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ニッポン チャチャチャ!!

納得できない事、頭にきた事、不可解な事、民主主義後進国ニッポンの“?”を感情的に綴っていきます。

イサム・ノグチの作品に思わず…

2005年11月06日 20時10分34秒 | 自分の事
ここのところ、ずーっと憲法問題を書き続けていたので、今回はちょっと箸休めというか気分転換で、ちょっと話題を変えてみます。実は、これは違うサイトに書いた内容なのですが、一部改稿してUPします。

私は土曜日に天気が良かったので、東京都現代美術館のイサム・ノグチ展に行ってきました。私自身は、以前あるテレビ局で働いていたときに、この人の特集番組があって、それで初めて知った人物だったのですが、土曜だったこともあるのか、会場が結構混んでいたのには驚きました。
日本人の父親とアメリカ人の母親を持ち、混血として生まれた彼は戦中戦後と、自分のアイデンティについて悩んでいたと番組では紹介していました。 さらに子供の頃には父親と離れ、母親と二人で暮らしていたそうなのです。それは、入口でもらったパンフレットで知ったことなのですが…。
そして展示されていた作品なのですが、展示の前半にあった「母と子」という作品に私は一気に心を持っていかれてしまいました。母親が左手に子供を抱きしめて頬を寄せているという彫刻なのですが、その頬は寄せているというよりお互いが溶け合っているのです。もちろん母親の左手と中の子供のからだも溶け合っているのです。
イサム・ノグチは子供の頃には母親に育てられたとされていましたが、母親を失いたくない思いなのか、母親の愛情に渇望しているのか、彼の子供の頃の人知れぬ寂しさがその作品には強く感じられました。
そして、ライフワークのように子供の遊び場を作ることを夢見続けていたという彼の人生を物語るその後の展示には、なぜか涙がこみ上げそうになりました。作品展に行ってこんな感情を抱いたのは私にとっては初めての事です。それだけ、作品には彼の魂が込められていたのでしょうか。
あらゆる子供たちのために楽しい遊び場を作ろうという彼の決意とその作品には、彼が感じていた人生の孤独と、子供時代に受けたトラウマを一生背負って生きてきたというイサム・ノグチという人物の生き様まで感じられた、私にとってはとてもいい展覧会でした。

いきなりやってきた“光”のトラブル?

2005年10月28日 23時09分15秒 | 自分の事
恐れていた事は、思いがけないところで突然に起こりました。TEPCOの光回線を申し込んで、契約書やもらったマスウパッドやノベルティを袋に入れたまま机の脇に置いておきました。
そして一昨日、契約内容を確認するために契約書を袋から取り出してみたら、なんとビショビショに濡れているのです。「酔っぱらって何かこぼしたかなぁ?」と、まず自分を疑ってみましたが、そんな事は無いと確認しました。「でもなぜ?」と考えて袋の中を見直したら、なんとビニール袋に入っていたマウスパット(表面に液体が入っていてその中のスパンコールみたいなのが動くやつ)の液体が漏れ出していたのです。
私は「いきなりこれかよ!」と契約した代理店に電話すると「東電から支給されたものなので…」と言って謝るだけ。私は「本生まなみのマウスパットを2、3枚くれれば許してやるのに」とせこい事を心の中で思っていましたが、結局、謝罪の言葉だけでした…。
さらに昨晩、ダイヤルアップ契約している私は@ニフティの利用状況を調べてみたら、現在契約している950円の5時間コースを利用時間は大きくはみ出していて、その分の追加料金を加えると2000円の無制限コースの方が安くなっていました。
それで、コースの変更をしなければとサイトをたどって行ってみたら、最後の最後のページで、ダイヤルアップ間のコース変更はWebではできないというのです! そこでフリーダイヤルの受付が22:00までと出ていたので、21:30に電話してみると「本日の業務は終了しました」のアナウンスが流れるではないですか。「何だこれはぁー!」とまたまたキレてしまいました。
そして今日、再度そのフリーダイヤルに電話してみると、私の感情は一変。久しぶりに企業に電話して気持ち良く電話を切ることが出来ました。それは、今日コース変更を申し出たら、来月分から新しい料金になると思っていたら、今月分から無制限コースとして請求するとの返事。つまり、本来の超過分はチャラにしてくれるというのです。
さらに、私はもうひとつ@ニフティのIDを持っていて、そちらをプライベート用にして使っているのです。それは自分のサッカーチームのサイトを作っていたりしているのですが、このIDは解約しないといけないと思っていたのです。ところがそれも相談してみたら、無料でそのIDを残す事ができてサイトもそのまま使えるというのです。もちろん、私としては百点満点の解答です。本当にこんなに気持ちいい電話は記憶にありません。
しかし、家庭内LANの設定はもちろん、工事の前からこれだけ色々とある“光”への回線移行。まだまだ山や谷がありそうで恐々としています。

波乱を予感させる“光”への途

2005年10月23日 19時09分37秒 | 自分の事
ついに申し込みしてしまいました。何かというと光回線です。いつも使っているスーパーパーの店先でキャンペーンをやっていて、通常の特典の他にそのスーパー系列店の5,000円の商品券が付くというキャンペーンコピーにつられて、ついに申し込んでしまいました。つまり金に動かされたのです。
ついに、私が執着していたISDN回線の遅さだと、最終的に割高になってしまうという領域になってしまったのです。このブログも特別編で画像を毎回入れたために開くのに大きなストレスになったり、新たなサイトにはまった事もあり、もう接続無制限で光でないと金ばかり掛かる状態になってしまったのです。
それでキャンペーン員の男性にパンフレットをもい、家に持ち帰って読んでみたら驚きました。私は@ニフティなのですが、そのパンフレットには、大袈裟に言うと100M占有は凄いよ、キャンペーンで料金が安いよ、出張サポートが無料だよ、IP電話があるよ、オプションのセキュリティシステムがあるよと企業側のいい話しか書いていないのです。
まず驚いたのが、IP電話は固定電話と同じ感覚で使えるというだけで、電話番号が変更になるという事が出ていないのです。私の場合は、IP電話をFAXにしようと考えているのですが、それにしても名刺から何から変えなければならないのですからね。これが本線に使う電話だともっと大変だと思うのにその告知が無いのは不親切を通り越して、JAROに訴えられるのではと心配になってしまいます。
さらに、ルーターの説明がない事、これはパックとして付いてくる物なのかどうなのかが書いていないのがひとつ。さらにパンレットによっては無線LANを前提にしていて、別のパンフレットでは有線であったり…。それによってこっちはLANケープルを用意すればいいのか無線LANの用意が必要なのか? 私の場合、MacとWindowsのノートの両方を使っているので、その違いは大きいのです。
そして、このブログを書くのにパンフレットを読み直してみたらオプションのセキュリティシステムはWindowsだけに対応していてMacには未対応というのに今気が付きました。もう、申し込んでしまったのに…。
そして極めつけは、さんざんキャンペーンで安いよと謳っているのに、ADSL回線からの乗り換えだと割引特典は適用されないとは、まるで書いてないのです。私の場合はダイヤルアップ契約だったので割引特典の対象になるという事でしたが、それもキャンペーン員が問い合わせて分かったというありさま。
そもそも集合住宅に住んでいる私は、将来、光を引くにしてもマンションタイプの料金なんだなぁと思っていたら、全部で4部屋しかない我が家のような建物ではホームタイプの料金になると知ったのも、TEPCOに問い合わせして知った事。
なんか、完全稼働までには、まだまだ波乱があると予感させる今回の決断でした。

特別編 “心の旅”報告Part6「京都鞍馬山」

2005年10月20日 19時15分48秒 | 自分の事
“関西・命の洗濯ツアー”報告の最終回は、最終目的地となった京都の鞍馬山について書きます。
関西ツアー三日目の朝、天川村は雨でした。予報でも晴れることはなさそうだったので、予定していたトレッキングを諦めて「そうだ。京都へ行こう」となったのです。
そもそものきっかけは、私が通っているオステオパシーの先生が「京都の鞍馬山というのは物凄いパワースポットらしいですよ」という一言がきっかけでした。別に私は義経ファンではなかったのですが、ちょうど出ていた義経の本で鞍馬山を特集している回の号を買って読んでみると、「なかなかこれはいけそうだぞ!」という雰囲気を感じていたのです。そこで、今回のツアーの最後は鞍馬山と決めていたわけでした。
昼前に民宿のお婆ちゃんに別れを告げ、バス、近鉄を乗りついで京都に着いたのが3時半。それから七条駅まで歩いて京阪、比叡山電鉄と乗りついで鞍馬駅に着いたのが4時過ぎでした。すぐに仁王門に向かうと門の横に受付が…。ところが受付の人に「金堂は4時半までですから、入山料の200円はいいですわ」と言われて、今度はあわててケーブルカーの乗り場へ。幸いまだ上に昇るケーブルカーがあったので一安心。なんてったって、暗くなるまでに貴船神社まで歩いて行く予定でしたから。
ケーブルカーを降りて歩き始めると、時間が時間なだけに人も少なく、結構気ままに歩くことが出来ました。だけど、どうも所々に人の手が入り過ぎているような感じで、期待していたようなパワーは感じられず、日光や吉野山あたりを歩いているような印象でした。
ところがぎっちょんちょん(とても懐かしい表現で恐縮です)。山を下りだし鞍馬天狗の舞台となったという僧正ガ谷のあたりから空気は一変して、霊気がヒシヒシと漂うようになってきました。そしてきわめつけが魔王殿。私は全身に鳥肌が立つほどの霊気を感じました。「なるほど、この事だったのか」と納得し、私はゆっくりと参拝をして、オステオバシーの先生の話を思い出しつつ貴船神社へと向かいました。
ところで、いくら貴船川が流れていても“貴船”という名の神社が、こんな山奥にあるのは不思議だなぁと感じたのですが、すでに辺りは真っ暗。参拝を早々に済ませて私は京都へ戻りました。
京都の最後の最後は三条のイノダコーヒー。今年の春に亡くなった高田渡さんを偲んで「三条へ行かなくちゃ」と、是非行ってみたかったのです。何度も店の前を通る事はあっても今まで店に入ったことはなく、これは30年来の夢でもあったのです。そんな夢も果たせ、てんこ盛りだった私の今年の“関西・命の洗濯ツアー”は無事に終わったのでした。

特別編 “心の旅”報告Part5「不思議な猫」

2005年10月20日 14時34分41秒 | 自分の事
“関西・命の洗濯ツアー”報告の第五回は、お婆ちゃんの宿にいる猫について書きます。
私がお婆ちゃんの民宿を定宿にしている理由のひとつに、そこに棲んでいる猫に会いたいという事情もあるのです。初めてひとりで泊まった時に、一週間ほど前から飼うことになったと聞かされた猫が私は大好きなのです。
その猫は、お婆ちゃんの宿に来る前に高野山に泊まっていた女の子が、高野山から拾って連れてきたと聞いています。それでお婆ちゃんは「この子は高野山生まれやろ。そやさかい名前は空海さんの“くう”言いますねん」と紹介してくれました。
この“くう”、前世は人間だったのではないかと思わせるほど思慮深そうな目をして、むやみに鳴くこともなく、彼女(くうはメスなのです)が鳴くときは必ず人の目を見つめ、何かを訴えるために鳴いているようなのです。そんな時、彼女にとても強い意志を感じてしまいます。さらにお婆ちゃん以外の人にはなつく事もなく、宿泊客に食べ物をねだったり、媚びたりしないという猫なのです。
いつも私は宿に着くと必ず「くうは元気?」とたずねるのが習慣になっています。もちろん、今年もくうは元気でした。新しくなったリビングのテーブルの下を新しい居場所に決めたみたいで、そこで丸くなっていました。そしてリビングの出入口のアコーディオンドアも自分で開け閉めして出入りしていました。
今回驚いたのは、夕食を食べ終わって部屋で翌日の予定を考えていると、お婆ちゃんと一緒に部屋にやってきたくうはいきなり私の膝の上に乗ってきたです。お婆ちゃんも「珍しいなぁ」と驚いていましたが、くうはそのまま私の膝の上で寝てしまったのです。しばらくお婆ちゃんと話をしていたのですがくうは寝たまま。お婆ちゃんとおやすみなさいをしてからは、私の掛け布団の上で寝ているのです。こんなくうは初めてでした。
「何なんだろう?」と思い、私もくうの隣に横になってしばらく体を撫でてあげました。たまに手を止めると「何で止めるの!?」という表情で振り返るのです。私は思わず「ごめんなさい」という感じで撫でつづけました。結局、私が布団に入ってもくうはそのまま掛け布団の上で寝てしまったのでした。
一体、彼女は私に何を感じていたのか? とっても気になるし、彼女に直接答えてほしい気持ちです。

特別編 “心の旅”報告Part4「お婆ちゃんの民宿」

2005年10月19日 22時39分43秒 | 自分の事
“関西・命の洗濯ツアー”報告の第四回は、私が天川村でいつも泊まる民宿とそこのお婆ちゃんについて書きます。
その民宿は、天河大辨財天社とは少し離れた場所にあるのですが、前回書いた10年ほど前に訪れていた頃、最後に泊まった時の印象がよくて、今も定宿にしているのです。
なんといっても私のお気に入りはここのお婆ちゃん。最近は息子さんが一緒に住んでいるみたいですが、民宿の仕事をひとりで仕切っているのです。そして、いつも笑顔でとってもキュートで勉強熱心。そのうえカウンセラーのような素敵なお話をしてくれるのです。このお婆ちゃんと話がしたくてこの宿に泊まっているようなもんです。
たしか、最初にひとりでやって来た時は9.11の直後で、テレビのニュースを見ながら「ビンラディンって人はこんな事やって幸せになれるんかいなぁ?」という話をしていたのを覚えています。さらに「突然に起こる事っていうのはなぁ、神様の仕業しかあらへんでぇ」とニコニコしながら説くのにはシビレてしまいました。
今回、宿の前でバスを降りたら、ちょうどお婆ちゃんが玄関の前に立っていました。私が「今年もよろしくお願いします」と挨拶すると、お婆ちゃんは「お客さん、予約しはりましたか?」と応えるのです。そう、お婆ちゃんは、年々ボケがひどくなっているのです。
夕食の後は「明日の朝食は何時にしますかぁ?」と聞かれたので、私は「朝拝から帰って8時にお願いします」と返事しました。すると2分も経たなないうちに「明日の朝食は何時にしますかぁ?」とまた聞いてくるのです。そこで私も同じように答えました。するとまた直ぐに、お婆ちゃんは同じ質問をしてくるのですが、その笑顔に負けて私も笑顔で同じ答えを繰り返すのです。結局このやり取りは、たぶん20回以上あったと思うのですが、お婆ちゃんの笑顔ですべて許せてしまうのです。
でも最高なのは、翌朝の事。朝拝を終えてゆっくり目に民宿に戻ってみると「あれまぁ、早いお帰りですなぁ」と言って、お婆ちゃんはそこから朝食の用意をするのです。私は笑いを堪えて支度を待っていました。そして今度は「卵出しましたかねぇ?」、「はい出てますよ」のやり取りが3回。次は「漬物出しましたかねぇ?」、「はい出てますよ」のやり取りがまた3回。それでいて、お婆ちゃんの献立表に書いてあった納豆は最後まで出てきませんでした。
もちろん、私は来年もお婆ちゃんに会いに来ようと決めています。

特別編 “心の旅”報告Part3「天河大辨財天社と天川村」

2005年10月19日 13時40分00秒 | 自分の事
“関西・命の洗濯ツアー”報告の第三回は私が毎年訪れている吉野の天川村と天河大辨財天社について書きます。
実は私は神社ファンでもあるのです。何てったって、地図でちゃんと確認した事はないのですが、我が家から半径6、7kmにある主な神社はほとんどまわっているはずです。掃き清められた境内や静かな鎮守の森にいるととても癒された気分になるので、初めての神社を見つけるとどうしてもお参りしてしまうほどなのです。
そんな私の最も好きな神社のひとつが天河大辨財天社です。そして、この天河大辨財天社のあるのが奈良の山奥にある天川村なわけです。
10年ほど前にある人から紹介されて何度か続けて訪れたのですが、とっても神秘的で神々しい雰囲気に一発で痺れてしまい、病みつきになってしまいました。そればかりか、村のあちこちに鳥居があり、村の人たちの信仰深さも感じられ“神々の村”という雰囲気はいたるところで感じられます。それゆえにここ5年ほどは毎年、命の洗濯を目的にひとりで訪れるようになっているのです。
今回は飛鳥駅から近鉄に乗って約30分、下市口という駅で降り、バスに乗り換えてさらに一時間以上! ミラーに映る運転手さんがあくびばかりして心配だったのですが、無事到着することができました。
それで私の天河大辨財天社の参拝の仕方なのですが、一日に何回も行きます。まず、村に到着したらご挨拶に。そしてお薦めなのが夜の参拝です。誰もいない拝殿でお参りするととても神々しい雰囲気を味わうことができます。
さらに信心深くさせてくれるのが、朝の7時に始まる朝拝です。祝詞や玉串をささげるのを巫女さんと一緒に椅子にすわって立ち会う事ができるのですが、最後には宮司さん(?)の挨拶があり、なんと朝からお神酒がいただけるのです! そしてなぜか月曜日だけは参拝客にも玉串をささげさせてくれるので、今回も榊をいただき拝殿の上に上がらせてもらいました。本当のしきたりを知らないので緊張しますが、それも回を重ねる度に覚えていくと、より神様に近づけるような気になれます。
まあ、この村には神秘的なところが本当に数多くあります。それは紹介されて確認するより、ご自分で発見することの方が素敵だと思いますし、そうするのをお薦めします。

特別編 “心の旅”報告Part2 「明日香村」

2005年10月19日 02時53分08秒 | 自分の事
“関西・命の洗濯ツアー”報告の第二回は奈良の明日香村について書きます。
私のプロフィールには趣味に“古代史”とありますが、実は私は古墳ファンでもあるのです。そこで、歴史の興味の中心を弥生時代から古墳時代までとしている私にとって、奈良県というのはたまらない場所なのです。何てったって古墳の宝庫であるとともに、大和朝廷の発祥の地ですから、まさに「猫に鰹節」と言ってもいいでしょう。
今回、初日の宿をとった八木から翌日の宿である天川村に入る途中に明日香村に寄ることにしました。それは、天川村に入るバスの本数が少ないので、朝に八木のホテルを出ても二時間程度の時間が余ってしまうのです。それで近鉄線の途中にある飛鳥駅で途中下車し、古墳探訪を歩いてすることにしたのです。
それともうひとつ、以前にもこのブログにも書いたのですが、とにかくこの村の空気というか“土地のエネルギー”みたいなものがとても好きなのです。特に文武天皇陵のあたりの雰囲気は最高。歩いているだけでも幸せな気分になれるのです。
というわけけで、真っ先に向かったのが文武天皇陵。やっぱりあたりには空気が輝いているような、とっても清々しい雰囲気が漂っていました。そこで私はこの景色をブログに載せようと、一生懸命に自慢のニコンD70で撮影していたのですが、途中から突然ファインダー内の表示がおかしくなっているのです。
原因はバッテリー切れでした…。「さっきまでバッテリー残量の表示は問題なかったのに!」と、悪態をついてもしょうがなく、その後はバックアップ用のコンパクトデジカメでの撮影を余儀なくされました。
しかし、バッテリーの残量表示は、どうしてこうも信じられないのでしょうか? インドアの撮影ならまだしも、、外の撮影だと本当に困ってしまう現象です。私は、ちょっとニコンに文句を言いたくなりました。
その後は、修復工事中の高松塚古墳の脇を通り抜け、天武・持統天皇陵と欽明天皇陵を見ることができましたが、古墳探訪は止められません。理由は自分でもよくわかりませんが、自分の先祖の墓参りより天皇家の墓参りの回数の方が段違いに多いのは間違いありません。これは、長男としていい事なのでしょうか?
(※写真は文武天皇稜)

特別編 “心の旅”報告Part1 「猿田彦神社」

2005年10月18日 22時21分19秒 | 自分の事
今回からしばらく特別編として、私が先日行ってた“関西・命の洗濯ツアー”の報告をしたいと思います。まあ、たまには極私的な内容も許してください。何せ買ったばかりのニコン70で写真もいっぱい撮ったので、それも見てほしいのです。
第一回は猿田彦神社の「おひらきまつり」について書きます。
そもそもは私の最近の愛読誌「ランティエ」に出ていたその祭りの紹介記事がきっかけでした。前回に書いたように、細野晴臣とサンディーが出演するとなっていたのです。
実は私、音楽好きなのです。70年代は邦楽・洋楽にかかわらず、かなり聞きまくっていた世代です。そんなわけで今回、細野晴臣さんと接近遭遇したのも、25年以上前にジェフマルダー&エイモスギャレットという超マイナーなユニットのライブに客として来ていた細野さんを見て以来でした。
で、サンディーの方なのですが、かなり前から彼女の名前は知っていたのですが、以前、私が某テレビ局で仕事をしていた時に彼女の紹介番組があったり、彼女のフラDVDの告知をしたりと縁があったのですが、お会いした事はなかったのです。そして今回の公演は、彼女がフラの最高位の資格を取れた報告の意味もあるというので、この機会に一度生サンディーを見たいと思ったのが大きな理由でした。
新幹線と近鉄電車を乗り継いで行った今回のツアーの最初の目的地、猿田彦神社はあいにくの雨でした。本殿の裏手の鎮守の森(?)の特設ステージでイベントは行われていたのですが、4時過ぎから始まり、細野さんはわずか3曲で終わり(ちなみに、はっぴぃえんど時代の「風をあつめて」をやってくれました)。その後、火入れ式などがあったのですが、どうもサンディーを待っていたら電車が無くなってしまいそう。その上、雨も強くなるし…。
こりゃぁ、切り上げるしかないなと思って歩き出した時、別棟の前で女の子の団体が「サンディー!」と声をかけているのです。私は思わずその声の先のほうを見たら、なんと笑顔のサンディーが彼女たちに手を振っているのです。そう、こうしてついにホンの僅かですが生サンディーを見る事ができたのです。

これ以降は、これまでと全然別の話なのですが、会場に来ていた女の子たちがとてもいい感じなのです。関西の子だからかな?と思ったのですが、神社のイベントで細野晴臣やサンディーを見にくるような子はどこでも同じかなとも思います。具体的には、表情に気負いがなくて、笑顔が爽やかで、前世は巫女さんだったのでは?という優しそうな子が多かったのです。それがとても印象的でした。
そしてその後、最近地元から大阪に引越し、子供が三人いる奴と奈良で飲む事になったのですが、そいつも「家族と一緒に過ごせる時間が増えて、今、幸せですね」と、とってもいい表情で話しているのです。そこで、生活や気持ちのありようは、結局、顔に出るものなのだなぁと感じた私でした。

命の洗濯・奈良ツアーへ出発!

2005年10月14日 22時52分15秒 | 自分の事
突然ですが、明日から関西ツアーに出発します。私の年中行事となっている“命の洗濯・奈良ツアー”に行ってきます。
例年は京都から奈良に入っていたのですが、今年は仕事の都合で今週末に出発せざるを得なくなったのです。それによって、伊勢の猿田彦神社で明日から行われる「おひらきまつり」を見てから奈良に入ることにしました。この祭り、細野晴臣&環太平洋モンゴロイド・ユニットという摩訶不思議なユニットが出たり、フラで有名なサンディーが生で見られるということで行ってみようと思ったのです。
翌日は明日香村を少し回ってから毎年行っている天川村に入る予定です。この天川村とは天河弁財天というのが有名で、村のあちこちには神々しい雰囲気が漂っていて、私にとっては聖地としてお気に入りの別天地です。
特に、朝6時に始まる弁天さんの朝拝に参加したり、夜ひとりで拝殿に行くと、この神社の人気の理由がわかる神聖な雰囲気がヒシヒシと感じられます。
宿はとっても深遠な話をしてくれる素敵なおばあちゃんがひとりでやっている民宿に泊まるのですが、最近ちょっと耳が遠くなったみたいですが、このおばあちゃんと話しをするだけでも心が洗われるのです。
そして、翌日は天川村の自然に触れてから、夕方に京都に向かいます。本当言うと、もう一泊京都に泊まって、鞍馬山と貴船神社のあたりに行きたいなぁと思っているのです。問題は天気。どうも、台風が来そうですよね。私は晴れ男なのですが、「遊んでばかりいないなで、仕事しろ!」と神様が雨を降らせれば諦めるしかないと思っています。
でも、せっかく京都まで行くんで鞍馬山は行きたいですねぇ。この後紅葉の時期になったらもっと混むだろうし、寒くなるし…。
最後は、私の日ごろの行いが試される機会なのでしょう。いずれにしても数日間、このブログは更新されません。東京に帰ってくれば旅の写真もUPしますのでご期待していてください。