僕がこの映画のことを知ったのは10年ほど前のこと。毎年、“こころの洗濯”に訪れている奈良県天川村にある天河弁財天の境内にポスターが貼られていて、「こんな場所に貼られている映画なのだから、精神性の強い内容なんだろうなぁ」と感じたのと同時に、無意識に脳内記憶装置が起動したことを覚えています。
その後、続編が制作され全六編となった『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』。まだ観ていなかった第六番を先日ついに観ることができ、やっと全編踏破できたのです。
先週末に『地球交響曲』第六番が上映されたのは港区の男女平等参画センターホールという場所だったのですが、たぶん自主上映だったのでしょう。それでも150人分ほどの席はほとんどうまり、来場者は若者が多かった印象ですが、男女は半々、高齢な方の姿も多く見られました。
実は第一番から第五番もごく最近、恵比寿の写真美術館で数日かけて観たばかりなのですが、そのときもどの回もほぼ満員で、年齢層は30代から60代あたりの女性が多かったという印象でした。いずれにしても、『地球交響曲』は静かなブームになっている映画といってもいいでしょう。
この映画、毎回数人の生き方や仕事をオムニバスで紹介しいるのですが、それぞそれの人物のテーマがガイアの多彩な側面を表現する組曲になりつつ、また重なりあってハーモニーを奏でるという構成になっているのです。
第一番が制作されてからちょうど15年。その間に表現手法も変わるのですが、それだけでなく、異なる回の登場人物同士が偶然につながりだし、回を重ねるたびにガイアがシンフォニーしていることをまさに実証している不思議な映画でもあるのです。
今回観た第六番は、明確に“音楽”というテーマに絞って創られていました。
主な登場人物はシタール奏者のラヴィ・シャンカール、女性ピアニストのケリー・ヨスト、クジラの発する音楽を研究するロジャー・ペインという3人。“音楽”への関わり方は三者三様なのですが、3人ともに共通する大いなるものに畏敬の念を抱いている姿勢、そして自然体な生き方にとても惹かれてしまいました。
どうも、こういうのびやかな人たちの生きざまを見てしまうと、このようなブログを続けていくことが虚しく思えてしまいます。おそらく、人はもっとスピリチュアルな世界に積極的に目を向けるべきだと、この映画を観て再認識したのでした。
■地球交響曲
http://gaiasymphony.com/
その後、続編が制作され全六編となった『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』。まだ観ていなかった第六番を先日ついに観ることができ、やっと全編踏破できたのです。
先週末に『地球交響曲』第六番が上映されたのは港区の男女平等参画センターホールという場所だったのですが、たぶん自主上映だったのでしょう。それでも150人分ほどの席はほとんどうまり、来場者は若者が多かった印象ですが、男女は半々、高齢な方の姿も多く見られました。
実は第一番から第五番もごく最近、恵比寿の写真美術館で数日かけて観たばかりなのですが、そのときもどの回もほぼ満員で、年齢層は30代から60代あたりの女性が多かったという印象でした。いずれにしても、『地球交響曲』は静かなブームになっている映画といってもいいでしょう。
この映画、毎回数人の生き方や仕事をオムニバスで紹介しいるのですが、それぞそれの人物のテーマがガイアの多彩な側面を表現する組曲になりつつ、また重なりあってハーモニーを奏でるという構成になっているのです。
第一番が制作されてからちょうど15年。その間に表現手法も変わるのですが、それだけでなく、異なる回の登場人物同士が偶然につながりだし、回を重ねるたびにガイアがシンフォニーしていることをまさに実証している不思議な映画でもあるのです。
今回観た第六番は、明確に“音楽”というテーマに絞って創られていました。
主な登場人物はシタール奏者のラヴィ・シャンカール、女性ピアニストのケリー・ヨスト、クジラの発する音楽を研究するロジャー・ペインという3人。“音楽”への関わり方は三者三様なのですが、3人ともに共通する大いなるものに畏敬の念を抱いている姿勢、そして自然体な生き方にとても惹かれてしまいました。
どうも、こういうのびやかな人たちの生きざまを見てしまうと、このようなブログを続けていくことが虚しく思えてしまいます。おそらく、人はもっとスピリチュアルな世界に積極的に目を向けるべきだと、この映画を観て再認識したのでした。
■地球交響曲
http://gaiasymphony.com/