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ニッポン チャチャチャ!!

納得できない事、頭にきた事、不可解な事、民主主義後進国ニッポンの“?”を感情的に綴っていきます。

宮内庁の言う“尊厳”に?

2008年02月24日 12時31分16秒 | 古代史
最初、テレビでそのニュースのリードが読まれたのを耳にした時、思わず仕事の手を止め、続きの本記に見入ってしまいました。それは、宮内庁が研究者に天皇陵の調査を認めたというニースだったのです。
おそらく、ほとんどの人が興味のない話題だと思います。だけど、僕は過去にも何度か書きましたが、この問題には非常にこだわっているのです。

僕がこの問題の存在を知ったのは、たぶん10年近く前に『天皇陵を発掘せよ/三一新書』という本を読んでから。タイトルは過激ですが、決して左翼の人が天皇家の墓を暴けといっているのではなく、日本史究明のためには天皇陵の発掘調査が必要であると研究者が説いている内容でした。
それを頑なに宮内庁が拒んでいるために、おかしな状況も生まれていることも知ったのです。例えば「仁徳天皇陵」。世界最大の墓とも言われ、古墳といえば多くの人がその姿を思い浮かべるのではないでしょうか? ところがこの古墳に葬られているのは仁徳天皇ではないかもしれないのです。
なぜなら、後継の天皇の墓とされている古墳より造成年代が新しいと測定されているから。そこで、「伝(これが大事)仁徳天皇陵」と呼ぶのが正しいとされているのです。

しかし、今回のニュースの本記を聞いてガッカリ。宮内庁が認めたのは発掘調査ではなく、神功皇后量の墳丘の視認調査だけ。今後も、表面だけは見せるけど、内側は見せない方針だそうです。
僕は最近、研究者の本や専門の雑誌などを読んだりしていないので、今回の宮内庁の行動の真意はわかりませんが、どうも研究者に対する“ガス抜き”という側面が強いような気がします。

テレビや新聞では、宮内庁が初めて学会側の要望を受け入れて立ち入り調査が実現したという論調だけで、発掘調査が必要だという声は聞こえてきませんでした。とにかく、日本の国家成立の歴史を明らかにするには天皇陵の発掘は不可欠です。
天皇陵が残っていないのなら仕方ありませんが、歴史究明の素材が存在しているのですからね。それをせずに天皇論は本来語れないはずですし、東アジア外交にも関係する事柄です。とにかく僕は発掘調査を期待しています。

宮内庁の人間がニュースの中で「一番大事なのは尊厳なので、発掘は認めない」と言っていましたが、違う場所をその天皇の墓と認定していることが尊厳を守ることなのでしょうか? 
たとえばエジプトの場合、発掘されることによって古代の王の尊厳は失われたでしょうか? 僕には王の実在が実証され、発掘によって功績も詳らかになり、現在の人々にとって、より親しみと尊敬の念を抱かせる結果になっていると思うのです。同じことは日本でも起こると僕は予想するのですが、どうでしょうか?

小泉首相、1400年前のカリスマを見習え!

2006年03月07日 21時14分00秒 | 古代史
私の趣味のひとつである古代史の本を読んでいて、非常に示唆的な記述を見つけました。これは、前回書いた内容にも通じるし、まさに“温故知新”。これがあるから歴史の本は楽しいんですよ。
それは、あの聖徳太子の「十七条憲法」についての話です。その本によると、それは朝廷の人々の気持ちを一つにまとめて、国政の整備をするために聖徳太子が考えたものだそうです。お手本は古代中国の「礼」。そこには支配層が望ましいとする習慣や制度を書き並べていたものでした。
ところが実際には中国の「礼」の教えは難解なものや形式的なものが多かったので、聖徳太子は日本に合った誰もが守ることのできる教えをまとめたのです。それが「和をもって貴しとなせ」や「嫉妬をするな」といったものだったそうです。
しかし、人間の守るべき教えを並べただけで「法」というのは、現代人からみれば奇妙に思えますが、古代中国の儒家は「道徳」を法の基本にするべきと考えていたのです。そして当時の中国では「礼」と、それを簡単にした「令」という法を重んじ、そのふたつを理解できない者を罰するために「律」という今の刑法にあたるものを“必要悪”として作っていたとその本に書かれていました。
学生時代の歴史の授業は“とても”が付くほど嫌いだったので、はじめて知ったこの記述は私にとってとても新鮮というか“目からウロコ”でした。「これって、今に通じる話じゃない。さすが、聖徳太子!」と感じ入ったのです。
やはり、聖徳太子の志の高さ! 古代中国の知識人はまず「礼」を身につけ、自分自身の身を修めたともその本に書かれていましたが、聖徳太子はそれに習おうとしたわけです。本当に、時空を乗り越え、今の世の中に再登場してほしいと思う人物です。
さらに為政者に道徳(礼)を求めるというのは、1400年前の政治状況も今と同様だったのでしょうか。ただ、決定的に現在と違うのは、1400年前には聖徳太子という志の高いカリスマがいて、為政者に向けて「道徳」を求める法を作ったということです。
「冠位十二階」があった当時、庶民の上に立つ人間には当然の事としてより高い道徳を身につけていることが必要と聖徳太子は考えたのだったのでしょう。ところが今はどうでしょうか。とても「徳」を積んだと感じさせる政治家は見あたりませんよね。それよりも「律」によって罰せられるようは人物ばかりではありませんか。
下がりかけた圧倒的な支持率を、あり得ないチョンボで救われた小泉首相。いつも強権を振りかざすのは結構ですが、もうちょっと1400年前のカリスマの精神を見習ってもらいたいと思うのでした。

紀子さまご懐妊よりも

2006年02月07日 19時27分47秒 | 古代史
今、紀子さまご懐妊のニュースで皇室典範の見直しに影響があると報道されています。私個人としては改憲問題よりはこだわりがなく、少なくとも女性天皇は認めていいのではないかなぁと考えている程度です。
ただ、今、あえて皇室典範を見直すのであれば、そもそも“皇室”とは何かという事を見直す必要があるように思います。つまり、女性天皇・女系天皇を認める、認めないという論議は、皇国史観をこれからも尊重するかどうかという事にもなると思えるからなのです。
つまり、天皇家は過去125代にわたって万世一系の血筋を保ち続けたという事が大前提になっているわけですよね。それが現在、男の継承者がいないからといって皇室の論議をするのではなく、私たち国民が“象徴”と仰いでいる天皇家の本当の姿を見つめ直し、その上で新しい皇室のあり方を考えるのが当然な流れだと思うのです。また、それがない限り、国民の合意というのは生まれないのではないでしょうか?
そこで私が真っ先に提案したいのが“天皇陵の発掘調査”です。とにかく現在の万世一系のスタートの歴史は古事記、日本書紀に拠っているわけですが、その中にある不可解な部分(欠史八代など)は黙殺されて万世一系が語られているのが現状ですよね。もし古事記、日本書紀以外に拠り所がないのであれば仕方ない事ですが、“天皇陵”という当時の歴史を雄弁に語るものが今に残されているわけですよね。そこを調査すれば、不可解とされていた歴史が明らかになってくる部分も多いはずです。
信じられない事に宮内庁が一切、天皇陵の発掘調査を認めていないというのが驚きです。もっといえば、宮内庁は「この天皇の墓は、こっちの可能性もある」として、そこを“参考地”として指定し、そこの調査も認めていないのです。つまり、宮内庁ですら本当の皇室の姿や歴史を理解できていないといえるでしょう。そんな中での皇室論議は本質的なものではなく、上っ面な論議しかできないのは明らかです。
たしかに、自分の家の墓を調査されると言われれば、決して気持ちのいいものではありません。しかし、エジプトでは吉村作治のような外国人にまで発掘調査を認め、自国の歴史を詳らかにしようとしていますよね。実は天皇陵の発掘調査とは、日本国民のアイデンティティの問題にもつながる重大な問題なのです。だって、世界中に自分の国のルーツを追究しない国ってあるでしょうか?
なぜか皇室典範にこだわりだした小泉首相。“天皇陵調査”というアンタッチャブルな事柄にまで手を出す気なのでしょうか? だとすると、古墳ファンの私としては、一気に皇室典範問題はとっても興味のわくことになるのですが…。

私が古代史にこだわる訳

2005年08月24日 03時11分39秒 | 古代史
日本で一番面積の大きな古墳は?と聞かれたら、ほとんどの人が「仁徳天皇陵」と答えるでしょう。これが正解とは言えないのをご存知ですか。正解は「大山古墳」または「伝仁徳天皇稜」なのです。
堺市の百舌鳥にあるあの巨大な古墳の考古学上の表記は「大山古墳」であり、仁徳天皇の墓と証明されていないので「仁徳天皇陵」とは言えないのです。初めてこの問題を知ったとき私は驚きました。そして私が古代史に興味と関心を持った理由のひとつがここにあります。
つまり、日本書紀や古事記の記述から推定しているだけで、発掘調査などをして仁徳天皇の墓として証明されていないので「伝仁徳天皇稜」となるのです。実はそれがここだけの話ではないのをご存知ですか? 奈良県の山の辺の道沿いにある天皇陵など、ほとんどの天皇陵とされている古墳は、実は誰が埋葬されているか分かっていないのです。
それはなぜか? 宮内庁が調査を禁止しているからです。そんな事って信じられますか? たとえばエジプトでは、吉村作治のような外国人に依頼する事までして、自国の歴史をつまびらかにしようとしています。それなのに、この国はそれをシャットアウトしていのるです。皇国史観の戦前ならいざしらず、現在もその姿勢を崩しいないのですよ。
前回に書いた箸墓古墳にしても、孝霊天皇の皇女とされる倭迹迹日百襲姫の墓に指定されているので調査が禁じられているのです。これだけ関西か北九州かと論争になっている邪馬台国の論争にも大きな影響を与える古墳すら調べられないのを不思議に思いませんか?
きっとこの国は、自国のルーツを知る気がないのですね。こんな独立国家ってあるのでしょうか? 天皇陵を調べれば古代史のすべてが分かるとは思いませんが、少なくとも脈々と育んでいった自国の歴史に国民が誇りを持てるようにはなると思うのですが、違うでしょうか?
そして、自国の創生期の歴史すら明らかにしない国の歴史観をどの国が信じるのでしょうか? この問題、また機会があったら続編を書きます。

続・自国のルーツについてもそれかよ!

2005年08月22日 23時58分01秒 | 古代史
前回、私上野の国立科学博物館で行われている特別展「縄文VS弥生」の話題の時、私は勘違いをしていました。弥生時代が考えられていたより早く始まっていたという根拠は、水田で米を作る生活が前10世紀後半に始まっていたという発表がされたという事によるものだったのでした。つまり、弥生時代の終わりは決まっていて、始まりが早くなった可能性が出てきたという事だったのです。この点については深くお詫びします。
「(略)弥生時代の終わりは、倭の女王卑弥呼が葬られたといわれる箸墓古墳が造られるまでなので(略)」という文章に興奮しすぎて私は間違ってしまいました。

今回は、主催者に対する問い合わせの結果について書きます。当日、私の質問内容は「(1)倭イコール卑弥呼」、「(2)卑弥呼の墓イコール箸墓古墳」という記述は、この特別展の導入にある解説としては不適当ではないかというものでした。
後日、読売新聞東京本社の文化事業部から、主催者との話し合いの結果としてのFAXが届きました。それには「(1)については魏志倭人伝の『倭国乱相攻伐歴年 乃共立━女子為王 名日卑弥呼』の表記から特に問題はないと思う」とされ「(2)については、文章の末尾に『といわれている』と書いているので断定ではない」というものでした。
もちろん、これは私の満足できる回答ではありませんでした。そこでFAXの末尾に「さらにご質問、疑問がある際には、ご連絡ください」とあったので、私はさっそく続編の質問状をFAXしました。特別展のサブタイトルが「考古学と人類学もガチンコ対決」と謳っているのに、それはないだろう!という思いの行動でした。改めて私がFAXをしたのが8月6日。しかし、それ以来連絡はありません。
少しでも古代史に興味のある方なら、これはおかしいと思いますよね。私の疑問を整理すると
・魏志倭人伝の倭という国のエリアと卑弥呼の統治していたエリアはイコールなのかという事。特に当時の関西を倭と呼ぶことに疑問があるのです。
・“弥生”というテーマの基準点、つまり、その終焉を箸墓古墳の造成年にしていること。これは箸墓古墳が卑弥呼の墓とするには造成年代がずれるという定説を無視している。
・卑弥呼の死が弥生時代の終焉とすると、娘・壱与との間に時代が変わってしまうことになる。
・卑弥呼が九州ではなく関西の大和にいたことが前提になっている。などです。

これが「考古学と人類学もガチンコ対決」の結果だとすると、次はJAROに訴えたらいいのでしょうか?

自国のルーツについてもそれかよ!

2005年07月31日 20時29分58秒 | 古代史
今日、上野の国立科学博物館で行われている特別展「縄文VS弥生」を観に行ってきました。古代史好きの私にとってはたまらないテーマなのです。なんてったって、よく分かっていないことが多い時代のことだからこそ、そそられるのです。また逆に、こういった一般の人にとっては地味な(?)テーマで国立科学博物館が特別展をやるなんて凄いなと思って出かけてみました。
夏休みの日曜ということもあって、会場はかなりの混雑。私は、さっそく人込みを分け、入口の脇にある最近の歴史観という解説のパネルを読んでみて驚きました。弥生時代が以前考えられていたより、早く始まっていた事が分かったと記されていたのですが、その理由は、倭の女王卑弥呼の墓である箸墓古墳の年代測定によるものであるとされていたのでした。
この解説では、1.卑弥呼が治めていた国の名は倭であるということ。2.その場所は関西の大和地方にあった。3.その墓が箸墓古墳である。4.さらに、時期的にも整合性があるということになります。
私は単なる古代史ファンで、決して研究者や歴史学者ではありませんが、上の4点についてどれも定かになったという本を読んだことがありません。推理立てでそのように書かれている本はありますが、すべてを証明してみせたものを目にしたことも聞いたこともないのです。
あきれた私は、パンフレットの主催を確認しました。そこには、国立科学博物館、国立歴史民俗博物館、読売新聞と並んでいるのです。つまり、国の歴史解釈ととらえていいわけですよね。戦争中の歴史解釈で論議を呼ぶばかりか、この国は自国のルーツ、アイデンティティの部分についてもいいかげんに済ませているんですね。
一応、私はこの疑問を後日、担当者からFAXで回答してもらうことにして帰りました。もちろん、その回答の結果は報告しますが、古墳の問題については、ぜひともまた書きたいと思っています。