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ニッポン チャチャチャ!!

納得できない事、頭にきた事、不可解な事、民主主義後進国ニッポンの“?”を感情的に綴っていきます。

ジョンレノンや清志郎を裏切ってはいけない!

2014年11月21日 12時07分59秒 | 自分の事
ジョンレノンを聞いて育ち、清志郎に教えられた僕たちは、今の日本の状況を前に黙って口を閉ざしてはいけません。No!を高らかに宣言しましょう。

長らく更新していなかったこのブログですが、実はgooのメールはずっと使っていたので、ブログのアクセス数はその度に確認していました。すると、政府自民党が何か悪さをすると、それに呼応するかのように休止しているブログのアクセス数が増える日があるのです。実際にはアクセス内容を解析していないので、当然それは僕の推測でしかありません。
ただ、休止しているブログでも需要はあるのだと感じていました。さらに、来訪者の数に比べて、時には数十倍のページビューがあると、「ああ、どこかの記事に共感してくれて、アーカイブを沢山たどってくれた人がいるんだな~」と、休止している事に心苦しさを感じることもありました。


今日、衆院の解散が閣議決定されたそうです。
本当にヤバい選挙が始まりそうです。


このままでは、ジョンレノンや清志郎を裏切る事になってしまいます。
このようなブログが書けなくなる日が、本当に来てしまいます。
そんなことにならないために
僕は僕のできる事を表現するという意味で、このブログを復活させます!


今から9年前の2005年の7月、僕は久米宏氏へのリスペクトの意味合いを込めてこのブログを始めました。ニュースステーション時代の久米宏氏は、しっかりとした健全野党の存在であったと僕はとらえています。当時の自民党の上層部は、社会党や新進党などの第二党よりも、久米目線を意識した答弁をしていたように感じていましたから。
ところが2004年にニュースステーションが終了すると時を同じにして、小泉純一郎~安倍晋三(第一次)と首相の暴走が目につくようにとなったと感じたのは僕だけでしょうか? もちろん、久米宏が日本を支配していたと言うつもりは毛頭ありませんし、できるワケもありません。健全野党だったというのも、あくまで僕の個人的な感想です。

ただ、原発報道をとってもメディアが信頼できなくなった現在、あの頃の久米宏をはじめとした番組スタッフの「なぜ?」「以前と話が違いませんか?」といった疑問を追及する姿勢は、どうしたって必要だと感じざるを得ません。
そこで、ひとり健全野党を目指して、ここに、何度か目の復活宣言をします!

やはり、テレビは危険だ!

2011年03月13日 12時30分30秒 | 自分の事
地震から丸2日が過ぎようとしています。
被災された方々には、なんと言っていいのかわかりません。ただただ、「辛抱してください」としか言えないと感じています。あと、自衛隊をはじめ、救援に励まれている方々には、「頑張ってください」としか言えないとも感じています。

出かける直前、まだ数分時間があるからと本を読みはじめた直後、部屋が揺れました。最初に「ドン!」と突き上げてくる縦揺れがなかったので、「これは遠くの地震だな」と感じていたのが最初の数十秒。
だけど、揺れは収まるどころかどんどん強く激しくなっていく。これは、一応出口を確保した方がいいと直感して、玄関のドアを開けた。ドアから外を見ると、電線が激しく波打っている。さらに激しい揺れは続いて、高いところに置いてあった色々なものが落ちて、音を立てる。そして家がきしむ音。玄関ドアの脇で中腰になって壁に体重をかけたまま、揺れが収まるのを待つしかありませんでした。

そして、その後に別の部屋の様子を確認し、「そうだ、テレビを観なくては」と思いついたのは、揺れが収まってから数分後。それ以降、テレビを見続けています。テレビでなくても、USTREAMのNHK中継を観ている状態が続いています。

実は僕、阪神淡路大震災のときはテレビ局の報道番組のスタッフとして働いていました。そして発生してしばらく経ったある時点で
「今やっている放送は、誰のための放送なんだろうか? もっと違う内容を求めている人が、大勢いるのではないか。一番大事にしなければいけない、被災した方々への情報がおざなりではないか」
と強く感じたのを覚えています。ただ、そんな意見は取り上げれるワケもなく、連日朝から晩まで特番を放送していた事を思い出します。

そして今回、阪神淡路の教訓がテレビ放送にどれだけ生かされているのかという観点も、常に頭の片隅にあってテレビを観ていました。
しかしどうでしょう。テレビ局の各ネットワーク内での人的な体制は、あの頃より統制が取れているように感じます。主にNHKを観ているだけですが・・・。
ただ、やはり放送の主点が、どれだけ被害がスゴいのか、あっちではこんなだ、こっちではこんなだぞというモノに終止しているように感じました。まあ、それはそれで必要な情報なのでしょうけれども、そういう情報は正時とかにまとめて10分とか放送すればいいもの。

それよりも、もっと現地の細かな情報をメインに伝えるべきでしょう。それぞれの避難所を細かく廻って消息情報や支援要求など、いくらでもやれることはあると思うのです。
さらに、各テレビ局が同じことをするのではなく、NHKが宮城県、TBSが岩手県とか、放送局ごとに担当エリアをとり決めして取材することにすれば、情報もおのずと細かく丁寧なものになると思うのです。
こういったことも、阪神淡路の時に僕が感じた思いと同様というか、局を離れているので、より一層取り上げられることはないでしょう。まあ、それは仕方ないと諦めるしかありません。

ただ、もうひとつ気がついた点があります。それは、是非とも耳に留めてください。

僕はこの2日間、USTREAMの中継を含めて、何年ぶりか記憶にないほどテレビを見続けています。特に11日の当日は、落ちてきた本やCDとかを拾い集めることもできず、ひたすらテレビを観る事しか思い浮かびませんでした。そして、12日の昨日も。
しかし、昨日から気がついたのは「何もやる気がなくなっているぞ」ということ。2日間、ず~っと惨憺たる状況を見せつけられて、ちっとも“今”や“自分”に向き合うことが出来なくなっているのです。テレビから沢山流され続ける凄惨な情報によって、無力感を植え付けられていると感じたのです。
たしかに、「何かしらの支援をしたい」という気持ちも起き上がってきますが、それだって、いわば非日常です。ぼくは「これはヤバい!」と思い、早速、USTREAMを観るのを止め、今、このブログを書いています。

24時間テレビで報道されていますが、東京に住む人間にとって必要な情報はその中のごく僅か。おそらく、それならネットでも同様の情報は得られるバス。少なくとも情報に対してただ受け身になるだけのテレビよりは、今はネットの方が精神的にイイ感じたのです。
安否が心配の方も大勢いらっしゃると思います。でも、その情報を今のテレビから得るのは不可能です。福島原発も心配ですが、結局、元の情報が曖昧ですから、テレビから正確な情報を得られるという事も少ないでしょう。

ということで、自分の気持ちを取り戻すために、テレビから離れることにしました。

今の時代の映像制作は、コレ!

2011年03月09日 11時31分16秒 | 自分の事
今僕は、2台のカメラで取材するようにしています。カメラは両方とも民生機の小さなカメラ。1台を三脚に固定して、もう1台を手持ちで撮影するというスタイルです。
これ、ハイビジョンになって民生機の画質がかなり良くなったことで出来るスタイルともいえます。そのお陰で、以下のようなメリットが生まれてきます。

・ハイビジョンで2カメ撮影ができる
 単純な流れのものでも、2カメで撮影すればかなりの変化を付けることができます。少なくとも、1台のカメラでの撮影よりは数段、映像の広がりが生まれます。
・機材が軽量コンパクト
 カメラが小さくて軽いのですから、すべて1人で対応できます。車や駐車場の心配も不要で、電車での移動が可能なのです。
・狭い現場でも対応しやすい
 1台のカメラは固定ですので、カメラを操作する人間は1人。ですから、人件費が下がるだけでなく、狭い現場でも周囲に迷惑をかけずに収録できます。

もちろん、このスタイルですべてがOK! ということではありません。スポーツイベントのように被写体が常に動くものであればカメラマンは必ず2人必要になります。
また、「そんなやり方は貧乏臭い!」という方も多いと思います。で、そういう方は、テレビ番組並みに制作するところに発注すればいい話でしょう。

一例として、講演会の記録映像のケースを考えてみましょう。
これまでなら「2カメがいいけど、高いから1カメかな?」と、まずカメラの台数が問題になります。で、2カメにすれば、当然カメラマンは2人、場合によってはカメラアシスタントも2人、機材の移動は当然車。一気に経費がかかります。
ですが、もし講演会のすべてを収録するのであれば、さすがに1カメの映像は退屈してしまいます。そして、業務用のカメラは大きく、さらに必ずカメラマンがつくので、カメラの後ろの席のお客さんはかなり見えにくくなるという大きなマイナス面もあります。

その結果、予算優先で1カメとなるケースが多いと思います。「たしかにそのままだと退屈だけど、編集でなんとか見せるようにしよう」となっていくのが見えるようです。
そうするとどうなるか・・・。
編集された映像は、良くて、実際の講演会とかけ離れた記録になってしまう。もしくは、あまりに“退屈せずに見せる”という映像のテクニックがうるさくて、長時間見るととても疲れるものになってしまうという姿が予想されます。
さらに、DVD単価は市販のDVDソフト並みになってしまう。講演会の入場料の収支がイイと思っていたら、それをDVDの赤字補填に持って行かれたというケースが頻発しているでしょう。

そこで、最初に伝える人数を考えると、従来の“テレビ番組並み”から決別しなければならないのは明らかだと思うのです。ですので、僕はそういった需要の受け皿となる映像制作を、今回、目指すことにしたのです。
テレビの人気番組とされる20%を稼ぐ番組は、関東地方で800万人が見ている計算だと前回書きましたが、でも、その番組を見ていない人は80%、約3,200万人もいる計算になります。そんな人の中から、わずか0.0001%の方の賛同を得られたら、僕は大変なことになってしまうと思っているのです。

パーソナルメディア制作として必要な発想

2011年03月07日 21時16分14秒 | 自分の事
僕はDVDのパーソナル・メディアとしての側面に注目したのです。映像メディアとして、テレビというマス・メディアの対極にあるものとして。
ネットの動画配信と比べると、配布に時間がかかります。ただ、1時間という長い素材とかだとやっぱりネット配信では辛いですよね。なので、尺の長い映像を伝えるパーソナルメディアとしては、現状、必然的にDVDになると思うのです。

で、DVDをパーソナルメディとして捉えると、今の状況では何が課題か考えてみました。すると、ちょっとしたコペルニクス的な発想が生まれてきたのです。
それは何かというと、話は簡単だったのです。例えば、パーソナルメディアというと、いったい何人に伝えるためのメディアなのかと考えると、おのずと方向性は見えてきます。

ケースバイケースの話ではありますが、まあ、多くて数千、場合によっては数百人に伝わればOKというコトもあるでしょう。
それに対してマスメディアとしてのテレビは、膨大な数の人間を相手にしています。人気番組の目安という視聴率20%を獲得するというコトは、関東地方だけでも800万人以上の人が番組にチャンネルを合わせてもらわないと達成できないのです。
目の前にいる4~5人の人間の目を、話術で30分釘付けにするというだけでも大変だと理解できるでしょう。テレビはそれを800万人に向けて行っているのです。それは生半可な技術ではありません。それこそ命を削ってアイデアを振り絞って放送しているのです。

そこで、これが大事なのですが、普通に考えれば、800万人に向けたコミュニーションと、数百人や数千人に向けたコミュニケーションの手法やトーンが同じであるはずがないと思うのです。
ただ、映像の世界では基準となる主なメディアはテレビと映画しかないのです。ですので、テレビ番組以外の映像を制作する場合には、常に「テレビの番組のように」とか「全体をテレビのトーク番組のレベルで」といった流れになっているように感じます。

しかし、どうでしょう。パーソナルなメディアを考えたとき、基本的に共通分母があって、その中で交わされるコミュニケーションだと思うのです。ご近所の集まりであったり、何かの会員間の連絡であったり、何らかの共通の関心がベースにあって、その中で必要とされる映像素材なのです。
ですので、30秒ごとに動きがないとチャンネルを変えられてしまうので、無理して動きを入れるというテレビ番組の制作アプローチとは、根本的に違ってくるバズです。だけど、これまでそのことにあまりウェートを置かずに映像が制作されていたような気がするのです。

そして、もうひとつ大きな問題がお金です。パーソナルなメディアとして必要なDVD素材をテレビ番組並みに作ってしまうと、当然制作料金はテレビ番組並みとはいわないまでも、かなり高額になってしまうはずです。
それはそうでしょう。数百枚から、最大でも千枚レベルしかDVDを必要としないのに、制作費が高ければ当然単価は高額になってしまいます。となると、高い金取るのだから、いいモノ(テレビ番組レベルなモノ)を作らなければいけないと、アリ地獄に陥っていたのがこれまでの映像制作だと思うのです。

と、似ているけれども、コミュニケーションのスケールがまるで違うテレビと、完全に離して映像制作を考えると、コペルニクス的な発想が生まれてきたのです。
ですが、今回も長くなってしまったので、また、続きは次回にさせてください。次回を最後にします。

苦労せずに成長したメディア、DVD

2011年03月05日 12時51分45秒 | 自分の事
先日、DVDソフトの売上げが落ちているというニュースを目にしました。
そういえば、僕はこのブログで、この2月からはじめた自分の映像スタイルの話をしていなかったので、今回はそのことに絡めて書いてみます。

乱暴な言い方かもしれませんが、DVDは苦労しないで成長してしまったメディアだと僕は思うのです。
つまり、DVDはビデオテープの後継メディアとして登場し、ビデオテープに比べて圧倒的な画質の良さ、さらにランダムアクセスの遣い勝手の良さなどから、一気に普及できてしまったと言えるでしょう。
すでに、ビデオテープでできた家庭で映画を観る、といった習慣の上に出てきたものですから、新たな視聴習慣を育成する必要はありません。さらに、デッキ購入というデビオテープ導入時に高かった障壁も、ちょうど一気に浸透したパソコンブームに助けられ、デッキが無くても視聴できる環境が整ったという状況はDVDにとってラッキーでした。

たしかに、最初は慣れ親しんだビデオテープより画質が良くて、使い易くて、場所をとらないと、いいこと尽くめでした。でもそうやって苦労せずに成長してしまって、DVD独自のソフト開発の必要性は、関係業界内で叫ばれなかったと感じるのです。これ、もちろんあくまでも僕の主観です。
DVD登場の最初の頃こそ、ランダムアクセスに着目したソフトは見かけましたが、最近は映画やテレビドラマのソフトばっかりだと思いませんか? レンタルショップでも、それ以外は小さ~なスペースに“企画モノコーナー”と置かれている程度。

ビデオテープの時代はまだよかったのですが、DVDの浸透がパソコンに助けられたように、世の中はネットを中心にした多メディアの時代になってしまいました。
だけどこれまでの時代の流れの中で、DVDはDVDメディア独自の可能性を積極的に開拓してこなかったと思うのです。“記録メディア”の側面を活かして映画がそそままだっり、テレビドラマがそのまま収録されていたりが中心。まあ、いいとこ、特典映像とか、パッケージングで差別化を図るという程度ではないでしょうか。

でも、せっかく家庭に入り込んでいるメディアなのに、家庭に君臨するテレビと違う映像やソフトを提供するという取り組みがもっと必要だったと思うのです。だからこそ、今凋落傾向にあるのだと。
おそらく、映画ソフトというジャンルはマーケットが縮小されることはあっても、今後も残っていくでしょう。ただ、単純にDVDを“記録メディア”として捉えれば、当然、大容量で安くなったハードディスクに負けてしまうのは明らかです。

でも僕は、そのDVDには可能性が残っていると思うのです。比較的に手つかずにいたメディアの可能性を探っていけば。なんといっても、テレビの次に家庭に浸透している映像メディアなのですから。
と、書いたところで、結構な長さになってしまいました。なので、続きは次回にさせてもらいます。

それにしても、よくこれだけの人に会えたものだ

2011年03月02日 10時43分28秒 | 自分の事
気がつけば、3月になっていました。僕が心機一転して、新たなアプローチで仕事にとりかりはじめてからも1ヵ月が経とうとしています。
そんな中、今年の2月を想い返してみると、とにかく色んな人に会ったなぁ~と強く感じます。それも業界のトップの人物であったり、その分野の一線級の人たちばかり。とても嬉しい刺激をもらいました。

2月の頭に代々木忠、村西とおるというAV監督の両巨頭のトークイベントに参加したのを皮切りに、ヒーラー&チャネラー、社長×数名、ミュージシャン×数名、ギタリスト、プロデューサー&ライター、PAエンジニア×数名、TVプロデューサー×数名、カメラマン、ブロデューサー&マネージャー、デザイナー、映画監督×数名、放送作家、レイアー奏者、オイリュトミスト、シュタイナー教育実践者×数名など。
こうやって書き出してみると、カタカナ職業の方ばかりですね。講演会やトークイベントだけではなく、直接仕事で一緒になったり、一緒に食事したりという出会いです。

これ、実名を出したらホントそうそうたる顔ぶれなんです。それにしても、これだけの人に1ヵ月間だけで触れられることができるというのは、これまたホントにしあわせなことです。こういう時ばかりは東京に住んでいる良さを感じますね。
とにかく、みなさんオーラがはっきりしているというか、生き方に独自の芯を通していらっしゃる方ばかり。僕にとっては、とても刺激的な心機一転後の1ヵ月でした。

で、具体的に感じるのが、どなたも威張っていない! 昔は、偉い人、分野のトップの人は“こわい”という印象がありましたが、時代が変わったんですね。たしかに強面の方もいらっしゃいましたが、やっぱり根は気さくな方でしたし。
そしてさらに、みなさん理解力が豊かで対応が早い! 常にアンテナを立てていて、会話のテンポ(その人なりのテンポ)がいいんですね。
加えて、異物を即座に否定しない! 経験は豊富なのに「それ、ダメ!」と異物をはね返さないんですね。とりあえず、一度味わってから判断しているという印象を持ちました。

これらは、どれも身につけたい姿勢です。また、これだけ一線級の人たちに続けて会うと、そうでない人たちとの違い、先頭集団に届かない人たちとの違いというのも、かすかに見えてきます。
あえて言えば、「オレがオレが」や「私が私が」と言っている人ほど一線級に届いていないんだなぁ~と感じます。これは結構本質的なポイントではないでしょうか?

実は、何人かの方がご自身の由来を語っているのを聞くこともできたのですが、なんと、それはみなさん共通した内容を語っていました。それは、

「私は周囲によって育てられ、今がある」と。

しあわせのヒミツ・・・『違う扉』

2011年02月13日 12時41分38秒 | 自分の事
その男はとても信心深く、毎日のお祈りを欠かす事は決してなかった。ところがある日、その男の住む家が洪水に襲われる。
水がどんどん溢れる中、男は必ず神様が助けてくると信じ切っていた。だから、しばらくしてボートに乗った救援隊が声をかけてくれた時も、「自分は大丈夫だ」と応えて帰してしまう。
その後、だんだん水かさが上がり、屋根の上に避難しても男は神様の救いを信じていた。だから、ヘリコプターに乗った救援隊が声をかけてくれた時も「神様が助けてくれるから、自分は大丈夫だ」と応えて帰してしまう。
そしてこの男、結局、水にのみこまれて命を落としてしまうのだ。

そして天国へやってきた男は、真っ先に神様にたずねる。
「神様、どうして私を助けてくれなかったのですか?」
すると神様は、当たり前のようにこう応えた。
「・・・だから、二度も助けにいったではないか!」


これ、僕の大好きな本に書かれていた挿話です。そして実は、これこそが人生の本質と僕は思っていて、とても大切にしている挿話なのです。

この挿話の場合、この男にとっての目的は神様に助けてもらう事ですよね。普段の信仰がムダではなかっと証明するためにも・・・。ただ、問題なのは、本当に神様によって助けられたかったのか? そうではなく、とにかく洪水から逃れて生き延びたかったのか? どちらが絶対的な願いなのかということだと思うのです。
つまり、「生き延びたい」というのが本当の願いであったなら、神様ではなかったけど、救援隊という救いの手が二度も呼びかけてくれたのです。なので、実は、男は簡単に生き延びることもできたハズということになりますよね。

こういったケース、実は日常生活に頻繁に起こっていると思っているのです。だけど、神様の助けを待っていた男のように、頭が凝り固まっていると言うか、全体の流れを俯瞰し整理していないから、真に求めているものが目の前に供給されているのに気づかないでいる人が多いんだと思っています。

そこで僕は、こういった事象が生まれた時、当面の求めているモノの理想像(神様に助けられる事)を脇に置き、欲しているモノの本質は何か(実は生き残りたいのか?)を自分の中で問うようにしています。そして、「おっ、ひょっとして、『違う扉』が開いたのと違う!?」と捉えるようにしているのです。
つまり、この挿話に出会って以降、こう考えることによって、望んでいなかった事(救援隊の助け)も自分に不必要な事柄と即座に捉えなくなったのです。

実は僕、十数年前に突然事務所で倒れて病院に担ぎ込まれた経験があります。原因はエコノミー症候群のようなものだったのですが、最終的には一週間程度の入院で退院しました。
この話、普通に聞いたら「あら大変、お大事にね」とか「まあ、ご愁傷さま。で、大丈夫なの?」となりますが、実はこの時も『違う扉』が開いたんですね。

当時、僕はもの凄いヘビースモーカー。一日に3~4箱のタバコを吸っていました。ちょうど分煙化の流れがはじまりだした頃、僕もそろそろタバコを止めようと考えていたのです。
そうして担ぎ込まれたICU、そして、それに続く入院。この禁煙状態に一週間閉じ込められたお陰で、僕はキッパリと何の苦もなくタバコを止められたのです。さらに、この事が原因で事務所も引き払う事にしました。それまで見栄のためにだけ借りていた事務所だったのですが、住まいと事務所を合体させ、僕の生活のプレッシャーは激減したのです。

こうやって、普通だったら歓迎されない緊急入院という出来事が、実はその後の幸せをもたらす入口だったんですね。
この入院から数年後に、冒頭の神様の助けを待ち続けた男の挿話に出会ったのですが、すぐさま自分の緊急入院の経験をあてはめて、深く納得したのでした。

ちなみに、勘のいい方は気づかれたでしょうか?

神様の助けを待ち続けた男。もし、『違う扉』という考え方を持っていたら、生き延びる事ができたと紹介しました。
そうではなく、本当は神様に会いたかったと真に願っていたとしたら・・・そう、男は神様に会うこともできたのです。

これが、僕がこの挿話を好きな本当の理由なのです。

AV(アダルトビデオ)の神様、発見!

2011年02月03日 22時15分59秒 | 自分の事
僕の仕事のキャリアの中で、親に言えない仕事経験というものがひとつあります。それは、加藤鷹さん、チョコボール向井さんと一緒に仕事をしたという経験です。ちなみに、僕は台本を書いていたのですが、人手不足なので撮影現場も手伝っていました。
それでも、AVメーカーの若い社員から、僕の本(台本)が「いつも面白い!」と言われたことが結構自慢であり、自信にもなっていたのです。
とにかく、どうすればHになるだろうと、当時は毎回、頭を絞っていたつもりでした。

しかし、それも昨日打ちのめされました。まさに完璧なまでに。とことん完璧でした。
以前から代々木忠というAV監督のドキュメンタリー映画が上映されていたのは知っていたのですが、先日、銀座を歩いていたら見つけてしまったのです。そのドキュメンタリー映画を上映している映画館で、代々木忠監督自身と、あの村西とおる監督のトークイベントが組まれている事を。

そのイベントに昨日行ってきたのです。
実は僕は代々木忠監督の事を知りませんでした。ただ、その人となりは、映画が始まってからすぐに分かることになるのです。
まず、姿勢がイイ。目がイイ。そして肝が据わったたたずまいは、どこかの家元なのかと思わせる雰囲気。そんな氏素性の良さそうな外見なのですが、不幸な子供時代を過ごし、若い頃は任侠の世界に身を置いた事もあるそうです。

そして、映画の最初の方に出てくるAV女優志望の女の子との面接のシーン。プロフィールを眺め「縛られて、三人くらいにレイプされる役をやりたいだ~。だめだ、そんなの! 自分から逃げているんだ!」と、女の子を真剣に一喝するのです。
そう、佐々木忠監督は、たしかにHな映像を撮っているのですが、実は女優の幸福を一番に願っていたのです。

過去の作品が映画の中で紹介されるのですが、それだけを観たらとても信じられない話だと思います。何が女優の幸福だ!って。
それでも最終的にそれを信じさせる説得力というか魔力を佐々木監督は持っているんですね。そればかりではありません。監督は男優の「心の解放」にまでチャレンジしていたのです。実際に、その被験者(?)になった加藤鷹さんの映像も紹介されていました。ちなみにここまでだけで、僕はかつての自分のあまりの志の低さが情けなくなりました。

「僕は企画ができない。すべては出会い」と言う監督。謙遜しているように聞こえますが、どうも本当にそう考えているようです。それは上映後のトークイベントで確信しました。
実は、代々木忠監督と村西とおる監督は昨日が初対面の日だったそうです。しかし、AV業界の両巨星はお互いを心からリスペクトしているんですね。村西監督の映画パンフに寄せたコメントも素晴らしいのですが、「これはそのまま、あなたに返しますよ」とそのコメントを村西監督に向かって読み上げる姿。一気に惚れました。

サービス精神の旺盛なお二人、とくに村西監督は満員の観客からさかんに笑いを取っていました。しかし、お客である草食形男子からの悩みには、ちゃかさず親身に応える姿。とめどない懐の深さを感じさせるんですね。
さらに代々木監督は「そんなセックスは、エゴに栄養を与えているだけだ」とか「オーガズムを経験すれば、自分自身を鳥瞰できるようになるんだ。そのためには、まず、自分を明け渡す事だ」とセックスの話なのですが、快感を得るとか与えるという内容ではないんですね。

僕はこの日、わいせつ論や映像の技術論、または独特の苦労話でも聞ければいいかなと考えていたのですが、思わぬ方向に向かっていました。
「セックスしている時に、目を見つめてくれる男を選べ」とご自身のお嬢さんにも忠告しているという佐々木監督。結局、今の時代の生き方論や心の解放の大切さ、本当の癒しと宇宙観について話していると感じたのです。僕も、途中からどこかの高僧の法話を聞いている気分になっていたのでした。

それにしても、現在も毎月一本のAVを作っているという佐々木監督は、今年で72歳だそうです。僕はもうあこがれを通り越し、「思想の男」として、これからは自分の目標にしたい! と誓ったのでした。

大人は黙って引っ込んでろ!

2011年02月01日 10時52分55秒 | 自分の事
“隔世の感”というものを昨日、強烈に感じました。原因は昨日観た映画。『さしさわりのある映画特集』というイベントで『パルチザン前史』という映画を観たあとの感想です。
京大の全共闘の活動風景を追った伝説のドキュメンタリー映画。僕も映画の名前だけは知っていたのですが、内容はまるで知りませんでした。ちなみに製作年度は1969年。今から40年以上前、70年安保の前の学生の姿が描かれていました。

正直、とにかく言葉が分からない。「肉体の革命ではなく、精神の革命だ!」みたいな言葉はまだしも、「観念がどうしてこうして」「我々の行き着くところの何々」という言葉の意味がまるで分からなかったのです。
もちろん、そういった言葉で学生同士は会話のやり取りをしていたので、当時では一般的な言語だったのでしょう。それとも、京大という超優秀な学生だから使えた言葉だったのでしょうか?

今の時代との隔たりは、このままの内容をドラマ仕立てで、今映画を作り直したら、おそらくコメディーになってしまうと感じたほどです。
まず、何が目的なのかまるで分からない。もちろん、当時の観衆の理解度をふまえて編集された映画なのかもしれませんが、学生たちの“目的”の部分はこの映画から読みとることはできませんでした。
「安保反対!」と叫んでいるに、何故反対なのか? 安保の代わりは何なのか? 安保反対なのになぜ大学をバリケード封鎖するのか? まるで分かりませんでした。

それ以上に感じたのは、彼ら学生から発せられる言葉は、とにかく方法論の論議ばかりなのです。どう闘うかという内容ばかり。安保反対の先の話はまるで出ていないのです。
僕には40年前の大学生が、かなり遠くに感じられました。

しかし映画を観ていて、ふと思い浮かべたことがありました。それは、最近話題になった山口県庁の前で、上関原発建設反対のためにハンガーストライキを行っていた10代の若者たちのことです。
実は僕は、彼らの行動にどこか違和感を感じていたのです。それ以前に、「県庁前でハンガーストライキをやるって、場所が違うだろう。やるなら中国電力前だろ。それにしたって、ハンガーにする必要はない!」と反射的に感じました。彼らの要求する埋め立て許可の取り下げは、組織的にも、プロジェクト的にも短期間で決着することはないと認識していたからです。

もちろん、上関原発反対という想いは僕も一緒です。ですので、真っ先に彼らのブログにアクセスし、先日の院内集会で行われた広河隆一氏による上関原発反対講演のYouTube映像を自由に使ってくださいと書き込みもしました。
その後、支援メッセージが続々と届いているという報道に触れても、僕は違和感を抱えていました。すると昨日、ハンストを終了するという下の記事を見つけてしまったのです。
「えっ!! 山口県は埋め立て許可を取り下げでいないでしょ!?」「最初から途中でやめるつもりだったの?」というのが僕の正直な感想でした。

さて、勘のいい方は気がつきましたでしょうか?

そう、山口県庁前でハンガーストライキをした若者たちに、僕は方法論で文句をつけていたのですね。つまりこれは、京大のバリケードの中で行われていた不毛(?)な論議と同じだと自分自身で感じてしまいました。
「上関原発反対の目的は一緒、それだけでいいじゃない! 方法論について論議したって時間の無駄だし、それぞれができることをやるとしなければ反対運動は広まらない」と頭を切り替えることができたのです。

ここいらへんの切り替えは子供を育てた経験がないと、どうしても大人の論理を当てはめてしまいますね。そして気がついてみれば、今回は40年前と現在の20歳前後の若者たちに教えてもらいました。
赤ん坊は泣くのが仕事で、若者は大人に反発するのが仕事なんだと改めて認識したのでした。それ以上に、「ハンガーストライキでものが食べられないと、食の大切さが分かった」という彼らの話を読むと、大人はいつも見守ってあげなければいけないなぁ~と、強く思い知らされました。

それにしても、モー娘。から農業に転身するという久住小春さんの話も衝撃ですね。こちらも、やるな~と感じました。ただ、久住小春さんが誰なのかは僕はまるで分かりません・・・


■山口県庁でハンガーストライキを続ける若者たちへのインタビュー

極無所属的テレビ論 1

2011年01月23日 15時13分36秒 | 自分の事
今回も、ワケあってテレビの話です。
以前、僕はひょんな事からあるテレビ局の報道番組のスタッフの一人となりました。バラエティ番組は当時から関心がない、というか、笑いの供給は自分には絶対にムリと理解していました。なので、興味のある報道番組のスタッフという話に、僕は双手を挙げて飛び込んだのでした。それが20世紀の最後半期、世の中がまだアナログだった頃の話。

喜び勇んで飛び込んだテレビ番組の制作現場なのですが、想像以上に戸惑いました。それまで広告関連の仕事をしていた僕は、お客様であるクライアントという存在とそれへの対応というものが身に付いていたのです。
しかし当時の報道には「聖域」という雰囲気もあり、制作現場にまでスポンサーの声はめったにやってきません。なので、「うやまう」とか「お伺いをたてる」という習慣がないやりとりに、「えっ!これでいいの?」と感じたものです。

それ以上に困ったのが、情報がなかった事。日本でのインターネット普及の前夜の事、ネットで調べるという手段がなかったので、情報は本などから得るしかありませんでした。
何の情報が欲しかったかというと、単純にテレビの事が知りたかったのです。「テレビの現場ってみんなこうなの?」にはじまり、テレビ制作者の心構えとか、編集や取材についての事などなど・・・。同僚にたずねても、明確に応えてくれる人間はほとんどいません。
そして、図書館や書店をまわっても、報道についてドキュメンタリー的に扱った本はありましたが、制作者についての本、技術的な事に関しての本は見つけられませんでした。

そう、当時のテレビはとても閉鎖的だったのです。視聴者として触れる分にはOKでも、裏側、特に制作の技術的な事はオープンではなかったのがテレビだったです。それは「ディレクターを目指すなら、まずADになって先輩について覚えろ」的な発想が支配的だったからでしょう。
ところが僕は、ある光明を見つけました。それはパソコン通信内で行われていた、テレビについてのフォーラム(今でいう掲示板のようなもの)。
そこには番組のジャンルごとにいくつもの板が立っていて、結構盛り上がっていました。そして、それを運営していたのが本物の放送作家さんということで、僕はそれを読み、業界の空気を多少なりとも感じ取ろうとしていました。

そんな中で、僕はあるコペルニクス的な体験をしたのです。

それは、ワイドショー番組についてのコーナー。そこには、視聴者からのワイドショーで放送された事柄を否定する書き込みがほとんどでした。でもそこに、決して感情的にならずに、いつも丁寧に回答しているひとりのワイドショー番組の制作者がいたのです。
僕は「へ~、こういう穏やかで知性的な人がワイドショーを作っているんだ」と思い、この人の書き込みをいつも興味深く読んでいました。

そしてある時、「悲惨な事件があった時に、どうしてワイドショーのレポーターはみんな『今の気持ちはどうですか?』と聞くんですか? 悲しいに決まっているじゃないですか!」という書き込みに、そのワイドショー番組の制作者はこう答えたのです。
「それは、その当事者に実際に聞いてみないといけないのです。その人がマイクを無視してもその人、答えてくれれば、その話し方も含めてがニュースである。それをレポーターが代弁しては取材を否定する事にもなるのです」というような事を回答したのです。

これを読んで、僕の中でガツ~ンと地殻変動が起こりました。それまで、一見無礼とも思えていたテレビの取材を、一気に肯定できるようになり、その後の取材においても、心の支えになったのです。
もちろん、取材対象が報道されるにふさわしいかどうかという判断は別問題。それよりも、地上の人間の様子は見えもしないのに、ヘリコプターから「被害を受けた住民は不安な夜を迎えようとしています」というリポートは、テレビ制作者としては許してはいけないし、視聴者としては「見えもしえない事をリポートするな!」と見るべき。直接本人にマイクを向けて、そこで語られたことがはじめてニュースになり得るんですね。

というのが、申し訳ありませんが長い前置きです。

実は昨晩都内某所で、第一線で働くテレビマンによる業界を目指す若者たちに向けた講義を聴講する機会に恵まれました。事前情報もなく臨んだその講義なのですが、講師は偶然、僕がとても気になっていた番組の制作担当者だったのです。
その番組名は伏せさせてもらいますが、僕としては「それは、やってはいけない番組だろ~」と感じていた番組。ちょっとした論議も沸き起こりました。

すると昨日の講義の中で、その番組についての話も聞けたのです。言ってみれば、番組誕生秘話のような「実は・・・」という話。
それは講師の方の誠実な話し方と応対というのもありますが、「なるほど、それなら納得するしかない!」という内容だったのです。当然なんですけれど、番組とするための前提条件は完全にクリアーしていたんですね。それも想像以上に。つまり、僕は「事情も知らずに否定するな!」と言われても仕方なかったのです。

で、ふと考えました。
今の世の中とても複雑になってしまって、悪者と善人の区別もつけにくく、実際には被害者が加害者というようなこともあるでしょう。そこで、テレビも水戸黄門の勧善懲悪のように、説明不要という番組ばかりではなくなっているハズ。また、「制作者の役割は番組を放送するまで、その先は制作者の範疇の外」という考えを改めて、もっと番組の背景を説明する機会が必要ではないかと思うのです。
そうしないと番組制作は分かり易さの方向に流され、冒険をしない、この日講師の方が話していた「(いい意味で)刺激のない番組」ばかりになってしまうのではないでしょうか?

ただ、自局の検証番組みたいなものや、予告編みたいな映像ベースのものだど、どうしても制作者の“人”と“心”みたいなモノが伝わりにくいと思うのです。だからどうでしょう。たとえば、一般視聴者に向けた会見、もしくはパネルディスカッションみたいな場を局が提供し、そこに制作担当者が出きて制作者の想いを直接伝えるという仕組みは?
ひょっとするとテレビ局は、番組を作ってから放送するまでの流れを見直す時期が来ているのではないかと感じたのでした。

最後に余談ですが、かつてパソコン通信で一生懸命にワイドショー番組の弁明に努めていた人物。実はその後、僕が仕事していたフロアーの下の階で働いていると分かったのです。なんと、同じ局の社員だったのです。
お陰で僕は、テレビの懐の深さを痛感したのでした。