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ニッポン チャチャチャ!!

納得できない事、頭にきた事、不可解な事、民主主義後進国ニッポンの“?”を感情的に綴っていきます。

映画『地球交響曲』が伝えるもの

2007年09月10日 22時18分22秒 | 自分の事
僕がこの映画のことを知ったのは10年ほど前のこと。毎年、“こころの洗濯”に訪れている奈良県天川村にある天河弁財天の境内にポスターが貼られていて、「こんな場所に貼られている映画なのだから、精神性の強い内容なんだろうなぁ」と感じたのと同時に、無意識に脳内記憶装置が起動したことを覚えています。

その後、続編が制作され全六編となった『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』。まだ観ていなかった第六番を先日ついに観ることができ、やっと全編踏破できたのです。
先週末に『地球交響曲』第六番が上映されたのは港区の男女平等参画センターホールという場所だったのですが、たぶん自主上映だったのでしょう。それでも150人分ほどの席はほとんどうまり、来場者は若者が多かった印象ですが、男女は半々、高齢な方の姿も多く見られました。
実は第一番から第五番もごく最近、恵比寿の写真美術館で数日かけて観たばかりなのですが、そのときもどの回もほぼ満員で、年齢層は30代から60代あたりの女性が多かったという印象でした。いずれにしても、『地球交響曲』は静かなブームになっている映画といってもいいでしょう。

この映画、毎回数人の生き方や仕事をオムニバスで紹介しいるのですが、それぞそれの人物のテーマがガイアの多彩な側面を表現する組曲になりつつ、また重なりあってハーモニーを奏でるという構成になっているのです。
第一番が制作されてからちょうど15年。その間に表現手法も変わるのですが、それだけでなく、異なる回の登場人物同士が偶然につながりだし、回を重ねるたびにガイアがシンフォニーしていることをまさに実証している不思議な映画でもあるのです。

今回観た第六番は、明確に“音楽”というテーマに絞って創られていました。
主な登場人物はシタール奏者のラヴィ・シャンカール、女性ピアニストのケリー・ヨスト、クジラの発する音楽を研究するロジャー・ペインという3人。“音楽”への関わり方は三者三様なのですが、3人ともに共通する大いなるものに畏敬の念を抱いている姿勢、そして自然体な生き方にとても惹かれてしまいました。

どうも、こういうのびやかな人たちの生きざまを見てしまうと、このようなブログを続けていくことが虚しく思えてしまいます。おそらく、人はもっとスピリチュアルな世界に積極的に目を向けるべきだと、この映画を観て再認識したのでした。

■地球交響曲
http://gaiasymphony.com/

盗人たけだけしい その3

2007年09月09日 23時08分39秒 | 自分の事
今回の内容にタイトルがふさわしいか疑問なのですが、どこか通じるところがあると思ったので、あえて“その3”にしましまた。

今日の日中、駅に向かう途中で信号待ちをしていた僕。そして、歩行者用信号が青になったので歩き出そうとした瞬間、目の前をマウンテンバイクが走り抜けたのです。僕が渡ろうとした横断歩道を通り過ぎて止まったのですが、思わず「危ねーなぁ!」と声を出してしまいました。
僕はそのマウンテンバイクに乗ってこちらを向いている青年に、危険な運転に対しての非難の目を向けながら横断歩道を渡りだしたのです。

するとマウンテンバイクの青年、何を言っているのか聞こえなかったのですが、なにやら悪態をついているようで、僕のほうに怒りの目を向けるのです。まあ、いわやる“逆ギレ”されてしまいました。
僕は車道側の信号を指差し「赤信号だろう!」と返したのですが、それでも彼は何か反論しているように口を動かしていました。やはり内容は聞こえなかったのですが、ここで戻って食ってかかっても不毛な論議にしかならないと思い、僕はそのまま駅を目指しました。

歩道ならまだしも、車道を走っていて赤信号に止まらず横断歩道を走り抜けたのですから、彼には反論の余地はないはず。僕が青信号に変わった瞬間に歩き出さなかったからぶつからなかったわけで、20台後半とおぼしき青年も、それはわかっていたでしょう。
もしかして、僕の「危ねーなぁ!」という言葉で条件反射的に反発してしまったということもあるかもしれません。もちろん彼の本心を知ることは今となってはできません。

たた、このことが今日その後ず~っと気にかかってしまいました。彼は今日、その後どう感じていたのだろうと…。
スパっと忘れてしまったのか、ウザいオヤジにイチャモンつけられたとずっと不快だったのか、それとも、もう信号無視はしないと反省したのか?

信号無視しながら逆ギレした彼は、その場では「盗人たけだけしい」にほかならないでしょう。ただ、実際には事故にはならずに済み、危ないおもいを経験して今後改めることもできるのです。
おそらく知ることはできなのでしょうけれど、突然に袖擦れあった人の縁の行方が知りたくなってしまったのです。いったい、人と人の縁とはどのようにつながっているのかと。

8月15日の戦没者墓苑で

2007年08月16日 17時46分04秒 | 自分の事
はからずも、3年連続して終戦記念日に千鳥が淵の戦没者墓苑と靖国神社へ行ってきました。
2年前の終戦60周年の時に戦没者墓苑前でインタビューした方々に、できあがったDVDをお渡しするのが目的でした。昨年もインタビューした同時刻あたりに戦没者墓苑に出かけたのですが、結局どなたに会うこともできなかったのです。そこで、今年は少し早めに出かけて待っていたのですが、やはりどなたにも会うことができず、DVDも渡すことができせんでした。

3年連続して終戦記念日に戦没者墓苑の前でずっと人の流れを見ていて気がついたことがりました。それは年々参拝者の数が減ってきているということです。3年前は終戦60周年という節目の年でしたので参拝者も多かったのでしょう。しかし、昨年ですら「今年はお年よりの方が少なくなた」という参拝者の感想を耳にしました。
今年、武道館で行われた全国戦没者追悼式では、出席した戦没者の親はたったひとりだったということです。間違いなく戦争の語り部は減っているのです。また、僕の亡くなった父親のように戦争についてほとんど話すことがない方も多いのでしょう。戦争の悲劇と愚かさを残らず後世に伝えるには、本当に時間が無くなっていると感じた終戦記念日でした。

どうしても8月15日に戦没者墓苑や靖国神社に行くと、戦争や憲法九条について考えざるをえません。ここで再度、僕のスタンスを明らかにしておきます。
まず、憲法九条は決していじってはいけないと考えています。それどころか、もっと世界に憲法九条の精神を広めるのが日本の使命だと思っています。
ただ、憲法は変更するべきだとも考えています。それは第一条。天皇制を否定しませんが、現憲法では主権在民が謳われているのは前文だけで、第一条の主語は天皇になっています。そこで、第0条とするのがベストかどうかは分りませんが、前文の中だけではなく、本文の中で国民が主権者であることを明確にするべきだと考えています。

それとは全然別に、国のために殉じた方々の魂は厚くともらうべきだとも考えています。そこで、いまだに多くの遺骨を戦場に残したままのこの国に、戦争を国民に強いる権利と資格はないと考えています。

自分が見えない

2007年01月27日 16時27分33秒 | 自分の事
最近、意味が分らない日本語に触れる機会が多くなったと感じています。困る事に、それは特に仕事で感じるのです。その筆頭はIT系の仕事の仕様書。「この仕事はこのようにしてください」という指示書ですが、「これって日本人が書いたものなの?」と感じることが多いのです。
友人にこの話をしたらひどく納得していたので、最近の普遍的な事象なんだと思います。とにかく、困るのは「一体、何をしたらいいの?」と悩んでしまう事です。“てにをは”がおかしいのなら、何とか理解できるのですが、日本語で書かれた宇宙語というケースが多いのです。
だいたいにおいて、そういった仕様書を作る人は理系の人なので文章が苦手なのは納得できても、仕事でコミュニケーションが成り立たないのは致命的です。とにかく自分の理解している事は、他の人も同じように理解しているという前提で文章を書いているという印象です。
これは、ネットの書き込みでも見られる傾向です。つまり、自分の分っている事は他人も分っているという前提の文章(コミュニケーション)。それが他人から見たら独りよがりの言葉だと思われる事に気がついていないのでしょう。決して私も自慢できるほど、他人に誤解されない文章を書けるとは思っていません。ただ、どうしても気になる文章に出会うことが多いと感じているのです。
そこで、なぜそういう文章が出てくるのか? 私が考えた結果、その理由は「自分を客観視できない人間」が増えているように感じるのです。それも特に若い層に。周囲の視線を気にしないのは若者の特権ですが、それと自分を客観視するのとは別な話でしょう。仕事上で良質なコミュニケーションを目指すのであれば、自分を客観視し客体化することが必要です。独りよがりの言葉では通じないのですから。
ちょっと話は違いますが、最近、映画館で感じるのは、上映中にスクリーンの前を横切る人が低くかがまずに歩いている事。私が子供の頃は、「観ている人の邪魔になるからかがんで歩きなさい」と教わったものです。また、誰もがそうしていたように思うのです。
ここでもスクリーンの前を横切る人は、座って映画を観ている人にとって自分が邪魔になっているという事が分らないのでしょう。つまり、自分の姿を客観視できていないんだと思うのです。さすがに、「人の迷惑なんて関係ない」と思っているワケではないと思いたいのですが、最近、こういう人をよく見かけませんか?
そこで冒頭の宇宙語ですが、おそらく自分の文章が他人に通じていないと感じる事も多いはずです。そこで相手の理解力不足のせいにしていては何も変わりません。
いたるところで相手への思いやりが稀薄になっていく世の中。もう少し気持ちや心が通じる幸せ感を目指してほしいものだと思うのでした。

嫌な風景

2007年01月02日 16時43分39秒 | 自分の事
今日、さすがに正月なので人通りがいつもより少ない商店街を駅に向かって歩いていました。すると、私の横を徐行して走っていた白い乗用車が停車すると同時に「きゃっ」という小さな声が聞こえたのです。そこで声のほうに振り向くと、車の前に中年の女性が膝まづく格好で倒れていました。
私が歩いていたその商店街は歩道がないので、人通りのない夜中以外、車は徐行しています。そうしなければならないほど商店街の道幅は狭く、人通りが多いのです。
ですから、歩行者は車の方が避けてくれるという意識なので、よく道の真中を歩いていたりします。多分、倒れていた女性はそうやって道の真中を歩いていた時に後ろから車が軽くぶつかってしまい、前のめりに転んだのだと思います。
しかし、いくら人が車道の真中を歩いていたとはいえ、その人の後ろからぶつかったとなれば悪いのは運転手のはず。そこで成り行きを見守ろうと思っていたら、その乗用車はそのままなのです。
私はちょうど助手席側を歩いていたので、窓から車内を覗くと、助手席に座っていた20代中頃風の男性はコンソールボックスに足をかけていて、その姿勢のまま。同年代の男性ドライバーも運転席に座ったままで動こうとしないのです。
すると私が車内を覗いたせいなのでしょうか、少し間があってから後部座席の窓が開き、中年の女性が「ちょっと降ろさせて」と言って車から降りてきました。そうして倒れている女性のところに歩み寄って行ったのです。
ひょっとすると前の席の男性の母親なのか、その女性が倒れた女性に声をかけた後、やっとドライバーの若者も車から降りてきました。その様子をみて、私はその場を離れました。
現在、私はペーパードライバーですが、もし人をはねてしまった場合にパニックになるというのは理解できます。ところが、今日のケースは軽い接触事故という部類でしょう。倒れた女性も、命にかかわるような怪我をしていないのは明らかだったのです。ですからそれほどパニックする状況ではないはず。
問題なのは徐行運転していたとはいえ、後ろから人にぶつけてしのうのは確信犯に近い運転だったと思うのです。それでいながら対応は別の人間が動いてから自分が行動するというドライバーの意識。自分の行動を顧みて即座に倒れた女性の介抱に向かえない若者の“甘え”が見えてしまったのです。
せっかくの正月気分だったのですが、嫌な風景を見てしまいました。おそらく車に乗っていた三人も新年早々に、暗い気持ちになってしまったでしょう。結局、ドライバーがホンのわずかな我慢ができなかったばかりに、何人かの晴れやかの気分を台無しにしたのです。
交通事故による死者の数は減少しいるという記事を見ましたが、決してドライバーの意識が向上した結果とは思えません。携帯電話をしながら運転するドライバーもよく見かけますし、飲酒運転事故の続発はその象徴でしょう。
今日の状況は“責任の取り方”という潔さを考えさせられました。まあ、政治家をはじめ、“責任の取り方”の手本になる人はいなくなりましたからね。

グッド タイム ミージック 聞かせてよ~

2006年12月30日 01時26分50秒 | 自分の事
昨日、代官山のライブに行ってきました。いつものようにシバ、中川五郎、斉藤哲夫という吉祥寺系のオジサンミュージシャンが目当てでおもむいたのでした。
ライブのタイトルは『酔いどれ東京 大忘年会』というもの。早めにライブハウスに入ったのですが、予想以上に客層が若いのがちょっと気になりました。ところが、ライブが始ってみたらそれも納得。前半は若いバンドがメインで、そこにオジサンミュージシャンが乗っかるというイメージでした。
シバも中川五郎も2曲ほど一人で唄うと、その後は若者たちがバックをつとめるという演出だったのです。その結果、ギター演奏という重圧から開放された中川五郎はまるでGSのボーカルのように踊り跳ねまくり。本当に全開で楽しそうに唄っていました。
そしてトリに現れたのが斉藤哲夫。その名前を知らなくても、かつて宮崎美子が出演したミノルタカメラのCMで「今のキミはピカピカに光って~」という曲を唄っていたミュージシャンといえば分る人も多いのでは。
そんな、かつてはチャートにも入った斉藤哲夫も今はトラックの運転手をやっているというそうです。つまり、歌だけでは生活できないからという理由で…。
一緒に行った友人は「えっ!?」と声を上げるほど私たちが彼の曲を聴いていたころ30年前と風貌は変わり、その日のライブの最後にふさわしいという出で立ちではなかったのです。ところが、
「♪グッド タイム ミージック 聞かせてよ~」
と、ひとこと一言の歌詞を確かめるように、丁寧にアカペラで唄い始めると会場にはぴ~んと緊張感が走り、静まりかえさせるのです。その声はのびのびしとて優しさにあふれ、そしてなにより私たちが散々聴いていた往時のままなの声だったのです。
友人も「目をつぶったら変わってな~い!」と感激し、おそらく彼を知らない若者を含めて会場の全員が今唄っている斉藤哲夫が、今日のトリのミュージシャンであるという理由を理解したと思うのです。
そうして2曲ほど唄うと、やはり若者ミュージシャンたちがバックをつとめてバンドスタイルでその後の曲を演奏したのです。実は、その前から気がついていたのですが、斉藤哲夫は『唄える』という喜びを感じながらずっと唄っているという風に見えたのです。
トラックの運転手をしながらも続けたいという音楽活動。そんな中、こうしてトリに招かれて唄える喜びがその姿から伝わってきたのです。でも、気負うことなく、飾らず、今の自分をさらけ出して唄う斉藤哲夫…。
すると、最後の曲の途中でバックをつとめたメンバーが紹介される度に、全員それぞれに手を合わせ、そして拍手をしているのです。そんな姿に彼の人生の一片を見たように感じました。と同時に、果たして自分は、こうして自分の周囲にいる人間全員に手を合わせて拍手ができるか? ふと我に返ってしまいました。
忘年会といいながら、苦労した大人のストレートで素敵な仕草も感じられることができて、とっても得した気分のライブでした。

そして、実は今回がこのブログの更新300回目なのです。そんな回に、こんな風ないい話が書けてとても嬉しい気分です。

元編集者の檄

2006年12月18日 23時45分15秒 | 自分の事
今、数年前に購入し、そのままにしていた本を読み始めています。その中にこんな文章を見つけました。

 日本のマスコミ、ジャーナリズムは、みずからの足で取材せず、なぜ官報の丸写しに終始するのか。その理由については岩瀬達哉の労作『新聞が面白くない理由』(講談社)に詳しいが、このことは明治政府、桂首相にまで遡る。つまり桂は、報道を自分らの都合のいい「御用機関」にすべく「記者クラブ」を創設、当時の馬鹿新聞はそれに乗り、そのまま今日に至っているからだ。戦時中にさらに「御用機関化」は激化し、放送、新聞、雑誌など全マスコミはこぞってデマ報道を流し、国民を欺き続けた。
 この事実を知ったGHQは「独禁法抵触」を理由に、敗戦後、ただちに「記者クラブ」の解散を命じた。新聞社はただちに解体すると明言したが、これまた大嘘で、戦後もずっと続いている。

これは「編集者の学校」(講談社)という本の中の安原顯という人の話です。この方は中央公論の編集者を経て、現在は評論家だということです。
この本は五年前に出ていますが、講談社のオンラインマガジンが基になっているとのこと。ということは、この内容が書かれたのはそれよりも前。当時から記者クラブの弊害をちゃんと指摘し、その起源にまで触れていたのが快感でした。
さらに、

 何度でも書くが、日本は度し難い「五流の後進国」、そうなったのは明治以来の政官財の無能無策、それを黙認、結果として支え続けた馬鹿国民、馬鹿ジャーナリズムゆえである。
 ジャーナリスト及びその志望者は、この事実を頭に叩き込み、日々、独自の情報収集をし、今後の世界と日本はどうあるべきかを熟考、人類滅亡の日を少しでも延ばすよう努力すべきと思うが、実際には、日本の馬鹿ジャーナリズムは旧弊かつ封建的ゆえ、そうした企画、なかなか通りにくいようだ。ならば、若い記者や編集志望者はどうすればいいのか。出世は諦め、左遷も恐れず、断固、己の信じる道を突き進むこと、これしかない。

というジャーナリストの志望者に痛烈ですが強烈なアドバイスを放つインパクト。まさに本のタイトル通り“学校”の先生という印象です。恥ずかしながら、私はこの人物を知らないのですが、今ではこんな豪快な先生もなかなかいないのでしょうね。同時に、このアドバイスに従ったジャーナリスト志望者も少なかったのでしょうね。
五年前にこの本を読んでジャーナリストを目指していれば、今は働き盛りの年齢になっているばす。しかし、日本の大手ジャーナリズムの中にはそんな志をもった人物をほとんど見かけません。
結局は明治以降の転落の歴史を引継ぎ続けることになるのでしょうか。間違いなく、日本のジャーナリズムにそれを止める力はないのでしょう。

続・心がない

2006年12月09日 14時03分57秒 | 自分の事
先日、ある講演を聴きに御茶ノ水の明治大学に行った時のこと。開演時間に遅れそうになった私は、息を切らせながら会場のホールがある建物のロビーに入りました。そのホールは4階にあるということ。私は広いロビーを見渡しました。
ざっと見回してみると一般のビルや百貨店のようなフロアー案内が見当たりません。次にホールの隅にあるエスカレーターに目をやると、大きく3階まで行くとしか表示されていません。そこで、奥にあるエレベーターホールへ向かいました。
ここには私と同じように、講演に遅れそうな人たち5、6人の姿が…。「案内が出ていないから、本当に不親切ねえ」とオバサンのぼやきを聞きながら、私は6器あるエレベーターの中から、4階に行くエレベーターを探しました。
ここでもフロアー案内はなく、そればかりか、どのエレベーターも3階の上の階は「●」と表示されて止まらない様子。そこで、まず3階で降りてみようとエレベーターに乗りました。すると3階は六畳ほどのスペースがあるだけでどこへも行けません。仕方ないので次に止まる7階から階段で降りることにしました。
で、7階で降りて階段を探し、4階を目指して階段を駆け降りたのです。するとどうでしょう。すべての階で扉がなく、そのまま1階へ降りるしかなかったのです。
そこで、もう一度ロビーを見渡すと、先ほどのエスカレーターの脇に人が立っていて、私が目指す講演会の案内を抱えているのです。「このエスカレーターでどうぞ」と言われて、エスカレーターに乗ろうとすると、入口から向かってエスカレーターの奥に立つ様々なポスターや案内が貼り付けられている柱が目に入りました。それの下のほうに目的の4階のホールに行くエスカレーターだと表示されているのです。
おそらく、明治大学は“サイン”というものを知らないのでしょう。“サイン”とは、施設とそこを訪れる人の仲立ちをするものです。それがまるでできていませんでした。サインデザイナーの独りよがりに大学側は気づかなかったのでしょう。最高学府なのに呆れます。
その前日、東京メトロの“サイン無視”にも腹を立てました。ある駅で乗り換えするために、私が一旦改札を出ようとするとアラームが鳴るのです。それで駅員のところに行くと、乗り換えするなら別の改札機を使えと言うのです。
で、冒頭の写真なのですが、東京メトロは赤い矢印の位置を広告スペースにしてしまっているのです。ここは、乗り換え用の改札機かどうかを示す場所として利用者に認識されているはず。ここが広告スペースになってしまうと、そもそも乗り換え用改札機があるのか、あったとしても一目で見つけられなくなってしまいます。
新たな広告媒体を見つけたと代理店と一緒に東京メトロはほくそえんでいるのでしう。ところが公共機関として利用者との仲立ちをする“サイン”の重要な目的を放棄しているのです。これは盲人用点字ブロックの脇にデコボコの広告を掲示するのと同じ行為だと思うのです。
先の講演会のテーマは、日本人が“恥辱”を感じなくなったという内容でしたが、はからずもその現実を見せ付けられた思いです。複眼的なプロの仕事がなくなり、“独りよがり”、“さもしさ”が幅を利かせ内省の無い世の中になってしまったと感じたのでした。

街の色と温もり

2006年12月06日 01時42分36秒 | 自分の事
これは私の主観なのですが、どうも最近、我が街“武蔵小山”に元気がないように感じるのです。私がこの街に住みはじめて10年以上になります。その間、主に飲み屋で知り合った友達を最近街中で見かけなくなったのです。隣町の飲み屋でその話をすると「武蔵小山に元気が無くなったという話はよく耳にしますよ」と言われてしまいました。
一方、mixi内の武蔵小山のコミュニティでは「武蔵小山に何が欲しい?」という問いかけに、チェーン店の名前を挙げる意見がほとんど。まあ、mixiという媒体の特性上しょうがないのかなとも思います。
しかし、私としては武蔵小山の商店街から個人商店が消えてチェーン店が続々と進出し、街の温もりというか人の繋がりというか、地域コミュニティの崩壊が始ったように感じるのです。
オバちゃんと世間話ができたクリーニング店が消え、親爺の相談にのった飲み屋がなくなり、日に日にどこにでもあるような商店街になっていきます。そのせいか、新しい飲み屋を見つけても、店の人とは上っ面の話しかできない店ばかりのような印象なのです。
私としては好きな表現ではなかったのですが“下町的”といわれた武蔵小山の良さがどんどん消えていってます。「みんな、武蔵小山のどこが気に入って住んでいるのだ?」と問いたくなりますが、これも経済行為の結果と言われればどうしようがありません。一種の地域エゴという事もできるかもしれません。
そうしたら、吉祥寺でも井の頭公園をめぐって街のアイデンティティを問う問題が起こっていました。それは井の頭公園に出店している人間や音楽を演奏している人たちから登録料を取るというもの。それも誰もが登録できるのではなく、ある基準があるのです。それは「芸術性、文化性を有する作品であること」や「公園の賑わい活性化に資するもの」という曖昧な基準ばかり。
まあ、いきなり貼りだされたという告知も疑問点満載なのですが、先月末に2回行われた説明会ではオペレーションの部分が全然決まっていない事が露呈したそうです。ところが、公園側は見直しはまるで考えず、実行する事だけが決まっているという完全なお役所進行だそうなのです。
今回の処置は、11年後の公園100周年事業の一環だそうです。本来であれば違法な公園内の販売などを公認するというので画期的ですが、実際にこの計画をどう運用するのか見えなければ評価のしようがありません。芸術性がないから子供の笛の練習も禁止とすることもできるわけですからね。
そもそも吉祥寺という街自体も、様々なかたちで表現する若者たちが自然発生的に集まって活気が生まれた街なのです。それなのに、そこに行政が入ってきて、さらに締め出しという事態になれば、自らの街の火を自ら消すことになりかねません。
その上、こういった話によくあるきな臭さも匂ってきます。さらに「投げ銭の強要は認められません」となっているので、以前このブログでも紹介したプロのミュージシャンたちが投げ銭ライブで演奏した写真の「武蔵野ナイフ」のようなこともできなくなるのです。
どうしてこうやって、若者の集まる街は利用者不在の改革の計画が生まれてくるのでしょう? そしてどれも不毛な計画ばかりというのもなぜなのでしょう?

「ディア ピョンヤン」と孔子

2006年12月02日 20時34分41秒 | 自分の事
今日、仕事で読んでいた本のなかで以下のような言葉に出会いました。

『国を治めるには人倫の道を明らかにするのが第一であり、君主は君主の道をつくし、臣は臣の道をつくし、家にあって父は父の道をつくし、子は子の道をつくすようにすべきです。』

これは、ある君主が政治を行うためにどうしらいのか、あの孔子に尋ねたときの孔子の返答だそうです。これを読んで昨日観た映画のことを思い出しました。
映画の日だった昨日、前から観たいと思っていた映画「ディア ピョンヤン」を観に行ってきました。渋谷の映画館での上映最終日だったのですが、ちょうど映画の日と重なり、1000円で観ることができるのでラッキーな日だったのです。
以前、友人がこの映画を観て「良かった」と言っていたので期待していたのですが、最初は眠たく、時計ばかり見ていました。予備知識のなかった私の予想では、おそらく民族問題や在日の問題を描いた映画だと予想していたのです。
ところが後半になって事態が一転。それまで描かれていた民族問題や在日の問題はそのままに、まったく別のテーマが浮き上がってくるのです。それは“父と娘の関係”━━。
映画としては意外な展開になっていくのですが、そこには素晴らしい父と娘の姿が描かれる流れになっていくのです。つまり、父親は最高の父親として娘に接していこうとし、娘は娘でその愛に対して無二の想いで接していく…。
私も在日の友人は何人かいますが、映画を観終わった後に思い出したのは彼らは皆、親子関係の絆が強いこと。とにかく子供が何よりも親を第一に考えて行動する姿は親不孝の私には頭の下がる思いどころか、いつも畏敬の念に近いものを感じていたことも思い出しました。
そして今日、出会った孔子の言葉。これの中の『父は父の道をつくし、子は子の道をつくす』が「ディア ピョンヤン」では描かれていたのだと感じたのです。と同時に、これが今の日本では失われているのではいかとも感じたのです。
学校でのいじめ問題をはじめとした様々な問題は、この『父は父の道をつくし、子は子の道をつくす』という家庭での当たり前の“ルール”が失われているのか、それとも実践することができないのか、いずれにしても、それがなされていない事が原因の一端だと感じたのです。さらに、その不具合を諭す人間が社会にいなくなった事が最大の問題だと思ったのです。
そしてもちろん、『国を治めるには人倫の道を明らかにするのが第一であり、君主は君主の道をつくし』ということがまるでなされていないことが、今の日本の最大の問題だとも感じたのでした。