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ニッポン チャチャチャ!!

納得できない事、頭にきた事、不可解な事、民主主義後進国ニッポンの“?”を感情的に綴っていきます。

我が家のアイデンティティを尊重したい

2010年12月16日 15時18分16秒 | 自分の事
僕の母親はここ数年、趣味のように入院を繰り返しています。 大体年に一回、どこか具合が悪くなったと病院に担ぎ込まれ、これまた大体一週間程度で退院しています。80代半ばなので、ガタはきているけど入院を続けるより、普通に生活している方が身体にいいと医者に言われるそうです。
病院に見舞いに行く度に、今回はどこが悪かった、何の数値が悪かったといった話を母に聞かされるのですが、呆れるほどにその悪い箇所は僕らの兄弟にも共通しているのです。なので、兄弟は自分の身体の悪いところについて「これも遺伝だ。あ~遺伝だ」と母に当たります。もちろん、「血のつながりを感じているよ」という意味も伝えるために。

そこで本題なのですが、実は昨日、僕は品川区の健康診断を受けに近所の病院に行ってきました。身長・体重を計り再尿、採血、血圧測定、心電図を済ませて先生の問診へ。
3年連続してこの病院で健康診断を受けているので、先生は僕の過去の結果をながめて「あなたはいつもコレステロールだね」と感想を述べる。たしかに、僕は肉類をほとんど食べていなくても、悪玉コレステロール値だけが要治療ゾーンに入っているのです。

「実は母もそうなんです」と僕。母は僕以上にコレステロールが含まれるようなものを食べていないのにコレステロール値が高いのです。
そうすると、先生はまるで儲からない区の健康診断をやるのも、こうゆう新しい獲物が見つかるからやってられるのさ、というように嬉しそうな表情をわずかに浮かべ「そうなるとやっぱり治療が必要ですね」と言い放つ。
結局、コレステロール値が高いという事は、脂質の代謝が良くないという事で、それは遺伝に由来するもので食事療法も意味がないのだそう。僕は、どこか釈然としない気持ちで家に帰ったのですが、ふと思いつきました。

コレステロール値が高いのは、我が家のアイデンティティではないか。

悪いものが出来ていて、これを放っておくと将来危険だ、ということで、それを取り除く治療というのならわかります。だけど、コレステロール値が高いので、将来動脈硬化になるかもしれないからコレステロールを抑える薬を飲む、という事に抵抗を感じるのです。
つまり、コレステロール値が上がる体質を根絶する治療ではないハズ。あくまでも「抑える」というベクトルでしょう。しかし、僕の身体はコレステロールを体内に貯めようと常に働いています。そしてこれが遺伝によるものであれば、まさに我が家のアイデンティティではないですか。で、それを「抑える」という事は、我が家のアイデンティティを否定する行為と言えるでしょう。

我が家の人間が、みな若い時期に動脈硬化が原因で死んでしまっていたのなら考え直す必要もあります。実際に母は米寿前ですが、まだまだ元気です。祖母も血管が切れた事で亡くなりましたが、それでもやはり80歳以上まで生きています。ちなみに父の死因はボケから、祖父は胃ガン。
結局、だれでも死ぬ訳で、その方法論として我が家(母親系)は血管由来の原因で死ぬ事になっていると思うのです。

実は僕は血圧が高いので降圧剤を飲んでいます。実際、血圧は上がると日常生活に支障をきたすので、やむなく飲んでいます。ただ、コレステロール値は高くても、日常生活で自覚できる影響はないと思うのです。その上、我が家は血管由来で早死はしていないし、僕も極度に肥満している訳ではない。
ということを考え併せてみると、この治療に意味がないと感じるのです。

これを膨らませて考えると、現在の医療費の高騰と死なせない治療の悲劇はこんなところから始まっているのではないでしょうか? つまり、人は死ぬ方法が決められているのに、それを無理して妨げるから薬漬けになったり、人間としての尊厳が失われていても生かされていて、親族の負担になっているなどなど。

将来、僕も卒中とかで倒れてしまたりしたら、やっぱりちゃんと予防しておけば良かったと後悔するかもしれません。まずは来週に昨日の診断結果を受けてどう感じるか、また書いてみようと思います。

続「品川さんに、マーチン上げん!(Again)」プロジェクト

2009年03月08日 14時44分02秒 | 自分の事
さて、例の品川さんは念願の
Martin 000-28を手に入れる事ができました。
これが、その写真。


ピッカピッカの新品Martinを嬉しそうに抱える品川さん
まるで初孫を抱くおじいちゃんのようです。
ちなみに隣りに写っている孫の父親のような大柄な男性、
彼が今回のフィクサーであるJohnny Knoxvilleという人物。
彼がMartin社にかけあってくれたそうです。
で、本人からも秘密にする必要はないと言われたとのこと。

まあ、思わぬころがり方で
品川さんはMartinを手に入れる事となりましたが、
そのきっかけとなったのが、
これまでに「品川さんに、マーチン上げん!(Again)」 で
CDを買ってくださった方々の想いだと信じています。
本当にありがとうございました。


・・・ところが、
品川さんから送ってもらったCDはまだ残っています。

そこで色々と考えましたが、
やっぱ、「品川さんに、マーチン上げん!(Again)」 を続けます!

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続「品川さんに、マーチン上げん!(Again)」プロジェクト


この不景気の世の中、
奇跡を起こしたプロジェクトに乗っかる事で、
「強運」にあやかりましょう!

奇跡を起こしたプロジェクト名はそのまま。
売り上げを何に使うかということは考えずに
ただただ、今回のご利益にあずかりたいという方、
ぜひ、この「image」をご購入ください。


ちなみに、これまでに購入してくださった方々に敬意を示すため、
歌詞カードに名前をクレジットするという事は
打ち切りさせていただこうと思います。

ということで、CDを希望される方は
↓こちらへメールを
martin-again@hotmail.co.jp

ご希望の方は
・お名前
・郵便番号
・住所
・希望枚数
をご記入の上、送信してください。

★料金★
【すべて、普通郵便の代引きでお願いします。】

    CD代  送料・代引き代等
1枚 1,200 +   560  =  1,760
2枚 2,400 +   560  =  2,960
3枚 3,600 +   620  =  4,220
4枚 4,800 +   620  =  5,420
5枚 6,000 +   620  =  6,620
6枚 7,200 +   620  =  7,820
7枚 8,400 +   620  =  9,020
※大人買いは大歓迎ですが、8枚以上ご希望の方は
 メールで、その旨ご相談ください。
※CDはオリジナルCD-R。


以上、よろしくお願いいたします。

Martin Again Project
martin-again@hotmail.co.jp

品川さんに、マーチン上げん!(Again)プロジエクトにご協力を。【緊急号外】

2009年02月01日 13時00分16秒 | 自分の事


以前、このブログで何回か紹介した
LAのストリートで歌い続けている品川寿男さんが
ピンチに陥っています。

まずは、下の動画をご覧ください。
僕が別件の取材で、偶然にも2008年の10月に
品川さんに愛用のMartinへの想い入れをたずねていたのです。


                    Special Thanks 渡辺勝


その日の朝8時頃、いつもの日曜日のように
ハリウッドのファーマーズマーケットで
歌う準備をしていた品川さん。
目を離した隙なのか、
28年間使ってきたMartinが大きなSUV車に轢かれ、
ボロボロだったギターがぐちゃぐちゃになってしまい、
完全に使い物にならなくなってしまった・・・。



唯一のギターをなくしてしまった品川さんは、
現在、友人が貸してくれたギターを使って歌っています。

本人としては、また中古のMartinが欲しいのだが、
いかんせん高い!
それ以前に、金もない!
ギターを轢いたチーズ屋の親父はすっとぼけている!

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そこで、上のようなインタビューをしてしまい、
今回の事故の遠因を作ったように感じた僕は、
品川さんの新作CDを代理販売して
品川さんのギター購入の手助けをすることにしました。

プロジェクト名は・・・
「品川さんに、マーチン上げん!(Again)」




品川さんの新作CD「image」を買って、
品川さんにお金を送るプロジェクトにご協力ください!

品川さんが言うには、購入してくださった方は、
次の次に制作するCDの歌詞カードに
お礼の意味で名前をクレジットするとのことです。

この「image」は、17曲入りでなんと1,200円!
お得なので、ぜひご協力をお願いします。
(オリジナルCD-R)


◆お申し込み・お問い合わせは、こちらへメールを
martin-again@hotmail.co.jp

ご希望の方は
・お名前(フリガナ)
・郵便番号
・住所
・希望枚数
・希望するクレジット名(欧文で希望枚数分)
 ※あんまり長いのはNG
をご記入の上、送信してください。


★料金★
【すべて、普通郵便の代引きでお願いします。】

    CD代  送料・代引き代等  合計
1枚 1,200 +   560  =  1,760円
2枚 2,400 +   560  =  2,960円
3枚 3,600 +   620  =  4,220円
4枚 4,800 +   620  =  5,420円
5枚 6,000 +   620  =  6,620円
6枚 7,200 +   620  =  7,820円
7枚 8,400 +   620  =  9,020円

※大人買いは大歓迎ですが、8枚以上ご希望の方は
 メールで、その旨ご相談ください。
※複数枚ご購入の方は、購入枚数分の
 欧文のクレジット名を忘れずお知らせください。
 ご家族の名前でも、ご先祖様の名前でもOKです。

★「image」の何曲かは、こちらで聴く事ができます。
http://profile.myspace.com/index.cfm?fuseaction=user.viewProfile&friendID=433767942


以上、ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。

Martin Again Project
martin-again@hotmail.co.jp



【速報】

品川さんが奇跡を起こし、
Martin 000-28を手に入れてしまいました!

そこで、このMartin Again Projectをどうするか、
現在検討中です。
とりえあず、一旦申し込みを中断させていただきますので
ご了承くださいませ。


【リニューアル100回目記念】 遠く感じる「政治」

2008年03月20日 01時48分22秒 | 自分の事
去年の7月末に再開させたこのブログ、今回でリニューアル後100回目の更新にたどり着きました。なんとか先月中に達成し、2日に1度の更新ペースにしたかったのですが、根性が足りずに遅れてしまいました。
それにしても最初に比べて、100回目までは長い道のりでしたね。書きたいと思うネタと落しどころを見つけるのに苦労しました。

この“ニッポン チャチャチャ!!”は去年の2月から約半年間、1度も更新しませんでした。いくつか理由があったのですが、最大の理由は僕の“マンネリ”でした。
当初は報道されたニュースへの疑問や怒り、そして過去からの流れで見たときの不可解なところや矛盾点を指摘していこうと考えていたのです。ところが、どうも毎回ワンパターンに陥り、権力に対し「おかしいよ!」という反論だけに終始していたと感じたのです。
それでも2年前の“共謀罪”の頃には、院内での反対集会などにも積極的に参加し内容をレポートしたのですが、それ以降、参加すべきと感じる政治的集会も見つけられませんでした。

ただ、不思議だったのは、更新しない時期でもこのブログへのアクセスはコンスタントにあったのです。そしてある時には、gooのブログランキングのベスト1000にランクインした事もあったのです。
検索サイトから来訪してくれたと思うのですが、僕はいつしか「とにかくこんなブログでも訪ねてくれる人はいるんだ!」と考え直すようになり、自分の中に「書きたい」気持ちが残っていることも再確認したのです。

そして再開させたのが去年の7月。以前のように公のニュースソースからネタを引っ張ってくるのではなく、自分の近くにニュースのきっかけを見つけようと心がけました。
自分との距離が近いニュースや話題を取り上げる事により、以前よりは深く問題を掘り下げられると考えたのです。と同時に、旬のニュースを取り上げても、どこかで聞いたような論調になるだけで、誰も読む気にならないと感じたという理由もあります。

どうもこの1年ちょっとで、“ニュース”(特に政治がらみのもの)が我々から遠のいたような気がするのです。道路特定財源問題や日銀総裁問題、今盛んに論議されている事柄はすべてが国民不在。
ねじれ国会という一党独裁よりはベターな状況なのに、論議は国民から離れていくような気がしてならないのです。これは民主党にも責任があると思うのですが、最近あまりにも政治が“不毛”になっていると感じませんか?

いずれにしても僕はそう感じているので、“ニッポン チャチャチャ!!”と言いながら、これからもしばらくはドメスティックな視点で話題を提供していくつもりです。
そして、毎回コメントが少ない(ほとんど無い)状況にも慣れましたが、読者に僕の知り合いがかなりの数いるものと思っています。そこで、もし今後のテーマの希望でもあるようでしたら、今回くらいはコメントをお願いします。

カメラマンとしてロスでデビュー!

2008年03月09日 06時28分58秒 | 自分の事
ちょっとへこんでいた僕に、同じ日にいい便りが2通届きました。やはりeメールと比べ、郵便っていうのは受け取る側のインパクトが違いますね。ポストに封筒を見つけた喜びは、「You've Got Mail!」の着信音とはまるで違うものだとつくづく感じます。
その1通目は待ち望んでいた源泉徴収票。本来よりは遅れているのですが、これが届いたことによってとにかく面倒な手続きをすることなく確定申告ができるようになりました。まずは、ホッとした便りです。

そしてもう1通はエアメールの小包。宛名書きを見ただけで以前紹介した品川さんからのものだとわかりました。そして、その梱包の具合から中身は新作のCDであることも。
宛名に修正液を使った跡もなく、前回よりも丁寧な印象の小包。「ひょっとしたら品川さん、前回の僕のブログを読んだのかな?」と思ってしまったほどです。しかし、パソコン・携帯を否定している品川さんなので、そんな事はないはずなのですが・・・。

本当に丁寧で几帳面に梱包されている包みの隅を慎重にカッターで開け、中身を取り出すと、さらに丁寧にエアパッキンで包まれた大き目の封筒が出てきました。輪ゴムで止められていたエアパッキンを外すして取り出した封筒は、これまた内側にエアパッキンが貼り付けられている封筒なのです。
そうして出てきたCD。たしかに2年前に品川さんが帰国した時に僕が撮影した写真が使われていました。僕の名前もクレジットされていて、これで僕もアメリカでカメラマン・デビューさせてもらいました。
それにしても本当に丁寧な梱包で送られてきたので、ちょっと僕も気が引き締まってしまいます。つまり、それほど大事なCDのジャケットに僕の写真を使ってくれたんだと、そして、改めて自分の作品であるCDを大切に扱う品川さんの繊細なデリカシーも感じたのでした。

ところが、添えられていた手紙は相変わらずお茶目。前回、返事を書いた日がちょうど雪だったので、家の窓から見える雪景色の写真を同封し「ロスでも雪は降るのですか?」と書いたのですが、「ロスは常夏なので、無理ですよ!」と真っ先に返答してくれ、そればかりか手紙の冒頭に「二月二十九日金曜日午後十二時二十五分 二十二度Cであります」と、丁寧に気温まで教えてくれるのです。
そして、「このCDを持っているのは日本でただ一人ですぞ!」と、しっかり僕の自尊心をくすぐってくれるくだりを読んで、品川さんの「どうだ、嬉しいだろう! がははは!」という満面の笑い顔を想い浮かばせてくれるのです。

で、驚いたのは、今回のCDはシングルCDではなく、18曲が入ったアルバムだっということ。そして、どうも全曲一発テイクで録音したみたいで、ミキシングの時に気づいた歌詞の間違いもそのままにして“勢い”を優先したということ。さらに、これが24枚目のアルバムであり、すでに次のアルバム制作の準備をし、オリジナルの曲数が1,600曲を超えたということ。曲数の多さは2年前に「俺はボブ・ディランより曲数が多いのだ!」と自慢してはいましたが、よく1,600曲を数えられたとものだと逆にあきれてしまいます。

まあ、ハチャメチャなおっさんではありますが、愛すべきおっさんでもある品川さん。「今年は夏あたりに又来日(帰国ではない!)して、騒ぎまくるのでよろしく」と手紙を締めていました。興味をもたれた方は、夏の“品川台風(ハリケーンの方が適切か?)”をご期待ください。
僕は品川さんが喜ぶ返事をどうやって書くか、思案している現在なのでした。

どげんかせんといかん

2008年03月06日 14時57分37秒 | 自分の事
最初にそれを感じたのは今年の頭。本来ならその時期に送られてこなければならない源泉徴収票が一通届かず、「これだと確定申告ができないじゃないかぁ」と面倒なことになる予感がしたのでした。
次は去年の秋から止まったままの仕事が、年を越してもちっとも動く気配がないのです。去年の7月から企画書を書いて提出したり、プロジェクトの環境整理や課題のリストアップをし、構成も詰めていたのです。その上、すぐに動けるようにダミーの取材や告知文も作り、いつでも動ける体制だったのに・・・・・・沈黙。

さらに別の仕事では、「代理店が締めさせてくれないんだよ~」とプロデューサーが嘆き、3週間近くかかりっきりだった去年11月の仕事の請求が未だにできないと言われてしまったのです。
そして、「ギャラには見合わないけど、これが機会なんだろう」と自らを納得させて、その仕事をするのに必要なハイビジョン・デジカムと新しいMacを買ったら、仕事自体が延期もしくは中止になったというメールが届く。
きわめつけは先日、クレジットカードで買ったそのデジカムの引き落としがあるので銀行に行ったら・・・「ギャラが振り込まれていない! それも2社から!」。

僕は決心しました。これは「どげんかせんといかん」と。
「フリーランスなんて、実はフリーターと同じだよな」と自虐的な言葉をよく耳にしますが、こんな状態だとフリーター以下。悪徳派遣会社に引っかかったフリーターみたいですよね。散々仕事はさせて金は払わない。そればかりか身銭も切らせる。ひょっとしたら悪徳派遣会社に働かされるフリーター以下なのかもと思ってしまったのです。

そこで僕は前向きに考えることに決めました。「これらの出来事は、僕に仕事のやり方を変えさせるきっかけだったんだ」と解釈するようにしたのです。
まあ、どれも長くフリーランスをやっていれば経験するような事柄。ただ、それがまとめて一気に押し寄せてきたのには、僕に考えを改めさせる目的があったんだととらえたのです。

「仕事をください」と営業することはできても、基本的には仕事を待っているしかない僕のようなフリーランス。ずっと僕は「仕事は仕事の方からやってくる」と考えていました。おそらく、それは真実ではあると思うのですが、すべてではないとも思いはじめたのです。
そこで、自分から仕事を生み出す! 今までの相手の言われるままにうなづくしかないフリーランスの弱い位置から脱却して、自らが仕事の流れのイニシアチブを握ろうと志したのです。

とはいえ、具体的なビジョンはまだなにもありません。まず今の自分に本当に何が出来るのか? そんなことから考え直して、新しいビジネス・モデルを見つけ出したいと気持ちを新たにしたのでした。
で、その記念として、さっき出かけたついでに小さな“ゴールドクレスト”の木を買ってきました。いってみれば記念植樹のかわりです。この木が大きくなって置き場が困る頃には、なんとかこの結果を出したいと思っているのでした。

品川さんからの手紙

2008年02月08日 18時22分10秒 | 自分の事
「えっ!? 我が家にエアメール?」
その日、ポストの中に欧文で宛名書きをしてある大き目の封筒を見つけ、僕は考えをめぐらせました。
「一体、誰からだろう?」
真っ先にそう考えたのですが、達筆とはいいがたい筆跡、ところどころ修正液で直している文字、裏面には「写真在中 曲げないで下さいね。Don't Bend」という書き込み…。僕は差出人名を読む前に犯人がわかりました。
「品川さんだ!」

品川寿男さん、以前、このブログでも紹介したことがあるミュージシャンです。1970年代の中頃にアメリカに渡り、それ以来、ずっとアメリカのストリートで歌いつづけている筋金入りのストリートミュージシャン。
2年前にお母さんが亡くなられたということで帰国し、その時に国立と代々木でライブをやったのですが、その気迫と人間性に僕はしびれてしまったのでした。

そんな品川さんからの自筆の手紙が届いたのは、僕が高田渡 生誕会の写真の膨大なレタッチ作業で忙しかった最中。急ぎといわれていたライブの番組宣伝用の写真はなんとか選んだのですが、全カットを通して見てみると納得いかないカットが多く、少し自己嫌悪している時期だったのです。
しかし、品川さんは“奇跡”を届けてくれました。なんと、2年前に帰国した時のライブで、僕が撮影した写真を次に作るCDのジャケット写真にしてくれるというのです。なにせ、僕の写真がジャケットに使われるのは初めての経験。僕の気持ちは高揚しました。
小さい紙一枚に筆ペン(?)で書かれた文面は、「写真の使用を御許しください」というトーン。去年、帰国した際に写真のプリントを渡し、その時に「自由に使ってください」と僕は言っていたのに、わざわざ承諾を求める手紙を出す品川さん…。
一見すると風貌は“恐い”より“あぶない”に近いのですが(品川さんゴメンなさい)、こんな風に繊細で紳士的な内面が僕たちを惹きつけるのです。

そして、その新作のCDの曲は、去年の帰国した時のライブで僕が一番気に入った曲だったのです。使われる写真も上の写真ではなく、やはり僕が一番気に入った写真でした。その上、僕の名前もクレジットしてくれるという申し出だったのです。
いきなりカメラマンとしてアメリカでビューすることとなった僕。自己嫌悪になりかけていた気持ちも一気に和らぎ、品川さんには感謝の気持ちをしたためて返信を送りました。

実はこの品川さん、日本にいた頃は「武蔵野たんぽぽ団」に参加していたこともあるそうで、当然、高田渡氏との親交もあったのです。
ということは、僕の自己嫌悪を和らげるこの流れも、渡さんの仕業だったのでしょうか? そんなことまで考えさせてくれる品川さんからのとても嬉しい手紙でした。


品川寿男ホームページ
http://homepage.mac.com/norimutsu/hisao/2222.html

人は死んで、人を集める

2008年02月08日 02時23分14秒 | 自分の事
約2週間、更新することができないほど忙しい毎日でした。そして、よく言ったもので、「忙という字は心が亡い」というのは真実なのだと改めて実感しました。その間、ブログに書くようなことが何も考えられない、周囲の出来事に心を止めることができないという状況だったからです。
まあ、ということは、「目先の事柄に集中していた」。もしくは、「日々、毎日に一生懸命だった」と自分に都合良く解釈しようと思っています。

忙しい毎日のそもそものきっかけは、一通のメールでした。「撮影をしてくれない?」という内容のメール。それは1月18日と19日の2日間にわたって行われた『高田渡 生誕会 59』というライブのスチール撮影の依頼だったのです。
僕が10代の頃に憧れていたミュージシャンがこれでもか、これでもかというほど出演するそのライブ。友部正人、加川良、金子マリ、森園勝敏、早川義夫、大塚まさじ、PANPAなどなどに加えて、いつもの吉祥寺系(?)ミュージシャンが名前を連ねていたのです。
去年の暮れの段階でチケットは入手困難といわれ、予定がみえない僕はチケット購入を躊躇していたのです。そこに舞い込んだ撮影依頼。もちろん僕はそれに飛びつきました。

この「高田渡 生誕会」というライブ、最初は高田渡氏の誕生日である1月1日の前後に仲間内でトリビュート・ライブをやろうとして始まったのです。今年は3回目で、毎年持ち回りのプロデュース役は中川五郎氏でした。
今回、直接渡さんに会ったことがなくても、彼の歌が好きだったり、彼の歌や生き方に何らかの影響を受けたという人なら、誰でも出て歌えるように企画したそうです。そこで、実際に多くの若手のバンドも出演し、渡さんの歌や生き方を次やその次の世代にも伝えるコンサートにしたかったと中川氏はMCでも語っていました。

2年前の5月、渡さんの追悼ライブが行われ、そこで多くの仲間が約30年ぶりに集まるという事がありました。そのときに「人は死んで、人を集める」と誰かから聞いたのですが、今回のライブではさらに広い意味で人を集める事になりました。
中川氏は今回、数十年後に渡さんと同世代の人たちがいなくなっても、「生誕会」が続いていくことを願ってプロデュースしたのです。これは先に逝ってしまった人に対する最上級のはなむけではないのでしょうか。

実はこのライブの初日、会場のある吉祥寺を通る中央線が何度も故障などで止まってしまったのです。それを知った人が口々に、「これは渡が止めたに違いない」と確認しあっているのです。つまり彼らにとっては、渡さんは実在している存在なのでしょう。
はからずも今回のライブで、“人の死”と“残された者のあり方”みたいな事を考えさせられました。僕にそう思わせるほど、ライブはとても熱いものだったのです。

それではなぜ、撮影が済んでも僕は忙しかったのか?
デジタル時代の今、デジカメで撮影した写真は補正するのが当たり前。そこで、夢中でシャッターを切り続けてしまった僕は、結果として膨大なカットのレタッチをしなければならなかったのです。
その作業の途中、普段メインに使っているMacが故障してしまったのです。今まで経験したことのないトラブルだったのですが、僕もこれは渡さんの仕業に違いないと思い、緊急の修理は諦めたのでした。


高田渡 生誕会 59
http://www.takadawataru.net/

3週間で増えた心のシワ

2008年01月13日 07時15分39秒 | 自分の事
昨晩、ある本を読み終えたのですが、次に読もうと決めていた本のページを少しめくってみたら、結局、すべて読み切ってしまいました。そんな事もはじめてなのですが、年末年始に読んだ本の内容の重なりと絶妙な読書順に驚き、それ以前にそれらの本を基礎知識無しに選んだ事にも驚いています。
年末にこのブログで書いた『神さま、それをお望みですか/曽野綾子』を読んで以降、年末年始にかけて僕は以下の順番で本を読みました。すべてBOOK-OFFで購入しているので古い本ばかりなのですが…。
(1) 『愛してるって、どう言うの?/高遠菜穂子』
(2) 『男はみんなギックリ腰/永倉万治』
(3) 『野鼠戦線/景山民夫』
(4) 『夫婦、この不思議な関係/曽野綾子』
(5) 『大河の一滴/五木寛之』
(6) 『深い河/遠藤周作』

昨晩、読みきったのが(5)の五木寛之でした。ちょっと意外な印象の五木寛之だったのですが、それを自分の中で整理できないままに(6)の遠藤周作を読み始めたら、今さっき、すべて読んでしまったのです。
BOOK-OFFで「何となく呼ばれいてるなぁ」と感じた本だけを選んだつもりなのですが、すべての“勘”は当たっていました。(2)と(3)はマンガ的な内容ですが、それでもちょうど新年になる時、(2)の永倉万治を読んで爆笑して年越しができたので、それはそれでめでたい事だと思っています。

でも、衝撃と言えるのは(2)(3)以外の本の内容と連続性と読んだ順番です。偶然というには出来すぎという感じ。そして、とにかく遠藤周作が最後に強烈なパンチをくらわせてくれました。
まるで、それまでに読んだ5冊の集大成という感じがしてその偶然に震え、テーマに対するナタのような切り口に感動したのです。最初、「ボリュームがあるなぁ」と感じたのですが、明け方までに読み切ってしまいました。お陰で、今は一気に4、5歳年をとったような気分になっています。まさに、どとどめを刺すほど内容の濃い本でした

日本人の宗教感と神の存在、善の中に悪があり、悪の中にも善があるという善悪二元論の否定、夫婦の距離感と関係性、人生の苦しみと寛容の心、さらにインドの真実の姿とボランティアとはなど。重たいテーマばかりですが、本当に5冊が見事にリンクしているのです。
そもそも僕が関心のある事柄が書かれていただけでなく、前の本で湧いた興味や問題意識をさらに次の本が広げたり深めてくれるという流れでした。どうしてこうなるのか、本当に不思議です。やはりこれも以前書いたように、本との出逢いも、出逢うべきときに出逢うのだと思えてなりません。

さらに、曽野綾子と遠藤周作がクリチャンという背景があるという理由だけでなく、またまた、僕はキリスト教の理解を深める必要があるとも感じたのでした。

9年前の出来事 後編

2008年01月11日 14時18分01秒 | 自分の事
前回書いた僕が参加したボランティアというは、“スペシャルオリンピックス”という活動で、知的発達障害のある人たちの社会参加をスポーツを通じて助けていくというものでした。
僕の参加した競技はボウリングを3会場で、さらにバスケットボールや水泳など。毎週末にアスリート(参加する競技者をこう呼ぶ)たちと一緒に楽しい汗を流していました。しばらくすると大会のカメラマンや合宿の引率者の一人になったり、最終的には全国大会の企画書制作まで任され、より深くかかわるようになったのです。

特にボウリングは自分でも自信があったのですが、プライベートでも頻繁に練習するようになりました。それは、人に教えるために見本にならなければいないという利用と、ぼくが全然かなわないアスリートがいたので、彼に認められるためという理由です。そのアスリート、スコアーが180台だと「調子悪いね」と周囲が言うほどだったのです!
結果として、僕は週末は運動三昧。さらに平日の夜にもボウリングしたりして、気がついたら凄く健康体になっていたのです。実は、入院した病院には定期的に通院していたのですが、「よくここまでの数値になったね」と医者に誉められたほどでした。

またその頃、あるBS局のホームページのインタビューの仕事が不定期に入るようになったのです。久しぶりのメジャーの“創る仕事”で、さらに著名人に自分の疑問を直接ぶつけられる内容でもあるということで、僕もその都度充実した高揚感を味わえる事ができました。
こうして、仕事面は生活費を稼ぐための地味な仕事とイレギュラーだけど自分のスキルを活かせて楽しい仕事という二本立てとなり、僕は「これは理想の形なのかな」と感じていたのです。仕事は食っていければ充分ではないかと考えはじめていたので、ベストバランスだと思えたのです。その上、週末には心を満たしてくれるボランティアもあると考えられるようになっていたのです。

以前にも書いたかと思うのですが、この時期、毎日が本当に充実していました。大変な事や頭にきたりする事ももちろんあったのですが、「この生活が自分の探していた道ではないか」と僕は感じはじめたのです。
これは、最初に突然倒れて入院した。それによって頭の中を切り換えることができた。で、半年程度経ってみたら充実した毎日があったワケですよね。
僕は後になって、これそが前編の最後に書いた天川の民宿のお婆ちゃんに言われた『突然の出来事は神様の仕業』の言葉の意味だと実感したのです。すべては神様のシナリオではないかと…。

しかし、充実した生活が続いたのは1年ほどでしたでしょうか。僕はインタビューをしていたホームページのウェブマスターの仕事をするようになったのです。メジャーでギャラのいい仕事でしたが、人生で一番忙しい毎日を強いられる事になりました。
もちろんボランティアをやる時間も気力もなくなり、3年半ほど経ってみたら見事に身体を壊していました。緊張の連続で自律神経失調症になっていたみたいだったのです。

今ではその自立神経失調症も良くなったので、もう一度振り出しに戻ろうという想いが強くなっています。もう少しシナリオ通りに演じられる役者になろと。そして、そのためにはシナリオの完璧さを信じる強い意志と、それを演じきる根気が必要ではないかと感じている今日この頃なのです。