茶の湯 徒然日記

茶の湯との出会いと軌跡、お稽古のこと

日本家屋その3 数奇屋造

2005-08-03 20:40:08 | 日本建築・茶室
 安土・桃山時代から江戸時代にかけて、数奇屋造が誕生。平面構成や機能は書院造を踏襲したまま、天守・広間・数奇屋(茶室)の意匠性が様々になった。棚や建具(唐紙など)、欄間、天井、照明具など、インテリアにも様々な工夫が凝らされるようになった。
「畳割」という、畳寸法を基準にした建築方法(畳の外側に柱を設置する内法制、いわゆる京間)が生まれた。京間と関東間では畳の大きさが違うのをご存知だろうか。その差については後日。
 また、吉凶によって畳の敷き替えをする習慣も生まれた。畳が日本建築の中心となり、畳にまつわる様々な手法や習慣が誕生してくる。

 江戸時代は町人文化が栄え、町家建築が発達し、2階建は常識となり、3階建も見られるようになった。耐火性のある造り(塗屋造)も発生。
 地方でも、名主クラスの人々が特有の様式を作った。例えば、岩手の“曲り屋”、秋田の“中門造”、東京神奈川の“かぶと造”、長野の“本棟造”、岐阜の“合掌造”、奈良の“大和造”、佐賀の“くど造”など。
 江戸の太平の世になって、住まいに対する要求も高まり、町民の間では畳も普及するようになってきたが、一般庶民にまで普及したのは戦後となる。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本家屋その2 書院造 | トップ | 日本家屋その4 近代建築と現代 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日本建築・茶室」カテゴリの最新記事