ちょっと読み切るのに時間がかかりましたが、齋藤茂太の本「心をリセットしたいときに読む本/ぶんか社文庫」を読んで、癒されたというか、心が楽になりました。
最近感じるのですが、精神科医の方が書かれた本がとても心に響くのですね。本によっては現在の自分の有り様を肯定してくれるような記述があったりして、自信を無くしかけている時など、非常に励まされてしまいます。
そんな本を読むと、どうも精神科医の方たち自身が、結構、聖人君子的な生き方ではなく、自由気ままというか、ありのままの自分を生きているという姿が感じられます。そんな生き方をベースにして威圧的ではなく、低い目線で社会生活や人間のサガを語られると、とても肩の力が抜けていくのが感じられるのです。
たとえば、
「人生には当然、お金に代えられないものがある。
(略)
サム・マネー(少しばかりのお金)があれば、今の日本ではすぐに生活に窮することはない。それをマッチ・マネーにするのが悪いとは言わないが、自分の能力を磨いたり、新たな可能性に挑戦したりするほうが、さらにいいのではないだろうか。」
なんていうのは、扶養家族のいない私にとっては、座右の銘にしたいような言葉です。
「自分で時間を支配し、完全活用すると決めれば、たいがいのことはできる。「断固二兎を追う」という気概が、時間を生かすのだ。」
これなんかは、私にとってはまさに“目からウロコ”。これからは“気概”を養おうと決心してしまうような記述です。
「挫折によって分を知り、それをバネに人生を切り開いていくのが「自信」である。
自分の真の能力や人間的なスケールは挫折が教えてくれる。
失敗したら「ふ~ん、これがありのままの自分か」と、謙虚に受け止めるのがいい。おのれを知れば百戦危うからず、である。」
これもただのポジティブシンキングかもしれませんが、こういう人生のベテランの言葉として聞くと、挫折よりその先が大事だと素直に感じさせてくれます。すると“挫折”にたいする恐怖が、スッと薄らいでいきますよね。
こういった本を読んで感じるのは、結局、子供の頃に先生や親から教わった事や刷り込まれた事に、大人になってからは苦しめられていた事に気がつくのです。ただ、子供の頃のそれは必要な事であり、大人になるというのは、その周囲から作られた殻から脱皮する事なのかなぁと考えたりするのです。
最近感じるのですが、精神科医の方が書かれた本がとても心に響くのですね。本によっては現在の自分の有り様を肯定してくれるような記述があったりして、自信を無くしかけている時など、非常に励まされてしまいます。
そんな本を読むと、どうも精神科医の方たち自身が、結構、聖人君子的な生き方ではなく、自由気ままというか、ありのままの自分を生きているという姿が感じられます。そんな生き方をベースにして威圧的ではなく、低い目線で社会生活や人間のサガを語られると、とても肩の力が抜けていくのが感じられるのです。
たとえば、
「人生には当然、お金に代えられないものがある。
(略)
サム・マネー(少しばかりのお金)があれば、今の日本ではすぐに生活に窮することはない。それをマッチ・マネーにするのが悪いとは言わないが、自分の能力を磨いたり、新たな可能性に挑戦したりするほうが、さらにいいのではないだろうか。」
なんていうのは、扶養家族のいない私にとっては、座右の銘にしたいような言葉です。
「自分で時間を支配し、完全活用すると決めれば、たいがいのことはできる。「断固二兎を追う」という気概が、時間を生かすのだ。」
これなんかは、私にとってはまさに“目からウロコ”。これからは“気概”を養おうと決心してしまうような記述です。
「挫折によって分を知り、それをバネに人生を切り開いていくのが「自信」である。
自分の真の能力や人間的なスケールは挫折が教えてくれる。
失敗したら「ふ~ん、これがありのままの自分か」と、謙虚に受け止めるのがいい。おのれを知れば百戦危うからず、である。」
これもただのポジティブシンキングかもしれませんが、こういう人生のベテランの言葉として聞くと、挫折よりその先が大事だと素直に感じさせてくれます。すると“挫折”にたいする恐怖が、スッと薄らいでいきますよね。
こういった本を読んで感じるのは、結局、子供の頃に先生や親から教わった事や刷り込まれた事に、大人になってからは苦しめられていた事に気がつくのです。ただ、子供の頃のそれは必要な事であり、大人になるというのは、その周囲から作られた殻から脱皮する事なのかなぁと考えたりするのです。