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ニッポン チャチャチャ!!

納得できない事、頭にきた事、不可解な事、民主主義後進国ニッポンの“?”を感情的に綴っていきます。

やはり精神科医の本はいい!

2005年12月27日 01時41分48秒 | 生活
ちょっと読み切るのに時間がかかりましたが、齋藤茂太の本「心をリセットしたいときに読む本/ぶんか社文庫」を読んで、癒されたというか、心が楽になりました。
最近感じるのですが、精神科医の方が書かれた本がとても心に響くのですね。本によっては現在の自分の有り様を肯定してくれるような記述があったりして、自信を無くしかけている時など、非常に励まされてしまいます。
そんな本を読むと、どうも精神科医の方たち自身が、結構、聖人君子的な生き方ではなく、自由気ままというか、ありのままの自分を生きているという姿が感じられます。そんな生き方をベースにして威圧的ではなく、低い目線で社会生活や人間のサガを語られると、とても肩の力が抜けていくのが感じられるのです。
たとえば、
「人生には当然、お金に代えられないものがある。
(略)
サム・マネー(少しばかりのお金)があれば、今の日本ではすぐに生活に窮することはない。それをマッチ・マネーにするのが悪いとは言わないが、自分の能力を磨いたり、新たな可能性に挑戦したりするほうが、さらにいいのではないだろうか。」
なんていうのは、扶養家族のいない私にとっては、座右の銘にしたいような言葉です。
「自分で時間を支配し、完全活用すると決めれば、たいがいのことはできる。「断固二兎を追う」という気概が、時間を生かすのだ。」
これなんかは、私にとってはまさに“目からウロコ”。これからは“気概”を養おうと決心してしまうような記述です。
「挫折によって分を知り、それをバネに人生を切り開いていくのが「自信」である。
自分の真の能力や人間的なスケールは挫折が教えてくれる。
失敗したら「ふ~ん、これがありのままの自分か」と、謙虚に受け止めるのがいい。おのれを知れば百戦危うからず、である。」
これもただのポジティブシンキングかもしれませんが、こういう人生のベテランの言葉として聞くと、挫折よりその先が大事だと素直に感じさせてくれます。すると“挫折”にたいする恐怖が、スッと薄らいでいきますよね。

こういった本を読んで感じるのは、結局、子供の頃に先生や親から教わった事や刷り込まれた事に、大人になってからは苦しめられていた事に気がつくのです。ただ、子供の頃のそれは必要な事であり、大人になるというのは、その周囲から作られた殻から脱皮する事なのかなぁと考えたりするのです。

♪郵政が、民営化になったら~

2005年12月24日 14時54分42秒 | 生活
私が常々不満に思っていた事があります。それは年賀状を元旦に届けるための締切日です。今年は今日、24日のクリスマスイブまでに出さないと元旦に届かないとなっているんですよね。
これって、ものすごく一般人の生活にマッチしていないと思いませんか? だって、「メリークリスマス!」と言っている時に、クリスマスツリーなんかの飾り付けに囲まれて「謹賀新年」って書かないといけないわけですよね。たぶん、几帳面な方は、それを気にすることなく毎年そうしてきたのでしょう。でも、そもそも筆無精の私は、いつも「そんな時期に年賀状書けるワケねーじゃねーか!」と理由をつけて元旦の年賀状を諦めていました。
その上、まだまだ年末まで仕事は続くわけですよね。だから、年内のうちにまた顔をあわせる人に、実は陰で「あけましておめでとう! 旧年中はお世話になりました!」と書くのにも、とても違和感を感じてしまうのです。そう思っている人って多くありませんか? 
そんなわけで私は毎年大晦日の夜から書きはじめて、元旦に年賀状を投函するようにしています。一応、その方が「今年もよろしく!」にも心がこもるように思うのですよ。
そして次に困るのが、自分が年賀状を出さなかった人から年賀状を受け取った時。それも元旦ならまだしも、3日あたりに届くと、「今から返信を出していつ届くのだろう?」と悩んでしまいますよね。最近は正月休みも短くなり、七草の頃にはもう正月気分はなくなっていますよね。で、そんな時期に年賀状を受け取ってもらってもなぁ…と考えてしまうのです。仕事相手なら、それまでに仕事で顔を合わせて、直接年始の挨拶をしてしまうかもしれないですよね。
たしかに年賀状シーズンは、郵便局にとって一年の中であまりに極端なピークなので、それを基準にシステムを作ることはできないでしょう。でも、あまりに人々の生活のリズムとかけ離れているのも事実だと思うのです。
そうなると郵政が民営化されたとき、eメールの普及に対抗して、年賀状のシステムとスピードがどれだけ向上するのか? ちょっと期待する筆無精の私でした。

人間の寿命も神聖な領域のはず

2005年12月18日 11時16分50秒 | 生活
最近、飲み屋で話していて、ふと気がついた事があります。それは医療問題であり介護問題でもあります。
先日のNHKの「クローズアップ現代」でも取り上げでいたのですが、国民健康保険の財源が破綻している自治体が増えているという問題。番組では高齢化が進んだ社会構造の変化、若年層の不払い率が高くなっていること、医療費の高騰などが原因としてあげられていました。そこで各自治体は若年層へのアプローチを積極的に進めているという内容でした。
たぷん、現実問題としてはそれしか方法がないと思うし、それはずっと続けないといけないと思うのですが、一方では保険料を下げる方法も模索しないといけないと思うのです。
私のかかりつけのオステオバシーの先生もよく言っているのは、「長生きするのはもちろんいい事だけど、どう生きるかが問題だ」と言っています。それには私も同意できます。いくら80歳や90歳まで生きることができても、まったく身体の自由が利かなかったりしたら生きている楽しみが無いと思うのです。
確かに人の命は大切なものでしょう。それは決して否定できません。しかし、それを無理に(?)永らえることによって多くの問題が生まれているのも事実でしょう。それが高齢者医療費の高騰であり、老人介護の問題となっているのです。
クローン人間問題は神聖な領域に踏み込んでしまう倫理の問題があるという意見がありますが、それと同じように“寿命”という問題も神聖な領域だと思うのです。もちろん、多少の不自由は残っても生活できる見込みがあるのなら、積極的な治療は必要と思いますが、それ以上の治療というのは、選択の余地があってもいいのではないでしょうか? “寿命”というのは神聖な領域であると同時に本人の尊厳の問題もあるはずです。
確かにその線引きは非常に難しいです。8年前に亡くなった私の父も最期はほぼ植物人間のようになって、見舞いに行ってもほとんど反応はありませんでした。それでも家族としては見舞いに行く意義を感じられていたのは事実です。また、反応はなくても、実は父としてはそれを感じていたのかもしれません。結局、本人の感情は確認できませんでしたが、見栄っ張りな父としては果たして満足だったか疑問です。
そもそもは異常に高騰した医療費問題というのがあり、そこから様々な別の問題も生まれています。そして、今後さらなる高齢化社会が進むとき、“死ぬ権利”、“寿命の尊重”という問題は非常に微妙ですが、真剣に考えないとならない問題になっていくように感じたのでした。

スペシャルオリンピックスって

2005年12月17日 23時03分38秒 | 生活
一昨日、我が家のポストに見慣れた大きな封筒が入っていました。いつもクロネコメール便でくるその封筒の差出人は“スペシャルオリンピックス日本・東京”というNPO法人。
去年、長野で行われた世界大会のニュースでご存知になった方も多いと思いますが、知的発達障害の方の社会参加をスポーツを通じてサポートするというボランティア組織なのです。
私とスペシャルオリンピックス(以下SO)との出会いは8年位前のテレビの取材でした。その時は熊本のSOの活動を取材したのです。取材対象は当時二十歳でボランティアをしていた高校の同級生の二人の女の子と、新しくSOに入ってきたダウン症の青年と彼の母親を中心に行いました。たしか取材期間は4ヵ月ほどだったと記憶していますが、夏の全国大会での取材を最後にして、夏の終わりに無事に放送する事ができました。
しかし、取材をしながら色々な人と話をし、実際の現場を見てみると、熊本のボランティア活動がとにかく楽しそうだという印象を強く受けました。そして自分もそのボランティアに参加してみたいと感じ出していたのです。
ボランティア経験のまったく無かった私ですが、東京のSOはそんな私をとても歓迎してくれました。最初はバスケットに参加したように記憶していますが、気が付いたらボウリング、水泳にもボランティアで参加していたのです。
週末に行われるそれぞれのプログラムにやってくる知的発達障害の人たち(SOでは彼らをアスリートと呼びます)は、毎週末の楽しい時間を過ごすためにやってくるのですが、彼らはそれぞれの競技を心からとことん楽しむのです。そんなストレートに楽しむ姿勢のアスリートに触れ合っていると、私自身もとても楽しくなってくるのです。
ボランティ経験の有無は関係ありませんでした。それより大事なのはストレートに反応する彼らに対して、裸の自分をさらけ出して接する事ができるかという事でした。それは普段の人付き合いと違う新鮮な経験でしたし、いつの間にか自分自身が癒されているという事に気づいたのは驚きました。そこで初めて、私の取材した熊本のボランティアの女の子たちが、どうしていつも楽しそうにしていたのかが理解できたのです。
ボランティアというものが自分自身に返ってくるという事を知る事ができたのも幸せでしたし、それはまさしく貴重な体験でした。
ということで、ボランティアは案ずるより産むがやすし。少なくともSOについてはそう言えます。はじめてのボランティアを考えている方は、新年早々に新しくプログラムが始るので、一度経験してみる事をお薦めします。

戦果報告2 やっぱり納得できない!

2005年12月14日 23時46分20秒 | 生活
今回も前回の続きで、Logitecと私との攻防の続編です。

先日購入した外付けHDDの不具合のクレームに対するLogitecの回答メールの内容に不満だった私は、再度LogitecにFAXを送りました。その内容は、
・「自社内の確認や他ユーザーから同様の症状の報告がない。症状が確認された製品での動作確認ができないので原因の特定ができない」という返答に対し、最初の電話でテクニカルサポートにシリアルナンバーを伝えているし、販売店からも返品されるはずだが、それを元に追検査はしないのか?
・「該当製品に傾向的な不良・不具合は発生していない。また、販売店の言うようにMacintoshとの相性問題もない」という返答には、販売店で交換してもらった同じ製品で同様の症状が出たことをどう解釈するのか? さらに、他社の同様の製品は私の2台のMacの両方でちゃんと稼働したので、私のパソコンが原因とも思えないが、それについてどう考えるか?
と、その2点について問いただしたものでした。

すると、FAXから数時間後にLogitecからメールが届きました。それによると、
・「流通システムの問題で、販売店から返品された製品を追跡検査はできない」ということでした。これには驚きました。つまり、不良品と思われる製品を再検査しないという訳ですから。つまり、ユーザーからのクレームをフィードバックする体制が無いと言っているのです。
・「該当製品と私の環境との間に何かの原因があるかもしれないが、他から同様な問い合わせが無く、社内で症状が再現できないのでこれ以上調査を行えない」と言うのです。それを言うなら、返品された製品で動作確認しないと意味がないと思うのです。
メールの文面は非常に丁寧で、私のFAXからのレスポンスの時間も短く、その点は評価できます。ただ、それは逆に担当者個人の判断による返信に思えてしまいます。あまりにレスポンスが早いので、本当に社内の確認がとれているのか疑問ですし、それでいて表現が丁重なのも会社の意思より、担当者個人の人柄に由来するように思えるからです。
いずれにしろ結局のところ、一連のやり取りでは、私が経験した不具合と無駄にした金と時間は、完全に黙殺されることになるのです。それも、他に事例が無く、再確認できないからという理由で…。

もちろんこれでは私は納得できません。それならば、この先どういうことが私にできるのか? どうすれば納得できるのか? 現在、次の手を考慮中です。
しかし誰かMacユーザーで、同様の経験をした方はいませんかね?

戦果報告1 この回答じゃダメでしょ?

2005年12月13日 18時53分58秒 | 生活
以前このブログで書いたLogitecとの戦いが始まってしまいました。
簡単に経緯を整理すると、私の買ったLogitecの外付けHDDが、パッケージに表記されている対応するパソコン(iBooKとiMac)とOS(Mac OS 9.2.2)であるのにかかわらず私の2台のパソコンに接続したしたところ、症状は違うものの両方ともフリーズ状態になってしまったのです。
そこで、販売店で新品に交換してもらったところ、また同じ症状になってしまいました。すかさず販売店に電話して「同じロットだから同じ症状が出たのでは?」と質問したところ、「Logitecの製品はまれにMacとの相性が合わないことがある」と言われたのです。しかし、最初にLogitecのテクニカルセンターに電話したときは、そんな事は一言も言われませんでした。
これが、前回書いたあらましです。“とにかく行動する事!”と前回のブログでも書いたように、私はLogitecに抗議の意思を表明しようと決意しました。それでネットで調べてみるとメールでの受付はしてないようで、FAXで問い合せ等に対応しているとの事。私は事の経緯を書き、結局これは不当表示ではないかと思うが、貴社の考えを聞かせてくれとFAXしました。
すると今日、私のFAXに対する回答がメールで来ました。それによると、
・同様の症状の報告はない。
・症状が出た製品での動作確認ができないので、原因の特定ができない。
・私の買った製品に傾向的な不良・不具合は出ていない。
・Macintoshとの相性問題も存在しない、よって表示もしていない。
という内容でした。
しかし、同じ製品のふたつで同じ症状が出たのは事実ですし、他社製品に変えてみたらiBooK、iMacとも問題なく接続できた事から、私のマシンの不具合という事もないと思います。まず、このメールはその事実を否定していますよね。
さらに、販売店の店員がほぼ即答するような認識をも否定していながら、原因が特定できないし、同様の報告がないと言い切ってしまうのは、あまりに無責任な言い方に思えてしまうのです。
よって、私は今回のメールに対する第2弾のFAXをするつもりです。つまり、“調べる”という姿勢がまるでないのですよ。結果的に迷惑をかけて申し訳ないと書かれていますが、問題はそこだと思うのです。

この続きも当然ここで報告しますので、しばらくお待ちを。

Logitecに宣戦布告だ!

2005年12月08日 20時09分27秒 | 生活
今週の月曜、私は渋谷ビックカメラ東口店でLogitecの外付けハードディスクドライブを買いました。最初、BUFFALOの製品を買おうと思ったのですが、ふと横を見てみたら同じ160GBでLogitecの製品は1000円安く、ソースネクストのソフトがひとつ無料でダウンロードできるという特典も付いていたので選択したのでした。後から考えれば、この貧乏根性がいけなかったのかとも思います。
きっかけは、我が家のiBookの内蔵ハードディスクの様子がおかしく、「カタカタ」と音がするので、早めにバックアップを取っておく必要を感じていたからでした。
さて、買ってきたハードディスクの取説を読むと、ドライバーのインストールは不要となっていましたので、すぐにiBookに接続しました。すると、いきなりデスクトップのアイコンがすべて消え、フリーズしてしまったのです! 現在メインに使っているマシンなので、私は慌てました。直ぐにハードディクスを外し再起動すると無事に立ち上がり、事なきをえまました。それではと、次にサブに使っているiMacに接続してみました。すると今度はエラーメッセージが出かけて、半フリーズ状態になってしまったのです。それが月曜の夜の事でした。
翌朝、真っ先にLogitecに電話しました。電話に出た女の子は「両方のマシンでハードディスクを認識しないのであれば、故障だと思います」との回答。そこで次に私はビックカメラに電話して経緯を説明し、新品に取り替えてもらう事にしました。
そして新たに取り替えた商品を、怖いので一応先にiMacに接続してみました。するとまた同じ状態になってしまうのです。とてもメインのiBookで試す気にはなれませんでした。
そこで今度は先にビックカメラに電話しました。「取り替えた製品もロットが同じだから同じ症状が出るのでは?」というと「お客様のMacとの相性と思われます」というのです。「だけどパッケージにはiBookにもiMacにも対応し、OSも9.2.2対応となっているじゃないか!」と反論すると、「Logitec製品ではそういうことがたまにある」という答え。「それならそれを先に言え!」という気持ちを抑え、結局、BUFFALO製品に取り替えてもらうことにしました。
今、BUFFALOのハードディスクに無事バックアップをとっているのですが、かなり頭に来ました。まず電車賃まで使って時間を無駄にした事、量販店の人間は相性の問題を認識しているのに、Logitecのサービスセンターはそれを製品の不良と判断している事。そもそも、間に合ったから良かったもの、この間にiBookが壊れてしまったら、とんでもない事態になっていたのです。大体、我々はパッケージの表示を見て判断するしかないのに、対応しているとなっているハード、OSで使えないというのは不当表示そのものですよね。
奇しくも今日は真珠湾攻撃の日、私はLogitecに対し宣戦布告する決心をしました。太平洋戦争と同じく、長い戦いだと私の体力が持ちませんが真剣に戦おうと決めました。もちろん戦果報告は、このブログで行います。ご期待ください。

今に生きている幸せを…

2005年12月02日 00時09分39秒 | 生活
戦後の新憲法は 国民に表現の自由を保証しました。これによって戦前の言論統制などが行われることがなく、誰もが自由に発言できるようになりました。つまり、相手が国であろが、堂々と「間違っている!」と発言できるようになったのです。
そして現在のネット社会。我々は表現の自由ばかりではなく、表現の場所(メディア)まで容易に手に入れられるようになったのです。そこでは自分のメッセージや意見をまさに国境を越えてワールドワイドに発信できるようにまでなったのです。
今から20年前、私が3番目の会社に入った時─その会社は企画をメインに広告・編集の仕事をやっていたのですが─そこの社長は「自分たちのメディア(この時は雑誌)を持てるようになりたいんだよね」と夢を語っていました。
一応、当時その会社は一部の代理店や出版社、クライアントにも伝説を残すほど旬の会社でした。それでも「メディアが持てれば、さらに面白い事ができる」と社長は考えていたのでした。「数億円あればできるんだよね」と言っていたのを覚えています。
それから20年。今でも雑誌を定期発行するのは大変なことですが、世界中にメッセージを発信できるWebというものを誰でも手に入れられるというか、簡単に使いこなせるようになりました。そのお陰で私もこのブログを書いて発信する事ができているのです。
しかし今の日本で、本当にこの環境を活かしきっているのでしょうか? 様々な意見があふれ、多様な論議がなされ、それにより、より良い世の中を作る努力がなされているのでしょうか? 
私が感じるのは、自分の興味の対象である狭い事柄には雄弁でも、社会的な“傍観者”が増大し、面倒くさい事に口を挟まないという人があまりに多くなっているという事です。その端的な例が、先の選挙での自民党の大勝ではないでしょうか。一般国民の間にたいした議論もなく、結局イメージ選挙になってしまい、気が付いてみたらみんな同じような考えになってしまって自民党を大勝させてしまった流れ。これは大変危険な現象だと思うのです。
やはり、せっかく表現の自由が保障され、便利なシステムまでもあるのですから、誰もが自分の意見を述べ、それぞれが多様な社会の構成員にならないともったいないとも思うのです。また、そうしないと日本がヤバイ方向に流れてしまう気もするのです。
と、前回の私の呼びかけにほとんどの方が答えてくれなかったヒガミから、今回は書いてみました。

完全にブチギレした!

2005年11月24日 18時35分19秒 | 生活
久々にブギレしました。相手は我が家の大家、そして東京電力の電話に出た奴ら。
ここまで読めば、いつもこのブログを読まれている方は察しがつくでしょう。そう、今日開通予定だった光回線が“敷設不可能”とされたのです。その上、我が家のそこいら中をひっくり返しした末での決定だったのです。
先日“もういくつ寝ると…”に書いた不安その1が、半端でないほど的中してしまったのです。まず、現在使っている電話のモジュラーの出口を点検し、すぐさまそこの作業だけではダメだと宣告されました。ここで最初の“ブチギレ”
「とにかく、我が家は普通じゃないので事前に調査してください」と、TEPCOから電話がある度にさんざん申し出ていたのですが、ことごとく無視されてきました。そこで私は「よーし、そこまで言うのなら、やってみろ」と待ち構えていたのに、これです。
次にTEPCOの作業の人は我が家にあるコントロールボックスみたいなのを開く必要があるというのです。仕方無しに私は大きなスチール机とその下の荷物も移動させたのです。そして、そのコントロールボックスの中を覗くと「何だこれは?」と首をかしげているのです。「だから言ったのに」と思ったのですが、私は作業を見守りました。
すると次に作業人の人は「上の階も見せてください」と言うので、メゾネットの上の階の電話のモジュラーを診てもらいました。すると作業の人はさらに首をかしげているのです。ここで、大家へ電話する事に…。
大家は「電話線が通ってるんだから、出来るはずの一点張り」。再度コントロールボックスを確認しても、光ケーブルを引き込む経路が見つけられないのです。再度、大家に電話すると「上の階の押入れも確認してくれ」との事。それで私はたっぷり詰まった押入れの荷物を引きだして確認してもらいましたが、結局すべて違っていました。“チキショウ!2階までひっくり返すのかよとブチギレ”
そして今度は図面をFAXしてもらう事に。そう、大家は一級建築士なのです。その図面を見ても作業の人は「結局、図面通りに作られていない」とお手上げ状態。
そして最後に大家から電話でキッチンの床下収納の下を見てくれとの事。「バカヤロウ! それを先に言え」とブチブチキレた私。なぜならそのためには冷蔵庫を動かさないとならないのです。そして作業の人と二人で冷蔵後を移動し、床下収納の下を覗いてみたら、これも関係なし。作業の人も「こんなのは初めてだ」と言い、大家が裸でケーブルを室内に入れるのを許可しないので、これ以上は作業できませんとの宣言。私も受け入れるしかありませんでした。
そしてTEPCOの人が帰ったら大家から電話が…。外から見えないように工事するから、そのためには下見が必要だと言うのです。それで、それによって家具を移動しないといけないから、私がどこを見せればいいのかと聞くと、とんでもない返事が返ってきました。「畳の下が診たい」と言うのです。「バカヤロー!そんな事が出来るわけねーだろーっ!」完全にブチギレ! 私は「もういい!!」と電話を叩き切りました。
大体、大家は光ケーブルは電話線と同じと思っているし、「次の人が光回線がいらないと言ったら現状復帰してもらう」という認識。ばーか! 今後、光回線敷設不可となってたら、入る奴なんていねーよ! と完全に理性を失った私です。よってこれからヤケ酒です。

もういくつ寝ると…

2005年11月21日 23時41分47秒 | 生活
もちろん、お正月を指折り数えているわけではありません。もう、誰もお年玉をくれないし(当たり前!)、たこ揚げも独楽回しもしないので、年賀状で言われるほどおめでたくはないのが私のお正月だからです。
それで、何かというと“光回線の開通”なのです。以前にも書いたように、もはや光でなくては話にならなくなった私のネット生活(mixiというサイトにはまっているのも大きな理由ですが、もちろん仕事上でも是非モノになっているのです)。そこでTEPCOのホームタイプに申し込んで、いよいよ24日に工事が入るというのです。
今日が21日ですから、あと3回寝ると我が家に100Mの光回線がやって来るのですよ。もちろん非常に楽しみにしているのですが、実は不安もいっぱいなのです。
不安その1 「電話のモジュラーの出口からケーブルを引き込みます」と電話で言われたのですが、我が家の場合、大家が変な風に作っていて、変なものがいっぱい付いているので、モジュラーの前だけに作業用のスペースを作るだけではダメで、以前電話回線が故障した時のように部屋中の大移動が必要ではないかと思っている事。
不安その2 私の使っているWindowsのノートが、本当にLANに対応しているのか“?”な事。実はLANカードを買わないといけないと思っていたのですが、先日、何気にマシンの側面を見ていたら、LAN端子みたいなのがあるのを見つけたのです。それで取説を開いてみたらネットワークコネクタとしか書いていなくてLANという言葉は一言も出ていないのです。
不安その3 本当にLANケーブルは用意しないといけないのか? これはパンフレットによって違うんですよね。それにルーターの置き場所が決まらないとケーブルの長さも分からないですよね。
不安その4 設定がちゃんと自分で出来るかという事。Windowsは資料が一杯あるから安心なんだけど、メインのiBookはOS9で、もう一台のiMacはOSX。だけど、まだタイガーを買っていないので設定はタイガー購入後。取りあえずはiBookが設定できないと大変なことになるんですけど…。
不安その5 IP電話の番号が、ちゃんと連絡されていない事。FAX用に使うつもりなんですけど、少なくとも名刺は作り直さないといけないので困るんですよね。
不安その6 想定外のトラブルが発生しないかという事。

とにかく世の中難しくなり過ぎですよ。回線ひとつの変更でこれだけ悩まないといけないっていうのは、とても人に優しいテクノロジーとは思えませんね。そして、この悩みの根底には、さんざん裏切られたり、騙されたと感じたIT関連企業への不信感があるわけですよね。
果たしてどうなるのか? もちろん、顛末はここで報告する予定です。