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ニッポン チャチャチャ!!

納得できない事、頭にきた事、不可解な事、民主主義後進国ニッポンの“?”を感情的に綴っていきます。

9年前の出来事 中編

2008年01月09日 14時42分00秒 | 自分の事
それでは、さっそく前回の続きです。
まず、退院直後の僕はすぐにそれまでの生活に戻りました。といっても、ちょうどその当時は仕事の切れ目の時期でもあり、たいした仕事もなく、「何とかなるだろう」とたかをくくり無為に時間を過ごしていました。
しかし、単発の安い仕事がたまに来る程度で、当然の事ながら金がなくなりました。そんな時に出逢ったのが『神さまはハーレーに乗って/角川文庫』という本です。

この本はどちらかというと女性向の内容の本でした。それでも、僕はこの本でひとつ大きな変化のきっかけをつかんだのです。
主人公の女性は自分の虚栄心のばからしさに気づき、今まで大切だと思っていたモノをほとんど手放すのです。それは高い家賃のマンションであったり、洋服であったり…。それは人生で本当に必要なものに目覚めた結果だったのです。

「ああ、僕も自分でも気づかずに色々と背負い込んでいるな。その原因も意味のない虚栄心なんだな」と僕は考えはじめたのです。今までのようなギャラと聞こえのいいテレビ局の仕事への未練、必要のない広さの事務所、それらにまつわる世間体などなど。
僕も、一旦それらすべてをとっぱらう決心をしたのです。その考えの背中を押したのが“突然入院したこと”なのです。

「倒れた時、ひょっとしたら死んでもおかしくなかったはずだ。そうならなかったのは、ひょっとして自分は生かされているのだ」と感じたからなのです。ここでやっと、僕は突然の出来事の意味を理解したのです。つまり、生かされている以上、どこかに自分が選ぶべき道があるはずだと考え、頭の中を一度リセットしたのです。
まず、10年近く借り続けていた事務所を取っ払い、住まいを広めのところに移して、そこを事務所と兼用にしたのです。これが予想以上に僕の気持ちを楽にしてくれました。知らない間に事務所の維持という事が僕の重荷になっていたのでしょう。

そして、僕が次に選択したのがボランティア。以前、取材で知り合ったボランティア団体の活動に積極的に参加したのです。もう毎週末の土曜と日曜は朝から夜までボランティアのはしご、という自分でも信じられないほど熱心に活動しました。
そして、自分がはじめてボランティアをして知ったのは、ボランティアはされる方より、する方が癒されるということ。これはよく言われていることですが、それを身をもって実感できたのです。これも自分が入院し、頭の中を切り換えたからこそ得られた癒しと理解するしかありませんでした。

そう流れだすと不思議で、本当に偶然にある求人を見つけ、首尾よくそこの仕事がレギュラーとしてできるようになったのです。ギャラは安かったのですが、そんなのはもはや問題ではありませんでした。
それよりも、時間が読める仕事でしたので、ボランティアとの両立ができることが大事だったのです。

こうして僕は倒れた結果、それまでとは全然違うボランティア中心という生活スタイルになったのです。
実は、今回で書き切ると思っていたのですが、まだまだ話は続きがあるので次回もこの続きにします。

9年前の出来事 前編

2008年01月08日 20時45分02秒 | 自分の事
9年前の今日、僕は事務所で倒れた…。薄れていく意識の中、なんとか救急車に乗せられて病院に担ぎ込まれたのです。
それは一過性脳虚血発作という病気で、その時は上半身の自由が効かず、足にも力が入らないので立つこともできず、軽い失語症にもなっていたのです。

救急車の中で救急隊員が病院と電話で話しをしている記憶はあるのですが、次に目覚めた時は病院の集中治療室のベッドの中。巡回の医者に「これはなんですか?」と訊ねられ、“ボールペンと“ティッシュペーパー”という言葉が出てこず。「失語症は後遺症として残るかもしれませんね」と言われたことを鮮明に覚えています。

僕としては人生初の集中治療室という事態、さらに後遺症が残るかもしれないと言われたこと。本来なら状況を受け入れられずショックを受けたり軽いパニックになってもおかしくなかったはずです。
ところが自分でも不思議だったのですが、僕はその状況を何ら葛藤や苦悶もなく受け入れて冷静でいられたのです。どこかで「これは運命なんだ」という強い自覚があったような気がしていました。

ちょうどその日、僕は「今日からタバコを止めよう!」と脈絡もなく決心していたのです。当時はチェーンスモーカーだったので、買い置きのタバコが残っていたんでしょう。深夜になっても数本残っていたので「止めるのは明日からにしようか」と考え直していたのです。ところが、ちょうど深夜0時になる頃、突然発症したのです。

しかし、翌日の昼にはICUから一般病室に移され、医師には検査の結果どこにも問題はなく、血栓の痕跡もないと言われるほど回復していたのです。多少、言葉に詰まることはあっても、僕の身体は何もなかったように普通に動かせるし、立って歩くこともできようになっていました。
そして数日後、今度は虫歯が痛み出し、医者には「歯医者に行きたいので早く出してください」と言えるまでになっていました。結局、入院から一週間後、僕は無事に退院できたのです。

さらに、これまた不思議なのですが、入院中に二回だけ「吸いたい」と思っただけで、1日に3、4箱吸っていたタバコを何の苦もなく止められたのです。
こうして、僕は命の危険があったかもしれない事態を切り抜け、さらにタバコを止めるというヘビースモーカーの難題をいとも簡単に成し遂げたのでした。

その数年後、僕は「命の洗濯」として毎年訪れていた奈良県天川村の民宿のお婆ちゃんのある言葉に出会うのです。
それは、「突然の出来事いうのは、神様の仕業しかあらへんで」という言葉。その後、僕はその言葉の意味をさらに実感することになるのでした。

大切なクリスマスカード

2007年12月26日 21時30分27秒 | 自分の事
クリスマスイブの日に届いた一通のクリスマスカード。毎年、我が家には一通だけクリスマスカードが送られてくるのです。
差出人は僕の恩師にあたる人物。僕が23歳から28歳まで勤めいていた会社の社長のご主人なのです。その会社の社長は奥さんの方で、ご主人はたまに会社に現れる“凄いデザイナー”という印象でした。

その会社は最大時でも社員が全員で7、8人という小さなデザインスタジオでした。最初に就職した会社を僅か一年で辞めた僕は、その会社で実に多くの事を学んだという記憶があります。
また、社長夫婦には子供がいなかったこともあり、僕をまるで息子のようにかわいがってくれました。仕事を離れても、本当に僕を見守ってくれていたと今になって思い出します。ですから、社長夫婦は僕としては第二の両親という感覚もあるのですが、“恩師”として心の中にとどめさせてもらっているのです。

実はその社長、僕が会社を辞めてから2、3年後に突然倒れ、そのまま還らぬ人となってしまったのです。
それでも、途中途切れた期間はあるのですが、毎年社長の命日の月でもあり、誕生月でもある6月に当時の社員が集まって、ご主人を囲む会を開いているのです。

実際には連絡係なのですが、ここ数年は僕がその会の幹事を務めています。それに対して、いつもいつも何度も何度も「ありがとうね」と関西訛りで僕に声をかけてくれる恩師。
クリスマスカードも「元気ですか?」の後には「いつもありがとう!」の言葉。気がついたら、恩師は常に感謝の気持ちを表現する生き方を実践しているのだと思い至りました。それも本当に心をこめて…。

とても心の奥に届く手紙です。そして最後に「良い年を迎え下さい」とくると、とても自然な流れという印象です。いつもそんな心遣いが感じられるので、このクリスマスカードは僕にとっては誇らしいものでもあるのです。


これが年賀状だとそうはいきませんよね。僕は自分が筆無精ということもあり、年賀状は苦手でした。さすがに最近は最低限の枚数は出すようにしてはいますが。
とにかく、まだ年内に顔を逢わせそうな人に「去年はお世話になりました。今年もよろしく」と書かなければいけない不自然さも嫌でしたし、「出さなければいけない」というような世間の強迫観念みたいなものも嫌でした。

郵政も民営化になったのですから、その辺りのサービスを真っ先に改善してほしいでいすね。「元旦に届くには12月25日までに投函」というシステムが“異常”だと認識する感覚をもってほしいものだと思います。
あと、僕のように元旦に年賀状を投函する場合も、翌日に届くようにしてほしいですね。年々正月らしさがすぐになくなるので、5日や6日に届いても間抜けな感じですよね。でも、元旦に投函するのが年賀状の本来の姿のはずだと思うのです。

続々・男の弱さとキリスト教と

2007年12月25日 13時24分15秒 | 自分の事
今回も曽野綾子の『神さま、それをお望みですか』の感想です。今回は曽野綾子の宗教観やキリスト教について書いてみたいと思います。

彼女の「海外邦人宣教者活動援助後援会」は、最初に支援先をカトリックの神父と修道女に限ったそうです。それは曽野綾子自身がカトリック信者というのがきっかけだったのでしょうが、実際には家庭を持たない聖職者が援助金を遣い込む事がないと考え、彼らを金のお目付け役に利用したというのです。
この発想自体が合理的であり的確だと思うのです。逆に言うと、そのぐらいの注意をはらわないと善意をそのまま海外に送ることの難しさを熟知していたということでしょう。やはり「さすが!」と感じさせます。

しかし、この本を読んで驚いた事は、とにかく日本人のシスターや神父が世界中の貧困地域のいたるところにいるという事でした。アフリカだろうが南米だろうが、名前も聞いた事がなく、間違いなく観光ガイドにも出ていないような地域で、一生懸命にその土地のために働いているのです。
そんな中でもシスターたちの逞しさには敬服しました。特に医療の現場で働くシスターたちは「生かすか」、「諦めるか」の判断を瞬時に行い、決して情緒に流されず与えられた環境の中でベストをつくす姿…。
それに対して、どうも神父というのは地域の人たちの尊敬の対象にはなっていると書かれても、現場できびきび働くという書かれ方をされた神父はいたのかどうか? こんなところでも男の弱さを感じてしまいました。

ところで「神が常に相手の中におられるという思想は、人とケンカするときに困る。神にケンカを売ることになるから」という“神をも怖れぬ?”曽野綾子の宗教観がなかなかです。
自身の目の手術が上手くいったときには、「私は生涯に初めて、もしかしたら神に自分の名前を記憶されているかもしれない、と思うようになった」と神妙になり。それでいながら、「カトリック的な発想なので、将来を心配しない」という宗教観の使い分けなのか? 単純に本人の逞しさなのか? いずれにしても、僕の中でキリスト教がちょっと気になりだしたのは確かです。

さらに、「すべてのシナリオは神が書いたものである」とも書いています。この理解があれば、困難に立ち向かうことになっても「(もし、神がお望みなのでしたら)仰せの通りになりますように」と発想できるようになれると言いたいのでしょう。それがこの本のタイトルにも現れていると理解しました。
ただ、そういった事を「神に流された記憶」と表現する曽野綾子のセンスに僕は完全にシビレてしまいました。
そして、「天の下の出来事にはすべて定められた時がある」という旧約聖書の言葉を信じて行動を決断すると知り、僕の想いはさらに強くなるのです。

この年齢になって、この本に出逢えたこと。それ自体が絶妙なタイミングだと感じていますし、この本を読み終わった日がちょうどクリスマスイブだったというのも偶然だとは思えません。
こうして僕の中の“曽野綾子熱”、しばらく続きそうだと予感しているのです。

続・男の弱さとキリスト教と

2007年12月24日 23時46分15秒 | 自分の事
すでに曽野綾子の『神さま、それをお望みですか』を読まれている方には恐縮なのですが、今回もその本について僕が感じた事を書きます。

この本で、真っ先に僕は曽野綾子のルール作りというか、けじめのつけ方にシビれました。それこそが曽野綾子のまわりに有能な人が集まり、「海外邦人宣教者活動援助後援会」が機能し続けた原因だと感じたのです。
まず、「人を助けるというようないい事は、一人の人間が独り占めしてはいけない」という原点。そして、集まったお金をすべて有効に注ぎ込むという目標を立て、そのために職員へ経費を一切計上させないことを納得させた情熱。すべてが“素敵”もしくは“的確”だと感じるのです。

「お金を送った人は、そのお金が職員が飲むお茶のガス代やニュースの印刷代になることを望んでいない」という認識は当たり前かもしれませんが、すべてをボランティア(あるいは持ち出し)で25年間も出来るものではないと思うのです。いくら“いい事=楽しい事”の活動であっても…。
さらに、募金した人の信仰はバラバラなのだから、信仰を目的とした援助要請は除外して、支援の目的を基本的に医療や教育に絞ったという着眼点などなど。まさに大事なお金を出す人の気持ちをも思いやった活動だったのだと理解できました。

そんな精神が基本にあるら、「海外邦人宣教者活動援助後援会」へ寄付する人たちの話もとても素晴らしいものばかりなのです。
とにかくいい話しが多いのですが、その中のひとつ…。あまりに大きな金額の振込みがあったので調べてみたら、それは寄付した人の母親が孫のためにと渡してくれた金だったのです。しかし「そんな金額は必要ないのでそっくり寄付した。その理由は、もし母が死んだら、自分の知らない間にこんないい事をしたとあの世で知らせられて驚かせたい」というものだったのです。そんな洒落たバックスストーリーが支援者側にもあふれていました。

しかし、「あまりに立派な話ばかりだと、私たちは疲れてしまって立つ瀬がない」とかわす曽野綾子のバランス感覚。まさに男には真似できない「人生の達人」と僕が感じる所以です。
そもそも、男は不幸な出来事などの試練を経験してからでないと全体的な判断ができない生き物だと感じています。しかし、女性は日常生活の中から合理的な判断をする精神を養えるのでしょう。そんなことを益々強く感じさせてくれるのが曽野綾子でした。

また、往々にして寄付の理由は“肉親の死”が関係していることが多いのです。そこでこの本の最後には、妻を交通事故で亡くしたある夫を例にあげています。
それによると、「妻の死という出来事によって彼は“愛”を知ったのだとしたら、それは何という過酷な教育だったのかもしれない。しかし、残されて悲しみに耐える人は、私の大好きなギリシャ語のアレーテー(勇気や男らしさ)の意味を知ることになるだろう」とあるのです。
つまり、男とは何がしかの困難な“通過儀礼”を経て、初めて男らしくなれるという事なのだと読んだのですが、考え過ぎでしょうか?

と書いてみて、まだまだ書き足りません。なので、次回もこの続きにする事にさせてもらいます。

男の弱さとキリスト教と

2007年12月24日 00時55分26秒 | 自分の事
とんでもない本に出会ってしまいました。感動した以上に、経験のない衝撃を受けたというのが正しいと思っています。それはその本の内容ももちろん、その著者、そして多くの登場人物と黒幕にも…。
BOOK OFFでわずが105円で買った本なのですが、“お買い得”という言葉では表せないほどの超特大の“ラッキー”でした。

で、その本のタイトルは『神さま、それをお望みですか』というもの。以前にも書いた曽野綾子の著作です。
サブタイトルが『或る民間援助組織の二十五年間』とされているように、著者が中心となって海外に資金や物資を送った「海外邦人宣教者活動援助後援会」が支援した施設などを、曽野綾子がひとつひとつ訪れた調査報告といった体裁になっていました。

今から10年以上に書かれた本なのですが、内容はとにかく僕の知らない事だらけでした。
まず驚いたのが援助先の多さと、それぞれの土地での信じられないほどの劣悪な状況です。アフリカは名前すら聞いた事のない国ばかりで、南米、中央アジア、韓国など、実際に自分たちの支援がちゃんと機能しているのかを精力的にまわって調査していくのですが、行く先々の状況が「酷い」のひとことなのです。

宿に石鹸がないなどは当たり前。そんな町から、さらに車で道なき道を10時間走りつづけ辿り着いた目的地。そういった地域での生活環境は想像を絶していました。
同様の内容の記事などを読んだりしていたつもりなのですが、おそらく僕は男性が書いたものしか読んでいなかった気になりました。そこに暮らしている人たちの中にすっと入っていく姿勢、そこでの曽野綾子の視線の的確さ。絶望的な状況を大袈裟に伝えるのではなく、それぞれの土地で捉えられている状況そのままが書かれているのです。

例えば、育つ見込みのない赤ん坊にはミルクを飲ませないというあるアフリカの地域の実情に、「アフリカの掟には日本のような感情の入り込む余裕がない。育つ子に大事なミルクは飲ませるだ」と理解する。また、「貧困は自分が貧困にならない限り、けっしてわかるものではなく、かつ発言する権利さえもない」と自らを律する判断。
どうしても原理原則論や悪者探しに陥りやすい男性の報告とは違い、しっかり目の前の出来事をそのまま観察し分析しているのです。それは、荒んだ生活の若者たちに「豊かな暮らしの体験というものがないから、心の栄養失調になる」というような見方にも現れています。

はじめて曽野綾子の本を読んだとき、この生き方は男には真似できるものではないと感じていました。この本を読んで、さらに彼女の活動姿勢や物の見方と現実的な判断など、普通の男にはとうていできないという思いを改めて強めました。

と、ここまで書いても、この本と曽野綾子に対する僕の感想はまだまだ語り尽くせません。なので、この続きは次回にも書かせてもらいます。

ビデオカメラを買って考えた事

2007年11月30日 13時16分18秒 | 自分の事
ついに6年半使ってきたビデオカメラとの決別を選択し、新機種の購入を決断しました。
メーカーの関連企業で働く友人に相談したところ、「もうすぐ、4:3のテレビは無くなるのだからハイビジョンにするべき。さらに、もうテープではなくハードディスクタイプの時代」と言われました。僕としては完全に納得したわけではないのですが、そう選択せざるを得ないと理解し、友人の指摘通りの機種をビックカメラで購入しました。

まあ、6年半前ならとても信じられないスペックであることは間違いありません。とにかくフルハイビジョンに対応した高画質。さらに、その画質で連続8時間撮影できるという民生機としてはソニーの看板商品のようです。
ただ、不満なのは付属のバッテリーが45分しか使えないという事。それじゃあ連続8時間撮影可能の意味がないと思うのですよ。さらにACコードは旧態依然で、コンデンサー(?)がコードの真中にあるタイプ。携帯電話のようにコンセントと一体化してくれないと、ホント使いにくいんですよね。

どうしても必要なワイドレンズも一緒に購入。さらに長時間使えるバッテリーを購入しようとしたら、これが高い! その上、店員は「安い充電器は使い物にならないですよ」とあっさり言うのです。 ということで、仕方なく充電器も高い方を購入することに。
そして店員と値段の交渉。あっさりと充電器が使い物にならないと言った店員は、「一切まけられないと一点張り」。リサーチで訪れたヨドバシカメラは店員も丁寧で、店員の方から「これが最安値です」と価格コムより安い値段を示してくれたのですが、ビックカメラの5年間長期保証の魅力に負けて購入決断となりました。

カメラ本体+以下別売のワイドレンズ+バッテリー+充電器の合計金額が14万弱。しかしこの金額、6年半前のカメラ+標準キットの購入価格より2万円以上安いのです。
スペックが飛躍的に良くなっているのに、価格は下がるという矛盾。となれば当然そのしわ寄せは「信頼性」にくるはずです。有名な「ソニータイマー」の設定は短いと予想。なので、ビックの5年間保証は是非モノになるのです。

大学の頃に覚えた「資本主義の陳腐化」をまさに実践し、次々と中途半端な新製品を作るメーカー。まあ、それに飛びつく消費者がいるから「陳腐化の循環」は止まらないのでしょうね。その状況はネットオークションを見ればよくわかります。
ただただ、僕としては浪費する“技術”ではなく、使い続けたくなる“心ある商品”を作るメーカーの出現を願います。そして、そんなメーカーがMADE IN JAPANのスタンダードになる事が理想なのではと考えるのです。

ちなみに、無愛想だったビックカメラの店員。僕はカードで買ったのですが、レジを済ませても「ありがとうございました」と言うこともなく、家に帰って気がついたら、カード購入の控えを受け取っていないのです。
製造業は目先の新しい製品を作る企業が、流通業も本質を忘れているところが伸びる日本。このしわ寄せ、どこに、どのように現れるのでしょうか?

さもしさと優しさ

2007年11月06日 19時42分09秒 | 自分の事
「あれっ?」と、日曜日の夜に吉祥寺駅前で出会ったのは、僕が以前仕事でお世話になったSさんでした。「ど~したんですか?」と僕がたずねると、「僕の応援しているバンドがこれから演奏するんですよ」とのこと。
見てくれは派手だけど、とてもドラムが下手なバンドが演奏している隣で、Sさんの応援しているというバンドのメンバーは準備をはじめていました。そこでほろ酔いの僕は、彼らの演奏を聴いてから帰ることに決めたのです。

そのバンドは「SOUL MCARTNEY」という6人組。構成はベースとドラム、ギター2人にサックスが2人で、平均年齢は20代半ばの完全なアマチュア・バンドということでした。
で、演奏前の馴らしの段階で「これはいいぞ!」と感じさせ、実際にプレイが始まったら予想通りの“洗練されたファンク”。気がつけば僕の大好きなバーベーキュー和佐田バンドのスタイルと編成も似ていると思い、この音を20代半ばで目指すとは凄い連中だと感心したのでした。

しかし僕が彼らの演奏を楽しめたのはわずか数曲、突然警官がやってきて彼らに演奏を止めさせたのです。それでも彼らに共感したのは、音量を下げながらも最後まで曲を演奏し終えたこと。メンバーの誰もひるむことなく毅然と演奏を続けた姿に“プロ”を感じたのです。
それに引き替え、情けないのが警察の典型的なお役所仕事。メンバーによると、隣のバンドが演奏していた場所は歩道の幅が多少広く、彼らが演奏していた位置は歩道が狭くなっていた場所だったので、通行を妨害したとして止めさせられたというのです。たしかに、彼らの隣で演奏していたドラムの下手なバンドは、その後も大きな音量で演奏を続けていました。

吉祥寺の音楽で育った僕としては警察の仕事に“さもしさ”を感じてしまいました。歩道が広かったり、独りで柱を背にしていれば音量は問題ないというヘンな取締り。まあ、「抜け道はあるよ」ということと理解して納得するしかないのでしょう。
実際、「SOUL MCARTNEY」のメンバーも吉祥寺駅前で警察に止められない場所を他に見つけ、そこで2回目の演奏をはじめました。

すると今度は僕も2回目の聴衆ということになり、彼らのアラが見えてくるのです。「ソロの受け渡しはもっとスムーズに」とか「ホーンのメリハリがない」とか…。
そこで隣にいたSさんにたずねてみました。「彼らにアドバスとかするのですか?」と。すると「いいえ」と、いとも簡単に返事が返ってきました。
実はSさんの職業は音楽プロデューサー(のハズ)なのです。僕の感じたようなことは当然感じているはずなのです。でもそれをあえて口に出さない。そこに僕は人を育てるということの真髄と優しさを見た想いがしました。
そう、僕が感じたことを彼らに言ったところで、僕の知っている音楽以上になるアドバイスには決してならないのだと気がついたのでした。

本物と、そうでないもの

2007年11月05日 19時47分09秒 | 自分の事
今、僕が一番行きたい場所は沖縄県の久高島です。沖縄本島からすぐのところにあるのですが、「神聖な神の島」とされている場所です。
そして、その久高島をテーマにしたドキュメンタリー映画があると知り、先週末に中野へ観に行ってきました。

その映画のタイトルは『久高島オデッセイ』というもの。神の島であるのに、過疎や高齢化などにより神事を行うのもままならなくなり、そんな中で一生懸命に島の伝統を守ろうとしている島の人々を追った映画でした。
会場は5、60人も入れば一杯のようなスペースでしたが、入りは7、8割程度だったでしょうか、印象として若い人が多いという感じでした。

で、結論から言うと、かなりがっかりした内容でした。とにかく構成が滅茶苦茶! すごく細切れの感じがして、何が言いたいのか伝わってこないのです。さらに安定していない画や中途半端なズームが多く、印象的なアップの画が少ないのが不満。結局、画による感情移入ができませんでした。
そしてドキュメンタリーでありながら、島の人の言葉がほとんど入っていないのです。すべてナレーションでおぎなっていたのは致命的でした。後半では多くの客が時計を気にしていたので、僕以外に退屈になった人も少なくなかったのでしょう。

最近、僕はドキュメンタリー映画を続けて観ているので、どうしてもそれらと比較してしまうんですね。ニューヨークのストリートで絵を描いている日本人の老人の変化を追った『ミリキタニの猫』は構成とテーマがしっかしていたし、アル・ゴア元米副大統領の『不都合な真実』も同様でした。
それ以上に、『地球交響曲 第六番』は画が素晴らしかった! インサートカットの撮り方、使い方の両方が最高で、僕の中ではスタンダードになってしまっているのです。

実は『久高島オデッセイ』、数年かけて撮影し、途中、監督は倒れるなどして大変な想いで制作したそうです。上映後にそれを聞いて、僕も少し考えました。
たしかに作品は秀逸とはいかなかったかもしれませんが、消えゆきかねない文化の危機にいち早く着目し、車椅子に乗りながらも撮影を続けたというスピリットは賞賛されるべきと感じたのです。

で、結論は陳腐かもしれませんが、作品の良し悪しと、それを持ち上げるか軽るんじるのかは別の話なんだと思ったのでした。
そこで、それぞれの作品のバックストーリーが、“さりげなく”耳に入ってくるようなシステムがあってもいいなぁ~と感じたのでした。

渋谷BOOK 1st閉店で考えたこと

2007年10月18日 17時34分28秒 | 自分の事
渋谷最大の書店「BOOK 1st」が閉店になってしまいました。正確には渋谷の他の場所でかなり縮小して営業するるそうです。在庫が豊富でお気に入りの本屋さんだったのでとても悲しいです。
それとは別の意味でも僕を暗い気持ちにさせてくれます。その理由は僕の数少ない人生訓に由来しているのです。

僕の数少ない人生訓のひとつ、それは「本を読まない人間は信用しない」ということです。もちろん、本をまるで読んでいなくても素晴らしい方は大勢いらっしゃると思います。ただ、偶然、僕の人生では何度も検証されたことなので人生訓としているのです。
「そんな偉そうなことを言うほどお前は本を読んでいるのか?」と言われれば、「読書が趣味」という程度の量しか読んでいませんが…。

いずれにせよ、僕が大事だと思うのは「本を読もう」という気持ちだと思っているのです。なぜなら、自分に未知な部分がある。新しいことを知りたいという動機があってはじめて読書欲は生まれてくると思うのです。
なにせ一度の人生で経験できることはたかが知れています。自分にはまだ充分でない部分がある、経験していないことが沢山ある、という認識があるからこそ書物によって自分の知らない知識を得たり、未知の経験を疑似体験したいと欲するように思うのです。

そうやって、自分の未知の事柄に触れることによって、「そんなこともあるんだなぁ」という謙虚な気持ちが自分の中に生まれてくるのだと思います。それこそが読書の醍醐味なんだと僕は思っているのです。
つまり、日頃本を読んでいる人たちは、世の中に自分の思い至らない事柄もあるものなんだと読書を通じて熟知しているので物事に謙虚であり、柔軟なんだと感じるのです。
ところが本を読んでいない人は、「自分の分の知らないこと=ありえないこと」となるような気がするのです。その結果、未知の事柄に対してはそれを無理に自分の知識にあてはめようとして、結局、独りよがりに走る傾向が強いのではないかと考えているのです。当然、その論理にはかなりのムリが生まれてきてしまうはずなのです。

そして冒頭の僕の気持ちが暗くなる理由なのですが、渋谷のBOOK 1stの縮小は、あきらかに本が売れなくなったからだと思うのです。出版不況は本当に深刻なのでしょう。
ということは、世の中に「本を読まない人」が続々増えていることになると思い至ったからなのです。