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ニッポン チャチャチャ!!

納得できない事、頭にきた事、不可解な事、民主主義後進国ニッポンの“?”を感情的に綴っていきます。

最も高い意味で建設的なことがら

2007年10月17日 22時17分13秒 | 自分の事

数日前、僕が辛い決断をすることになったのですが、その前後から旧知の人間から矢継ぎばやに連絡が入り、励まされていると書きました。ところが、それ以降も懐かしい人間やありえない人物からの連絡が相次いでいて、これは不思議を通り越して、まさにおそろしい程です。
そしてこうやって、苦しい時に連絡をもらうと、改めて感じるのが友人や過去に知り合った人たちの大切さありがたさです。

僕が困った時、悩んだ時、苦しい時に開く本があります。それを今日開いたら、こんな一文を見つけました。

        ◆     ◆     ◆

人間関係はいつでも課題だ。(略)このことをはっきりと理解すれば、すべての経験を、すべての人間的出会い、とりわけ個人的な人間関係をうれしいと思うようになる。人間関係は、最も高い意味で建設的なことがらだから。経験はすべて、ほんとうの自分を創りあげるために活用できるし、活用すべきだし、(あなたが望むと望まざるとにかかわらず)現実に活用されつづけているのだ。
自分を創りあげることは、意識的な構想にもとづくすばらしい創造にもなるし、「偶然まかせ」にしておくこともできる。起こった出来事に左右されるだけの人間であることもできるし、出来事に対してどうありたいか、何をするかという決断を通じて、どんな人間になるかを選ぶこともできる。意識的な自己の創造は後者のほうだ。あとのほうの経験によって、自己が実現される。
すべての関係をうれしいもの、特別なもの、自分を創りあげる経験としてとらえなさい。そして、いま、どうありたいかを選びなさい。
『神との対話/サンマーク出版』より

        ◆     ◆     ◆

今回の決断で僕は一歩成長しなければいけないと自覚しています。つまり意識的な自己の創造に努めたいと感じているのです。
また、今回僕は“人間関係は、最も高い意味で建設的なことがら”ということも実感させてもらいました。そこで、この約二週間の間に僕へ連絡をしてくれたすべての人々に心から感謝したいと思っているのです。そして、この恩を決して忘れず、いつかちゃんと恩返しできることを願っているのでした。

“開かれた心”

2007年10月17日 13時26分19秒 | 自分の事
以前に書いた映画『地球交響曲』の監督・龍村仁氏と『癒す心、治る力』などの翻訳家・上野圭一氏の対談で、ひとつ心に引っかかっていた事がありました。
それは龍村氏が「子供は開かれた心を持つように育たねばいけない」というような話をしたとき、それを受けて上野氏が「教育で開かれた心を育てられませんかねぇ?」と自問しかけたのですのが、話題を自ら変えてしまったやりとりです。
対談終了後、僕は龍村氏に以前からどうても聞きたかった『地球交響曲』でのインサートカットについての考え方を質疑応答でたずね、上野氏には自身で回答を持っていたと思える自問の内容について質問できませんでした。

龍村氏のいう“開かれた心”とは森羅万象、自分の周りに起こるすべての事象をすべてあるがまま受け入れる姿勢というようなものと僕は理解しています。
僕の予感では、上野氏は自問の後、シュタイナー教育の話をしたかったのではないかと感じたのです。僕の中では“開かれた心”を育てる教育こそがシュタイナー教育と考えているからです。しかし、それを上野氏に直接確認できなかったのが心残りでした。

実は先週、シュタイナーの著作や翻訳で有名な高橋巖氏の講演会に行ってきたのですが、そこで、あの日上野氏はやはりシュタイナーに触れたかったのだと確信しまた。
それは『魂を育てる12の鍵~人間の感覚の神秘にせまる~』というタイトルの講演会でしたが、冒頭に高橋氏は「0歳から8、9歳まで子供は神と共に生きていける。だから夢見ごこちで生きていくのが理想とシュタイナーは言っている」と話すのです。

つまり、子供の間は知的なことは一切押し付けず、夢見ごこちの中で自分の周囲の環境に共感を持たせる大切な時期だとしているのです。逆に共感でなく反感が生まれてしまうと、その後、世の中を否定的に見る子になってしまうそうです。
言葉を変えると、その時期に親にとって“良い子”に育てようとすると、結果として多くの反感を持つ子を育ててしまう事があると言うのです。

シュタイナーの理論はとても難しく、高橋氏も随分咀嚼して話してくれたのですが、僕の理解不足があるかもしれませんし、間違っているかもしれません。ただ、僕の中では「やはりシュタイナー教育は“開かれた心”を育てるための教育なんだ」と強く確信したのです。
それと同時に、ふたつの対談と講演会、そして自分のプライベートな部分がつながっていたのだと気がついたのでした。

「大いなる存在」

2007年10月12日 23時24分50秒 | 自分の事
ちょっとした事件がありました。“事件”というより“変化”というほうが正しいかもしれません。ある判断を迫られる事態が起こり、僕は自分にとっては辛い選択をし、“変化”をあまんじて受け入れる決心をしたのです。いわゆる断腸の想いの決断でした。

突然の、そして思いがけずに襲ってきた事態。時間をかけて事の全体を考えることもできず、最終的に下した辛い決断。本来なら、とても受け入れがたい“変化”だったのです。
当然、僕は深く沈み、酒と激しい悲嘆にくれるはずでした。

ところが不思議なのですが、決断を迫られている最中から、懐かしい友人、元の同僚、かつての仕事仲間などからやたらと連絡が続くのです。
2年ぶりにメールをよこして、昔の仲間同士での集まりの誘いをくれた昔の遊び仲間、相談のメールをくれた元の仕事仲間は1年ぶりくらいの連絡でした。そして自身の約1年の入院が終わったという連絡をくれた懐かしい友人。まるで示しあわせたように僕に声をかけてくれるのです。

ひょっとすると、寂しい想いをしている人間は人を呼びつけるオーラを発しているのでしょうか? それを感じた人が僕へ連絡をよこしてくれるのでしょうか?
結果としては同じ事を見方を変えて論じているのかもしれませんが、僕は、なにか“大いなる存在”が僕の決断を暖かく見守ってくれていた印象を強く感じたのです。今回は…。

本人にとっては辛くても、正しい決断をしたご褒美として、“大いなる存在”が多くの人たちの心理の深いところにはたらきかけてくれたような気がするのです。荒みそうな「あいつに声をかけてやれ」と…。
さらに、悩み苦しみ、大声を張り上げそうな決断の最中も、昔の同僚と一緒に仕事をしていたのです。また、その仕事が滅茶苦茶ヘビーな内容で、とても独り深く考える時間がなかったというのも偶然のような気がしません。

辛い決断をする前後に、懐かしい人間からの連絡が続くという確率はそんなに高くないと思います。そこに、何らかの力が作用したと考える方が確率的には合理的ではないでしょうか? 
まあ、強引な論理というのは自分でもわかっていますが、そう考えることの方が、もっともっと未来を信じられるような気がするのです。常に“大いなる存在”が自分を見守ってくれていると感じることが。

こういうのって、ひょっとして…

2007年10月02日 18時41分33秒 | 自分の事
最近、良くないことが続いています。まあ、そういうことって、誰でも経験しているでしょう。
今回の僕の場合、まずは体調の不良。体重や血圧の数値が良くなくて、謎の腰痛とお尻の下の謎の筋肉痛です。次にデジカメが壊れ、メインで使っているMacも悲鳴を上げてしまったのです。さらに、仕事内容が大変だったり流れが滞ったままだったりなのです。

体調と仕事の問題はお手上げで、とりあえずは様子見しかないと思っています。しかし、デジカメは保障期間が去年までと勘違いして諦めかけていたのですが、書類を確認したら今年まで。あわてて修理に出しました。
そしてMacなのですが、完全に壊れたわけではなく、虫の息でギリギリ生きているという具合なのです。実はキリのいい先月末日にバックアップを取ろう考えていて、前日に「バックアップ取った方がいいかなかな」と感じたのを無視していたのです。そうしたら、9月30日の朝に立ち上げようとした瞬間、いきなりトラブったのでした。

こういうのって、普通は「良くあることだよ」とか、「マーフィーの法則だね」と言いますが、今回、僕は違うんじゃないのかなと感じたのです。
どう感じたかというと、「原因は自分にあるのではないのか」と漠然と考えたのです。つまり、何かの行いや姿勢、リズムとかが良くないので、それを気づかせてくれるために悪いことを続けて起こすことで神様が教えてくれているではないかと思ったのです。なぜなら、どれも致命的なものではない。ということは自ら救うこともできるからです。

これも“佐藤初女さんショック”の続きでもあります。実はずっと自分の部屋を散らかしたままにしていたのが気になっていたのです。「そこそこの努力は誰でもする」と佐藤初女さんは言っていましたが、僕は忙しさにかまけて“そこそこ”すらやっていませんでしたから。
そこで今日、まず出しっぱなしにしていた資料を片付け、そろそろ本格的にマズイ! と思っていた風呂とトイレの掃除を時間をかけて済ませました。

…すると、掃除の後にシャワーを浴びてから体重を計ったら、なんと3ヵ月前のレベルに下がっているのです。
これから、散々挑戦してダメだったMacの救済にとりかかろうと思っています。ふと思い浮かんだ方法でトライしてみようと思っていますが、それがダメなら諦めるつもりです。ただ、何となく上手くいく気がしているのです。

些細なことも、きっちりと

2007年09月28日 22時49分53秒 | 自分の事
平日の井の頭公園脇の焼鳥屋。まだ日が落ちていない時間から中年の男二人が焼鳥を間に酒をくみかわしている。言ってみてれば反社会的なこの中年男二人は、会話の中から予想外の合意をみた…。

これ、実は数日前の自分のことです。この日、以前から計画していた昼酒(日のある時間の飲酒)の約束を学生時代の友人と果たしていました。生ビールを2杯ずつ飲み、生酒が2本目になった頃、それまでとりとめのない話をしていた友人が切り出すのです。
それは「以前住んでいたアパートには資源ゴミで出す日に、すべての新聞紙をきっちりと揃えて出す人間がいた。結局、人生はそんな細かいこともきっちりとしないといけないのだと最近思うのだ」というような内容でした。僕も酔っていたので多少記憶違いがあるかもしれませんが、主旨は間違っていないはずです。なぜなら、僕自身も最近それを感じていたからです。

論理の飛躍はあると思いますが、資源ゴミの新聞紙を綺麗に揃えて出すようなことが、その人の生き方を象徴していると僕も考えるようになっているのです。
僕の場合は、やはり“佐藤初女ショック”が直接的な原因になっています。日に日に、初女さんの講演会で聴いた言葉が僕の魂の根幹の部分に届いてくるような感覚があるのです。
“美味しい料理でもてなす”ということに全身全霊をつぎ込む初女さん。「自分の時間は無い」というほどに、とても細かなことにも気持ちと時間を割いている生き方。それは自分で撮影した写真を改めて見て気づいたのですが、結果として初女さんの存在には“隙”がないのです。つまり、人間としての“完璧”を感じるのです。

また、最後に観た『地球交響曲 第六番』の女性ピアニストの言動も心に引っかかっているのです。彼女もやはり自分の前に現れる事柄にとても謙虚でいながら、誠実に全力で立ち向かっているのです。それもしなやかに…。その姿には、人の生き方としての“理想”を感じだしているのです。
おそらく、初女さんもその女性ピアニストも、新聞紙を資源ゴミに出すようなときは、すべての新聞紙がきちっと揃っていると想像できるのです。そういう素敵な生き方をしている人たちは、些細なことにも全身全霊をつぎ込んでいて、それは形に現れるはずだと信じるのです。

友人とのシンクロネシティには驚いたのですが、僕の中で“佐藤初女ショック”は予想以上のインパクトを遺していることを自覚し、映画『地球交響曲』の連鎖からはなかなか抜け出せないと感じています。ひょっとすると、抜け出してはいけないのかもしれません。
やはり素敵な人や生きざまに触れてしまったら、自分もそれに触発されなくてはいけないと考えているのです。素敵な生き方には素直に憧れます。

『奈良で考えた Vol5』 賞味期限って…

2007年09月23日 20時20分10秒 | 自分の事
今回、天川村には2泊しました。前にも書いたように、民宿への僕の予約は忘れられていて、食事無しの素泊まりとなったのです。食事がなかった理由は、食料品店が数少なくなり、その上、祝日が休業なので仕入れができないということでした。

実際に僕の泊まった民宿の周辺には、開いているのか休みなのかわからない酒屋とタバコ屋さんがある程度。10分程度歩いた場所に一軒、小さな食料品店があるだけで、さらに20分ほど先にももっと小さな食料品も置く雑貨店があります。村の中心部ですら、今回はじめてコンビニができたみたいですが、スーパーどころか魚屋さんすらありません。
もちろん、米や野菜などは自給している家庭も多いのでしょう。でも、食品を100%自給できる家庭がほとんどだとは思えません。

宿のお婆ちゃんの説明では、若い人たちが車で町まで買いにいってしまうので、この辺りの商売が立ち行かなくなったということでした。それに拍車をかけているのが賞味期限の問題だというのです。
つまり、村の店では食料品を仕入れてもすぐに売れない。そうすると、この村でも賞味期限がうるさく言われるので商品がムダになってしまうという悪循環だそうです。
おそらく賞味期限の遵守は、お客よりメーカーの方が神経質になっているのでしょう。実際、僕も村のお店でパンを買おうとしたら、前日が賞味期限の菓子パンを当たり前のように売っていましたから。

たしかに、消費者をあざむく賞味期限の改ざんは問題だと思います。ただ今回、「賞味期限って、いったい何?」と考えさせられました。
そもそも、我々は食品の賞味期限の根拠を熟知しているのでしょうか? 賞味期限の翌日に食べたら必ずお腹をこわすでしょうか? ワイン好きの方は防腐剤の入っていない輸入ワインの美味しさを知っていますよね。だけど実際には、賞味期限(この表現が適切か?)を延ばす防腐剤を黙認しているわけですよね。

どうも、最近の賞味期限に対する過剰反応は、大量消費する都市部の論理であり、ちっとも賞味期限の本質そのものに迫っていないと今回思ったのです。
僕の子供の頃は賞味期限の表示は今ほど多くなく、まず親がお口見役として“大丈夫かどうか”を判断したものです。そんな中で、親が一番神経質になっていたのが卵でした。それほど足がはやかったのでしょう。ところが最近の卵は賞味期限が2週間近くになっていませんか? これって何故なんでしょうか? 怖くないですか?

『奈良で考えた Vol4』 食べられなかった

2007年09月22日 11時14分57秒 | 自分の事
その日、僕は食べることができませんでした。というか、食べることを思いとどまりました。僕が食べなかったのは“カップヌードル”。
前に書いたように、宿で食事の用意がないと聞いていた僕は、天川に向かうバスに乗る前のわずかな時間に駅前の食料品店に駆け込み、カップヌードルを買ったのです。いくら食事が出ないといっても、お湯ぐらいは出してくれるだろうと予想したからです。

そして1時間以上バスに揺られて宿に着き、荷をほどいて、いざ食事をしようと思ったら、「やっぱり、今日ここでカップヌードルを食っちゃマズイよなぁ~」という気持ちがわき上がってきたのです。
ここは山小屋などではなく、神聖な村の宿で、床の間には観音様の掛軸が下がっているような和室。そこで、いくら食事が無いからといってカップヌードルをすするという行為が侘びしいと感じただけでなく、神聖な村自体を自ら否定するような気がしたのです。

実はそれとは別に、決定的な理由があったのです。それは今回の奈良ツアーの最大の目的のひとつでもあり、旅行を決断させた事柄のひとつでもあったもの──『佐藤初女さんの講演会』というのがそれです。
mixiでこのイベントのことを知ったのが9月の上旬。悩んだ末、直前に参加申し込みをし、参加可能と返事を受けとった時から今回の旅行のすべての計画を立てはじめたのでした。

この佐藤初女さんとは、以前に紹介した映画『地球交響曲』に出演していた不思議で魅力的なお婆ちゃん。映画の監督である龍村仁氏は「その人のおむすびを食べて、自殺を思いとどまった人がいる」という情報だけをもとに取材を開始したそうです。
青森県の岩木山麓で「森のイスキア」という施設を運営し、苦しむ人、行き詰まっている人たちを受け入れ、心のこもった料理でもてなし、ただ一緒にいてあげるだけという初女さん。映画で取材した時点では、過去に700人以上のそうした人々を受け入れてきたということでした。

映画で初女さんは、漬け物石を大小数多く用意し、漬け物の状態にあわせて使い分けると話していました。印象的だったのは「夜中、漬け物が、もうこの石は重いと言うのがわかるのです」というテロップ。初女さんの料理に対する心遣いが伝わるものでした。

そんな初女さんの講演会…。
神に与えられた身体のすべての機能を活かしていかないと元気にならない、そのためにも食が大事。現在の食文化は精神にまで影響を及ぼしている、そこで“ごはん”の大切さを再認識することを力説していました。
初女さんの「食はいのち」という根本の想いに触れることができて、霊的な歓びは通じ合える人に出会える事という人生観にも共感できた講演会。わざわざ吉野まで来た甲斐があったと感慨するものでした。

そんな講演会を聴いてから数時間、初女さん体験は強烈に僕の魂にこだまし続けていて、さらに場所は聖なる天川村…。
僕はとてもカップヌードルを食べる気になれず、翌日の昼の弁当用に買っていた柿の葉ずしで夕食にしたのでした。

■佐藤初女さん
http://gaiasymphony.com/2_cast.html#sato

『奈良で考えた Vol3』 大丈夫なのだろうか?

2007年09月21日 21時01分25秒 | 自分の事
これまで天川村の高齢化の問題、観光客のマナーの問題と書いてきましたが、今回は天川村のこれからについて書いてみます。

僕が天川村から帰るとき、バスを待っている間にバス停の向かいにある観光案内所で時間をつぶしていました。
そこで目についたポスターは、「天川村のサポーター」募集というもの。ボランティアで天川村の宣伝をしてくれる人を募っていました。具体的には村で用意したポスターを貼ってくれる人を求めていますという内容でした。
さらに、「天川村山癒の里寄付金」募集というチラシも見つけました。こちらは“美しい天川村を守りたい”という名目で寄付金を募っていて、天川村の地域政策課のものでした。

これらの活動は、熊野古道が世界遺産になったことと無関係ではなさそうです。これを機会に村の活性化、観光客のさらなる招致に努めようという気持ちはよくわかります。逆に、これ以上の機会はないのかもしれません。
ただ、本当に地に足の着いた、きちんとしたマスタープランが村にあるのかどうか疑問です。なぜなら、今回は2年ぶりの天川村でしたが、観光客は増えましたが、以前より良くなったところが見つけられなかったからです。

例えば、何ヵ所か道路を直したり、広くしている場所を見ましたが、新しく作られた駐車場は見かけませんでした。結局、村としてはマイカーでのアクセスを歓迎するのかどうかすらも定かではありまん。
また、寄付金募集のチラシも天川村の名前を他の地名に変えても使えるような内容。いわゆる総花的なプランで、村のアイデンティティをつきつめたという印象が感じられないのです。

おそらく今後も天川村の観光客増加は望めると思います。問題はその観光客を村がどう受け入れるかでしょう。観光客が倍増したとき、はたして村の魅力がちゃんと保たれているのでしょうか? とても不安です。
間違いなく、これからの天川村は決断を迫られるのでしょう。伝統と歴史にどれだけこだわるのか? 新しい天川村に生まれ変わるのか? どうも今は行き当たりばったりというアイデアしかないように見えてしまうのです。

以前、このブログで上高地のことを書きましたが、そこで上高地の素晴らしさのひとつとして「ゴミが無かった」と紹介しています。しかし、天川村はせっかくどこでも水が綺麗なのに、ゴミを見かけることが多いのも事実です。「川の国」と謳っている村としては、まずは川のゴミを無くす施策なり努力なりからはじめてもらいたいと思います。

僕は完全によそ者ですが、こんなに数多く訪れた場所は他にないのです。そんな愛着のある村なので、これからも訪れたい村になることを期待して今回の内容になりました。

『奈良で考えた Vol2』 問題だ!(後)

2007年09月20日 17時37分00秒 | 自分の事
今回も、前回に続いて奈良県天川村の問題について書きます。

天川村は清らかな風景がひろがり、流れる水はどこでも綺麗で、神秘的な場所でもあるのです。そんなことからも、僕は「命の洗濯」のためにほぼ毎年訪れていたのでした。
やはり都会では味わえないこの村独特のたたずまいが最大の魅力なのです。そんな静かでどこか神聖な空気に身をゆだねていると、とても癒された感覚が味わえるのです。

そこでの中心はやはり天河大弁財天社。ここで朝7時から行われる朝拝は宮司が祝詞を唱え、神様に一日のはじまりの挨拶をするようなものだと理解しています。これには誰でも参加でき、静かな拝殿で巫女さんと並んで用意された椅子に座り自分も神事に加わった気持ちを味わえるのです。
以前は、だいたい参拝客は2、3人程度。静かな拝殿に太鼓の音が響き、宮司と巫女の祝詞が神聖さをかもしだして、神事は粛々と行われていました。最後には宮司からの一日が安泰である事を願う言葉をたまわり、お神酒をいただいて約20分程度の朝拝は終わるのです。

それが今回は連休中だったせいかも知れませんが、2日連続で参拝客は20人以上という多さ。そして、神事に参加したいというよりは、普段見られないものがタダで見られるという動機の参拝客が多かった印象でした。
彼らに神聖なものや神様を敬うという気持ちが感じられなかったのが残念でした。遅れてきて、拝殿の玉砂利の上を音を忍ばせずに歩くのでそれがわかるのです。ことのほか朝拝という行事が有名になってしまい、かつての神聖な神事という印象は薄れてしまっていました。

また、村で有名な大銀杏の樹の下で独りたたずんでいると、「すっごい銀杏やで~!」と大声で仲間に呼びかける観光客。また、村一番の神聖な場所とされていた地域の入口ががっちりと施錠されていたのも、そんな心ない観光客への対抗策なのでしょう。

そして、別の集落では飛んでもないものを見てしまいました。ハイキングコースに隣接しているその宿では、道路と敷地の境を板やロープでなく、何と有刺鉄線を使って示しているのです。その銀色のトゲを見て、とてもやるせない気持ちになりました。
おそらく、宿のオーナーもやむなく有刺鉄線にしたのでしょう。以前通ったときには無かったと記憶していますから。しかし、それほど観光客のマナーの悪さに腹を立てているのだと思われます。

天川村としては観光客の増加は大歓迎なことでしょう。ただ、それによって村のアイデンティティが失われかけているのです。
観光客をとるか、村の個性を守るのか、この二律背反に答えを出せるのでしょうか? というか、この問題に村は気がついているのでしょうか? とても気になります。

『奈良で考えた Vol1』 問題だ!(前)

2007年09月19日 17時15分35秒 | 自分の事
この連休で、僕は奈良へ行ってきました。「命の洗濯」と称して、毎年、奈良県の吉野地方で心身を解放してくるのです。去年は行くことができなかったので、今年は2年ぶリの奈良でした。

僕のお気に入りの場所は天川村というところ。ご存知ない方のために説明すると、南北朝時代の南朝にもゆかりがあり、日本三大弁財天のひとつ天河大弁財天社が有名で、その道では有名なパワースポットとされている村なのです。
近鉄の駅から1日3、4本しかないバスに乗って山の中を1時間以上揺られて辿り着く、いわば秘境ともいえる村です。その近鉄線の駅だって、京都から特急で約1時間半弱。終点の吉野駅の少し手前なのです。

そんな場所ですから、周囲の山は深い森につつまれ、村の中心を流れる川の流れはどこでも綺麗という典型的な山間部の集落といった感じです。
そして天河大弁財天社のあたりは昼間でも静か。最近は川辺にオートキャンプ場も整備されたのですが、近くには弁財天参拝と村営温泉くらいしかないので観光客もまばらで、村民とすれ違うことすら稀な環境なのです。

そんな村の民宿に泊まり、夕食後にそこのお婆ちゃんと神社や神様の話をするのが僕の楽しみのひとつ。弁財天の周辺にはいくつかの民宿が並び、どこも写経ができる用意をしているような信仰の村でもあるのです。そのせいなのか、一般の家も軒先にしめ縄をはるなど、不思議なたたずまいも漂わせているのです。

その天川村の問題は高齢化でした。神聖な村なのに現実は残酷です。今回、僕の定宿にしていた民宿のお婆ちゃんも認知症の症状がはげしく、民宿業は止めさせられていました。そこで僕は別の民宿を予約していたのですが、その予約を受けた民宿のお父さんにも僕の予約を忘れられてしまってました。それでも泊めてくれることはできたのですが、食事の用意ができないというのです。

説明を聞いたら、集落の数少ない食料品店が次々に店を閉めてしまい、休日に営業している店がないので食事の仕入れができないのだそうです。村の若い夫婦はみんな車を持っているので、買物は町に出てしまい、地元で買物する人間が減ってしまったので、どこも店を閉めてしまったというのです。

かつては「もう1泊できる?」と簡単に訊ねられたのに、いまや曜日を考えないとメシ無しになってしまう状況なのです。なんてったって、食事ができる店が集落に一軒しかなく、40分歩いた集落に数軒あるだけなので…。
典型的な高齢化と過疎の村の様相なのですが、どの民宿も後継者がいないという問題も抱えているそうです。

たしかに、若く新しい経営者の宿も出来ているみたいなのですが、その宿は伝統的な形態ではなく、新しい客層を狙っている印象です。
しかし、年間を通して客が来るのは伝統的な民宿のはず。それらがすたれていった時に新しい宿は生き残っていけるのか? 世界遺産である熊野古道に隣接する村は転換期を迎え、克服困難な問題が山積みのようでした。