明しました。最近僕はツイッターで「できました」というリストをいろいろやってますが、まさに「できました!」。1

年間で250、発明しました。1日5分間ずつで。なかにはしょうもない発明もいっぱいありました。でもそのうちの1つが世界初のフルキーボードのポケットコンピューター。マイクロコンピューターを使った世界初のポケットコンピューター。今ではiPhoneのはしりのようなね。

これを19歳のときに発明しました。自分ひとりじゃものは完成しないんで、仲間を集める。僕を手伝ってくれ。世界的に有名な大学教授、5、6人集めた。それでプロジェクトチームができた。僕は学生なんで1日5分しか時間がないんで、先生手伝ってくれ。先生に給料払う。

先生に空いてる時間で僕のためにアルバイトしてくれと。1時間いくら、先生に払います。教授を雇った。ネゴをするのはいやだから、「先生、1日にいくらかは先生が自分で決めてくれ。先生がほしい金額を出します」ということで「なんちゅーことを言う学生だ」という話でしたが、「ひとつだけ先生条件がある」それは「先生が書いたとおり申告してください。

だけど、できあがったら全額払います、申告どおり全額払います。だけど僕には今金ない。できあがって完成して特許が売れたら、売れた金額から先生に全額払う。だからうまくいかなかったら先生ただ働きです。うまくいったら先生方の申告どおり満額出します。そういう条件でどうですか?」笑い出した先生たちがね。おもしろいことを言う学生だ。わけわからん話だけど、やってみるか。ということで僕の発明を実現するプロジェクトチームができたということであります。

そのときに、人生50ヵ年計画を立てました。<中略>彼らが僕に「ボス、つぎ何をやればいいんだ?」僕から指示を仰いでいる。摩訶不思議な関係でした。そんときに僕は人生50ヵ年計画を立てました。19歳のときに20代で名乗りを上げる。自分の事業を興す。自分の業界に名乗りを上げる。30代で軍資金を貯める。軍資金は1000億2000億数える規模じゃなきゃいけない。40代でひと勝負をかける。一兆円二兆円と数える規模の勝負をかける。50代である程度事業をビジネスモデルを完成させる。自分のライフプランとしてのモデルを50代で完成させる。60代で次の経営陣にバトンタッチをする。

僕の次の経営陣について、ちょうどいまから10数年、皆さんの世代です。皆さんの世代の人たちから次の経営陣が出てくる、ということになるんだと思います。そういう大まかに分けて、5つのステージ。20代30代40代50代60代、その5つのステージのライフプランを、一度も変えてません。

19歳のときに立てた、僕自身のライフプラン。一回も変えてない。そのときはお金は1円もないです。1円もないけども自分のアイディアを思いついて設計図を書いて特許にする。設計図を書いて特許にする、そこまでは僕がやった。特許に出した設計図を具体的に試作機を完成させるのはさっきの教授陣と一緒にやった。

お金はないけれども、でも志しだけはもうはっきりしてた。何かでっかいことをして、何百万の人々に役に立つ。そういうことをしたい。もしそのときに自分が持ってる技術、知識、情熱、そういうものが役に立てばいいなあ、と。いうことで20代で名乗りを上げました。

それが、ソフトバンクの設立であります。大学を卒業して日本に帰ってきた。<中略>すでにアメリカにいるときには会社を興してました。19歳で発明して特許をとって、実際は1年半で1億7000万ほど稼ぎました。その最初にやった発明の、教授も一緒にやったヤツ、シャープに売り込みました。特許を売り込みました。1億8000万円もらいました。

もうひとつ、コンピューターのゲームを、そちらも1億5000万くらい。僕は19歳の学生のときに1年半で当時のお金で3億以上、3億9千万円。最初にたてた目標、1日5分働いて1000万円ぐらい稼ぎたい。実際には1日5分働いて1年半で3億9000万稼いだ。今の貨幣価値で言えばもっと大きいですね。

いまの何倍かの価値があると思いますが、そのままずっと発明を目指す、町の小さな発明家という人生の選択肢もありました。でも僕はそうじゃなくて、もっとでかいことをやりたい。いうことで会社を興そうと。日本に帰ってきて、会社は売却しました。僕が学生のときにつくった会社は売却しました。

そして日本に帰ってきて、ソフトバンクを興すことになったんですが、でも日本に戻ってきて1年半、悩みに悩み続けました。きっと今の皆さんもですね、大学卒業して、これから自分の人生どうすごそう、いろんな意味で悩んでるんだろうと思います。就職難でもありますからね。

ソフトバンクの孫正義の話を興味半分、野次馬半分でですね、今日は来たと思いますが、きっと悩んでると思います。自分の人生これからどうすごそうかと。どういう人生にしようかと。いろんな選択肢があるんだと思います。僕も悩みました。

大学を卒業して日本に戻ってきて、1年半、悩み続けました。でも、安易に決めたくない。たまたまぶちあたった、たまたま親が、たまたま何かのご縁で、そういう安易なことで決めたくない。なぜならば、自分で決めた自分の職業、自分で決めた自分の仕事、これコロコロ変えるわけにはそんな簡単にはいきません。

だいたい決めたらその道にほぼ行く可能性が高い。その決めたことをフラフラするということは、効率悪いんです。自分のエネルギーをどこについやしたらいいのか。自分が登りたい山は何なのか。自分の志ってなんなのか。自分の成したい事ってなんだろう。これを決めることが大切だ。

ということで、この一文を僕は覚えています。登りたい山を決める。これで人生の半分が決まる。いうことであります。これはその当時僕が大学を卒業して日本に帰ってきて、1年半の間このことを思い続けたんです。自分で登りたい山、これを決めなきゃいかん。

これを決めることで、人生半分決まってしまう。自分のテーマ、人生のテーマ。人生の志、自分にとっての志。もう一度、龍馬のほうに戻ります。何を成すために自分は生まれてきたのか。事を成す、その事ってなんなのか。自分にとっては、事業家になりたい。自分の人生、一生をかけるのにそういう仕事ってなんなのか。

40ほど考えました。新しい事業を考えた。人々がやってないこと、新しいこと、人の役に立てること、一番になれること。儲かること。自分が継続して好奇心を持ち続けられること。意欲を持ち続けられること。多くの人々に役立つこと。常に何か技術革新があって、そういうような業界じゃないと、自分の心が熱くならない。情熱さめてしまいます。

冷めない情熱を一生持ち続けられる、それって何だろう。ということで考え続けました。私にとっての事を成す、その事ってなんだろう。私自身の決断が「デジタル情報革命」であります。事を成す。

デジタル情報革命を通じて、多くの世の中の人々に、世界中の人々に、知恵と知識を共有できるような、そういう何かでっかいネットワーク、プラットフォーム、そういうサービス、っそういう事業を作って、人々の知恵と知識がすごい大きなデータベース、ネットワーク、そういうものに収められて、それをみんなで共有することができて、人々がより幸せになれる。より幸福になれる。

より仕事の生産性があがる。たのしくなる。病気の人が助けられる。そういうような仕事、それであれば、人生を賭けるにふさわしい、というふうに思ったわけですね。その志が、「よし、これだッ! ワシの人生を賭けるのはこの志だ。この志だ。このためにワシは生まれたんだ。

このために人生を賭けるんだ」いうことで、決意をして、会社を興しました。それが、ソフトバンクであります。日本ソフトバンク。福岡の小さな町、雑餉隈(ざっしょのくま)というところで会社を興しました。資本金1000万円。アルバイトの社員を2人雇って、僕とアルバイトの2人で会社を興した。

で、彼らに、これからソフトバンクという会社を興して、立派な事業を興すぞ。情報革命だ!コンピューターを使った、コンピューターの力で。マイクロコンピューターがデジタル社会、デジタルの、情報革命を起こすんだ。そう1時間くらい、最初の朝礼でブチました。

2人のアルバイト社員を前にして、みかん箱、当時みかん箱っていうのは木の箱でした。この箱の上に乗ってですね、30年後の我が社の姿を見よ! ということで朝礼をブチました。少なくともソフトバンクは30年後には豆腐屋さんのように、数の単位を一兆(丁)二兆(丁)と数えるぞ。

一兆二兆以下はものの数ではない!1000億5000億はものの数ではない一兆二兆と数えて初めてものの数だ!そういう規模の会社にするぞ。世界中の人々に情報革命を提供するんだ!いうことで会社を興した。ということであります。そしたら1週間たったら二人とも辞めちゃいました。

「この人おかしい」「気が狂ってる」と。こんなちっちゃい福岡のエアコンもない扇風機だけブーンと回ってるむさくるしい暑いこの部屋に、また熱い話を聞かされて、これはちょっと気がおかしいんちゃうか。ということで二人とも辞めてしまいました。また僕1人になりました。

でも僕の心は一瞬もひるまない。一回も変わらない。創業してすぐに勝負に出ました。人生二発目の勝負であります。創業一ヶ月後の大勝負。資本金1000万円の会社です。私がアメリカで学生のときにつくった会社は当時のナンバー2の副社長に売却しました。お金は後払いでいい、とカッコつけて言ってしまった。だから手元には金がない。彼はまだ会社をアメリカでやってる。

<講演はまだありますが、書き込めれないので省略>

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