口切の後は初炭。今回は雨模様だった為、客に楽しんでもらえるよう炭所望となりました。
口切茶事の炭手前では、炭斗に瓢(ふくべ)を使用します。瓢は炭斗として古くから使用されてきたようです。昔は口切の際に毎年新しいのを切って、その炉の期間半年使ったら捨てるのが通常だったそうです。
利休百首の中にも瓢炭斗がでてきます。
「炉の内は炭斗瓢柄の火箸 陶器香合ねり香としれ」
茶道を習っていらっしゃる方にはおなじみですが、炉の間は、炭斗には瓢を、火箸は柄のついたもの(桑の柄が通常)、香合は陶磁器製、香はねり香を使うのが通例だというのです。昔は瓢は身の回りですぐに手に入るものだったのでしょう。
植物としての瓢は、ウリ科一年草のユウガオのことで、原産は北アフリカ。日本には平安時代に中国から伝わったもの。白い花を咲かせ、大きな実がなる。御馴染みの干瓢(かんぴょう)はこの実を細長く帯状にして干した食物。
瓢箪(ひょうたん)も瓢と同種ですが、元々は瓢箪がインドに伝わって栽培される中で苦味の少ない品種が食用として瓢、苦味があり、奇形化した品種が鑑賞用として瓢箪となったと考えられているとか。
瓢や瓢箪はその形からか、世界中で、農具、漁、装飾品、帽子、楽器、お面、お守り、祭事用具などとして使用され、様々な逸話・神話にも出てきます。知っているところでは中国では瓢箪の中には別世界が存在するという逸話あり、日本では秀吉の馬印は千成瓢箪、瓢箪から駒、瓢箪の川流れ、瓢箪に目鼻をつける、瓢箪で鯰を押さえるなどのことわざあり、六瓢箪(むびょうたん)を無病息災のお守りとしたり、瓢の家紋あり。あらゆるところにでてきます。
茶道では瓢を“ふくべ”と呼びます。昔は柄杓も瓢を点て半分に割って作っていたとか。調べている中で“ひしゃく”という呼名も“ひさご”が訛って変化したという説もあるという説明を見つけました。
口切の炭手前では、ふくべ(福部)、いんべ(印部)、おりべ(織部)の“さんべ”が使われる事が多い。これは“べ”のつくめでたいものを席中で3つ(奇数)にするためである。いんべは備前焼のことで、席中では花入に用いられることが多いようです。3つ揃わなくても口切では瓢炭斗と織部香合の取り合わせは多いので、注意して見てみて下さい。先生は昔「皆席中では“おべべ”を着ているからこれで3つ揃うでしょう」といわれたこともあるそうです。
歴史や逸話を見ると、瓢には難を除き福を招くめでたいものとして人々に大切にされ、ひいては茶道の世界でも新しい茶壺を開け新しい1年が始まる口切に願いを込めて使用されるようになったように思われます。
正客によって炭がつがれ、清々しい香が部屋に香ってきていよいよ懐石が始まります。
口切茶事の炭手前では、炭斗に瓢(ふくべ)を使用します。瓢は炭斗として古くから使用されてきたようです。昔は口切の際に毎年新しいのを切って、その炉の期間半年使ったら捨てるのが通常だったそうです。
利休百首の中にも瓢炭斗がでてきます。
「炉の内は炭斗瓢柄の火箸 陶器香合ねり香としれ」
茶道を習っていらっしゃる方にはおなじみですが、炉の間は、炭斗には瓢を、火箸は柄のついたもの(桑の柄が通常)、香合は陶磁器製、香はねり香を使うのが通例だというのです。昔は瓢は身の回りですぐに手に入るものだったのでしょう。
植物としての瓢は、ウリ科一年草のユウガオのことで、原産は北アフリカ。日本には平安時代に中国から伝わったもの。白い花を咲かせ、大きな実がなる。御馴染みの干瓢(かんぴょう)はこの実を細長く帯状にして干した食物。
瓢箪(ひょうたん)も瓢と同種ですが、元々は瓢箪がインドに伝わって栽培される中で苦味の少ない品種が食用として瓢、苦味があり、奇形化した品種が鑑賞用として瓢箪となったと考えられているとか。
瓢や瓢箪はその形からか、世界中で、農具、漁、装飾品、帽子、楽器、お面、お守り、祭事用具などとして使用され、様々な逸話・神話にも出てきます。知っているところでは中国では瓢箪の中には別世界が存在するという逸話あり、日本では秀吉の馬印は千成瓢箪、瓢箪から駒、瓢箪の川流れ、瓢箪に目鼻をつける、瓢箪で鯰を押さえるなどのことわざあり、六瓢箪(むびょうたん)を無病息災のお守りとしたり、瓢の家紋あり。あらゆるところにでてきます。
茶道では瓢を“ふくべ”と呼びます。昔は柄杓も瓢を点て半分に割って作っていたとか。調べている中で“ひしゃく”という呼名も“ひさご”が訛って変化したという説もあるという説明を見つけました。
口切の炭手前では、ふくべ(福部)、いんべ(印部)、おりべ(織部)の“さんべ”が使われる事が多い。これは“べ”のつくめでたいものを席中で3つ(奇数)にするためである。いんべは備前焼のことで、席中では花入に用いられることが多いようです。3つ揃わなくても口切では瓢炭斗と織部香合の取り合わせは多いので、注意して見てみて下さい。先生は昔「皆席中では“おべべ”を着ているからこれで3つ揃うでしょう」といわれたこともあるそうです。
歴史や逸話を見ると、瓢には難を除き福を招くめでたいものとして人々に大切にされ、ひいては茶道の世界でも新しい茶壺を開け新しい1年が始まる口切に願いを込めて使用されるようになったように思われます。
正客によって炭がつがれ、清々しい香が部屋に香ってきていよいよ懐石が始まります。
三べさんのうち、瓢さんの炭斗と織部さんの香合は確かに拝見しました。花入れは備前焼ではなくて、唐金? 水差しが備前焼だったかもしれません。 折角この目で拝見したというのに、記憶がどんどん薄れて情けないです。
天の瓜は天の川の源とも言われ、水が昏々と湧き出でるイメージなので、亥の子餅と同様に炉開きの火厄除けの意味が込められているのかもしれないと、今思い当たりました。
柄杓は瓢箪を縦半分に切ったものが原型で、これも水が湧き出でるイメージ、また、北斗七星の形もその柄杓の形。 茶席から宇宙へ…いえ、天地の理の体現がお茶なのかも…本当に世界が広がり楽しくてたまりません☆
うふふ、嬉しいです、お茶のお話を一緒にできるなんて。
瓜は水が昏々と湧き出るイメージ、確かに言われてみればそうですね!亥にも火伏せの意味がありますし、まさにおっしゃるとおりかも。開炉には様々なものに火の安全の思いをこめたのかもしれません。
自然のことに造詣の深い山桜さんでいらっしゃるから、これから茶道の取り合わせや使われているものなどから色々なことを思いつかれることでしょう!
茶道はまさに陰陽五行、自然や方位が組み込まれているので、山桜さんの新しい発見を楽しみにしています☆
プラグマティズム(実用主義)の国、米国では、長く巣箱として利用して来たようです。でも、東洋の>「瓢には難を除き福を招くめでたいものとして人々に大切にされ....」と通ずる、とても夢のある利用方法だと思います。
私のは文字どうり、瓢箪に目鼻を付けた様なものでざいます^^。