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ニッポン チャチャチャ!!

納得できない事、頭にきた事、不可解な事、民主主義後進国ニッポンの“?”を感情的に綴っていきます。

主食を霞に

2011年01月29日 12時10分07秒 | 不思議
20代の半ば頃、僕はある小さなデザイン事務所と仕事をして、それ以降、そこの社長に可愛がられていたことがあります。
その社長はいつもゆったりと構えていて、歩く時は少し出はじめたお腹をゆすらせてのっそりと歩き、ヒゲだらけの顔の真ん中にある目はつり上がっているところを見たことがあれません。「霞を食って生きたい」とよく口にしていましたが、隠れて、すでに霞を食している感じの方でした。

僕がとても印象に残っているのは、仕事がないときの姿。その社長はヒマな時、いつも洋書の写真集などを眺めていたのです。一人しかいない社員のデザイナーも同様に本を開いたりしていて・・・。
「いいんですか~?」
と心配してたずねても
「しょうがないんだよ。仕事は向こうから来るもんなんだよ~」
と、おおらかに応えていたのです。

そして、実際に僕もそれを真実として体験するのは、数年後、フリーになってからすぐの事でした。

当時、プランナー・コピーライター・編集者として独立した僕は、それまでのツテをたどって営業するのですが、すぐに仕事に結びついた事はほとんどありませんでした。それでもぼちぼち仕事が入りだし、程なく、まあなんとかやっていけそうになっていったのです。

それでも、コンスタントに仕事が入ってくるワケではありません。だから「あれ、今月もっと仕事しないと、来月の家賃がヤバいなぁ~」という事もままあったワケです。
しかし、そういう時は必ず新しい仕事の電話が入るんですよね。これはホント不思議。それが何度が続くと、かつてのデザイン事務所の社長の言葉を思い出すんですよ。やっぱり、あの言葉は真実だったんだって。
こうして僕は、ほとんど営業しないフリーランスになってしまったのです。

ところがこの時期にもうひとつ、僕が信じ切っていたことがあります。それはこういう話。
その頃僕はある量販店のPR誌を編集していました。なので、毎回企画を出すのですが、いつも裏付けがないままに提出していたのです。「ヤバいかなぁ~」と思いつつも。
ただ、それが出来たのは、毎回企画が通ると、その企画に参考になる特集を必ずどこかの雑誌がやってくれていたのです。これも不思議でした。本屋を捜せば、必ず「僕の企画書を覗いたんじゃないの?」という見出しを見つけられたのです。

ちょうど、国中のベクトルが同じ方向に向いていたバブル期と重なったという事もあるかもしれません。でも実は、僕はこういうことも経験しています。
2番目の会社を辞める直前、最初の会社の先輩からかかって来た1本の電話。最初の会社を辞めてからはじめてもらった電話で、5年半ぶりの声でした。その先輩も転職していて、そこの会社で手が廻らない仕事を手伝ってくれないかという内容だったです。
僕は「大丈夫ですよ。でも僕は今週いっぱいでこの会社を辞めますけど」と話すと、先輩は「今から会おう!」と電話を切り、久しぶりの対面。そして、その場で「お前、うちの会社へ来い!」と言われ、詳しく聞いてみたら、それはまさに自分が次にやりたいと考えていた仕事内容だったのです。もちろん、僕の3番目の会社はその先輩の会社です。

さらに、フリーランスとして仕事をしていたら、ある時、社員時代に仕事をしていたクライアントの担当者からの電話を受け取りました。これも4、5年ぶりだったでしょうか。その内容は「今度はこちらを手伝ってください」というもの。その方は僕が手がけたテレビ局のPR誌の局側の担当だったのですが、報道へ移動されていたのです。つまり、番組制作スタッフに加われというものでした。こうして、僕は最終的に常勤としてテレビ制作の現場に入ったのでした。
そして、その番組が終了して僕の仕事も打ち切りになった直後、それまでの立替金の清算に向かう途中に携帯が鳴ったのです。相手は7、8年前に仕事で一緒になった方で、その時以来の連絡でした。内容はやはり「今の仕事を手伝ってくれない?」という常勤のお話。僕は「今週からOKになりました!」と答え、路頭に迷わずに済んだのでした。

こういう経験をしてみると、人間は生かされているんだ!という思いを強く持ちます。ただ、だから何もしなくてもいいという事にはならないでしょう。何か、自分でも意識していない、もしくは目に見えない何かを為していると、物事が動くような気がします。
多分、仕事なら仕事をちゃんとこなす事は必要条件、それに何かを重ねた時に動き出すのか・・・。ひょっとすると、これまで自分に関わった方たちが与えてくれた何かを自分の中で醗酵させ、芽生えたものかもしれません。まあ、これがわかれば、霞を食べるだけで生きていける事にもなりますよね。

ちなみに僕は今日、また、新しい未知の扉を開くつもりでいます。

ダライ・ラマを信奉するという事は

2010年12月31日 14時14分39秒 | 不思議
僕にとって、今年の重大事件のひとつがダライ・ラマに会った事です。6月に横浜で行われた講話の集いで、遠~くの席から生ダライ・ラマに遭遇できたのです。存在自体がとても柔和な感じで、田舎の優しいおじいちゃんのお話を聞いているという感覚でした。

で、ダライ・ラマを信奉するという事は、ひとつ向き合わなければならない事柄があります。それは「転生」。
現在のダライ・ラマ14世はダライ・ラマ13世の生まれ変わり、つまり転生した人物と認定されて、はじめてダライ・ラマ14世となっているワケですから・・・。

僕はこの「転生」というものを信じています。もちろん、「ほら!」と証拠を示す事はできませんが、以前にもまして信じています。そして、転生は信じた方がより合理的であるとも思っています。
それは原始キリスト教でも輪廻転生は語られていたというように、かつてはどこでも信じられていたのではないかという側面。そしてもうひとつ、現在の問題の原因もその根源を過去生に求めれて解決できるのであれば、これは素敵な処世術になると思うのです。

先日、ある本を読んでいた時に、ふと気がついた事がありました。亡くなった夫にどうしても聞きたかった事を、妻がイタコのような人物に依頼して訊ねるという場面。「一緒に暮らしている夫婦ですら、本人が知らない相手の思惑ってあるよなぁ~」と感じている時に、今まで経験のない考え方が浮かんできたのです。

実は最近知り合う事になった年長の人物がいるのですが、その人とは無性に相性が悪いのです。これといって会話を交わしている訳ではないのですが、知り合った当初から相手の方は僕をうとましく思っていたようです。そんな感覚から発せられた言葉に、僕も「カチン」と感じる事も度々。思い込みの強い人なので、僕もどうすることもできないでいたのです。
で、僕がふと気がついたのは「ひょっとすると、僕が前世であの人に悪い事をしていた。だから今生で出会った時に、それを無意識に思い出して僕に辛く当たっているのでは?」ということ。そんな風に他人の行動の源泉を考えた事はありませんでした。もちろん、これが本当かどうかは誰にもわかりません。
でも、不思議ですよね。一旦、「過去世の自分が悪いんだ」と思うと、自分の中のわだかまりが、ふっと消えるんですね。

ホント、自分が楽になります。

僕が生きている間に、輪廻転生が証明されることはないでしょう。だけど、こういう誰も傷つかずに問題解決ができる手法として活用するやり方は、もっと一般的になっていいと思います。ただし、良い専門家を見つけるのが課題ですが。
ひょっとすると市川海老蔵の事件もあれだけ泥仕合になるっていうのも、意外と前世からの因縁だったりするのでは? もしそうだとわかれば、お互いの気持の昂りだけは少し修まると思うのですが・・・。

絶妙なタイミング

2007年12月16日 12時45分02秒 | 不思議
最初、タイトルを「素敵なタイミング」にしようと思ったのですが、やはり“素敵”ではない。“絶妙”だと思い直して変更しました。
なぜなら、“素敵”だと偶然の出来事に対する感想の言葉という感じですが、“絶妙”にすれば、その出来事をひき起こした主体のセンスというか気配りも感じられる印象になると思ったからです。

僕は以前からそうなのですが、「本」との出逢いを大切にしています。大袈裟に言えば一期一会という感覚。書店の店頭で「ピピッ!」と感じた本は、今後、もう逢えないかもしれないと思って、お金が許す限り買うようにしています。
かといって、そんな本をすぐに読むかというとそうではなく、そのままにしておく事もかなりあるのです。また、買ってすぐに読み始めても、気が乗らないと未読本専用本棚に戻すこともあります。
結局、本には出逢うタイミングがあって、その次に読むべきタイミングがあると感じています。だから、未読本専用本棚に数年置いてあった本をふと手にとって、一気に読みきってしまうことも多いのです。そんな時は、僕の方がその本を読むための機が熟した結果なんだと考えています。僕は本との間にはそんな関係性があると常々感じているのです。

先日は、何気なく既読本用本棚を眺めていたら、ある本が僕を呼んでいました。そうでなければその本が“輝いて”いたのです。読んだ記憶はあるけど、内容をほとんど覚えていないその文庫本…。
「何かある」と感じ、すぐに読み返してみました。読み始めると、たしかに読んだ記憶は蘇るのです。ところが、忘れていました。一番重要な部分を。それはまさに、今の自分にとても必要な内容だったのです。
ワケがあるので、この顛末は後日いつか報告することになると思います。

ただ、本に限らず、様々な物事には出逢うべきタイミングというものがあるよな気がしています。例えば、なかなか会えずに会いたいと思っていた人間に偶然会ったら同じ悩みを抱えていて、益々親交が深まったとか、物事を決めかねていた時に決断するしかない事柄がやってくるとか。
とにかく、人や物事などとの出逢いには、とても絶妙なタイミングが用意されていると僕は感じているのです。そんなことは感じませんか? 今日でなければ会えなかった。なんてタイミングがいいのだろう。今だからこそ聞けた話だ。というようなことは経験していませんか?

どうしても、僕はそのタイミングを“絶妙に、本当に絶妙にコントロールしている存在”がいるような気がしてなりません。

昨晩、この内容を書こうと決めていて、mixiのあるマイミクさんの日記を読んで「やはり!」と感じました。そのマイミクさんとの出逢いもとても絶妙だったのですが、その彼女の日記にはこう書かれていました。

『一瞬の狂いなく、出逢うべき人と出会う。』

こうして僕は、「偶然はない、それはすべて必然なのだ」と信じるのでした。

絶対に大丈夫ということ

2007年09月27日 12時20分51秒 | 不思議
僕がフリーになった当初、あるデザインスタジオの社長が僕をよく仕事に使ってくれました。その社長がとてもおおらかな人で、常に大声をだしたり、慌てたりすることがないような方でした。
そんな社長ですから、仕事がなくてヒマなときは悠然と社内にある写真集や本を開いて読んでいるだけ。心配する社員も「いつもああなんだよね」と黙認し、社長自身は「仕事は来るときには来るんだから、心配したってしょうがないじゃない」と笑顔で話していました。

その後、その社長の心境は自分自身でも経験することができました。たしかに、「仕事は向こうから来る、あたふたしても意味がない」と感じるようになったのです。
仕事がなくなったからと営業活動してもそれほど効果がなく、気にせず放っておくと突然、仕事依頼の電話が鳴るということを度々経験し、先の社長の言動を理解できたのです。バブル前夜という時代背景もありましたが、このことは現在でも僕は信じています

こんな話を今回書くのは、先日、またまた映画『地球交響曲』の監督、龍村仁監督の対談で話を聴いてきたからなのです。翻訳家の上野圭一氏との対談だったのですが、こんな話が印象に残りました。
それは「物事が上手くいかないときは、自分の動機の中に不純なものが含まれていないかを見つめ直してみる。」という事。つまり動機が純粋であれば物事は成功すると語っていたのです。

最初は本人も半信半疑だったそうです。ところが、ロケである野生の象をアフリカにたずねに行って、四国ほどの広さの中から見事その象に出会えた時に自分の想いが通じたんだと理解したそうです。
その後、冬にはほとんど姿を見せないというシャチのある家族を撮影に行ったときの話。龍村さんは船に乗る時、カメラマンに「絶対に撮れるはずだからカメラは仕舞うな」と指示したそうです。するとしばらくすると本当にシャチの集団が船の脇に現れ、それは何と会いたかったシャチの家族だったというのです。

今回の対談では動物に想いは通じるという話が中心でしたが、龍村さんの話しぶりから、何事においても“動機が純粋であれば願いはかなう”、“奇跡は起こせる”と感じたのです。
僕の仕事の話も偶然かもしれません。でも誰でも“偶然のような奇跡”をたびたび経験しているはずです。ひょっとすると奇跡のようなことって、意外に簡単に起こせるんだと感じませんか? 「絶対に大丈夫!」と自分に言い聞かせて臨んだ事柄って、必ず結果オーライになりませんか?

『奈良で考えた Vol6』 すべては、つながっている

2007年09月24日 16時31分41秒 | 不思議
今回の奈良の旅で感じたのは、「すべては、つながっている」ということ。本人が意識しないうちに、“必然”というレールの上を走っているという感覚を味わいました。

まず、今回の旅行のきっかけは映画『地球交響曲』に出演していた佐藤初女さんの講演会が吉野であることを知ったことから始まりました。このついでに去年は行けなかった「命の洗濯」に行こうと決心したのです。
実は、あっさり決心したのではなく結構悩んでいました。ところが、知り合いのアドバイスと直前に観た『地球交響曲』第六番に出演していた女性ピアニストが、川のせせらぎに自分の音楽のルーツを感じるという話を聴いた時に、僕の頭の中には天川村の川の流れの音が響いてました。

すると、一気にすべてが連携してるように動き出したのです。吉野の宿は安い宿があっさり取れて、その場所は3年前に時間がなくて諦めた後醍醐天皇稜のそば。結局、念願の後醍醐天皇稜と金峯神社にも参拝することができました。
天川の宿の予約はトラブルが発生。定宿のお婆ちゃんの認知症が悪く、民宿を休んでいるとのこと。それを知ったのならば、お花でも買って必ず天川村に行って顔を出さねばと心に誓ったのでした。

そして奈良に入った初日は、雨が降ったり止んだりだったのですが、大事な場所では降られずに大好きな山の辺の道を歩けて大好きな古墳を満喫。2日目の佐藤初女さんの講演会は予想以上の素晴らしさで、心に響くものでした。
それとは別に驚いたのは講演会の会場の目の前が花屋さんだったこと。どこで民宿のお婆ちゃんに花を買うか思案していたのですが、ちょっと信じられない偶然でした。さらに初女さんの講演会も予定より早く終わったので、僕は会場に来る途中で見つけたスーパーで食料を買う時間ができ、無事に食事無しの宿に向かうことができたのです。

3日目は雨の予報だったのがまるで外れ、ゆっくり天川村をトレッキングすることができました。で、出かけに寄った定宿だった民宿では、お婆ちゃんは元気に玄関まで出で来てくれて、僕の大好きな笑顔で僕の持っていった花を嬉しそうに受け取ってくれたのでした。これには安心!
たしかに天川村では嫌な想いもさせられたのですが、これも僕にとってひとつの区切りをつけてくれたと思っています。それらによって、僕の「命の洗濯」の場所を他にする決心をつけてくれたのです。

そもそもが天河大弁財天社に貼ってあったポスターで知った映画『地球交響曲』。実は映画の監督自身も天河大弁財天社で映画の最初のイメージが生まれたと言います。これも不思議なつながりですよね。
実は22日、『地球交響曲』の監督、龍村仁氏の講演会に築地へ行ってきました。ちょうどこんな時期にあるのも偶然なのですが、ギリギリに予約が取れたのです。
『自然とのつながりを見つめる』という会で話していたのは、主に目に見えないものの不思議についてでした。そんな中、「人の心の状態は何らかのエネルギーを発している」とも語っていました。

なるほど! 今回、僕も悩んだ末に奈良に行く決心をしたから、動機が純粋だったのですべてが上手くいくように動いたんだと考えるようにしました。
“偶然”と言ってしまえばそれまでですが、“必然”ととらえた方が将来に望が持てると感じるからです。
目に見えないものの世界…、もっと追究したいと思っています。

目黒線の呪縛が途切れたときに Part2

2005年12月03日 23時15分55秒 | 不思議
かなり以前に、私がこのプログで東急目黒線の呪縛の事を書いたのをご存知の方は、いらっしゃいますでしょうか? それは、私の利用する駅に行き、ホームに降りると必ず1番線の武蔵小杉方面の電車が必ず先に来るという話です。
たまに、ほぼ同時というのは数回ありましたが、その後の約4ヵ月、奇妙な現象は、それ以降もずーっと続いていたのです! そこで当然、私はその日が来る事を恐れるようになっていました。もちろん2番線が先に到着する日をです。
そして、遂にその日が来てしまったのです。それも二日連続! それは一昨日の事、歯医者に向かうため、私はホームで電車を待っていました。すると「2番線に電車が来まーす」のアナウンス。1番線にアナウンスもなく、明らかに連続していた現象が途切れてしまった瞬間です。
その後、私は嫌~な気持ちで歯医者の椅子に座りました。その日は義歯の調整の予定だったのですが、私が「実は2、3日前に前の差し歯が取れてしまったんです」と言うと、先生は先にそっちの治療に取りかかりました。そして「差し歯の元の部分にヒビが入ってるようなので、ひょっとすると残っている歯を抜かなければならないかもしれないですね」との冷たい宣告。さらに、そのせいで歯茎に膿が溜まっているので、翌日は歯茎を切る手術をするからお酒は控えろ! という二重のショック。 
私は、やはりあのジンクスは当たるのだと確信する事ができました。
そして翌日、歯医者に行く前にメールを開いてみたら、とってもとってもとってーもショックなメールが入っていたのでした。そのせいでモウロウ状態のまま駅に行くと、またもや2番線の電車が先にホームに入ってくるのです。
その時、私はいたずら好きな神様の存在を確信しました。最新の物理学の世界では「ギャンブル好きな神様」が話題なっているそうですが、武蔵小屋の駅には、間違いなくそうやって楽しんでいる神様がいるはずです。
しかし、神様の名誉のために言っておくと、目黒線とは関係のないところでは、いい事もあるのです。オセアニアのドルが動いて儲かったり、まったく予想外の楽しいお誘いがあったりと…。
結局、やはり私たちは神様の手のひらの上で動いているだけなのでしょうか?

何か、大きな流れがある予感

2005年11月14日 21時51分24秒 | 不思議
今回は、極端に感覚的な話です。多分にネタ切れという理由もあるのですが、ここ最近、私の頭の中で大きなウェイトを占めている事なので書いてみます。
この一週間で東京はずいぶん寒くなり、コートや暖房が必要になり「季節が変わったなぁー」と感じています。そして、それと同時に人と人の間にある何か空気なのか見えない回線なのか、そんなものも衣替えしたように感じるのです。
一番最初に感じた詳細は、極めてプライベートな事なのでここには書く事が出来ませんが、ある人物と私の間の関係性が変化したように感じたのです。それと呼応するようにその人物の周囲の人間関係も動き出しているのです。これは、単純にその相手と私との関係性の変化なんだと考えていたのですが、どうもそれとは別に、世の中にそういった関係性の変化の大きな流れが起きているように感じているのです。
私の考えでは、人間はみな見えないもので繋がっているように信じているのです。だから「今、電話しようと考えてたんだよ」という相手から電話がかってきたりした経験はありませんか? それは現代の科学では説明できない事なんでしょうけど、私は信じています。
それと同じように、示し合わせたわけではないのに、結果的に皆が同じような行動する事を経験した事がありませんか? 例えば去年の3月、私の周りでは人生の転機という人が相次いでいたのです。仕事を変わるという人が多かったのですが、それ以外にも仕事を辞めて家庭に入るという女の子とか、私もその時にはずっと続けていた仕事を辞める事になり「何か大きな流れがあるんだなぁ」と感じていました。
そして今回、どうも一週間前あたりから色々な人との間において、今までと違う何かが生まれたり、何かが変わったりしていると気が付いたのです。それがいい事なのか悪い事なのかは、もちろん分かりません。しかし、きっと何か意味があることだと思って、人間関係は慎重にならないといけないと思っているの今日この頃です。
ひょっとて、同じように感じている人っているのでしょうか? もし、いたら楽しいと思うのですが…。

2005年8月30日の悟り

2005年08月30日 11時55分02秒 | 不思議
どうも、今回の話は具体的にならずに抽象的な話になりそうなので、最初に謝っておきます。
それは「自分を守る」という事って、意識してみると結構難しい事なんだなぁと思ったことから始まります。一言で「自分を守る」といっても色々なケースがありますよね。電車や飛行機に乗っても事故に遭わないようにとか、アイデンティティやプライドなんかを大切にするというのも自分を守ることですし、自分からは積極的に何かをしたわけではないのに被害に遭う地震や泥棒・ストーカー等から自分を守るということなんかが考えられます。
これが「企業を守る」という事になると、最近話題の敵対的買収に対する防衛策の実施や、いわゆる「看板」を守る企業努力など、組織的に、それも自発的に対応する事ができますよね。
これが個人の問題となると、なす術が無いんじゃないかと気がついたのです。当たり前の話だと言われる方も多いと思いますが、私にはちょっとショックでした。個人の場合は、ほとんどのケースで、一度被害に遭ってからの対応策しかないんだという現実に気がついたのです。
つまり、飛行機に乗る前に入る保険にはじまり、個人のアイデンティティやプライドなんかは簡単に踏みにじられますが、結局は人権擁護団体などに事後に救済してもらうしかないですよね。同様に地震や泥棒・ストーカーも、公共機関が事前に警戒の情報を出す事ができても、警察などが事前に全家庭を回って警備するっていうのも別の問題が出てきて怖いですし、実際には無理ですよね。
しかし、個人が一度被害に遭うということは、大体の場合において取り返しのつかない損失を被ることになるケースがほとんどでしょう。つまり、命を落すとか、全財産をなくすとか…。こうして私は人間のはかなさに気が付いてしまったのです。

うーむ。これって、本当に“運命”もしくは“神様のお計らい”に任せるしかないって事になるんでよね。そうするとそこでの個人差(?)って一体何なのでしょうか?

それは留守番電話から始まった

2005年08月16日 00時24分47秒 | 不思議
確か始まりは、住まい用の留守番電話だったような気がします。何かというと、ここ最近の我が家の故障者リストです。
事務所兼住まいとなっている我が家は、仕事用と住まい用と電話はふたつあります。ただ最近、電話というとほとんど携帯で済まし、有線電話のベルが鳴って出るとほぼ100パーセント電話セールスという現状。よって、住まい用電話の故障は無視していました。
そして次がA4のモノクロプリンター。これは仕事でかなり酷使したので寿命かなと思って諦めました。ここまでが確か今年の寒い時期だったような気がします。
次がデスクトップのMac。画面がユラユラ揺れて消えてしまいそうになるのです。これはメインに使っているマシンなのですぐに修理に出しました。だけど無償修理。
そしてWindowsのノート。こちらはキーボードが正しく作動しないのです。これはマニュアルを熟読し、自ら復旧させることができました。ここまでが春の話。
さらに次はCDライター。書き込み側のメディアを認識しなくなったのです。修理代の見積りが約9000円という微妙な金額だったのですが、結局修理をしました。これは、発送からわずか数日で修理UPという早業だったのですが、その後、のっぴきならない理由でDVDライターを買うことになってしまったのです。つまり、9000円はムダ!! 
さらにさらに、今度はコンパクトデジカメ。過去3回経験している電池を入れてもまったく反応しないという故障です。これは保障期間なので無償修理。ここまでが7月の話。
そして8月。それもすべてここ2、3日の出来事です。まず、先週末からコンパクトデジカメのストロボが光らないのです。先月末修理から上がってきたばかりなのですが、今度は新しい困らせ方をしたいみたいなのです。
そして昨日はデスクトップのMac。こちらも新しい駄々をこねだしたのです。販売店の保障期間はあと一ヵ月半。早く対応しないと完全OUTになりそうです。
そして今日、今度はデジカムが壊れてしまったのです。白の色が全然違う色になったり、ノイズが出たり。作品制作中なので大変困ってます。
私は、かなりへこんでいます。なぜなら、先週はその上、部分入れ歯も無くしてしまっていたのです。
なぜ、こんな事が続くのだ!? 目黒線は、相変わらず1番線の武蔵小杉方面が先に来てるのになぁ~。

目黒線の呪縛が途切れたときに

2005年08月11日 14時04分43秒 | 不思議
私がここ数年、不思議に思っていたことがあります。それは何かというと、私はいつも東急目黒線(旧目蒲線)のある駅を使っています。その駅はひとつのホームの両側に1番線は武蔵小杉方面行き、2番線には目黒方面行きとなっているのですが、そこには信じられない、まさにアンビリーバボーな呪縛があったのです。
それは、私がホームに下りて電車を待っていると、必ず1番線の武蔵小杉方面行きが先にやってくるのです。それに気がついたのが2、3年前。ウソかと思うかもしれませんが本当にホントです。それを証明できないのが残念ですが、途中から、電車は必ず武蔵小杉方面が先に来るものだと信じるようになっていました。
私は自由業ですので、電車通勤のサラリーマンのように同じような時間に駅に行くわけでなく、いつもバラバラの時間に駅を利用しているのです。それなのに、ホームに着くと必ず「1番線、武蔵小杉方面の電車がやってきま~す」のアナウンスが先に流れるのです。それは、私が目黒方面に出るときも、武蔵小杉方面に出るときもその怪奇現象(?)はずっと続いていました。
ところ昨日、遂に目黒方面行きが先にやってきたのです。当然私は嫌な予感がしましたが、その電車に乗って最近通い始めた麻布十番の病院へ向かいました。そして、嫌な予感は見事に的中したのです。
その日は、前回受けたMRI検査の結果を聞くために行ったのですが、医者は検査の理由となった頭痛についは何も触れず、かつて経験した軽い梗塞の痕跡が残っていると指摘するのです。「以前の病院では、まったく跡が残ってないと言われたのに!」と私は心の中で叫んだのですが、「やはり、以前の病院はヤブだったんだ!」と理解しつつ、当然私はへこみました。