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ニッポン チャチャチャ!!

納得できない事、頭にきた事、不可解な事、民主主義後進国ニッポンの“?”を感情的に綴っていきます。

心がない

2006年11月28日 18時58分07秒 | 自分の事
昨日、いくつかの場面で「日本の心」が消えてしまっている現実を思い知らされました。ここでいう“日本”に大きな意味はありませんが、“相手をおもいやる”という言葉に置き換えてもいいでしょう。私たちが小さい頃に教わってきた“何でもない気遣い”と言い換えられるかもしれません。
まず最初に出会ったのがJR目黒駅の改札。山手線に乗ろうと思ってJR目黒駅の改札をいつもの通りにSuicaを使ってぬけようと思ったら、ブザーが鳴って扉が閉まるのです。それで駅員室の脇の改札に行きました。
そこで駅員に自分のSuicaを渡すと「前回はどこで降りましたか」と聞くので、私は自分が前回乗り越し精算して降りた東京メトロの駅名を伝えました。しかし駅員は「○○ですね」と似たJRの駅名を言うので、「いえ××です」と応えると、「JR以外の駅ではSuicaは使えないので、今度は切符を買ってください」と言うのです。
あなたはご存知でしたか? やれ買物ができるだとか、何それに使えるだとかSuicaを宣伝していながら、相互乗り入れしているJR以外への乗り越しには対応していないということを。私のSuicaの裏面には、「他社路線で使える事もあります」と書いてありますが…。
そして次は西武線の池袋駅。ここでも呆れてしまいました。私は本来、回数券を買いたいのですが、3ヵ月という有効期限内では使い切れないのでパスネットを買う事にしました。それで、パスネットが買えると表示されている券売機の前に立ってみると…。
券売機の画面いっぱいに広告が表示されているのです。そして、下の方に小さく「切符を買う方は画面をタッチしてください」と書かれていたので画面をタッチすると…。何とさらに別の広告画面になるのです!
これには驚きました。西武鉄道は切符を売るよりも、自社商品の広告の方が重要なのでしょう。混雑時でも、お客には切符を買わずにゆっくり広告を読んで欲しいのでしょうね。少なくとも、お年よりや外国人などは切符をすぐには買えないでしょう。まあ、西武鉄道がさもしい企業と宣言しているようなものだと思いました。
最後は三菱銀行。この日、引き落としがあったので私は初めて行く支店のATMの長い列に並んでいました。そこで目にしたのが写真の表示です。私も旧UFJ銀行口座の引き落としなので気になったのですが、私の通帳も今回で使い切るのです。しかし、この表示では旧UFJ銀行の客はどうしろと言うのでしょう。
明かに「旧UFJ銀行のお客様は窓口へ」という表示が抜けています。これを堂々と銀行内に表示してしまう三菱銀行の品位を疑います。まるで旧UFJの客は相手にしていないというか、合併したからしょうがないので対応してやるという銀行の姿勢が露骨に表れています。
いつから日本の企業はこんなに人を思いやれない、客の立場でモノを考えるという発想がなくなってしまったのでしょうか?

この状況って「企業ファシズム」と呼ぶこともできるでは…。

この国の現状にお手上げです

2006年11月25日 04時15分57秒 | 自分の事
約2週間、このブログを更新できませんでした。仕事が忙しかったという理由もありますが、まるで更新するモチベーションが生まれてこなかったというのが正直な理由です。
そのモチベーションを下げた原因というのは、多くの出来事が重なっての事です。その中で最大だったのが沖縄の知事選の結果です。選挙の前の週に教育基本法を委員会で強行採決したのに、沖縄県民は野党連立候補ではなく、自公候補を選んだ事です。
それも、投票率が前回よりアップしいるというのにこの結果…。私はショックでした。教育基本法ばかりではなく、党幹部が核武装是認の話をしているというのに基地の県沖縄は自公が推す仲井氏を選んだのです。
これは私の見方ですが、おそらく基地問題や日米の不穏な動きや日本の右傾化よりも、沖縄県民は経済振興を選んだのでしょう。ここでもプルサーマル計画と同じ、地域間格差の問題が浮き彫りになっていると言っていいでしょう。
私は沖縄に住んだ事がないばかりか、一度仕事で行っただけです。ですから沖縄の経済や生活の実情を知りません。なので、これもプルサーマルの問題と同様、沖縄の人たちを悪しく言う事はできません。単純に、こうなるしかない今の“日本”に失望したのです。
病んでいると言いわれながらも、アメリカ国民は中間選挙でブッシュに“NO”を突きつけるバランス感覚を示しました。しかし日本にはそれがないのです。そういった国民の真意を確認するシステムや、お上に“NO”という習慣がないのです。これだけ国が危険だというのに…。
そしてマスコミは日和見になり果て、先日のアサコムのように政府の世論操作の片棒をかつぎ、NHKまでもが若者の自殺を無神経に報道し続け、連鎖自殺の責任を感じない。こういったマスコミへの不信は、一次情報に触れることができない私にとって、もはやブログに引用する媒体ではありえなくなってしまった事を意味します。
昨日もマスコミはモノレールの故障などのニュースがトップで、今、日本国民が直面している問題をまるで報じない。郵政民営化の造反議員の自民党復党問題も是非を論じることはなく、自民党のパワーゲームのように報じるばかり。
そんな中、私の友人は介護に悩み、右傾化を憂い、将来に不安を感じ、医療の不合理を嘆く。政府の無策ばかりか、マスコミの報道もお門違いで、状況の“悪化”をニュースにするばかり。世の中の改善に力を注いでいませんよね。
そこで、この国を見捨てるしかないと考える毎日。いつ、どの国へ行くのがベストなのかと考えています。一方で、更新しなくてもこのブログのアクセス数は減りませんでした。つまり、このブログに意味を感じて読んでくださる方がいらしたということでしょう。
しかし、さすがに今までの方法論には無力感というかマスターベーションではないのかと感じ、メディア情報をベースにブログを更新するやり方に嫌気が差してきました。そこで、新しいスタイルを模索しているのですが、新しい方向性がまるで見えてきません。それが、最近の更新サボりの深刻な原因なのです。

さよなら「いせや」

2006年09月22日 23時34分25秒 | 自分の事
昨日、まだ日のある時間から、友人とある焼き鳥屋に行きました。それは「人が額に汗して働いている時間から酒を呑んで楽しもう!」という目論見でした。実はもうひとつ、理由があったのです。それはその店が25日を最後に取り壊しになり、高層ビルになってしまうというので最期のお別れの意味もあったのです。
吉祥寺にあるその焼き鳥屋の名前は「いせや」。おそらくご存知の方も多いと思います。というか、チェーン店以外で、東京で一番有名な焼き鳥屋なのではないでしょうか?
吉祥寺のランドマークともいえる「いせや」の魅力は、料金の安さとノスタルジックな雰囲気と昼間から営業しているという事。あの高田渡氏が、昼間からこの店でよく酒を呑んでいたというのは有名な話です。映画「タカダワタル的」の中でも、唄っているシーン以外はほとんどこの「いせや」で呑んでいる姿でした。
木造二階建てのこの店は、2階がお座敷になっていて、1階は店内のカウンター席と歩道に面した立ち飲みカウンターという造り。立ち飲みカウンターは昼間からもくもくとした煙の中、ベテランの飲んべいたちが焼き鳥をつっついて呑んでいました。
私がはじめてこの店を知ったのは高校生時代(一応、時効ということでご勘弁を)。当時一緒に遊んでいた仲間から教えてもらいました。しかし素晴らしいのは、その頃から店の雰囲気はまるで変わっていないのです。創業80年という事なのですが、おそらくたたずまいは開店当時からもそんなに変わっていないのでしょう。
この店が取り壊しになると知ったのが、たしか今年の春の頃。それ以来、私は事あるごとに「いせや詣」を重ねてきました。そしてみんな同じ事を考えるもので、最近はとんでもない混み方だと耳にしていました。
昨日は、飲み始めたのが4時半でしたが1階はほぼ満員。その後、二階席は階段に行列ができて、1階席にも長い入店待ちの行列ができていました。新聞にも取り壊しの記事が出ていた事もあり、道路の反対側にはカメラで撮影する人の姿も数多く見られました。
そして日が暮れた頃に気がついたのですが、どうも客の雰囲気がいつもと違うのです。そう、完全に閉店前の追悼セレモニーになってしまって、常連のような本当にこの店を愛し、お酒を愛するような人たちの姿が見当たらないのです。ちなみに、同じ目的で来た知り合いのデザイナーには会いましたが…。
まあ、こんなお祭もいいのでしょうが、この店を育て、存続させてきた常連さんたちから、お別れの機会を取り上げてしまっていると感じたのです。だいたい一日の勘定か1000円前後で、サッと呑んでサッと帰るような先輩の常連さんたちは、この騒動をどう思っているのでしょう?
どんどん街中から古くから親しまれた建物がなくなってしまいますが、その跡にはほとんどが若者向けの建物が建つのが一般的す。ですからせめてそんな建物の最期は、そもそものファンの人たちに惜別の時間を与える思いやりがあってもいいのではないかと思ってしまいました。
ちなみに、私は明日も最後の「いせや詣」に行きます。

やっぱり吉祥寺ミュージシャンは素敵だ!

2006年08月22日 00時22分52秒 | 自分の事
最近は野外フェスティバルがはやっていて、オープンな場所で音楽を聞く事が多くなっています。20日の日曜日に吉祥寺の井の頭公園でも、ちょっとしたライブが行われていたのをご存知の方はいらっしゃいますか?
「井の頭公園なら、いつもそこいら中でギター弾いていたり歌っている奴がいるじゃないか」と言われるかもしれませんが、20日のライブはわけが違っていました。『武蔵野ナイフ・06』と名付けられたそのライブは、プロで30年以上歌っているアーティストが集まって、井の頭公園で野外ライブをやったのです。
参加したアーテストは、シバ、中川五郎、いとうたかお、村上律、中川イサト、ツトム・イサジ、藤縄てつや、よしだよしこ、野沢亨司といった面々。いわるゆる吉祥寺ゆかりのミュージシャン、それもクリーンアップ級のメンバー大集合だったのです。
今回は、シバの呼びかけに皆が集まったそうなのですが、そんなメンバーのライブが何と投げ銭ライブだったのです。身体中に防虫スプレーをかけてストリートミュージシャンと同様に、地面に開いたギターケースを置き、その後ろで各ミュージシャンが次々と演奏するのです。
私はビデオ撮影を頼まれていたので、ミュージシャンの演奏を間近で見ることができました。よく一緒にライブをやっている間柄とはいえ、彼らのあうんの呼吸はさすがでした。
誰かが歌えば、必ず別の人間がハープをかぶせたり、ギターをかぶせたり…。撮影している私も、ここでこの人のギターソロがくるはずだ、この人のハープのソロが終わればボーカルに戻るはずだ、など音を聞いて考えながら私もメンバーのひとりになったようなつもりで楽しく撮影できました。
次々に出でくるミュージシャンに、別のミュージシャンが加わってどんどん広がっていく音楽の輪。手作りの音楽にミュージシャンたちもとても楽しそうに演奏していました。でも、一番ラッキーだったのはこんなメンバーのライブを投げ銭で聴くことができたお客さんでしょう。
たぶん、お客さんは100人もいなかったでしょう。暑い中、席もなく、地面に座るか立ったまま聴いているか環境は良くありませんでした。ところが、演奏中の掛け声や、ミュージシャンをたきつけるツボをみな心得ていて、まさに演奏者と観客が一体感になったライブでした。
最終的に投げ銭がどれほど集まったか知りませんが、普通のライブハウスでライブをすればそこそこの集客ができる面々。そんな人たちが、わざわざ暑い公園の片隅でライブをするというのが凄いというか無謀だと思いました。間違いなく儲からないはずなのに…。
そんな馬鹿げたことを当たり前にやってしまう、彼らを私は大好きです。本当の理由を知りませんが、井の頭公園はあの高田渡さんがいつもいた場所。最後の曲も渡さんの曲をみんなで歌っていたことから、渡さんへのレスペクトの意味があったのは間違いありません。
こうやって人を集める渡さんも素晴らしいと思い知らされましたが、渡さんから受けた恩を忘れずに集まり、馬鹿げたことをする彼らも素晴らしいと再認識したライブでした。

去年の靖国神社と戦没者墓苑で…

2006年08月14日 18時58分14秒 | 自分の事
明日は終戦記念日。去年の今頃、私は「わたしが一番きれいだったとき」という曲の映像制作にとりかかっていて、連日各地にロケに出かけてました。もちろん終戦記念日の靖国神社と千鳥が淵の戦没者墓苑のロケをメインに考えて撮影していました。
そのいきさつは去年、何回か書いているので、そちらも読んでみてください。
「これから打ち上げだ!」
http://blog.goo.ne.jp/m_hitori/e/bb0771f45552060816962b26571ffb79

まず、去年の終戦記念日で驚いたのは靖国神社の人の多さでした。靖国神社主催の行事はないという事でしたが、別の組織が主催した行事が多くの場所を占めていたこともあり、予想以上の混み方。同時に、戦没者の多さを知る事となりました。
とにかく、私としては初めて終戦記念日に靖国神社と戦没者墓苑の両方に行ってみて、今の日本が多くの御霊の犠牲の上に成り立っているという事を感じさせられました。
しかし戦没者墓苑では、新たな疑問を感じたのです。こちらは警備が厳しく、黒塗りの車も数多く止まっていて、“偉い人”がやってくるという事はすぐに分りました。ところが驚いたのはその偉い人が“小泉首相”だったのです。名前の通り、戦没者墓苑は戦争で亡くなった方たちを祀っているところ。なぜ、これを大きく報じないのか? また小泉首相はアピールしないのか?
どうもマスコミ、官邸両方に意図的なものを感じましたが、真意は分かりません。マスコミも終戦記念日の靖国神社参拝も問題にするのであれば、同じ日に行う戦没者墓苑参拝の意味づけもしないといけないでしょう。
また、それとは別にA級戦犯と呼ばれる人たちばかりでなく、愚かな道に国民を導いたり、自身の名誉や保身のためだけに理不尽な命令を強制した人物がいた事も様々な機会で知る事ができました。
私としてはそれ以上に去年の終戦記念日は、私がインタビューした当時が一番きれいだった方々=現・お婆ちゃんたちの言葉がとても印象的でした。実際の戦争の被害者の方々のお話を聞くことによって、戦争には確実に被害者が存在する事。そしてそれは、一般の国民たちだという事を思い知らされました。
さらに凄いのは、そのお婆ちゃんたちは皆、その悲劇や悲しみを乗り越えて生きてきたということ。しかしその悲劇や悲しみの原点は決して60年経っても忘れられないから、終戦記念日にはこうやって参拝するのだと理解しました。
明日、私は去年インタビューに答えてくれたお婆ちゃんたちに出来上がったDVDを渡すために、1年ぶりに戦没者墓苑に行くつもりです。

去年の終戦記念日…。私は「反戦」の意志を一段と強く持つこととなりました。

意外な場所で出会った「反戦」メッセージ

2006年08月13日 02時51分28秒 | 自分の事
金曜日の深夜、友人と新宿御苑の近くの店に行きました。そこは、いわゆる“グラブ”と呼ばれる店。高校時代の一学年上の先輩がやっているお店なのです。これまでに何度か遊びに行っているのですが、今回、ちょっと驚きました。
トイレに行こうと思って、薄暗い店内のトイレの扉の前に立ってみると、多くの落書きの真中に見覚えのある文章が書いてあるのが目につきました。何とそれは憲法九条の条文だったのです。丁寧にも、大事な個所にはちゃんとアンダーラインを引いてありました。
その店は「OPEN」という名前のレゲェ・クラブ。DJをやっている先輩は工藤 big“H”晴康という名前で、その道ではかなりの有名人。レゲェ歴30年のベテランです。
そんな彼にトイレの扉の事を聞いてみると、当たり前のように「おう、そんな事は毎日DJをしながら言ってると」と答えるのです。そして差し出されたお店のスケジュール表を見てみると、その先頭には“STOP DE WAR!”と大きく印刷されているのです。
たしかに、「平和を訴える歌」としてボブ・マーリーの曲が選ばれるように、レゲェの曲はよく“愛”と“平和”を訴えています。ボブ・マリーの「ONE LOVE」という曲などは、ジャマイカのもうひとつの国歌として国民に誇りを持って親しまれていると聞いたことがあります。
そんなレゲェというジャンルの店だったせいかも知れませんが、大人たちが眉をしかめるような“クラブ”という場所でも、しっかり“反戦”という言葉が共通の言語でありメッセージになっているんですね。ちょっと意外であり、驚きました。
そういえば、以前、やはり若い友人に別の“クラブ”に連れて行かれた時に、そこに来ていた派手な格好をしていた女の子が国際情勢に詳しく、紛争地区にも自分の目で確かめてきた事があるという話を聞いて驚いた事を思い出しました。
結局、表現方法やアプローチは異なり、それ以外の共通言語は少ななったり接点がなかったりして、お互いに気が付いていないのかも知れませんが、実は「反戦」というキーワードとそれに伴なう「マインド」は予想以上に若者たちに広まっていると感じたのでした。
それなのに、世論調査をすると「戦争容認」と思える意見が多いのはなぜなのでしょう?

レゲェクラブOPEN
http://blogs.yahoo.co.jp/club_open

「世界報道50周年記念展」に行って思い出した35年前

2006年08月04日 20時09分18秒 | 自分の事
1971年11月14日、当時渋谷駅の近くに住んでいた私は貴重な体験をしました。沖縄協定反対デモで学生と機動隊が衝突。我が家のあたりでも機動隊と学生の激しいせめぎあいが行われました。
青山通りの方に位置する機動隊は、我が家の方にいる学生に向けて催涙弾を撃ち込んでくるのです。その度に我が家の脇の路地になだれ込んでくる学生たち。家の中でじっとしている私たち家族には、催涙弾から逃げる学生たちの足音が間近に聞こえてきます。そして家の中に漂ってくる催涙ガスの臭い…。
そんな中、「誰だお前は!?」という声。「報道だからいいじゃないか」と擁護する学生らしき声。当時中学生だった私には意外な会話でした。“機動隊=いいヤツ”、“学生=悪いヤツ”というような認識しかありませんでしたから、「報道ってのは悪いヤツの仲間になれるんだ」と不思議に思ったのでした。
昨日、恵比寿で開かれている「世界報道50周年記念展」に行って、そんな35年前の事を思い出しました。「絶望と希望の半世紀」というタイトルがあるように、世界報道写真財団の設立の1955年から今日までを10年毎に区切って写真を展示していました。
そして、かわっていたのは「報道写真」でありながらカラーコピー(?)の展示が多かった事。つまり“雑誌”がその写真をどう伝えたのかを見せるために、雑誌のカラーコピーの展示が多かったのです。
たしかに私の記憶に残っている報道写真の多くは雑誌に掲載されて世界中に広まっていったのでした。それだけ、かつては雑誌の持つ力が大きかったのでしょう。そしてその雑誌に掲載されるために、報道カメラマンは命を賭けてシャッターを切りつづけたのでしょう。
そのひとつの頂点が65年から74年のコーナーでした。人類は月に行き、若者は世界を変える勢いを持ち、ベトナムでは泥沼の戦い…。被写体が溢れている時代は、大きな変化の時代でもあったのでしょう。戦争写真も変化したと思いました。ベトナム戦争から“戦争の現状”を伝える写真から“反戦の意志”を持った写真が増えたように感じたのです。
それが軍の報道規制などにつながっていったのでしょう。そして世界中でパパラッチに象徴されるようなスキャンダル写真が好まれるようになり、また、読者の趣向の多様化の前に“雑誌”の力も弱まっていったのでしょう。
それが今ではデジタル化の流れによって、アマチュアの写した写真や映像が世界中を驚かす時代にまでなってしまったのです。展示の冒頭にも「デジタル化となる変化に対応するフォトジャーナリズムの役割を問いかける」とありましたが、世界報道写真財団も覚悟しているのでしょうか? 決してフォトジャーナリズムの未来は明るくないでしょう。
あまりに情報が過多になり、そこでは写される方と写す方の関係性も形式的となっていくように感じるのです。写るにはこうあるべき、写すにはこうあるべきという、つまりは予定調和…。
私は35年前の自宅付近の報道写真を見た記憶はありませんが、今であれば記者証を付けたカメラマンが全員、機動隊側から撮影しているように思えてなりません。

私にとっての教科書だ

2006年08月03日 02時49分27秒 | 自分の事
この本は、近所の書店で偶然見つけたのです。私は櫻井よしこさんがリーズでこういった本を出している事を知らず、とりあえず最新のものを読んでみようとして選んだのがこの本『日本が犯した七つの大罪』です。
週刊新潮に連載されていたものを単行本化したのが2003年3月で、文庫本として出たのが昨年の4月となっていました。「ちょっと内容が古いかもしれないけど、一番新しいものなら…」という考えで選んだのです。
第一の大罪 日朝交渉・過ちの歴史
第二の大罪 これが本当に“改革”なのか 道路公団民営化
第三の大罪 国家は喪失したのか 国際社会できわ立つ日本の脆弱
第四の大罪 “人権”とは何か 情報三法の実態
第五の大罪 ニセモノの“友好”日中国交30年の欺瞞
第六の大罪 病が私たちに教える多くのこと
第七の大罪 狂牛病対策はなぜ遅れたか
と、日本の大罪を七つに分けて書かれているのですが、この本を先に読んでいたらこのブログは始められなかったでしょう。私が知りたかった事、疑問に感じていた事がしっかりした取材に基づいて書かれているのです。ひとつひとつの論調は凛としながらも力強く、櫻井さんの追及の鋭さも感じました。
現在はフリー・ジャーナリストですから記者クラブなどに依存することなく、自分の足と粘り強さ、取材対象に信頼される取材姿勢と人柄など、ジャーナリストのあるべき姿を行間に読み取る事ができました。同時にそういった取材で明らかになった事柄こそ、私たちが知りたい事なのだとも感じるのです。
やはり、報道ジャーナリズムの隙間を見つけてモノを書いている私のブログなどとは本質的に迫力と説得力、そして臨場感が決定的に異なります。まあ、それも当然の事ですが…。
そこには、直接当事者に取材する、周辺取材も欠かさない、過去の事実を忘れないという報道の基本を忠実に守っているからこそ独特の“迫力”が生まれてくるのでしょう。ところが、こういった意識を持ったジャーナリストにはどうもテレビではお目にかかる機会がないように思います。それは国民にとっては危険な事でもあるでしょう。
そして何より、この本では官僚の腐敗と意識の低さに始まり、外務省の弱腰外交、拝金主義の横行、行政による国民の管理社会、官僚主導の二重構造など、今問題になっている事柄は、すでに櫻井さんは鋭く指摘していたのでした。
ちっとも改善されそうもないばかりか、益々暴走に拍車をかける永田町や霞ヶ関の人たちの精神構造。櫻井さんは「私たちが誇りにすることが出来る国に、この国がなるまで、私は希望を失わないだけの勇気をもち、報じ続けたいと思う」とあとがきに書いています。私も見習いたいとは思いますが、ちょっと私にはその勇気が足りないと反省しています。

実は私は、シャープファンなのです

2006年07月29日 01時27分12秒 | 自分の事
今回、またまた機械が壊れた話なのですが、私はいままでとはちょっと違う感想を持ちました。それは、メーカーとして当然の対応と思いますが、今となっては理想的な作り手の精神に触れることができました。
それは私のデジカム(ムービーカメラ)の話です。実は先日、ある人のライブをそのデジカム撮影したのです。ところが、撮影中には気がつかなかったのですが、テレビ画面で再生してみると小さな白い点が同じ場所に写っているというか、そこだけ画像が映っていないという状態ただったのです。
実は私のデジカムはシャープ製なのですが、昨年の暮れに一度、写る色の具合がまるでおかしくなったので有償で修理に出していたのです。そして今年の頭、別の撮影した後にも白い点が写っていた経験があるのです。その時は前回の修理から3ヵ月以内だったので、シャープに修理に持ち込みました。
修理を依頼してからしばらくしてから連絡があり、「前回の修理した個所とは別の場所の故障なのですが、無償で直させてください」といわれ、わずか数日で修理してくれたのです。もちろん私は喜びました。
以前このブログでも書きましたが、私のコンパクトデジカメは5年の保障期間があるのに、4年間で5回も修理に出すという酷さ。そして6回目の故障になってしまい、ついに、メーカーも現行機種に交換せざるを得なくなったという経験をしたばかりなのです。
その交換してくれた新機種は新しいので、当然それまで私が使っていたカメラよりもスペックは優れているのです。ただ、どうも余計な機能ばかりという印象で、決して使い勝手がいいとは思えません。ただ、価格が以前の機種の2/3というのが気になります。つまり壊れやすいのではないかと…。
そして最近、携帯電話もmovaからFOMAに変更したのです。偶然、同じ富士通なのですが、あまりに使い勝手が違って戸惑っています。例えば濁点のキーという基本的なところが違うというのには驚きました。
デジカメにしろ携帯電話にしろ、どうも過去の財産を積み上げていくという発想はみえず、毎回毎回、新しい技術を開発し導入しているようです。それは当然開発コストがかかり、それでいてユーザーは毎回使い方を覚えなければならず、決して使い勝手も優れていない。そして開発コストを回収するには壊れやすくなくてはならないという悪循環を常々感じていたのです。
そこで今回のデジカムの修理の話に戻るのですが、実は、前回の修理から5ヵ月も過ぎでいるのですが、最初に電話で話したシャープの人は「申し訳ありません、機械を見せていただいて不具合が確認されたら無償で修理させてください」と言うのです。
故障修理後に同一個所が故障した場合、無償修理は3ヵ月間とされているのに…。本当に自社の製品に誇りを持っていて“故障”というのが許せないなんだろうなと思い。私は、こういう人間がいるメーカーを信頼したいと思いました。
そして付け加えると、シャープはずっと以前にデジカム事業から撤退しているのです。つまり、撤退した機種のアフターサービスなのに、ここまで丁寧なのです。もちろん、今回の修理も数日で上げてきました。
私のシャープファンは、この先も続くでしょう。

忌野清志郎 応援宣言

2006年07月15日 13時21分48秒 | 自分の事
あの忌野清志郎氏が喉頭がんと知り、ショックを受けました。精力的に生活されている方だと思っていたし、多少なりとも接点があったので本当に驚いています。時間がかかっても、また元気にあの歌声を聞かせてほしいと願っています。とにかく、ガンにうち勝つことを祈っています。

そんな事を自分の日記に書くために、改めて清志郎のCDを聴きなおして驚きました。私が聴いたのは正確には“忌野清志郎”ではなく“ZERRY”の名前で歌っている“タイマーズ”のCD「復活!!」でした。
このCDはしばらく活動を休止していたタイマーズが、久々にリリースしたもので、阪神大震災やオウム事件の年に出たものです。私が驚いたのは、シニカルに書かれた歌詞があまりに的確で、世の中の危険な風潮をこの時すでに彼は「ヤバイ!」と感じていたのでしょう。ただし、私を含む多くのファンは真の意味や彼の真剣度が分っていなかったのでしょう。

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『JOKE』作詞・作曲:ZERRY & TOPPI

ぼくがジョークを 言い始めたら
世界中が 泣き出した

次の日は雨 朝から降りしきる
世界中が 泣き出した

憂鬱なBluesが ぼくをせせら笑う
憂鬱なこの雨の中で ぼくの喉が乾いている
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と、自分の発言を“ジョーク”とあえて表現して、周囲とのギャップを嘆いていたのです。
その“ジョーク”と表現した内容を何曲か見てください。私は今になって「このときに真剣に受け止めていれば…」と思ってしまいました。

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『偽善者』作詞・作曲:ZERRY

偽善者 偽善者 あいつは 偽善者 (偽善者)
支配者 支配者 俺は被害者 (被害者)
犠牲者 犠牲者 あんたも犠牲者 (犠牲者)
司会者 司会者 テレビの司会者 (司会者)

偽善者は うたうよ
世界の 平和を求め (平和平和平和)
理解者はいないよ
ででくる奴らは みんな偽善者
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『国際化の時代』作詞・作曲:ZERRY & TOPPI

コンビニ強盗 拳銃発砲事件
不景気のドン底 アメリカみたいだ
そうさ これが国際化の時代

母子殺人事件 現金輸送車強盗
水も安全も 金が物を言う
そうさ これが国際化の時代

いじめで自殺 警察官不祥事
明日殺されても まぁ仕方がないな
そうさ これが国際化の時代

そのうちあんたも 殺されちまうさ
でも人口問題は 解決しないまま
そうさ これが国際化の時代

国際化 国際化 世界の中の日本
国際化 国際化 人類みな兄弟
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『国名改正論』作詞・作曲:ZERRY & TOPPI

言葉の上っ面に イチャモンつけてくる奴ら
そいつらが怖くて 逃げ回ってる大手企業と政治家
逃げ腰の奴らが この国を動かしてるのさ

この国の名前は逃げ腰 国歌も国旗もハッキリしねえ
この国の名前は逃げ腰 ぼくらは逃げ腰の国民さ

言葉の上っ面に イチャモンつけてくる奴ら
無記名の作文で 新聞を売りさばく奴ら
逃げ腰の奴らが この国を作ってるのさ

この国の名前は逃げ腰 軍隊も自衛隊もハッキリできねえ
この国の名前は逃げ腰 憲法の解釈もハッキリしねえ
この国の名前は逃げ腰 ぼくらは逃げ腰の国民さ
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どうです? “今”問題になっている事を、10年以上も前にちゃんと指摘していたと思いませんか? 当時はそんな歌を聴いてカタルシス(精神の浄化)を感じていたのですが、それではいけなくて、この時に彼のメッセージの本質を受け止めなければいけなかたっんだと感じているのです。
やはり忌野清志郎氏は希代のミュージシャンでしょう。そして、我々の目を開かせるためにも必要な人物でもあります。
そして、敵は“ガン”などというものではないはず。本来なら、もっと大きなものと闘っている忌野清志郎氏を応援したいのです。とにかく今は必ずガンに勝って、あの元気な声で「お前らのために、帰ってきたぞ~!」と言うのを聞きたいと願っています。
頑張ってください! 清志郎さん!