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ニッポン チャチャチャ!!

納得できない事、頭にきた事、不可解な事、民主主義後進国ニッポンの“?”を感情的に綴っていきます。

続々・負けるな小沢一郎!

2007年11月12日 10時33分32秒 | 政治
先日、一通のメルマガが届きました。それは民主党のある議員のメルマガ。そこには、「今回の一連の騒動で党はダメージを受けた、今後は信頼回復に努力する」というようなことが書かれていました。
僕としては今回、小沢一郎はどっちに転んでも“アウト”という罠にはめられたんだととらえています。だから民主党員もそんなに卑屈にならずに、巧妙な自民党バッシング戦略で対抗すればいいと思うんですけどね。

どうも、自民党には結党以来脈々と続く伝統があって、「戦後日本の永遠与党を目指す」というような意思統一がなされている印象があります。だから党員それぞれの言葉は違うけれど、根底に共通認識があり、結果として足並みが揃っていると感じますよね。
それに対して民主党員には、そういった一体感が感じられません。政策の方向性が同じ集団のはずなのに、ただの“個”の集合体という印象なのです。本来なら、守るより攻める方が楽なはずなのに、どうも民主党には政権奪取に対する基本的な考えに統一感が感じられません。

さらに報道では与党自民党の議員の声の方が数多く流されます。それらは個々の発言の角度が違っていても、全員の言葉を合わせればすべて政権維持のベクトルに向かっていると読み取ることができます。
だけど報道されること自体が少ない民主党は、どうしても“個”の意見に聞こえてしまうのは致し方ないと言えるかもしれません。

ちなみに、先日届いたメルマガには、「衆院で民主党提出の法案を与党は審議してくれない」とも書かれていました。その現実を国民はどれだけ知っているでしょうか?
ところが、参院で民主党提出の「イラク特措法廃止法案」が審議されることになると、それは単なる時間稼ぎだと言う自民党。

真っ向から対立している国会ですが、こんなときこそ、どちらが正しいのかを実際に国民に判断してもらえばいいと思うのです。
例えば、現在衆議院の委員会は傍聴不可で、参議院の委員会は議員の紹介があれば傍聴が可能のはずです。そこで民主党員は自分のメルマガの読者に、積極的に参議院委員会の傍聴を勧めるのもひとつの作戦ではないでしょうか?

せっかく第一党になった参議院なのですから、もっと積極的に国民にアピールする方法を考えるべきでしょう。そのためにも傍聴席を満員にさせ、“生”で論戦(本当に論戦になっているのか?)を見てもらい、自民党にプレッシャーを与え国民の支持を得るという作戦はあると思いませんか?
それこそが“ホームの戦い方”だと僕は思うのです。

続・負けるな小沢一郎!

2007年11月10日 11時34分06秒 | 政治
前回、小沢一郎擁護の内容を書きましが、ここで断わっておくと、僕は決して民主党支持派ではありません。“政治家”としての小沢一郎に惹かれるところはありますが。
僕としては、政権交代が可能な政治状況が理想だと信じているので、今回は結果として小沢一郎擁護の内容になったのです。

いくら「ねじれ国会」とはいえ、現在の与党自民党は異常です。とにかく、憲法改定も強行できるほどの議席を単独で持っているというのは危険な状況です。それも第九条の改定を最大の目的にしていますからね。だけど、次の衆院選の見通しがヤバそうだとなると、同盟関係の公明党にかまわず大連立で“数”を稼ごうとする…。
与党の政治家には、「明日は野党になってしまうかもしれない」という危機感を常に持って政治に臨んでもらわないと、国民不在の政治が進むばかりです。ですから、大独裁政権になりかねない大連立には反対で、政権を奪い合う政治を期待しているのです。

そして、もうひとつ異常なのが世論の誘導です。今、世の中では「小沢は混乱を起こした」とバッシングされていますが、前回も書いたようにこれは偏向に基づくもののように感じているのです。
福田・小沢会談後、「小沢一郎はなぜ、その場で大連立を拒絶しなかったのか?」という党首の権限についての論議がありましたが、ここから世論誘導は始まっていたと思うのです。

つまり、その論理を逆に向ければ「福田首相は独りで大連立を発案し、小沢一郎にもちかけたのか?」となりますよね。党首が独断で拒否するべきとするなら、発案・呼び掛けも独断でするべきとなりますよね。でも、そんなことはないはずです。小沢会見を信じれば間に介在した人物がいたはずだし、「こんなすぐに拒否するとは思わなかった」と話す議員がいたということは、福田首相独断ではなく党内の論議の結果と考えるのが普通ですよね。
となると、「党首なんだから、その場で判断するべきだ」というのは、言ってみればいいがりでしかないでしょう。それは官邸なり自民党側の論旨で、それが記者クラブを通じてそのまま報道されていると感じているのです。

本当に混乱が起こっているのなら、その元々の原因は福田首相のはずです。本来なら福田首相も会見を開き、福田・小沢会見の経緯を説明し、混乱の責任を明確にするべきだと思うのです。
しかしその論点での話はほとんど出てきませんよね? 報道は小沢一郎の責任問題ばかり。これこそが官邸クラブ・平河クラブ主導の報道による弊害だと思うのです。
結果として、僕には見事に与党自民党の世論誘導が成功しいるとみえてしまうのです。

負けるな小沢一郎!

2007年11月08日 14時19分10秒 | 政治
かねがね気になっていたのですが、福田・小沢会談のあと、小沢一郎が大連立構想の是非を党に持ち帰ったことは本当に悪いことだったのでしょうか?
少なくともテレビのニュースでは、「なぜ、その場で拒否しなかったのか?」という論調がほとんどだったと記憶しています。そして民主党役員が全員一致で大連立を拒否すると、今度は「こんなにすぐに拒否してくるとは思わなかった」という自民党議員のコメントを流していましたよね。

僕が感じたのは、会談の時点で大連立を小沢一郎が否定したとしても、その内容は外に広まらなかったと思うのです。まず、福田首相から連立を持ちかけられたこと、さらに、それを小沢一郎がそれを断わったということは外部に漏れなかった可能性がありますよね。なにせ密談でしたから。
悪くすると、その場で拒絶すれば「壊し屋小沢の独断だ」と批判されていたとも考えられませんか?

これを民主党の立場から考えると、当然、違って見えてくるはずです。
もし民主党が「政権を担う」ということを最大の目標にしているなら、自民党との連立はひとつの選択肢だと思うのです。ですので、それを党首の判断だけで拒否せず、党に持ち帰ったのは党運営として民主的なやり方ではないでしょうか?
そして、否定をするのなら、党の役員が全員一致して拒否とした方が、党の意思表示として、より効果的で強烈だと思うのです。

僕の見方は、小沢一郎は評価こそされ、非難されることはないと考えます。
ただ、連立を持ちかけられた時点で自民党の世論誘導とそれに乗ったマスコミの偏向報道にはまってしまったという印象がありますね。真っ先に福田首相の「ちゃんとやってくれると思いますよ」というような発言にはじまり、先の自民党員のコメント…。まるで小沢一郎が自民党の意をくんだ刺客のように扱われていますものね。

絶対に連敗しない自民党です。どんな手も使ってくるでしょう。かつては与党になるために政敵であるはずの社会党との連立まで行ったのですから。しかし、社会党はそれによって党のアイデンティティを失い、完全に自民党に食い尽くされしまいましたよね。
今回、民主党はその轍を踏まずに済みましたが、巧妙な自民党の世論操作の策にははまってしまいました。その意味でも、今回の小沢一郎の会見は挽回策としては必要であったし、効果的だったと思います。

それにしても僕は、「次の総選挙で勝てる」としていた民主党の甘い認識こそが最大な問題だと思っているのです。

神の視点

2007年10月28日 23時40分17秒 | 政治
最近、思うところがあったのですが、上手く言語化できず人にも説明できずに困っていたのです。ところが今日、その内容が読んでいた本にそのまま書かれていたので驚きました。
僕が考えていたのは政治(状況)と宗教の関係です。為政者を判断する上でも、国民が声をあげるにしても、その根底に明確な宗教観が必要な時代ではないかと漠然と思っていたのです。

今日、僕が読んでいた本は、曽野綾子の『「いい人」をやめると楽になる』という本。その中に、そんな内容が単純明確に文章化されていました。ちなみに、この本は先日BOOK OFFで買った僕が読んだことのない作家の本の一冊です。
それによると…

      ◆ 以下引用 ◆
 私はけっして誰もが信仰を持つべきだ、などと言うつもりはない。しかし人間の視点だけで、人間の世界が見通せるとはどうしても思えないのである。私たちは地形を総合的に把握しようとする時、自分の身長だけでは足りず、かならず高見に登る。それと同じで、信仰の見地から、神の視点というものがあってこそ、初めて私たちは人間世界の全体像を理解できるような気がしてならない。
      ◆ 以上引用 ◆  

ここで言う信仰とは、もちろん特定の宗教のことではないと思いますし、神というのも普遍的な存在としての神だと考えます。
ただ、曽野綾子はこの本の中でも自身がクリスチャンであると明言しているので、多少キリスト教寄りの考え方はあるのかもしれません。

最近僕が感じているのは、何を敬い、何に対して畏敬の念を抱くか? 今あらためて、これが明確にならないと今日の様々な問題は立ち行かないと思い出しているのです。
例えば神を信じなければイスラム教とキリスト教の対立は理解できないでしょうし、何も語れないでしょう。また、もはや私たちはカネや名誉欲ではない、もっと崇高なものに畏敬の念を抱く為政者だけを欲しているのではないでしょうか? しかし、そんな人物を選び出すためには、我々にも崇高な選択ができるような姿勢が求められているとも感じているのです。

おそらく、人生の達人である曽野綾子ですから、この文章にはもっと深い意味が込められているのだと思います。ただ、神の視点を我々一人ひとりに求めているという点は共通していたと嬉しく思っているのです。
これを偶然とよぶか? 必然とよぶか? そこでも信仰感は分かれますよね。もちろん僕は“必然”と考えています。

20万か80万かと言うより

2007年10月24日 14時42分05秒 | 政治
どうもここのところ気になっているのが、インド洋の給油活動の問題に対するとらえ方というか観点というか焦点というか…。

僕が疑問なのは、20万ガロンや80万ガロンって一回の補給量なんでしょ? 自衛隊がインド洋に行って各国の船に給油した総量じゃないんですよね? ということ。
高村外相は、「私は多くの国に行ったが、補給活動をネガティブに評価した国はなかった」みたいな話をしていましたけど、まず、「イラクではどう言われたの?」と聞いてみたいですね。あと、わずか空母の1日分の燃料を補給しただけで、そんなに各国から賞賛されるなんておかしいと思わないのでしょうか?
いずれにしても今回の騒動で、通算してどれだけの量を自衛隊が給油したのか問題にされていないですよね。まさか、空母1日分の燃料を補給するだけのために、わざわざテロ特措法を制定して自衛隊をインド洋に派遣したのでしょうか? 今回、見事な問題のすり替えが行われているような気がするのです。

さらに、もし僕がテロの首謀者だとしたら日本をこうゆう風に見ます。
日本という国は戦争後、軍隊でないからと言って他国の軍隊に守られ、平和維持活動と称した給水活動をして帰っていった。だけど、ボランティアでイラクに入った民間人たちには国中で国賊呼ばわりしていた。それは何故なんだ? 国を挙げてイラクの復興に力を貸すワケじゃないんだな。
なるほど、戦中は米軍の空母に補給活動をしていたのか。補給した油を何に使うかは関知しないとか、量が少ないから問題ないと言ってるけど、そんなのは卑怯者の言い逃れだ。つまり「日本って国は米軍に尻尾をふるだけの腰抜けで二枚舌の国なんだ!」と判断するでしょうね。

もちろん独立国家ですから、他国がどう捉えようが自国で選択した道を進めばいいのです。
それなのに、外相はおそらく西側諸国のリップサービスを政策の正当性の根拠にしようとしているし、首相は「我が国だけが脱落していいのか」と他国の顔色に配慮して法案を通そうとしているのです。独立国なのに…。

また、福田首相は、「給油活動は集団的自衛権の行使にはあたらない」とも話していましたが、僕にはすでにケンカを売っているというか、先に手を出すように仕掛けている活動と見えるのです。
どう考えても日本の官僚組織がテロとの戦いに絶対に勝てるはずはありません。ここは「君子危うきに近寄らず」が一番! だと思っているのは僕だけでしょうか?

自民党の派閥こそ建前社会の象徴

2007年09月14日 22時58分08秒 | 政治
毎回、自民党の総裁選や組閣のときに感じるのですが、NHKまで当たり前のように“派閥”という言葉を使っていますよね。これっておかしいのではないかと思うのです。なぜなら、本来、自民党の“派閥”は解消したことになっているはずだからです。
で、ネットで調べてみたら、自民党が野党だった河野総裁のときに自民党の派閥は解消されていると書かれていました。表向きには。

僕はいつ、どのタイミングだかは忘れていたのですが、この自民党の派閥解消のニュースは強く印象に残っていたのす。
自民党の派閥といえば「田中派」、「経世会」などが思い浮かび、政治の影の部分で“派閥”が機能するという印象でした。つまり、その実像はわからないけど、ボスのまわりに議員が集まり、“カネ”や“ポスト”が振り分けられる組織というのが“派閥”というものと理解していました。それが一気になくなると知って半信半疑ながら驚いたものでした。

派閥の持つダーティーなイメージを払拭するために自民党も“派閥解消”を宣言したはずです。それは、自民党が国民に対して行った宣言になるでしょう。つまり、国民への自民党からの約束であり、党内の浄化を証明したかったのでしょう。
それなのに、今では当然のように派閥名を口にして、会合を認める自民党の議員たち。そしてそれに対して国民への約束違反を指摘しないマスコミ。それどころが、どのマスコミも当たリ前のように派閥の理論をふりかざし政局を分析する…。
これって、自民党記者クラブの馴れ合いの中で、マスコミもマヒしているんでしょうかね。

まず、かつて派閥解消を宣言した自民党は、結局、派閥は解消せずに綿々と歴史を受け継いでいるのだ。だから、今回の総裁選の候補選びの決定も、そもそもが派閥の人数をベースに進んでいてけしからん話なのだ。いったい、どういう理由で派閥はなくならないのだ。などというメディアはないのですかね?

だって、メディアがこれを指摘しなかったら、どこのメディアも信頼できないことになりませんか? 結局、現状追認ってことなわけでしょ? で、不正追及は、視聴者や読者が飛びつくものしかしないんでしょうね。

政治の意義と価値の見直しを

2007年09月12日 23時10分17秒 | 政治
いつか辞めざるをえなくなると予想していた安倍首相。だけど、この時期に辞任に追い込まれたのは小沢党首が原因ではなく、自民党の圧力ではないのかと勘ぐってしまいます。なぜなら、次の衆院選で安倍首相のままのだと民主党有利となってしまうと思っていたからです。
まあ、内閣総理大臣が所信表明をした直後に辞任するとは、異常というより情けないと感じてしまいます。一応、国家元首なわけですよね。決意表明の直後に自ら辞めるのという決断には言葉がありません。

それにしても、最近、政治家のスケールが小さくなっていると思うのですよ。大臣が誤魔化す金の金額が数十万とか数百万とか。もちろん誤魔化すのは良くないのは当たり前ですが、そんな金額をコソコソやっている人間に省庁の億単位の金が動かせるのでしょうか?
そして、たかだかバンソコウの釈明も一笑に付することができず、辞任の理由になってしまう大臣に農業や漁業に従事している人たちは自分たちの運命を委ねることはできませんよね。

内閣総理大臣が野党の党首が会談に応じてくれないという子供じみた理由で辞任を決意してしまうのですから、その下で働く人間のレベルも知れたものです。
もちろん役人も同様で、自分の借金の返済のために国民の金に手をつけるという堕落ぶり。そればかりか多くの役人は仕事をしていないということは消えた年金記録問題や耐震偽装を見抜けなかった自治体など、その例はいくらでもあり、多くの国民がその事実を実感しているでしょう。

もうここまでくると、我々は「政治」や「行政」というものに対する根本的な考え方を改めなければならないのではないでしょうか。間違いなく、「親方日の丸」には任せられません。いまや“親方”はどこかの親方と同じで頼りなく、ヤクザの“親分”以上に性悪になっています。

そんな中、具体的な形は見えてきませんが、古代ローマの直接民主主義制度に近いような、もっと国民の一人ひとりが直接政治に参加するようなシステムが必要な気がしています。
とにかく、もう政治家や役人に任せられない、信用できないというところから新しい考え方をスタートするべきだと感じたのでした。

辞めるな安倍首相!

2007年09月04日 00時42分41秒 | 政治
今日の夕刊紙の見出しで、安倍首相の退陣の可能性が見出しに書かれていました。まあ、遠藤農相の辞任などが続き、任命責任や危機管理能力不足など、退陣を求める理由は充分です。
しかし、僕の考えは以前にも書いたように、安倍首相には辞めてほしくありません。かりに麻生幹事長が首相候補となれば、おそらく自民党の支持率は一時的に上がることでしょう。これで衆院選が行われたら、たまりません。参院の記録的な野党勝利の意味が半減してしまうでしょう。

とにかく、次の衆院選を自民党は安倍首相で戦ってほしいのです。その結果、自民党が参院選に続いて大敗することを期待しているのです。
起死回生のつもりだった内閣改造も、支持率は不支持率を超えられなかったよう。それだけ国民の信頼を得ていない安倍首相。そしてその改造内閣でもまたまたケチをつけることになり、もはやかつての人気回復は無理でしょう。

そこで今は、細川政権以来の自民党を野党にさせることができるまれな好機だと思っているのです。おそらく安倍首相はこれからも失敗を繰り返すに違いありません。つまり、安倍自民党に愛想をつかした国民が非自民へ投票する可能性は益々高まると予想しているのです。自民党支持層の多くが野党に流れると期待しているのです。
これこそ千載一遇のチャンスでしょう。なぜなら、衆院選には小選挙区制度が立ちはだかっているからです。選挙区で一位しか当選できない小選挙区制は現職が有利で、大政党に有利です。

小選挙区制は二大政党制にも向いているという意見がありますが、本当に二大政党制が日本に馴染むシステムかどうか僕にはわかりません。また、現在の最大野党である民主党に政権運営を期待できるかといえば“?”です。
ですが、死に票が多く出て、独裁制が生まれかねない制度とわかった小選挙区制は、日本の将来のために是非とも改めてほしいと考えているのです。そのためにも次の衆院選で与党自民党に大敗させて保革逆転を達成し、選挙制度改革を実現してほしいのです。

しかし、小選挙区制度を否定する声があまり聞こえてこないのはどういう理由なのでしょう。選挙費用の軽減が導入の理由のひとつだったと記憶しています。だけど、健全な民主主義のためには、せめて選挙区エリアを倍にして、二位まで当選できるシステムは小泉政権時代に必要だと実感したのです。とにかく、一党だけで憲法改正ができてしまう議席数を持ててしまう制度は危険です。
今、それを改める最大のチャンスなのです。それを可能にしてくれているのが安倍首相の続投にほかならないと考えているのです。

不思議なのは会計検査院だ

2007年09月02日 21時28分47秒 | 政治
「政治とカネの問題」をクリアーにすることをテーマにした安倍改造内閣が揺れています。まあ、結局「政治とカネの問題」は永遠にクリアーにはならないのだろうと多くの人が感じていると思います。
それにしても、いわゆる「身体検査」という身辺調査を万全に行ったというのに、また問題の農水大臣で問題発覚というのは情けないですよね。もう、呆れるという以前に、やはり官邸の実務能力を疑うしかないです。

たしかに会計検査院は独立した機関ではあるけど公的機関です。そこに遠藤農水大臣の関連団体が引っ掛かっていたということをリサーチできなかった官邸とはいったい何なのかと、改めて考えさせられますね。
官邸機能強化と度々耳にしますが、閣僚候補という身内の身辺調査すらできないのであれば、国外情勢や海外の重要人物の調査などはかなりヤバイ状況だと想像されます。ここまで官邸の能力不足を世界中に明確にしてしまうことは、明かに国益に反しているとも感じてしまいます。

また、気になるのは、今回の遠藤農水大臣の共済組合の問題、会計検査院が不正を指摘したのは数年前ということ。そしてさらに、返還要求をずっと無視されてきたということです。
そこで浮かび上がってくるのは、僕がかねがね疑問に思っていた、「会計検査院って、いったい何なの?」という謎です。本来、すべての国家機関の決算を検査する機関ということですが、ここがちゃんと機能していれば「政治とカネの問題」など生まれにくいはず。しかし、組閣のテーマが「政治とカネの問題」になるほど、政治家のカネがノーチェックということですよね。

今回の遠藤農水大臣の共済組合問題は、おそらく任務が形骸化しているであろう会計検査院の検査でも引っ掛かってしまったのです。それは「さすがにこれは見逃せない」という内容だったのでしょう。あまりにミエミエだったのか、悪質だったのか分りませんが、会計検査院としても指摘せざるを得なかったのでしょう。
でも驚くのは、不正受給したカネの返還要求を何年間も無視され、それを問題にしなかった会計検査院の姿勢というかシステムです。ひょっとすると権限として罰則を与えたり、訴えることは認められていないのかもしれません。
もしそうだとしたら、会計検査院って税金の無駄遣いどころか、汚れたカネに国家的なお墨付きを与えるマネーロンダリング機関ってことになりませんか?

いったい大臣って、どれだけ~?

2007年08月29日 12時25分51秒 | 政治
毎回疑問に思っていることが大臣交代の引継ぎのニュースです。いつも旧大臣から新大臣に書類ファイルみたいなものを渡して、握手して、カメラにツーショットで写って、それで終わりという感じゃないですか。
そんな映像に、ニュース番組では「今日、○○省で大臣の引継ぎが行われました」と報道していますけど、あれっておかしいと思いませんか?

以前、内閣の話し合いはテレビで観るように、首相の両側に閣僚がコの字形座っている部屋で行われると思っていました。ニュース番組ではいつも「今日の閣議では~」という時に、必ず例の首相をはさんで座る閣僚の映像が使われていたので、てっきりあの部屋が閣議の部屋だと思っていました。
実はそうではなくて、隣の部屋に会議用の部屋があるんですってね。ずいぶん最近になってそのことを知ったのですが、ニュース番組の説明不足によって、長い間誤解していたわけです。

そして大臣の引継ぎのニュースに戻るのですが、本当にあのファイルを渡すだけで業務の引渡しができるのでしょうか? とっても疑問です。
だって、ちょっと大変な仕事のアルバイトの引継ぎだって時間がかかるものだと思うのですよ。それが大臣の仕事なのですから、一日や二日で終わるわけはないでしょう?

事の真相は僕にはわかりませんが、ファイルの受け渡しがただのパフォーマンスだというのはわかります。実際には官僚がこまごま説明するのでしょうか? だとしたら、官僚にとってマズイ事は口にしないでしょうね。
まさか、本当にあのファイルの受け渡しで引継ぎが完了してしまうのでしょうか? それもありえると思えてしまうところが怖いですね。

大臣が高級官僚の人事にも簡単に口を出せない現実を見せつけられると、薄々感じている「大臣って、ただの飾り物じゃないの」という予感が真実味を持ってきます。だから、大臣が代わっても各省庁の体質は変わるわけでもく、厚生労働大臣が舛添要一になっても厚生労働省のどうしようもない体質はそのままでしょう。その例はさんざん見てますものね。
となると、内閣改造というニュースそのものも大事のように報道していますが、実際にはデパートのディスプレーを替えたという程度のニュースヴァリューしかないのでしょうね。