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ニッポン チャチャチャ!!

納得できない事、頭にきた事、不可解な事、民主主義後進国ニッポンの“?”を感情的に綴っていきます。

“伝説のスピーチ”とは、こういうものを称するのだろう

2006年05月27日 12時12分44秒 | 生活
前々回で、私はソーシャル・ネットワーキング・サービス「mixi」の効用について書きました。やはり今回、私は「mixi」に登録していなければ知りえなかったであろう事実を見つけ、非常に感動しました。それは、1992年にリオデジャネイロで行われた国連会議(地球環境サミット)でのある人物のスピーチ内容です。

◆以下、引用開始◆

こんにちは、セヴァン・スズキです。エコを代表してお話しします。エコというのは、子供環境運動(エンヴァイロンメンタル・チルドレンズ・オーガニゼェーション)の略です。カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、今の世界を変えるためにがんばっています。あなたがた大人たちにも、ぜひ生き方をかえていただくようお願いするために、自分たちで費用をためて、カナダからブラジルまで1万キロの旅をして来ました。

 今日の私の話には、ウラもオモテもありません。なぜって、私が環境運動をしているのは、私自身の未来のため。自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとはわけがちがうんですから。

 私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちのためです。世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物たちのためです。

 太陽のもとにでるのが、私はこわい。オゾン層に穴があいたから。呼吸をすることさえこわい。空気にどんな毒が入っているかもしれないから。父とよくバンクーバーで釣りをしたものです。数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまで。そして今、動物や植物たちが毎日のように絶滅していくのを、私たちは耳にします。それらは、もう永遠にもどってはこないんです。

 私の世代には、夢があります。いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルを見ることです。でも、私の子どもたちの世代は、もうそんな夢をもつこともできなくなるのではないか?あなたがたは、私ぐらいのとしの時に、そんなことを心配したことがありますか。

 こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるようなのんきな顔をしています。まだ子どもの私には、この危機を救うのに何をしたらいいのかはっきりわかりません。でも、あなたがた大人にも知ってほしいんです。あなたがたもよい解決法なんてもっていないっていうことを。オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか、あなたは知らないでしょう

 死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか、あなたは知らないでしょう。絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか、あなたは知らないでしょう。そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって森をよみがえらせるのかあなたは知らないでしょう。

 どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください。

 ここでは、あなたがたは政府とか企業とか団体とかの代表でしょう。あるいは、報道関係者か政治家かもしれない。でもほんとうは、あなたがたもだれかの母親であり、父親であり、姉妹であり、兄弟であり、おばであり、おじなんです。そしてあなたがたのだれもが、だれかの子どもなんです。

 私はまだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが同じ大きな家族の一員であることを知っています。そうです50億以上の人間からなる大家族。いいえ、実は 3千万種類の生物からなる大家族です。国境や各国の政府がどんなに私たちを分けへだてようとしても、このことは変えようがありません。私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの目標に向けて心をひとつにして行動しなければならないことを知っています。私は怒っています。でも、自分を見失ってはいません。私は恐い。でも、自分の気持ちを世界中に伝えることを、私は恐れません。

 私の国でのむだ使いはたいへんなものです。買っては捨て、また買っては捨てています。それでも物を浪費しつづける北の国々は、南の国々と富を分かちあおうとはしません。物がありあまっているのに、私たちは自分の富を、そのほんの少しでも手ばなすのがこわいんです。

 カナダの私たちは十分な食物と水と住まいを持つめぐまれた生活をしています。時計、自転車、コンピューター、テレビ、私たちの持っているものを数えあげたら何日もかかることでしょう。

 2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました。ひとりの子どもが私たちにこう言いました。

 「ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない子すべてに、食べ物と、着る物と、薬と、住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに。」

 家もなにもないひとりの子どもが、分かちあうことを考えているというのに、すべてを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、いったいどうしてなんでしょう。

 これらのめぐまれない子どもたちが、私と同じぐらいの年だということが、私の頭をはなれません。どこに生れついたかによって、こんなにも人生がちがってしまう。私がリオの貧民窟に住む子どものひとりだったかもしれないんです。ソマリアの飢えた子どもだったかも、中東の戦争で犠牲になるか、インドでこじきをしてたかもしれないんです。

 もし戦争のために使われているお金をぜんぶ、貧しさと環境問題を解決するために使えばこの地球はすばらしい星になるでしょう。私はまだ子どもだけどこのことを知っています。

 学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたがた大人は私たちに、世のなかでどうふるまうかを教えてくれます。たとえば、

* 争いをしないこと
* 話しあいで解決すること
* 他人を尊重すること
* ちらかしたら自分でかたずけること
* ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
* 分かちあうこと
* そして欲ばらないこと

 ならばなぜ、あなたがたは、私たちにするなということをしているんですか。

 なぜあなたがたがこうした会議に出席しているのか、どうか忘れないでください。そしていったい誰のためにやっているのか。それはあなたがたの子ども、つまり私たちのためです。あなたがたはこうした会議で、私たちがどんな世界に育ち生きていくのかを決めているんです。

 親たちはよく「だいじょうぶ。すべてうまくいくよ」といって子供たちをなぐさめるものです。あるいは、「できるだけのことはしてるから」とか、「この世の終わりじゃあるまいし」とか。しかし大人たちはもうこんななぐさめの言葉さえ使うことができなくなっているようです。おききしますが、私たち子どもの未来を真剣に考えたことがありますか。

 父はいつも私に不言実行、つまり、なにをいうかではなく、なにをするかでその人の値うちが決まる、といいます。しかしあなたがた大人がやっていることのせいで、私たちは泣いています。あなたがたはいつも私たちを愛しているといいます。しかし、私はいわせてもらいたい。もしそのことばが本当なら、どうか、本当だということを行動でしめしてください。

 最後まで私の話をきいてくださってありがとうございました。

◆以上、引用終わり◆

読まれて気づかれたと思いますが、このスピーチを行ったのは当時12歳の女の子なのです。当然(?)拍手喝采を浴びたそうですが、セヴァン・スズキというその少女はバンクーバーで生まれ、このサミットに派遣する子ども代表の旅費まで自分たちで工面したといいます。

12歳の少女が、各国の首脳を圧倒させるスピーチをしたという事実も凄いのですが、それ以上に、スピーチの内容自体が素晴らしく、大人であるはずの私も、まずできる事から行動しなければと感じました。

日本のメーカーは末期の麻薬中毒者だ!

2006年05月25日 21時15分45秒 | 生活
私のコンパクト・デジカメが不可解な行動をするようになり、メーカーと直接交渉する事になりました。それは販売店の保証がまだ1年以上残っているのですが、すでに5回も修理に出していたからなのです。
抗議の末、メーカーのお客様窓口の人は現行の機種で良ければ新品と交換すると提案し、5機種を候補としてリストしてきました。私もそれで納得するしかないと思い、その中のどれにするか検討して連絡するとして電話を切りました。
そこでまず、地元の量販店に行ってそのメーカーのカタログを入手して調べてみて驚きました。なんと交換候補の2機種はすでに総合カタログにも出ていないのです。デジカメのサイクルが早いとは聞いていましたが、ここまでとは思っていませんでした。
そして昨日、大型量販店のデジカメ売り場で残り3機種の実機を見てみることにしました。そうしたら最新コンパクト・デジカメ市場は、まさに驚きの連続でした。
まず、ほとんどのカメラにファインダーはなく、液晶画面で構図を確認するようになっていました。私の今までのカメラはファンダーがあったので、バッテリー消費を抑えるため、いつもファインダーで構図を決めていました。それができなくなったというか、逆にバッテリーの消費量が増える事になり、それによってこれまたほとんどの機種が独自のバッテリーを使うようになっているのです。
今までの機種は単三電池と同じサイズの充電池を使っていました。それだと出先で電池がなくなった場合でも、単三電池で急場をしのぐ事ができたのです。少なくとも単三電池なら日本中のどこでも買う事ができるので安心でしたが、それもできなくなってしまったのです。
さらにメーカーの提示した機種は、1カットが2MBもするのです。今までの機種が1カットで約650kだったのですが、それでも人に送る時には面倒でした。それなのに今のデジカメは画素数競争が真っ盛り。そんなに一般の人が必要なのかしらと思うレベルです。なんてったってコンパクト・デジカメなのですからねぇ。
さらに、それによってメディアの容量も従来のものでは足りなくなり、また新たなメディアがうまれ、今までのメディアが無駄になってしまうのです。
それでいながら本体の販売価格を比べると、最新のカメラの方が安くなっていて2/3程なのです。しかし、これだけ新製品サイクルが短ければ開発コストも大変なはず。それなのに安くなるというのは、当然“質”は低下するはずです。さらに、新機能満載かもしれないですけど、いずれも私には不必要というか不都合な機能ばかりなのです。
大学の頃、次々と新製品を出し、商品のライフサイクルを短くする事を“資本主義の陳腐化”と習いましたが、現代はそれ以上。新製品が消費者の欲求を追い越してしまい、広告でインパクトあるセールスポイントを訴求するために新製品を作っているという印象です。完全に本末転倒。
多分、新製品に飛びつく消費者がいるからこういう状況になるのでしょうが、こんなメーカー→流通→販売店→消費者という流れが、今の日本経済を支えているとしたら、日本の“モノ作り”は完全に末期の麻薬中毒者のよう。
この流れを断ち切るような勇気あるメーカーは出てこないのでしょうか? 地に足のついた商品は、良識ある多くの生活者には支持されると思うのですが…。

小林政広監督の映画『バッシング』に注目!

2006年05月15日 16時41分30秒 | 生活
あなたは“高遠菜穂子”という名前をご存知ですか? もし、あなたが覚えていなくても、彼女は日本国民が彼女に対して浴びせかけた非難と中傷を決して忘れてはいないでしょう。
偉そうに書いている私も、彼女の名前はすっかり忘れていました。誰かというと、イラクでボランティア中に武装集団に拘束され、その後解放された女性です。直後に「自己責任」という言葉が日本中を渦巻き、彼女たちがバッシングされた事は記憶に新しいと思います。
そんな彼女をヒントに一本の映画が作られました。それが過去3回カンヌ映画祭に参加している小林政広監督の映画『バッシング』です。この作品でカンヌ映画祭に4回目の参加を果たし、日本でも来月から公開されるそうなのです。
実際の彼女の行動の良し悪しは映画を観て考え直してみたいと思いますが、このテーマ自体は私がずっと気になっていたというか、関心のあるテーマだったのです。それで今回の作品は、是非観に行きたいと思っているのです。
そもそもこういった国民中の中傷を受けたケースとして、私が忘れられないのは松本サリン事件の河野義行さんです。ちょうど松本サリン事件の発生当時、私はあるテレビ局の報道番組にスタッフとしてかかわっていて、事件の一部終始を見てきました。
河野さんは奥さんも被害に遭われているのに、無言電話や「人殺し」という電話が半年以上続いたそうです。その上、自宅の周りには報道人が連日詰めかけ、子どもたちにもカメラやマイクが向けられる毎日…。皮肉にも、河野さんのケースは地下鉄サリン事件で疑惑は晴れましたが、河野さんの心の傷も決して晴れないでしょう。
その後、河野さんに対面を果たした当時の番組のアナウンサーが「河野さんを犯人呼ばわりした原稿を読んでしまって本当に申し訳ない」と涙ながらに謝っていたシーンを強烈に覚えています。そして、私もその一端を担ってしまった事でもあり、“報道被害”という言葉を身をもって覚えた事件でした。
そんな経験もあり、高遠さんたちの釈放後の世論の反応には抵抗を感じていました。そして最近では姉歯元建築士に対するバッシングにも疑問を感じていたのですが、結局は病気の奥さんを自殺に追いやってしまいやるせない思いを感じました。
実際に被害を受けた方が感情的になるのは分りますが、事件や事象に一切関係ない人間まで“村八分”ならぬ“国八分”に加担するのはどうしても納得できません。それでいてその事件に隠れている“大悪”の追及がなされていないのが実情ではないでしょうか
これはまず、マスコミが記者発表ばかりを信じずに、独自の取材と視点でニュースを報道する姿勢が求められるでしょう。すべては、そこから始まるのですから。そして国民もニュースをしっかり咀嚼し、自分で考え、真実を見分ける能力をつけるべきでしょう。
そして、教育基本法の改正も“愛国心”なんかをメインにするのではなく“正義”や“道徳心”“他人を思いやる心”といった事柄を真剣に盛り込んでいかないと、この国は本当におかしな方向に行ってしまうのではないでしょうか。

最終回・たとえば、ノー・パソコン・デーとか

2006年04月14日 18時49分05秒 | 生活
やはり書いてしまいました。立て続けに「スローライフを目指すための方法論を考える」です。どうも、このテーマは私の琴線に触れたようで仕方がありません。知人のウェブの日記からスタートしたシリーズですが、これで最後にします。
そもそも、私たちの生活は“+(プラス)”を志向するばかりだったのではないでしょうか。高度成長期の「三種の神器」にはじまり、モノへのこだわりはバブルが終わっても衰える事はありません。そればかりか最近の“お金”へのこだわりは、バブル期以上かもしれません。
「あれが持てば○○の象徴になれる」「○○がなければ現在人と言われない」「あれがあれば便利だ」など、現代社会はモノを手に入れる事に多くの人たちが一生懸命になっているといえるでしょう。
また現代は、“コト”を手に入れるためにも“モノ”に依存しているでしょう。その象徴が携帯電話であり、パソコン(インターネット)です。確かに携帯もパソコンも素晴らしいものであり、とても便利です。ただ、それで得た“豊かさ”の替わりに、何かをなくしてしまったような気がするのです。
実はそれこそが、今回のテーマの核心だと、先程気がついたのです。
最近ずっと引っ掛かっていた事柄ですが、先日テレビを観ていたら爆笑問題の太田光氏が「私が総理大臣になったら」という番組をやっていて、それが大変興味深かったのです。太田氏が総理大臣になったら行う公約を、ゲストは支持するかどうかという内容でした。
私が感嘆したのは「一年間、アメリカと国交を断絶する!」という公約でした。太田氏によれば「俺たちはアメリカに憧れてきたし、自由という事も教えてもらい、素晴らしい国だと思っていた。でも、今のアメリカは違ってきていて、理不尽な要求を日本に突きつけている。だから、一年間国交を断ってみて、アメリカの無い期間を経験し、もう一度アメリカの必要性をみてみよう」という趣旨説明でした。
私は「これは素晴らしい!」と感じ、まさに目からウロコでした。もちろん実現の可能性は限りなくゼロですが、その発想が“ビンゴ!”と思っていたのです。そう、ここ数日、私がこだわってきた問題の解決のヒントはここにあると気がついたのです。
私たちは“-(マイナス)”という発想をしてこなかったような気がするのです。つまり、“手放す”メリットを考えたことがあるでしょうか? 慣れている事柄も一旦手放し、その上で、それぞれの必要性を確認する作業が求められていると気づいたのです。これでやっとタイトルにつけた“ノー・パソコン・デー”に辿り着きました。
まず、一日パソコンに触れない日を作って、そこで感じた事、そこで生まれた時間の大切さに気づく事によって、忙しすぎる現代の一日を豊かにする方法論が見えはじめるのではないでしょうか?

続々・たとえば、ノー・パソコン・デーとか

2006年04月14日 16時25分18秒 | 生活
さて、今回ももっとナチュラルに生きるための方法論を考えてみたいと思います。
前回までの二回は、主に仕事の環境について書いてきましたが、やはり生活面からのアプローチが一番重要だと思っています。何といっても、その生活自体が豊かになる事が目的なのですから。
そこで生活の場で、なぜ一日が短くなって、忙しくなっているのか? この問いについて昨日から考えてみましたが、私の回答は当たり前の答えなのですが「一日にいっぱい詰め込みすぎている」という事です。
そして、なぜ一日に沢山の事を詰め込むかという理由は、「便利になったから、昔と比べて色々とできるようになった」「色々とやらないと、周囲からずれてしまう」というのが一般的でしょうか。ただ実際に色々やる行動の内容については、年代や性別、ライフスタイルによっても違ってくるでしょう。
そこでまず、やっかいなのが「色々とやらないと、もしくは周りのスピードに合わせて生活しないと、社会から浮いてしまう」という問題です。どこで生活しようが、人間は社会の中でしか生きる事しかできません。となると、社会が変わってくれないと“自分の生きたい生き方”ができない。となりますが、そんな事はないと思います。
“変人”と思われたっていいじゃないですが、自分の人生なんですから、無理なく自分の生きたい生き方で幸せに暮らしていけば、周囲も認めてくれますよ。周りの人たちだって世間に対する“無理”(見栄?)を続けるのは辛いと感じているはずです。そんな自分のペースで生活する人たちも世の中に確実に増えていると思うのです。
次は“便利になった社会”ですね。そしてそれに伴なう“時間”の概念に対する変化。そこに生まれた「時間は上手に使わなくっちゃ」という考え方と向かい合わないといけないですね。
この「時間は上手に使わなくっちゃ」という考えを別の角度からみると、常に渇望の状態があって、それをひとつひとつ埋めていくために時間のやり繰りが必要になっていると考えられませんか。そこで疑問になるのは、そこで求めるひとつひとつのモノ・コトにどれだけの価値があるのでしょうか? さらに、その状態に“ゴール”はあるのでしょうか? 価値の問題は別にして、少なくとも“ゴール”は無いでしょう。つまりこれは、自らメビウスの輪の上を走りつづけているという事になりませんか。便利になったせいで自分で自分の首を締めているという姿…。
そこで、一日の中に詰め込んでする事柄の中から、なにかひとつを諦めて“な~んにもしない時間”や“自分が豊かになる時間”に置き換えたらどうでしょうか? 私の場合、ひとりで酒を呑むという時間をなくした結果、多少“ものを考える時間”が増えたかな、と感じています。

この問題、奥が深いですね。どうも書き足りない。もし、次もこのネタでしたら申し訳ありません。今から謝っておきます。

続・たとえば、ノー・パソコン・デーとか

2006年04月13日 17時40分21秒 | 生活
前回書いた、世の中が忙しくなっている。その責任は私たちにあるので、ナチュラルに生きられる世の中を取り戻すために、何か行動しないといけないという内容。前回書いて以降も私の頭の中で、言い足りない想いが駆けめぐっているので、今回も続編を書きます。
さて、最近のように世の中全体が忙しくなったのは、一体いつ頃からなのでしょうか?
まず、私が社会人になった四半世紀前は、会社の部長レベルの人間は“ドン”と席に座っていて、大事な時だけ現場に顔を出し、仕事が終われば銀座でしっかり遊んでいたという印象があります。しかし、現在の部長は管理業務だけでなく、現場の仕事もこなさなければならず、残業後は安い居酒屋を見つけて飲んでいるというイメージではないでしょうか。
現場の環境も、かつては若手に失敗をさせて仕事を覚えさせるという事が当たり前で、自分の冒した失敗の反省から若手は成長していったものです。ところが今ではいきなり即戦力としての能力を求められ、当然、失敗すれば責任を問われます。
これでは、下から上に上がっていくモチベーションはどうやって作っていくのでしょうか? また、上も上で、どうやって自らのアイデンティティを保っていくのでしょうか? 少なくとも仕事の中で、社会人として成長していく余地は失われてしまっていますよね。これは、まるで人格否定のシステム…。
いやいや、そんな事は無い! と反論される方も多いでしょう。今“勝ち組”といわれている方々はたぶん、まるで別の見方をされているように思います。「こんなにビジネスチャンスがあるのに、何ウダウダ言ってるんだ」と言われそうです。「先に行動に移した人間が勝つ、そこで勝った人間が贅沢して何が悪い」という理論でしょうか。
しかし、私はどちらもいいとは思いません。私の意見に賛同される方も多いと信じています。まずは“格差のない社会”という幻想を求めない。それよりも“格差”を認める社会作りが必要だと思うようになったのです。もちろん“勝ち組”を否定するのではなく、重要なのは“勝ち組”を目指さない人たちを認め、その人たちの生活を受け入れる社会が必要だと思うのです。“都市の中のスローライフ”といったイメージでしょうか。
もし、今、毎日通勤電車に揺られて通勤しながら、会社からは大切に扱ってもらっていないと感じている人たちの中で、10%の人たちが自分が背負っている社会的な“見栄”や社会に対する“義務感”から開放された生活を目指しだしたら、日本はもっともっと暮らしやすくなるのではないでしょうか?
とにかく忙しすぎて、余裕がなく、ギスギスした人が多すぎますよ。そんな寿命を減らすような無理をしないでも、受け入れてくれる社会(受け皿)の形成が今の日本に必要なのではないでしょうか?
そして、その応援は楽しそうだと思いませんか?

たとえば、ノー・パソコン・デーとか

2006年04月13日 00時04分52秒 | 生活
知人のネット上の日記を読んで以来、私の頭の中を占めている問題があります。そもそもその日記の内容は、半分仕事で行った南の島から戻ってきてみると、まるで違うスピードで時間が流れている。日本では仕事が人間の生きる速さを規定していると痛感したというものでした。
「確かに、一日が短くなっているぞ!」と、その日記を読んで感じました。私は数年前まで、人生で一番仕事が忙しかった時期だったのですが、その頃は仕事以外は、夜中、酒を飲むだけで一日が終わっていました。つまり仕事以外、ほとんどの事を諦めざるをえませんでした。現在は、かなり仕事をセーブしていますが、それでも一日は短く感じます。
とにかく、多くの人にとって今の日本は、一日が短くなるようなシステムになっているのではないでしょうか? 老若男女を問わず、あまりに多くの事が一日の中に求められ過ぎていると思いませんか?
その一番の原因は、やはりIT技術の一般化でしょう。そのなかでもパソコンと携帯電話の存在は決定的です。特に仕事の現場では、パソコン導入前とパソコン導入後ではまるで単位時間内の作業量は激変し、かつては一週間かけていた仕事を今では数時間で済ませてしまうという印象です。
単純計算すると5日×8時間=40時間かけていた作業が、今日では数時間でできるのですから、今の人は約10倍忙しいとなります。実際には、昔の1日の仕事時間も8時間以上ですから、10倍以上の忙しさです。その上、昔は雲隠れしてサボる事もできましたが、今は携帯電話で24時間管理されているわけですよね。これで人々は幸せになったのでしょうか。ギャラは10倍以上になっているでしょうか。決してそんな事はありませんよね。
パソコンなんかがなかった時代、それでも仕事は流れていて成り立っていたし、世の中も当たり前に流れていたのです。一体、どこからこんな窮屈な生活を選んでしまったのでしょう? そんな問いより、こんな世の中にしてしまった責任は、私たちにあるという発想を持つ方が建設的だと思うに至ったのです。
やはりパソコンに振り回される生活は異常です。私はまだ、パソコンの無かった時代を知っているので救われますが、それを知らず、今が当たり前と思っている若い人たちが可哀相です。そんな観点からも、私たちに責任がある。つまり、元に戻す事はできなくても、何か社会にはたらきかける行動をする必要があると思い出したのです。
といっても、具体的なアイデアがあるわけではありません。ワンクリックするだけで寄付ができるというシステムがありますが、その逆で、一日ワンクリックを減らすような運動ができればいいのかなと漠然と思っています。
“日の出、日の入りにあわせて仕事する”とはいかないまでも、もう少し人間らしく、ナチュラルに生きられる世の中を取り戻す(?)責務を何とか形にしたいと思い始めたわけです。
どなたか、いいアイデアがありませんかね?

これは、まともな商売ではないだろう

2006年03月20日 20時19分46秒 | 生活
今日、クレジットカードの請求明細がきて「あれ?」と思いました。なぜなら明細に「ニフティ 5,775円」と記されていたからです。光回線の契約をした時に、開通月は無料で、それ以降の8ヵ月は月額費用が1,500円だったはずです。我が家の光回線が開通したのが昨年12月でしたので、まだ月額費用は1,500円と思っていました。
怒った私は、さっそく何度目かになるか分りませんが、また@niftyのサポートセンターに電話しました。そして散々待たされた挙句に電話に出た人間にその旨を伝えると、まず「1,500円のはずはありません。ちょっと調べます」との事。いきなりカチンと来ました「こっちは、1,500円のはずがあるかないは知らん! ただ、パンフレットにはそう書いてあっただろう!」と言うのは抑えて返事を待つと、「お客様の契約は8ヵ月間、月額費用を1,500円割引です」との回答でした。
電話を切ってさっそく契約時の@niftyのパンフレットを開いてみました。するとどうでしょう。確かに「8ヵ月間、月額費用1,500円割引」となっているのです。何度も読んだパンフレットなのですが、そう言われて初めて気がついたのです。それほど間違いやすい表記なのです。というより、それを意図した表記にしか見えません。私が仕事なら、間違いなく「誤解されますから危険です」と忠告するデザインになっているのです。

そしてもうひとつ、最近@nifty光 with TEPCOに激怒した事があります。それは通信速度。
最近、どうもネットのスピードが遅く感じるので、スピードをテストしてみました。そうすると驚く数値が出たのです。なんとアップロードが9.81M!で、ダウンロードはなんと3.91M! 我が家の契約はあの“100M占有”のホームタイプなのですよ!
「ホントかよ?」と思い、まずTEPCOのサイトを調べました。それを見て恐ろしさを感じるほど驚きました。なんとTEPCO自体が、測定結果としてダウンロードが30M以下、アップロードが15M前後の数値を出してるのです。さらに酷いのは、問い合わせは各ブロバイダーへとなっているのです。
「これは誇大広告にも程がある!」と思いJARO(日本広告審査機構)のサイトを調べてみました。すると、平成17年度上半期の苦情件数の多い業界の第2位は通信関係で、光通信に移行するエリア・速度の表示の問題が目立つという事でした。
それで納得したのですが、今のTEPCOのCMを見ると“100M占有”とは言わずに“通信速度No.1”としか言ってませんものね。本当に呆れますよ、こんな事やってて社会インフラに手を染める公共企業という認識はないんでしょうね。
だからこそ、先に書いた@niftyの誤解しやすいパンフレットで堂々とセールスしているんでしょうね。もちろん、そこには“100M占有”と大々的に書かれていてセールスポイントにしていますけど。

今日の南北線車内の風景

2006年03月14日 17時51分05秒 | 生活
今日、地下鉄の南北線に乗っていて、乗客のマナーのを見せつけられました。ちなみに車内の写真は帰りの電車で、わずか数分の間に続けざまに撮影したものです。
左のカットは、優先席に座って当たり前のように携帯で電話している若い女性。本人が優先席に座る事が許されるかどうかは見掛けだけでは決して判断できないので、その事にはなんとも言えません。しかし、携帯電話の車内での通話は禁止されているし、優先席近くでは電源を切る事は誰もが知ってるルールではないでしう。百歩ではなく、千歩ゆずって辺りに人がいなければ仕方ないといっても、隣に人が座っているのです。この女性はそんな事は一切気にかける様子もなく、その後はメールもしていました。
そして右のカットは、ある駅で左のカットの2人が降りた駅を過ぎてすぐのカットです。やはり当然のように若い男性が空いた優先席に座るのです。もちろん、この2人が優先席に座る事が許されるかどうかは見掛けだけでは判断できません。しかし、やはり奥の席の男性は携帯を開いて使い出すのです。
かくいう私も、電車に乗っているときに100%マナーモードにしているかというと、結構そのままのケースが多いのは確かです。そのために、いつも優先席には近づかないようにしています。そしてよっぽどガラガラな電車でない限り、優先席には座りません。私はそれが最低限のマナーだと思っているのです。

実は今日、行きの南北線の車内で、こんな光景を目撃したのです。
地下鉄南北線は都営三田線と乗り入れしているのですが、はじめての人には乗換えが分りにくいのです。たぶんそのせいだと思うのですが、三田線に乗り換えたいと思えるらしいおじいさんに、向かいに立っている二十歳前後(?)の若者が「この駅で向かいの電車に乗り換えですよ」と話しかけている姿が目につきました。
おじいさんは「三田に行きたいんだけど…」と応えるのを聞いて、その若者は「それであれば向かいの電車に乗り換かえないと」と言い、そのおじいさんを導いて電車を降り、向かいのホームで待っている電車に一緒に乗り込んでいきました。そのまま若者も三田線に乗っていったので、彼も最初から三田線に乗るつもりだったのでしょう。
そして、私がそのおじいさんが座っていた席に目を戻すと、隣に座っていた小学校の低学年にみえる女の子2人も一連の流れを見ていたみたいで、片方の女の子が「優しいお兄さんだね」と感想を語りあっているのです。
やはり子供は大人を見ているのですね。だからこそというと本末転倒ですが、やはり大人は大人の自覚を持って世の中のルールを尊重しなければならないと、次の世代にいい世の中を残せないと思わせてくれる風景でした。

少子化問題は最優先課題のばす

2006年03月04日 15時03分08秒 | 生活
今日、ネタを探していたらある記事が目にとまりました。それは、「団塊ジュニアの女性の約半数が30歳で未出産」という記事。「少子高齢化」がこの国の最重要課題と考えている私にとって、見逃すことができないものです。
私の知っている女性でも、20代後半から30代後半にかけて“未婚”のという人が多く、仕事に一生懸命というケースが目につきます。なかには結婚、出産を考えている女性もいますが、その他の多くは日々の生活に追われ、結婚・出産という方向を具体的に考える状態にはなさそうです。というか、考えたくても考えられないというのが実情でしょう
一方、結婚して子供を持っている友人を見てみると、特に子供が中学生以上になっていれば、“しつけや生活”、“教育”、“親子関係”といった問題に悩み、その上何より“お金の問題”に悩んでいます。私の友人夫婦では子供が2人というケースが多いのですが、その場合はほとんどが夫婦共働きですね。
間違いなく、かつてのように親父が一家の大黒柱となって一家全員の生活費を稼ぎ、子供を叱って正義を説くなどという家庭環境は、はるか前に博物館入りになっています。この数十年間で、あまりに社会環境が変わりすぎました。
そんな今日であれば、周囲の知人、親戚などの生活ぶりを見てしまい、30歳前後の女性が結婚・出産を目指さないのは当然の事でしょう。しかしこれが本当に最悪の状態なのは多くの方が感じているでしょう。真っ先に年金システムの崩壊が浮かびますし、人口が減れば当然経済も縮小されます。さらに、社会システムそのものの崩壊の可能性も潜んでいます。
しかし、この可能性はかなり前から予想できた事のはずです。ちなみに私ですら20年以上前に、「これからは受験競争も激しくなるし、社会は乱れてくるし、子供が子供らしく生きていける世の中にはならないだろうから、子供を作ったら可哀相じゃないのかなぁ」と考えていたほどですから…。
とにかく今の女性は、まず「出産したら好きな仕事を辞めないといけない」、子供を産んだら「子供を狙った犯罪を心配」、次に「学校にまともな教師がいない」、それでも「学費・家計のために仕事を再開したくても選択肢は少なく、小さな子供を見てくれる人がいない」、そして最悪は「悪い友達と付き合いだした」といった問題と立ち向かわなければならないわけですよね。
それであるのに小泉内閣は昨年の9月にやっと第一回の「少子化社会対策会議」を開いたという情けないレベル。偽メール問題で鬼の首を取ったように勝ち誇っている場合ではないのです。まさしく構造改革が求められるのはこの「少子高齢化問題」においてなのです。もちろん、ここにすべて日本の未来がかかっているからです。
なぜ、小泉首相はこの問題を最優先にしないのでしょう。憲法改正より優先される課題のはずです。まさか、日本の将来を諦めているわけではないですよね。