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ニッポン チャチャチャ!!

納得できない事、頭にきた事、不可解な事、民主主義後進国ニッポンの“?”を感情的に綴っていきます。

新電電選びはトラップが満載だ!

2016年10月30日 10時31分58秒 | 社会問題
毎月、東京電力の請求書が届くと、またここにカネを払わないといけないという事に、強烈な不快感というか、強い怒りを感じます。

が、今月は、はたと思いつきました。
そうだ! 新電電への切り替えをを先延ばしにしていたんだと。
早速、ネットで調べてみました。
「新電電+比較」のキーワードを入れて入力すると・・・

まあ、最初は驚きましたけど、こんなものなんでしょうね。
多くの比較サイトは「どこが安いのか?」という基準が中心。もちろん、それは悪い事ではありません。あらゆる理由をつけて値上げしてきた東京電力の料金ですから、「もっと安くなるはずだ!」と考えるのは当然です。

ただ怖いのは、サイトの結論として、「安いところに代えても、安定供給してくれなかったり、選んだ会社が無くなってしまったら困りますよね」という論調でまとめるところが多かった事です。


「もう、東京電力とは縁を切りたいし、カネを払うのはまっぴらだ!」

と考えている人は多いはず。だけど、多くのサイトがそういった利用者の考えを無視して、料金の問題だけを比較しています。

実は今年の春頃、地元の駅で東急グループの新電電のパンフレットを配っていたので、大きな関心を持って読んでみました。気になったのは電気の仕入先の欄。そうしたら、そこには「協力会社」とだけ書かれていました。
つまり、仕入先はアピール出来るところ(クリーンエネルギー)ではないんだ! なるほど、そういう事か! と、この仕組みのウラが読めました。

つまり、クリーンエネルギーを仕入れ先にしている新電電は排除されているのだ! おそらく、多くのメディアで取り上げられる事もなく、クリーンエネルギーを望んでいる私たちに情報が届いていないですね。
その状況は、多くの比較サイトを見れば、一目で確認できます。
それはなぜか?

目にも明らか、多くの新電電比較サイトに、東京電力の広告が出ているから・・・

つまり、ここにも東京電力はカネを使って、消費者に向けた情報を操作しているのです。広告を出稿してもらったサイトは、広告主の不利益になる事は書けませんからね。
新電電ごとの、主な株主が記載されたサイトもありました。それを見たら、なんと東京電力が主要株主という新電電があったのです。これなんかはかなりブラックですよね。その会社は、電気の仕入先をちゃんと東京電力と明記しているのでしょうか?

もしそうだとしたら、何でそんな会社が他の新電電と競争出来るのでしょうか? 高い東京電力の電気を仕入れたら、価格競争には勝てないし、クリーンを求める人たちには真っ先に除外されるはず。どういう仕組みで存在できるのか不思議です。
東京電力と縁を切り、新電電へ切り替えましたとアピールする必要ある、団体や企業や組織のためにあるんでしょうかね?


そんな中、クリーンエネルギーを選ぶのか? 料金を優先するのか? ライフスタイルに応じて電力会社を比較検討出来るサイトもありました。
それは価格コム。新電電を選ぶには、どうもここがオススメのようです。

価格も大事ですが、トラップが多いので、新電電選びは電気の仕入れ先の確認がとても大事ということですね。

2012年のロンドン五輪に学ぶ

2016年09月12日 09時47分03秒 | 社会問題
民度の違いと言ってしまえばそれまでなんだけど、この明らかな違いがあるから2020年に危機感を感じてしまうのです。


木曜日に参加したセミナー。ロンドン五輪に、設計という立場で偶然関わった方の講演は、オリンピックについて今まで自分になかった見方をもたらしてくれました。

2012年のオリンピック招致の時点で、オリンピック会場周辺の2030年の様子まで含めて明確にイメージしていたロンドン。
残す施設とそうでない施設は決まっているのは当然。例えば川を越えて会場と会場を繋ぐ橋、期間中は通行量を優先して幅広いものを作り、オリンピック後は景観を優先して幅の狭いものに架け替えるという。

素晴らしいのは、短いオリンピックの開催期間において何にカネをかけ、何にカネをかけないか、成熟した判断が根底に流れている。だからオリンピック期間中だけしか使用しない会場はとことんカネをかけない。だけど、その中での最大効率を摸索するというベクトルが徹底しているのだ。

講師の方が関わった馬術競技場建設は、東京なら浜離宮に競技場を作るような感覚。オリンピック後には、簡単に元の姿に戻せる会場作りを企画する。
そして見えない部分の資材はとことんチープに。メインのアリーナは鉄パイプを組み立てて作ってしまい、見える部分にはアイデアを活かして(つまり安価に)装飾を施す。

実際には、観客はそれほどチープさを感じなかったかもしれない。なぜなら、ロンドンでオリンピックを開催するという意義を熟慮した演出をいたるところで施しているからだ。
そのひとつが街並みを「借景する」という発想。つまり、ロンドンには歴史的建築物が多く残っている。それらを新しい街並みと併せて、開催する「都市」の魅力を観客に植えつけるという狙い。
これこそが開催地のアピールでもあり、普段着の「おもてなし」だ。


廉価な五輪をアピールして招致したのに、気がついたら何倍にも予算が膨れ上がってしまうのは、コスト管理の問題以前に、青写真を描く時点での見誤りが多かったとの事。
そもそもテーマとしている「おもてなし」の定義が不安だ。カネをかけることこそが最高のおもてなしという勘違いだけはやめてほしい。

個人的には、すっかりなりをひそめてしまった、不正誘致疑惑の行方がとっても気になるんだけど、どうなったのだろうか・・・

今日は、学徒出陣の壮行会が行われた日。驚く事を発見!

2015年10月21日 11時16分41秒 | 社会問題
今日、10月21日は、
昭和18年、それまでの徴兵猶予制度がなくなり、
20歳以上の学生が急遽戦争に引っ張られ、
その壮行会が明治神宮外苑で行われた日。

訳あって、最近、学徒動員について調べてみると、
知らない事ばかりで、かなり驚きました。


●最近知って驚いた事のその1
 この壮行会の主催が、「文部省」だったという事。

●最近知って驚いた事のその2
人数を隠すという目的で、
この日の報道には出陣学徒の数が伏せ字になっている。
まあ、それは良しとしても、
何と! 
文部省は、この日の実数を把握していない!
それどころか、この中の何人が戦死したのか
その資料すらないという。

文部省にとって「命」は、管轄外なのでしょうか?
かなりのオドロキです。

(たぶん続く)

ミョーに気になる、この原発攻撃のシミュレートの記事

2015年08月29日 12時26分07秒 | 社会問題
原発への攻撃、極秘に被害予測 1984年に外務省
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201107300615.html



このニュースに、とっても引っかかります。

極秘だろうと、作ってしまった原発。
もし、攻撃を受けしたまったら、一体どなってしまうのか?
をシミュレーションするのは、国として当然だと思います。

問題なのは、その結果をどこにも反映しなかった事。
さらに、今度の国会で、山本太郎議員の質問に
首相自らがウソをついた事になるのかぁ~?


ただ、とっても引っかかった点が、
これを外務省が研究していたという事。
防衛庁ではなく、外務省というのが気になった。


でまず、1984年という時期を調べてみたら、
チェルノブイリ事故の2年前。
日本は中曽根政権の頃・・・

そしたら、思い当たる事件がありました。
前年の83年に大韓航空機撃墜事件があったんですね。
ならば、外務省主導で研究するというのも納得。
ちゃんと、原発が危険な標的という認識があった訳だ。


そうなると、なぜ、この結果がスルーされたのか?
2年後にチェルノブイリで「原発は危険」を認識したのに、
国防の大きな穴を30年以上そのままにして、
そればかりか、その穴の数を増やしていくって・・・


『せっかくの金儲けなのに、コストをかけられるか!』という事?

「原発が停まってから以降、気温は下がった感じだわね」を共通認識に

2015年08月26日 01時08分32秒 | 社会問題
『~夏の延長線のような九月が過ぎ、やっと秋らしい風が吹き始めた十月初旬の夜のことだった。』

というのが、今日読んでいた小説の冒頭部分。これまでだったら、当たり前のように読み過ごしていた表現です。
でも、少なくとも去年(2014年)の九月は夏の延長線を思わせる暑さはなく、そして今年(2015年)にいたっては、僕は立秋以降、ほとんどエアコンを使わずに済ませています。そして八月の末で、すでに秋らしい風が吹いています。まあ、これは東京での感覚ですが。

冒頭に引用した小説は2011年11月の書き下ろしとなっていましたが、もし、この作品を今年執筆していたら、著者もおそらくこの表現は使わなかったでしょう。


何を言いたいのかというと、東京の気温が下がっているという話。もちろん今年も七月の後半から酷暑の時期はありましたが、それも立秋の頃までで、まさに「暑中見舞い」の時期に重なっていました。だけど、今日は八月なのに長袖を着ています。

これは前にも書きましたが、やはり原発が停まって以降、東京の気温は下がっていると思うのです。もちろん低温化と原発停止を関連付けた報道はありませんが、一ヶ月以上気候の感覚がずれているのはニュースで、本来、その原因を突き止める必要があるはずです。
ただ、メディアにそれが期待できない以上、この生活感覚というか、皮膚感覚というか、実感をもって変化を感じて意識を向けることが大切だと思います。「原発が停まってから以降、気温は下がった感じだわね」という感覚で。


そんな中、東電から八月分の料金の請求書が届きましたが、それは七月分の30パーセント以上増の金額。
エアコンは極力短い時間だけの使用を心がけていました。稼働させた日も、月の半分程度しか使っていません。さらに、2台のうちの1台は去年取り替えて省電力タイプにしたはず。となると、エアコンの消費電力はもの凄いんですね。

結局、原発っていうのは自ら気温を引き上げて、エアコンを使わせて、がっぼり電気料を徴収できる永久機関のようなメカニズム。つうか、マッチポンプで、一度動いたら金が生まれ続けるシステムなんですね。


ちなみに、先ほど気象庁のサイトを調べたら、東京の場合、過去の年と八月の平均気温を比較できないんですね。その理由は、去年(2014年)に観測点を変えたからというのが理由。
何故? なんか、出来過ぎの話のような気がするのですが・・・







「世界の9条賞」を設立だ!

2015年08月08日 11時45分25秒 | 社会問題
それがアメリカから与えられたものなのかどうかの論議は、もう関係ないといえるほど、憲法9条に誇りを持っている人の多さを痛感している毎日です。

そんな中の今日、下の記事を読んで閃きました。
「結婚式にシリア難民 4000人を招待! 自ら料理をふるまった新郎新婦~」
http://rocketnews24.com/2015/08/07/617956/


そうだ! 世界中にみられる9条の精神を讃えて、表彰する制度があったらいいのではないかと。


日本の憲法9条がノーベル平和賞の候補になっているという話はありますが、もっと日本から積極的に「非戦」の精神を世界中にアピールして、新しい日本の立ち位置を示す事が、戦争を遠ざけると考えたからです。

ちょうど最近、シリアの内戦(?)をテーマにしたドキュメンタリー映画『それでも僕は帰る』を観たばかりだったので、このトルコの新郎新婦の素晴らしさがリアリティを持って感じられました。
まず、知る事が最初です。知れば想いが生まれます。そこで生きる人々の心が多少なりとも感じられます。さらに言えば、心が感じられる相手に、決して銃口は向けられないはず。「非戦」の第一歩は、相手を知ることそのものです。

もちろん、政府には任せません。憲法9条を誇りと感じている日本国民が讃えて表彰する。そんな制度を世界に発信できたら、憲法9条の精神をより強固にし、理想的なイデオロギーとして世界中に広まっていくのではないでしょうか。


そのためにも、憲法9条を形骸化させてはいけません!

原発が止まってから、確実に気温が下がっている!?

2015年07月07日 00時32分07秒 | 社会問題
「若狭湾からエチゼンクラゲがいなくなった」という話を耳にしたのが最初の話。
それからしばらくして、「新潟や北海道で“以前のように”大雪が降るようになった」という話を聞いたのがその次。

その話題に共通しているのが、日本の原発が止まって以降の現象という点。そして若狭湾、新潟、北海道は、原発が停止した地域という点が共通しているのです。
まず最初に、「熱せられた原発の排水が海に放出される事がなくなって、若狭湾の海水温が下がり、本来、南方の生物だったエチゼンクラゲが棲めなくなっていなくなった」という話を聞いた時に、原発のもうひとつの側面が理解できました。

『異常な温暖化の原因は、原発由来が考えられる』と。

そして、「原発が止まってから、新潟、北海道で以前のように大雪が降るようになった」という話は、それを裏付けている話題と直感しました。
なぜなら、実際にこの冬、Facebookで北海道に住む何人かの友達がアップした大雪の写真をさんざん見てきたので、深く納得してしまいます。

さて、そこで最近の東京の涼しさ、異常だと思いませんか?
実は、異常ではなく、これが本来の気温だと思いませんか?
というのも、東北大震災以降、僕は衣替えの時期と気候の変化がマッチするようになったと感じています。暑くなるのは6月以降で、5月なのに30度を越えるようなふざけた陽気が影をひそめ、本当に暑いのは8月までで、9月には涼しさが漂ってきませんか? つまり、6月と10月という衣替えの時期が、ちょうど気候の変わり目に合っていませんか?

『すべての原発が止まって、日本中が冷えてきた』

というか、過去の状態に戻ったというのが正解かもしれません。
いずれにしても、エアコンによる夏場の電力需要のために原発が必要という論理は、実はマッチポンプで、原発自体が温暖化をもたらし、エアコンの需要を生んでいるといえます。
それが証拠に、今年はまだ我家のエアコンは一度も使っていないし、使ったのも、去年の8月が最後だったはずです。

ザックっと検索したところ、最近の涼しさと原発停止を結びつけた書き込みはあまり見つかりませんでした。まあ、大手マスコミが報じる事はないでしょうが・・・。
でも、こうした体感できる変化をきっかけに、原因を探る事はとても重要だと思います。少なくとも、体感した変化を口に出し続け、それが日本中で集まった時には、きっと大きな力になると僕は信じています。

震災以来の凹みには、当たって砕けろだ!

2015年06月06日 13時37分05秒 | 社会問題
東北に震災が襲ってきた時、すぐにテレビを付けて確認するという発想は浮かんできませんでした。それほど僕はテレビを見る習慣がなくなっていたのです。
それからはじまった津波の映像の連続。3月11日金曜日の地震発生から2日後の日曜日まで、数年ぶりに、ひたすらテレビの映像に釘付けでした。

あの時、人間の作ったモノ、そして生活や命までもが飲み込まれ破壊される、あまりにも強烈な自然の力を何度も何度も繰り返し見てつけられて、すっかり気力が無くなっていた自分に気がつきました。
「これはマズい!」と、月曜日からはテレビを消して、外に出かけ、目を外に向けるようにしました。そうしないと、もっともっと精神的に凹んでしまうと感じたからです。

そして最近、同じような状況が起こっています。それは、ネットの中で・・・
特にfacebookがそうで、毎日毎日目にすると凹むような話題ばかりです。

大嘘がまかり通る世の中、それは首相をはじめ国のいたるところで。日本の最高法規である憲法を守らない内閣、それを止められない政治システム。崩壊している三権分立。それでいながら、国民の締め付けだけが厳しくなっていく。
大マスコミは真実を伝えず、権威という人たちも公然と真実を隠しウソをつく。
「お天道さまが見ている」という道徳観がなくなってしまい、でこまでもウラを突くブラックビジネスが蔓延し、地道に正直な商売をするところは冷や飯すら口にできない。
少しでも他人より上になりたい思考停止の人間がネット上にあふれ、何も生みださいない汚い言葉の嵐。そんな刹那な優越感に浸れる思考が見ていて哀しい。その筆頭が現首相ですが・・・

「尊敬」という概念がまるで感じられない、「金が一番、あとは自分さえ良ければそれでOK!」という風潮が日本の隅々まで浸透していると感じられる話題が、繰り返し繰り返し、これでもかというほどあふれていると感じますね。
とにかく、反論するにもあまりに大きな流れだし、そもそも元気に生きていく気力をそがれてしまいます。

ということで、ここ2、3日、facebookは連絡用だけにして、タイムラインは読んでいません。
その結果なのか、自分の内面に向き合え、こうしてブログを更新する気持ちもわき上がってきたような変化を感じます。

まあ、現実逃避といえばそれまですが、もっともっと精神的にタフにならなければいけないと感じますね。
で、さっき、どうしたら精神的にタフになれるかと考えていたら、ヘビーな事を沢山乗り越えていかねばならないと結論づけしました。だから、逃げてはいけないんですよね。だけど、自分を見失わないために、意識的に距離を置くのも必要かと思います。

いずれにしても、辛い時を経験しなければ、楽しい時間は輝きませんからね。たった一度の人生、「当たって砕けろ!」しかないのでしょう。

司法の機能不全を象徴するシンポだ!

2015年03月25日 20時26分14秒 | 社会問題


月曜日、東京弁護士会館で行われた『報道と弁護士は、それぞれ、何が出来て、何ができなかったのか』というシンポジウム。2時間で、パネリストが代わって2つのテーマというのが、かなりキビシいのでは? と予想して行ってきたのでした。

シンポジウムは、岩手の部として主に津波被害について話し、福島の部として主に原発被害について話すという二部構成。
そうしてシンポジウムの開始早々、いきなり司会者とパネリストの弁護士の段取り通りの応答が始まり、「こりゃあ、まいったなぁ~」というのが最初の感想。このまま、弁護士会の御用記者たちとの退屈なシンポが続くのかなぁ~と思っていたら、メディアの人間たちは違った!

岩手の部では、メディアの人間として朝日と毎日の記者、そして岩手日報のデスクがパネリストとして登壇。その中でまず、岩手日報のデスクが、メディアに拡散を求める弁護士に釘を刺した。
パネリストの弁護士が、弁護士という信頼性の高い発信元の情報(確か津波に流された家の二重債務を回避する案内)を、メディアに拡散して欲しかったと投げかる。これに対して岩手日報のデスクは、まず、震災直後にそのリリースを読んでいるはずだが訴えてくる(心に届く)内容ではなかった。しかし後に、その情報を紙面で紹介する事にした。ところが実際には、その案内の内容がはほとんど機能していないという事がわかった。結局、救済するシステムの前提条件が現実的でなかった、という風に反論し、言外に、お陰で振り回されてしまったと匂わす。

次に同じような内容を朝日の記者に振った時、朝日の記者は見事に言い切った。
「我々は、多くの被災していない人たちに向けて、どういう被害が出ているという報道がメインにならざるを得ない。だから、被災者に向けた詳細な情報提供は困難」というような内容だった。どうしたって、これが全国メディアにとってのひとつの本質だ。

結局、パネリストの両弁護士は、終始メディアに拡散という協力を求めているが、この本質を理解していないという事がわかる。逆にメディアの人間は、メディアの限界と個人の限界を認識し、その中で人間として最大の努力の方法を探っているのが分かった。だから、弁護士とメディアの人間の論議は噛み合うワケがない。
たぶん、個人やポランティアやNGOを含めた多様なメディアの棲み分け、使い分けというのが、今後の大災害時の課題なんだと思う。



その中で、重要なのが地域メディアである地方紙だ。編成の多くの部分をキー局に頼らないと放送できないテレビの地方局とは違う。地方紙は、すべてを時前でまかない、情報はすべて地元関連のものだ。だから、信頼できる情報の発信元を弁護士が自認するのであれば、まず、全国メディアと地方紙をひとくくりにしてはいけない。
その上で、独りよがりでない情報を発信しなければならない。もちろん、情報の不備はあってはいけないけど、もし不都合が生まれたら、最初の発信以上の努力で改訂情報を至急発信する。そういったハンドリングが当然のようにできなくては、信頼に足りる発信元にはなれないだろう。

ここ最近の日本のおかしな流れは、第3の権力としての司法が機能していない事が大きな原因だ。結局その認識すらまるで感じられない。逆に言えば、司法の機能不全を実感できる弁護士会主催のシンポジウムだった。

日本人人質事件についての私感

2015年01月24日 02時12分28秒 | 社会問題
日本人人質2人の殺害予告ですが、僕の個人的な感覚として、いかがわしさというか、なんか裏があるような気がしてなりません。あまりにもタイミングが良すぎるというのが最大の根拠という、ホント感覚的な話です。

実際、どうなのか? もちろん今後の流れを見ないと分かりません。
ただ、このニュースが話題になって以来、「反自民」「反安倍」のトーンが下がったような印象があるのです。日本人の大好きな「命を救え!」というドラマに仕上がっていて、国民がまとまっていると感じるのです。
これでもう一発、インパクトの強い出来事が起これば、大きく国民の意識を誘導できると思うのです。そんなシナリオの存在を感じてしまう事件です。

それにしても、今回、政府に人道的な立場に立って人質を救済するように訴えていますが、これは泥棒に盗んだカネを返せというようなモノ。普通に考えれば、それは無理な話だと考えます。
もし、本当に今の政府に人道的な意識、「何よりも人の命が大切」という根本があるとしたら、福島の人たちこそ救うべきでしょ?

福島の人たちに、真綿で首を絞めるような事を平気でやっていて、彼らを苦しめた真犯人を国を挙げて護ろうとしてる政府に、人道的な立場を期待してもそれはムリという話です。
怖いのは、もし政府が人道的な行動を起こした場合・・・。必ず裏があるはずです。なにせ、福島は切り捨てようとしている政府であり首相ですから。そのまま受け取ってしまうのはキケンです。


隠れた英知たちが本気でスクラムを組み、精密、綿密に足並みを揃えて、日本を動かそうとしていると、危機感を感じているのは僕だけではありません。