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ニッポン チャチャチャ!!

納得できない事、頭にきた事、不可解な事、民主主義後進国ニッポンの“?”を感情的に綴っていきます。

本性を現したか院外処方

2007年12月28日 22時16分17秒 | 生活
昨日、70日ぶりの定期検診に行ってきました。「まあ、こんな状況なら問題ないでしょう」と医者に言われて安心し、いつもの処方箋を出してもらい病院を後にしました。
そして、ちょっと悩んだのですが、僕は駅までの帰り道の途中に唯一ある、前回頭にきた薬局に行くことにしました。

ちなみに、前回の顛末は↓こちら
『やっぱりおかしい院外処方』

その薬局に入ると前回僕が怒ったオバちゃんの姿はないので、受付に病院からもらった処方箋を出し、「座ってしばらくお待ちください」と言われるまま椅子に腰掛けて待つ事に…。
僕はぼうっと、薬局の中を眺めていました。カウンターには僕の処方箋を受け取った男性が一人。ガラスで隔たれた薬を袋に詰めている部屋には男性一人に女性一人で、総勢で三人という体制でした。(ひょっとすると例のオバちゃんは昼休みだったのかも?)

その薬局、広いスペースに客は僕だけ。他の客は途中に処方箋を店の男性に渡し「30分ほどしたら戻ってきますから」と出ていった女性だけなのです。
このスペースの家賃に従業員の人件費、そして膨大と思われる薬の仕入れ代金。こうまでして院外処方薬局は儲かるのだろうかと僕は漠然と考えていました。
以前、院内処方していた時は、薬剤師5、6人でその病院の全部の薬を処方していたことを考えると、とても人件費の無駄が多いと思うのです。さらに、薬の仕入れ量の違いは当然価格にもはねかえってくるはずです。

そんなことを考えていたら僕の名前が呼ばれ、薬が用意できましたと告げられました。カウンターに行くと女性の薬剤師(?)が自分の名札を示し、薬の説明をはじめるので、僕は適当に聞いていました。
ただ、カウンターの上に置いてある僕の薬の横に、何かの料金表のようなものがあるので気になっていたのです。

そうして、一通りの薬の説明が終わると、その薬剤師と思われる女性が「もし、新しい副作用などが発見されたときに、すぐに連絡するシステムがあります。それは有料なのですが」と言って、僕が気になっていた料金表を持ち出すのです。
すかさず僕は「ずっと飲みつづけている薬なので、結構です」と断わり、薬だけをもらって店を出ました。

が、後で考えて「これって、おかしくないか?」と思ったのです。
まず、金を払わないと新たな副作用の情報は教えてくれないのかという事です。これでは薬害肝炎と同じではないでしょうか。つまり、知っているのに被害者に情報を教えてくれないという事ですよね。
次に、その新たな副作用の情報をどこから仕入れるのでしょうか? 製薬メーカーなのでしょうか? 厚生労働省なのでしょうか? 製薬メーカーだとしたら、副作用という社会的に重要な情報を有料でないと配布しないというのは、企業倫理として許せません。もし厚生労働省だとしたら、同様に公的機関としての存在理由を放棄したといえるでしょう。

それだけではありません。薬によっては服用を止めたら、その後に適切な処理が必要な薬もあります。その場合、院外処方薬局はどういう対応をしてくれるのでしょうか? 例えば、処方箋を出した医者との間に立ち、問題の発見された薬を服用しているすべての患者の対応をすぐさま提案してくれるのでしょうか? とてもそんなことは考えられません。
結局、患者に連絡するだけのような気がします。もちろん、これは推測の話ですがね。

こんなヘンなサービスを考えないと経営は成り立たないのではないかと考える院外処方薬局。この制度によって、薬代はただでさえ割高になったのに、今後はさらに料金を上げる理由をつけてくるでしょう。
いったい、どうしてこんなおかしな制度を導入したのでしょうか? もう、厚生労働省の悪業いついて書くのは本当に虚しいだけです。そう思うと、川田議員は偉い!

大切なクリスマスカード

2007年12月26日 21時30分27秒 | 自分の事
クリスマスイブの日に届いた一通のクリスマスカード。毎年、我が家には一通だけクリスマスカードが送られてくるのです。
差出人は僕の恩師にあたる人物。僕が23歳から28歳まで勤めいていた会社の社長のご主人なのです。その会社の社長は奥さんの方で、ご主人はたまに会社に現れる“凄いデザイナー”という印象でした。

その会社は最大時でも社員が全員で7、8人という小さなデザインスタジオでした。最初に就職した会社を僅か一年で辞めた僕は、その会社で実に多くの事を学んだという記憶があります。
また、社長夫婦には子供がいなかったこともあり、僕をまるで息子のようにかわいがってくれました。仕事を離れても、本当に僕を見守ってくれていたと今になって思い出します。ですから、社長夫婦は僕としては第二の両親という感覚もあるのですが、“恩師”として心の中にとどめさせてもらっているのです。

実はその社長、僕が会社を辞めてから2、3年後に突然倒れ、そのまま還らぬ人となってしまったのです。
それでも、途中途切れた期間はあるのですが、毎年社長の命日の月でもあり、誕生月でもある6月に当時の社員が集まって、ご主人を囲む会を開いているのです。

実際には連絡係なのですが、ここ数年は僕がその会の幹事を務めています。それに対して、いつもいつも何度も何度も「ありがとうね」と関西訛りで僕に声をかけてくれる恩師。
クリスマスカードも「元気ですか?」の後には「いつもありがとう!」の言葉。気がついたら、恩師は常に感謝の気持ちを表現する生き方を実践しているのだと思い至りました。それも本当に心をこめて…。

とても心の奥に届く手紙です。そして最後に「良い年を迎え下さい」とくると、とても自然な流れという印象です。いつもそんな心遣いが感じられるので、このクリスマスカードは僕にとっては誇らしいものでもあるのです。


これが年賀状だとそうはいきませんよね。僕は自分が筆無精ということもあり、年賀状は苦手でした。さすがに最近は最低限の枚数は出すようにしてはいますが。
とにかく、まだ年内に顔を逢わせそうな人に「去年はお世話になりました。今年もよろしく」と書かなければいけない不自然さも嫌でしたし、「出さなければいけない」というような世間の強迫観念みたいなものも嫌でした。

郵政も民営化になったのですから、その辺りのサービスを真っ先に改善してほしいでいすね。「元旦に届くには12月25日までに投函」というシステムが“異常”だと認識する感覚をもってほしいものだと思います。
あと、僕のように元旦に年賀状を投函する場合も、翌日に届くようにしてほしいですね。年々正月らしさがすぐになくなるので、5日や6日に届いても間抜けな感じですよね。でも、元旦に投函するのが年賀状の本来の姿のはずだと思うのです。

続々・男の弱さとキリスト教と

2007年12月25日 13時24分15秒 | 自分の事
今回も曽野綾子の『神さま、それをお望みですか』の感想です。今回は曽野綾子の宗教観やキリスト教について書いてみたいと思います。

彼女の「海外邦人宣教者活動援助後援会」は、最初に支援先をカトリックの神父と修道女に限ったそうです。それは曽野綾子自身がカトリック信者というのがきっかけだったのでしょうが、実際には家庭を持たない聖職者が援助金を遣い込む事がないと考え、彼らを金のお目付け役に利用したというのです。
この発想自体が合理的であり的確だと思うのです。逆に言うと、そのぐらいの注意をはらわないと善意をそのまま海外に送ることの難しさを熟知していたということでしょう。やはり「さすが!」と感じさせます。

しかし、この本を読んで驚いた事は、とにかく日本人のシスターや神父が世界中の貧困地域のいたるところにいるという事でした。アフリカだろうが南米だろうが、名前も聞いた事がなく、間違いなく観光ガイドにも出ていないような地域で、一生懸命にその土地のために働いているのです。
そんな中でもシスターたちの逞しさには敬服しました。特に医療の現場で働くシスターたちは「生かすか」、「諦めるか」の判断を瞬時に行い、決して情緒に流されず与えられた環境の中でベストをつくす姿…。
それに対して、どうも神父というのは地域の人たちの尊敬の対象にはなっていると書かれても、現場できびきび働くという書かれ方をされた神父はいたのかどうか? こんなところでも男の弱さを感じてしまいました。

ところで「神が常に相手の中におられるという思想は、人とケンカするときに困る。神にケンカを売ることになるから」という“神をも怖れぬ?”曽野綾子の宗教観がなかなかです。
自身の目の手術が上手くいったときには、「私は生涯に初めて、もしかしたら神に自分の名前を記憶されているかもしれない、と思うようになった」と神妙になり。それでいながら、「カトリック的な発想なので、将来を心配しない」という宗教観の使い分けなのか? 単純に本人の逞しさなのか? いずれにしても、僕の中でキリスト教がちょっと気になりだしたのは確かです。

さらに、「すべてのシナリオは神が書いたものである」とも書いています。この理解があれば、困難に立ち向かうことになっても「(もし、神がお望みなのでしたら)仰せの通りになりますように」と発想できるようになれると言いたいのでしょう。それがこの本のタイトルにも現れていると理解しました。
ただ、そういった事を「神に流された記憶」と表現する曽野綾子のセンスに僕は完全にシビレてしまいました。
そして、「天の下の出来事にはすべて定められた時がある」という旧約聖書の言葉を信じて行動を決断すると知り、僕の想いはさらに強くなるのです。

この年齢になって、この本に出逢えたこと。それ自体が絶妙なタイミングだと感じていますし、この本を読み終わった日がちょうどクリスマスイブだったというのも偶然だとは思えません。
こうして僕の中の“曽野綾子熱”、しばらく続きそうだと予感しているのです。

続・男の弱さとキリスト教と

2007年12月24日 23時46分15秒 | 自分の事
すでに曽野綾子の『神さま、それをお望みですか』を読まれている方には恐縮なのですが、今回もその本について僕が感じた事を書きます。

この本で、真っ先に僕は曽野綾子のルール作りというか、けじめのつけ方にシビれました。それこそが曽野綾子のまわりに有能な人が集まり、「海外邦人宣教者活動援助後援会」が機能し続けた原因だと感じたのです。
まず、「人を助けるというようないい事は、一人の人間が独り占めしてはいけない」という原点。そして、集まったお金をすべて有効に注ぎ込むという目標を立て、そのために職員へ経費を一切計上させないことを納得させた情熱。すべてが“素敵”もしくは“的確”だと感じるのです。

「お金を送った人は、そのお金が職員が飲むお茶のガス代やニュースの印刷代になることを望んでいない」という認識は当たり前かもしれませんが、すべてをボランティア(あるいは持ち出し)で25年間も出来るものではないと思うのです。いくら“いい事=楽しい事”の活動であっても…。
さらに、募金した人の信仰はバラバラなのだから、信仰を目的とした援助要請は除外して、支援の目的を基本的に医療や教育に絞ったという着眼点などなど。まさに大事なお金を出す人の気持ちをも思いやった活動だったのだと理解できました。

そんな精神が基本にあるら、「海外邦人宣教者活動援助後援会」へ寄付する人たちの話もとても素晴らしいものばかりなのです。
とにかくいい話しが多いのですが、その中のひとつ…。あまりに大きな金額の振込みがあったので調べてみたら、それは寄付した人の母親が孫のためにと渡してくれた金だったのです。しかし「そんな金額は必要ないのでそっくり寄付した。その理由は、もし母が死んだら、自分の知らない間にこんないい事をしたとあの世で知らせられて驚かせたい」というものだったのです。そんな洒落たバックスストーリーが支援者側にもあふれていました。

しかし、「あまりに立派な話ばかりだと、私たちは疲れてしまって立つ瀬がない」とかわす曽野綾子のバランス感覚。まさに男には真似できない「人生の達人」と僕が感じる所以です。
そもそも、男は不幸な出来事などの試練を経験してからでないと全体的な判断ができない生き物だと感じています。しかし、女性は日常生活の中から合理的な判断をする精神を養えるのでしょう。そんなことを益々強く感じさせてくれるのが曽野綾子でした。

また、往々にして寄付の理由は“肉親の死”が関係していることが多いのです。そこでこの本の最後には、妻を交通事故で亡くしたある夫を例にあげています。
それによると、「妻の死という出来事によって彼は“愛”を知ったのだとしたら、それは何という過酷な教育だったのかもしれない。しかし、残されて悲しみに耐える人は、私の大好きなギリシャ語のアレーテー(勇気や男らしさ)の意味を知ることになるだろう」とあるのです。
つまり、男とは何がしかの困難な“通過儀礼”を経て、初めて男らしくなれるという事なのだと読んだのですが、考え過ぎでしょうか?

と書いてみて、まだまだ書き足りません。なので、次回もこの続きにする事にさせてもらいます。

男の弱さとキリスト教と

2007年12月24日 00時55分26秒 | 自分の事
とんでもない本に出会ってしまいました。感動した以上に、経験のない衝撃を受けたというのが正しいと思っています。それはその本の内容ももちろん、その著者、そして多くの登場人物と黒幕にも…。
BOOK OFFでわずが105円で買った本なのですが、“お買い得”という言葉では表せないほどの超特大の“ラッキー”でした。

で、その本のタイトルは『神さま、それをお望みですか』というもの。以前にも書いた曽野綾子の著作です。
サブタイトルが『或る民間援助組織の二十五年間』とされているように、著者が中心となって海外に資金や物資を送った「海外邦人宣教者活動援助後援会」が支援した施設などを、曽野綾子がひとつひとつ訪れた調査報告といった体裁になっていました。

今から10年以上に書かれた本なのですが、内容はとにかく僕の知らない事だらけでした。
まず驚いたのが援助先の多さと、それぞれの土地での信じられないほどの劣悪な状況です。アフリカは名前すら聞いた事のない国ばかりで、南米、中央アジア、韓国など、実際に自分たちの支援がちゃんと機能しているのかを精力的にまわって調査していくのですが、行く先々の状況が「酷い」のひとことなのです。

宿に石鹸がないなどは当たり前。そんな町から、さらに車で道なき道を10時間走りつづけ辿り着いた目的地。そういった地域での生活環境は想像を絶していました。
同様の内容の記事などを読んだりしていたつもりなのですが、おそらく僕は男性が書いたものしか読んでいなかった気になりました。そこに暮らしている人たちの中にすっと入っていく姿勢、そこでの曽野綾子の視線の的確さ。絶望的な状況を大袈裟に伝えるのではなく、それぞれの土地で捉えられている状況そのままが書かれているのです。

例えば、育つ見込みのない赤ん坊にはミルクを飲ませないというあるアフリカの地域の実情に、「アフリカの掟には日本のような感情の入り込む余裕がない。育つ子に大事なミルクは飲ませるだ」と理解する。また、「貧困は自分が貧困にならない限り、けっしてわかるものではなく、かつ発言する権利さえもない」と自らを律する判断。
どうしても原理原則論や悪者探しに陥りやすい男性の報告とは違い、しっかり目の前の出来事をそのまま観察し分析しているのです。それは、荒んだ生活の若者たちに「豊かな暮らしの体験というものがないから、心の栄養失調になる」というような見方にも現れています。

はじめて曽野綾子の本を読んだとき、この生き方は男には真似できるものではないと感じていました。この本を読んで、さらに彼女の活動姿勢や物の見方と現実的な判断など、普通の男にはとうていできないという思いを改めて強めました。

と、ここまで書いても、この本と曽野綾子に対する僕の感想はまだまだ語り尽くせません。なので、この続きは次回にも書かせてもらいます。

ベテランの「プロ」が必要だ!

2007年12月20日 20時22分33秒 | 社会問題
またまた行ってきました、森達也の講演会。今回は早稲田大学の大隈講堂でした。
『ドキュメンタリーは嘘をつく』という森氏の著作名をそのままタイトルにもってきた講演会は、最初に『放送禁止歌』というかつてフジテレビのNONFIXで放送した作品を流し、その後に森氏の講演という構成でした。

客の質が高かったのか、いつも以上に茶化すことなく真摯に話し、応えていた森氏。今回はテレビの作り手の意識の変化に触れた部分に僕は反応しましまた。
それは、過去のヤラセについて、「自分の知ったことを表現するためにヤラセをやったので、自分を裏切ってはいなかった。だから許せる」と評し、「ところが、あるあるの納豆問題は自分を裏切った。最低限のルールが守れない今のテレビの危機的状況を示している」という認識にとても賛同しました。

どこからがヤラセという問題ではなく、テレビの作り手のモラルの低下という森氏の観点でしたが、それはテレビに限らないと僕は感じているのです。
テレビ自体について言えば、僕が報道番組にいたころ、スタッフ全員が共有していた“プライド”のようなモノが完全にどこかに失せ、その代わりに森氏のいう“思考停止”が蔓延しいる印象ですが…。

実は先日、ネットを見ていたら、僕がかかわった仕事のバナー広告を見つけたのでクリックしてみました。
すると驚いた事に、僕の指摘した間違いをほとんど修正せずに広告サイトを制作しているのです。それは決して発見が難しい間違いではなく、単純な言葉遣いの間違いや事実認識の間違いで、その広告を見たら多くの人がそれに気がつくレベルの間違いなのです。

森氏の公演の後、その広告の仕事を一緒にやった友人と飲んだのですが、やはりそこでも作り手の意識の低下の話になりました。そういうときのキーワードは決まって「バブル社員」。結局、バブル期以降に「プロ意識」が稀薄になった人間が多いという結論になるのです。
たしかに今の時代、“若手”と呼ばれるような世代は物凄く流れの早い時代の渦の中で、落ち着いてモノを考え検証するような余裕はないのかもしれません。だからといって、不完全のモノを世に出していいという理由にはならないでしょう。

そこで今、ベテランの「プロ」が求められているような気がします。プライドのある「プロ」は、ここのところ隅に追いやられ冷遇されている感覚がありますが、もっと前に出るべきでしょう。決して時代遅れという感覚を持つ必要はないと思います。
森氏にしても、講演の最後に「カメラも下手だし、編集も下手だし、僕はディレクターとしては二流半ですから」と公言しているのを聞き、実はディレクターとしても「プロとしての誇り」をもって臨んでいることの裏返しの表現なのだと深く納得できたのでした。

自分の殻を破る

2007年12月18日 23時28分49秒 | 健康
今日もらった一本の電話。それによると、昔からの共通の友人が元気をなくしているという。僕が高校時代に知り合った彼女は今では結婚しているのですが、ここ数年体調を悪くし、かなり思いつめているというのです。
「何か元気になるきっかけを一緒になって作ってあげたい」というのですが、その考えには賛同しても、実際に何をしたらいいのか思い浮かばないのです。言ってみれば「生きる希望」。なかなか簡単に見つかるものではないと思います。逆に、見つかると簡単に動き出し、予想以上の効果があるような予感もしているのですが。

それにしても、その友人に限らず、僕の周囲には元気をなくした友人が沢山います。というか、元気でいる人間の方が少ないという印象です。
40代から50代、かつてなら脂の乗りきった世代といわれていたのに一様に元気がありません。仕事に疲れた、仕事が上手くまわらない、身体を壊したことが原因など理由は様々です。

と、ここまで書いて気がついたのですが、元気がないのは特に男性が多いですね。自分も含め、「男の更年期」だと感じるケースが多いと思います。つまり、きっかけは男の更年期による体調不良なんでしょうね。仕事が原因という人間でも、二言目には気力が出てこないとか、たいてい体調の変化を口にしていますもの。
そこで体調不良→仕事の成果が出ない→自信喪失→将来への不安、といった悪循環にはまっている友人が本当に多いんです。そして傍からみていると「鬱なんじゃないの?」と感じるケースがほとんど。僕自身、男の更年期と自覚していた頃はマイナス思考しかしていなかったという印象があります。

そろそろ、自分の人生の終わらせ方を考えなければいけない年代なのに、それどころではない友人たち…。そうした時に世間は冷たいですね。そうした人間をあたたかく受け入れて、元気を注入してくれるようなシステムや組織は一般化していませんものね。
もちろん、自分自身で解決できるのがベストなのですが、それができないから冒頭の電話のようになると思うのです。
結局は友人しか助けられないとしても、それも簡単ではありませんよね。「これなら間違いない」という解決方法を持ち合わせていない限り、「そっとしてあげるのも友情」という考え方もあると思うのですよ。

いずれにしても、「今までのやり方」では、決っして今まで以上の状態にはなりません。となると今までないやり方、つまりは「自分の殻を破る」ということが必要なんだと思います。
その発想に至るのか? そして具体的な方法を見つけられるのか? それが鍵のような気がします。たしかに生きにくい世の中でですが、自分の殻を破る方法を見つけられたとしたら、後は一気に動き出すような予感を持っています。
もちろんこれは、自分自身に対しても当てはまる事だと考えながら、今回は書いてみました。

絶妙なタイミング

2007年12月16日 12時45分02秒 | 不思議
最初、タイトルを「素敵なタイミング」にしようと思ったのですが、やはり“素敵”ではない。“絶妙”だと思い直して変更しました。
なぜなら、“素敵”だと偶然の出来事に対する感想の言葉という感じですが、“絶妙”にすれば、その出来事をひき起こした主体のセンスというか気配りも感じられる印象になると思ったからです。

僕は以前からそうなのですが、「本」との出逢いを大切にしています。大袈裟に言えば一期一会という感覚。書店の店頭で「ピピッ!」と感じた本は、今後、もう逢えないかもしれないと思って、お金が許す限り買うようにしています。
かといって、そんな本をすぐに読むかというとそうではなく、そのままにしておく事もかなりあるのです。また、買ってすぐに読み始めても、気が乗らないと未読本専用本棚に戻すこともあります。
結局、本には出逢うタイミングがあって、その次に読むべきタイミングがあると感じています。だから、未読本専用本棚に数年置いてあった本をふと手にとって、一気に読みきってしまうことも多いのです。そんな時は、僕の方がその本を読むための機が熟した結果なんだと考えています。僕は本との間にはそんな関係性があると常々感じているのです。

先日は、何気なく既読本用本棚を眺めていたら、ある本が僕を呼んでいました。そうでなければその本が“輝いて”いたのです。読んだ記憶はあるけど、内容をほとんど覚えていないその文庫本…。
「何かある」と感じ、すぐに読み返してみました。読み始めると、たしかに読んだ記憶は蘇るのです。ところが、忘れていました。一番重要な部分を。それはまさに、今の自分にとても必要な内容だったのです。
ワケがあるので、この顛末は後日いつか報告することになると思います。

ただ、本に限らず、様々な物事には出逢うべきタイミングというものがあるよな気がしています。例えば、なかなか会えずに会いたいと思っていた人間に偶然会ったら同じ悩みを抱えていて、益々親交が深まったとか、物事を決めかねていた時に決断するしかない事柄がやってくるとか。
とにかく、人や物事などとの出逢いには、とても絶妙なタイミングが用意されていると僕は感じているのです。そんなことは感じませんか? 今日でなければ会えなかった。なんてタイミングがいいのだろう。今だからこそ聞けた話だ。というようなことは経験していませんか?

どうしても、僕はそのタイミングを“絶妙に、本当に絶妙にコントロールしている存在”がいるような気がしてなりません。

昨晩、この内容を書こうと決めていて、mixiのあるマイミクさんの日記を読んで「やはり!」と感じました。そのマイミクさんとの出逢いもとても絶妙だったのですが、その彼女の日記にはこう書かれていました。

『一瞬の狂いなく、出逢うべき人と出会う。』

こうして僕は、「偶然はない、それはすべて必然なのだ」と信じるのでした。

ダカーポへの惜別

2007年12月12日 20時28分17秒 | 社会問題
ふとしたことから知った雑誌『ダカーポ』の廃刊。僕は20年以上前、「こんな雑誌があったんだ!」と知り、その後10年近く買い続けていました。
特集での豊富な切り口、高尚な編集姿勢などに惹かれたのが読み続けた理由で、その頃に連載していた高橋克彦は『ダカーポ』で存在を知り、それ以降、僕の大好きな作家の一人になっているのです。

最盛期には仕事の情報収集といった目的もあり、漫画も含めて月に20冊以上は雑誌類を買っていた僕ですが、現在定期購読しているのはわずか月刊誌の一冊だけ。仕事内容の変化という理由もありますが、仕事でなくても読みたい雑誌がなくなったという印象はあります。
たしかに、僕の読書傾向でも雑誌不況を象徴していました。それでもたまに、書店やキオスクで見る『ダカーポ』の特集タイトルは切れ味が良く、手にとってみたいと思わせるものが多かったのも事実です。

そして先日、阿佐ヶ谷で『ダカーポ休刊・緊急討論「雑誌の危機!!」』というトークイベントがあったので出かけてみました。
それは作家の吉岡忍のほか週刊誌の現役編集長なども多数集まり、客は酒を飲みながら、論者もジョッキを卓上にというそのイベント。イベントのスタイルはいいのですが、論者の人選が「違うかな?」という印象を受けました。

どうも、インターネットに負けた。個人情報保護法、訴訟攻撃、フリーペーパーの台頭などを敗因に、編集者の「過去の栄光に浸る会」、「一大愚痴り大会」になっていった印象なのです。
会場の客席は20代から30代が8割を占めるという感じでしたので、自分たちの知らない時代の思い出話をされても共感はわいてこなかったでしょう。そんなところからも、雑誌の作り手と読者の隔たりを感じてしまいました。

結局、『ダカーポ』の果たした役割、なぜ休刊になってしまったのか? この問題を業界としてどうとらえるか? という話はほとんど聞けずにイベントは終わってしまったのです。

会場では『ダカーポ』の最終号が配られたのですが、イベントの終了間際に、その号で特集を担当した編集者が引っ張り出されて話したのですが、それは笑えない話でした。
それはこういう話です。雑誌が元気がないので、一番高額の訴訟を抱えて頑張っている『週刊現代』にエールを送る企画を進めていたら、その間に自分の雑誌の休刊を知らされたという悲話…。

ただ、最終号のその特集のページを開いてみたら、リードの中の次の言葉が輝いていました。
「このまま三流メディアの雑誌がなくなったら、新聞やテレビの建前だけの報道や情報だけになってしまうではないか。頑張れ、雑誌! 頑張れ、三流メディア!」
まさに同感!!

年金と国保をないまぜにする愚

2007年12月11日 16時24分07秒 | 社会問題
「やっぱり」と思った人も多いのではないでしょうか? 宙に浮いた年金記録の多数が統合困難だというニュース。
多少なりともコンピューターを知っていたり、似たような作業を経験していれば「舛添大臣、あんなに新しいソフトを自慢して大丈夫なの」とか、「舛添大臣、コンピューターを知らないな」と感じたと思います。そもそも元のデータが不完全なのですから、それを救済するのは無理だと考えるのが当然ですよね。

それにしても「最後の一人まで年金を払う」と公約した福田首相はどう対応するのでしょう。何といったって、まだ945万件が残っているのですからね。それに統合できたとしている4000万件の精度だって怪しいはずです。
そして今回、産経新聞のサイトによると、社会保険庁は統合できなかった中には職員の入力ミスを認めているものの、加入者が就職時に年齢詐称したケース、外国に移住した人、日本で一時的に働いていた外国人の記録などが多く含まれると弁明しているのです。

僕は専門家ではないので正確な事は知りません。ただ、就職時に年齢を偽って就職し、年金保険料を払いつづけた人には年金を払わなくていいのでしょうか? 海外に移住した人の年金保険料は国庫に入るのでしょうか? 外国人労働者は年金が受け取れないのに、年金保険料は天引きされるのでしょうか?
本来、この年金問題、他の国なら国家レベルの暴動になっていたはずです。そんなとんでもないほど重い責任を感じず、統合できないのは国民のせいともとれる発表。改めて怒りがこみ上げてきます。

そして、それ以上に驚いた事を耳にしました。まさに“驚愕の事実”です。なんと、年金の保険料滞納者には、健康保険証を発行しないというのです!
「国民年金事業等の運営の改善のための国民年金等の一部を改正する法律」として、先の国会で法案が成立していたそうです。ネットでちょっと調べたのですが、法案の成立は間違いないようで、その詳細はよくわかりません。

僕がこの問題に過敏に反応する理由は、僕自身の年金記録が宙に浮いていると判明したからです。ですから、場合によっては支払い年数が足りないとなることも考えられるし、そもそも、この問題が起きなければ自分の支払い記録が紛失されていとすら気づかなかったわけです。
ですから、「そんないい加減なところに大事な自分の金を払えるか」と今は考えています。しかし、それなら国民健康保険証を交付させないという社会保険庁。

だいたいが国民年金と国民健康保険は別物のはず。それをないまぜにして「先の事を考えないやつは、生きる必要はない」という論理。それでいながら、年金の「先の事はわからない」というのは自明の理。
この国は、“口減らし”を考えているとしか思えません。ひょっとすると、僕たちは国と戦争する心構えが必要なのかもしれないと思い始めました。だれか、共闘を組んでくれませんか?