それでは、さっそく前回の続きです。
まず、退院直後の僕はすぐにそれまでの生活に戻りました。といっても、ちょうどその当時は仕事の切れ目の時期でもあり、たいした仕事もなく、「何とかなるだろう」とたかをくくり無為に時間を過ごしていました。
しかし、単発の安い仕事がたまに来る程度で、当然の事ながら金がなくなりました。そんな時に出逢ったのが『神さまはハーレーに乗って/角川文庫』という本です。
この本はどちらかというと女性向の内容の本でした。それでも、僕はこの本でひとつ大きな変化のきっかけをつかんだのです。
主人公の女性は自分の虚栄心のばからしさに気づき、今まで大切だと思っていたモノをほとんど手放すのです。それは高い家賃のマンションであったり、洋服であったり…。それは人生で本当に必要なものに目覚めた結果だったのです。
「ああ、僕も自分でも気づかずに色々と背負い込んでいるな。その原因も意味のない虚栄心なんだな」と僕は考えはじめたのです。今までのようなギャラと聞こえのいいテレビ局の仕事への未練、必要のない広さの事務所、それらにまつわる世間体などなど。
僕も、一旦それらすべてをとっぱらう決心をしたのです。その考えの背中を押したのが“突然入院したこと”なのです。
「倒れた時、ひょっとしたら死んでもおかしくなかったはずだ。そうならなかったのは、ひょっとして自分は生かされているのだ」と感じたからなのです。ここでやっと、僕は突然の出来事の意味を理解したのです。つまり、生かされている以上、どこかに自分が選ぶべき道があるはずだと考え、頭の中を一度リセットしたのです。
まず、10年近く借り続けていた事務所を取っ払い、住まいを広めのところに移して、そこを事務所と兼用にしたのです。これが予想以上に僕の気持ちを楽にしてくれました。知らない間に事務所の維持という事が僕の重荷になっていたのでしょう。
そして、僕が次に選択したのがボランティア。以前、取材で知り合ったボランティア団体の活動に積極的に参加したのです。もう毎週末の土曜と日曜は朝から夜までボランティアのはしご、という自分でも信じられないほど熱心に活動しました。
そして、自分がはじめてボランティアをして知ったのは、ボランティアはされる方より、する方が癒されるということ。これはよく言われていることですが、それを身をもって実感できたのです。これも自分が入院し、頭の中を切り換えたからこそ得られた癒しと理解するしかありませんでした。
そう流れだすと不思議で、本当に偶然にある求人を見つけ、首尾よくそこの仕事がレギュラーとしてできるようになったのです。ギャラは安かったのですが、そんなのはもはや問題ではありませんでした。
それよりも、時間が読める仕事でしたので、ボランティアとの両立ができることが大事だったのです。
こうして僕は倒れた結果、それまでとは全然違うボランティア中心という生活スタイルになったのです。
実は、今回で書き切ると思っていたのですが、まだまだ話は続きがあるので次回もこの続きにします。
まず、退院直後の僕はすぐにそれまでの生活に戻りました。といっても、ちょうどその当時は仕事の切れ目の時期でもあり、たいした仕事もなく、「何とかなるだろう」とたかをくくり無為に時間を過ごしていました。
しかし、単発の安い仕事がたまに来る程度で、当然の事ながら金がなくなりました。そんな時に出逢ったのが『神さまはハーレーに乗って/角川文庫』という本です。
この本はどちらかというと女性向の内容の本でした。それでも、僕はこの本でひとつ大きな変化のきっかけをつかんだのです。
主人公の女性は自分の虚栄心のばからしさに気づき、今まで大切だと思っていたモノをほとんど手放すのです。それは高い家賃のマンションであったり、洋服であったり…。それは人生で本当に必要なものに目覚めた結果だったのです。
「ああ、僕も自分でも気づかずに色々と背負い込んでいるな。その原因も意味のない虚栄心なんだな」と僕は考えはじめたのです。今までのようなギャラと聞こえのいいテレビ局の仕事への未練、必要のない広さの事務所、それらにまつわる世間体などなど。
僕も、一旦それらすべてをとっぱらう決心をしたのです。その考えの背中を押したのが“突然入院したこと”なのです。
「倒れた時、ひょっとしたら死んでもおかしくなかったはずだ。そうならなかったのは、ひょっとして自分は生かされているのだ」と感じたからなのです。ここでやっと、僕は突然の出来事の意味を理解したのです。つまり、生かされている以上、どこかに自分が選ぶべき道があるはずだと考え、頭の中を一度リセットしたのです。
まず、10年近く借り続けていた事務所を取っ払い、住まいを広めのところに移して、そこを事務所と兼用にしたのです。これが予想以上に僕の気持ちを楽にしてくれました。知らない間に事務所の維持という事が僕の重荷になっていたのでしょう。
そして、僕が次に選択したのがボランティア。以前、取材で知り合ったボランティア団体の活動に積極的に参加したのです。もう毎週末の土曜と日曜は朝から夜までボランティアのはしご、という自分でも信じられないほど熱心に活動しました。
そして、自分がはじめてボランティアをして知ったのは、ボランティアはされる方より、する方が癒されるということ。これはよく言われていることですが、それを身をもって実感できたのです。これも自分が入院し、頭の中を切り換えたからこそ得られた癒しと理解するしかありませんでした。
そう流れだすと不思議で、本当に偶然にある求人を見つけ、首尾よくそこの仕事がレギュラーとしてできるようになったのです。ギャラは安かったのですが、そんなのはもはや問題ではありませんでした。
それよりも、時間が読める仕事でしたので、ボランティアとの両立ができることが大事だったのです。
こうして僕は倒れた結果、それまでとは全然違うボランティア中心という生活スタイルになったのです。
実は、今回で書き切ると思っていたのですが、まだまだ話は続きがあるので次回もこの続きにします。