僕の母親はここ数年、趣味のように入院を繰り返しています。 大体年に一回、どこか具合が悪くなったと病院に担ぎ込まれ、これまた大体一週間程度で退院しています。80代半ばなので、ガタはきているけど入院を続けるより、普通に生活している方が身体にいいと医者に言われるそうです。
病院に見舞いに行く度に、今回はどこが悪かった、何の数値が悪かったといった話を母に聞かされるのですが、呆れるほどにその悪い箇所は僕らの兄弟にも共通しているのです。なので、兄弟は自分の身体の悪いところについて「これも遺伝だ。あ~遺伝だ」と母に当たります。もちろん、「血のつながりを感じているよ」という意味も伝えるために。
そこで本題なのですが、実は昨日、僕は品川区の健康診断を受けに近所の病院に行ってきました。身長・体重を計り再尿、採血、血圧測定、心電図を済ませて先生の問診へ。
3年連続してこの病院で健康診断を受けているので、先生は僕の過去の結果をながめて「あなたはいつもコレステロールだね」と感想を述べる。たしかに、僕は肉類をほとんど食べていなくても、悪玉コレステロール値だけが要治療ゾーンに入っているのです。
「実は母もそうなんです」と僕。母は僕以上にコレステロールが含まれるようなものを食べていないのにコレステロール値が高いのです。
そうすると、先生はまるで儲からない区の健康診断をやるのも、こうゆう新しい獲物が見つかるからやってられるのさ、というように嬉しそうな表情をわずかに浮かべ「そうなるとやっぱり治療が必要ですね」と言い放つ。
結局、コレステロール値が高いという事は、脂質の代謝が良くないという事で、それは遺伝に由来するもので食事療法も意味がないのだそう。僕は、どこか釈然としない気持ちで家に帰ったのですが、ふと思いつきました。
コレステロール値が高いのは、我が家のアイデンティティではないか。
悪いものが出来ていて、これを放っておくと将来危険だ、ということで、それを取り除く治療というのならわかります。だけど、コレステロール値が高いので、将来動脈硬化になるかもしれないからコレステロールを抑える薬を飲む、という事に抵抗を感じるのです。
つまり、コレステロール値が上がる体質を根絶する治療ではないハズ。あくまでも「抑える」というベクトルでしょう。しかし、僕の身体はコレステロールを体内に貯めようと常に働いています。そしてこれが遺伝によるものであれば、まさに我が家のアイデンティティではないですか。で、それを「抑える」という事は、我が家のアイデンティティを否定する行為と言えるでしょう。
我が家の人間が、みな若い時期に動脈硬化が原因で死んでしまっていたのなら考え直す必要もあります。実際に母は米寿前ですが、まだまだ元気です。祖母も血管が切れた事で亡くなりましたが、それでもやはり80歳以上まで生きています。ちなみに父の死因はボケから、祖父は胃ガン。
結局、だれでも死ぬ訳で、その方法論として我が家(母親系)は血管由来の原因で死ぬ事になっていると思うのです。
実は僕は血圧が高いので降圧剤を飲んでいます。実際、血圧は上がると日常生活に支障をきたすので、やむなく飲んでいます。ただ、コレステロール値は高くても、日常生活で自覚できる影響はないと思うのです。その上、我が家は血管由来で早死はしていないし、僕も極度に肥満している訳ではない。
ということを考え併せてみると、この治療に意味がないと感じるのです。
これを膨らませて考えると、現在の医療費の高騰と死なせない治療の悲劇はこんなところから始まっているのではないでしょうか? つまり、人は死ぬ方法が決められているのに、それを無理して妨げるから薬漬けになったり、人間としての尊厳が失われていても生かされていて、親族の負担になっているなどなど。
将来、僕も卒中とかで倒れてしまたりしたら、やっぱりちゃんと予防しておけば良かったと後悔するかもしれません。まずは来週に昨日の診断結果を受けてどう感じるか、また書いてみようと思います。
病院に見舞いに行く度に、今回はどこが悪かった、何の数値が悪かったといった話を母に聞かされるのですが、呆れるほどにその悪い箇所は僕らの兄弟にも共通しているのです。なので、兄弟は自分の身体の悪いところについて「これも遺伝だ。あ~遺伝だ」と母に当たります。もちろん、「血のつながりを感じているよ」という意味も伝えるために。
そこで本題なのですが、実は昨日、僕は品川区の健康診断を受けに近所の病院に行ってきました。身長・体重を計り再尿、採血、血圧測定、心電図を済ませて先生の問診へ。
3年連続してこの病院で健康診断を受けているので、先生は僕の過去の結果をながめて「あなたはいつもコレステロールだね」と感想を述べる。たしかに、僕は肉類をほとんど食べていなくても、悪玉コレステロール値だけが要治療ゾーンに入っているのです。
「実は母もそうなんです」と僕。母は僕以上にコレステロールが含まれるようなものを食べていないのにコレステロール値が高いのです。
そうすると、先生はまるで儲からない区の健康診断をやるのも、こうゆう新しい獲物が見つかるからやってられるのさ、というように嬉しそうな表情をわずかに浮かべ「そうなるとやっぱり治療が必要ですね」と言い放つ。
結局、コレステロール値が高いという事は、脂質の代謝が良くないという事で、それは遺伝に由来するもので食事療法も意味がないのだそう。僕は、どこか釈然としない気持ちで家に帰ったのですが、ふと思いつきました。
コレステロール値が高いのは、我が家のアイデンティティではないか。
悪いものが出来ていて、これを放っておくと将来危険だ、ということで、それを取り除く治療というのならわかります。だけど、コレステロール値が高いので、将来動脈硬化になるかもしれないからコレステロールを抑える薬を飲む、という事に抵抗を感じるのです。
つまり、コレステロール値が上がる体質を根絶する治療ではないハズ。あくまでも「抑える」というベクトルでしょう。しかし、僕の身体はコレステロールを体内に貯めようと常に働いています。そしてこれが遺伝によるものであれば、まさに我が家のアイデンティティではないですか。で、それを「抑える」という事は、我が家のアイデンティティを否定する行為と言えるでしょう。
我が家の人間が、みな若い時期に動脈硬化が原因で死んでしまっていたのなら考え直す必要もあります。実際に母は米寿前ですが、まだまだ元気です。祖母も血管が切れた事で亡くなりましたが、それでもやはり80歳以上まで生きています。ちなみに父の死因はボケから、祖父は胃ガン。
結局、だれでも死ぬ訳で、その方法論として我が家(母親系)は血管由来の原因で死ぬ事になっていると思うのです。
実は僕は血圧が高いので降圧剤を飲んでいます。実際、血圧は上がると日常生活に支障をきたすので、やむなく飲んでいます。ただ、コレステロール値は高くても、日常生活で自覚できる影響はないと思うのです。その上、我が家は血管由来で早死はしていないし、僕も極度に肥満している訳ではない。
ということを考え併せてみると、この治療に意味がないと感じるのです。
これを膨らませて考えると、現在の医療費の高騰と死なせない治療の悲劇はこんなところから始まっているのではないでしょうか? つまり、人は死ぬ方法が決められているのに、それを無理して妨げるから薬漬けになったり、人間としての尊厳が失われていても生かされていて、親族の負担になっているなどなど。
将来、僕も卒中とかで倒れてしまたりしたら、やっぱりちゃんと予防しておけば良かったと後悔するかもしれません。まずは来週に昨日の診断結果を受けてどう感じるか、また書いてみようと思います。