茶の湯 徒然日記

茶の湯との出会いと軌跡、お稽古のこと

利休百首4 はぢをすて

2008-02-19 21:20:46 | 利休百首
4.はぢをすて人に物とひ習ふべし 是ぞ上手の基なりける


 井口海仙先生の解説にはこうある。
“昔の言葉に「知らぬ事は知りたる人に問うを恥じず」というのがある。知らぬことは恥ずかしいと思わず、師匠や先輩に質問すればよい。・・・(中略)機会を逃がしてしまうと知りたいこともそのままになってしまう。これは大きな損失である。その反対に一時の恥ずかしささえ忍べば、それが一生の得になるのである。”

 まさにその通りで、最近の私はお稽古場では“はぢ”をすて、なんでなんでの連続。以前は、何がわからないのかもわからない状態だったが、この処はひとつ疑問が解けると次の疑問が生じ、パズルのように答えが繋がっていき、先生に質問をする度に勝手に感動している。こうなれば、とにかく少しでも疑問に思ったら先生に聞かなきゃ損、ひとつでも解明しておかなくては、となる。もちろん、事前に自分なりにこれはこうではないかという仮説を立てたり、ネットや本で調べてみたりもする。まだまだではあるが、是ぞ上手の基なりける。
 お稽古場で最年少の私は、最初は遠慮して聞けずにいたが、実は皆さんも私と同様に疑問に思っていることは多く、当たり前すぎて聞かないだけだったことがわかってきた。私が質問すると、実は私も知りたかったのよと言われたこともあれば、 なんでそんなことも知らないのというようなこともよくある。徐々に、最年少だからこそ知らなくても当然、年をとると聞きにくくなるから聞いちゃえと厚かましく質問する度胸も付いてきた。それでも、質問の際は、“お恥ずかしいながら”、“初歩的なことかもしれませんが”という枕詞に頼ってはいる。
 お稽古場が質問してもいいような雰囲気になってくると、今度は皆が遠慮なく先生や先輩に聞くようになり、私にとっても、社中にとっても学びの場が広がったように思う。先生もそれに嫌な顔せずきちんと答えて下さる。

 お稽古場の水屋には、“恥掻処”と書かれた短冊が飾られている。それに先生のお気持ちを感じ、毎回これを目にするたび、お稽古場では恥をたくさんかいて、外の世界に堂々と出られるように頑張ろうと思うのだった。

 井口海仙先生の言葉はこう続く。
”このことと逆に、知らぬことを、知ったかぶりの顔をしている人がある。中には、知っているような顔をして、他人から探り利きをしようとする人があるが、これはもっともいやしい心である。”

 なるほど、わからないことは自分で聞くようにしよう、もしくは自分で調べる努力をしようと改めて思った。
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4 コメント

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“恥掻処”、なるほど。 (うきき)
2008-02-20 00:18:58
たしかになあ、恥をかく場所、なるほど。
深く感じ入りました。
お茶に限らず、何についても言えることだね。
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恥掻処 (m-tamago)
2008-02-21 16:00:46
うききちゃん、こんにちは。
そう、お茶に限らず何に関しても。
お茶に関しては厚かましく聞いたりしてるけど、結構、常識問題で知らないけど、知らないとは言えなくて(いえない雰囲気になって)、他の人が言ってくれるのを待っちゃうなんてことはあります。。。。。いやしい自分がおりまして。
年をとると見栄が邪魔をする~。
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おぉ、 (ぶり)
2008-02-22 23:16:22
なんて素晴らしい先生の御社中。
良き師でいらっしゃる。
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よき師 (m-tamago)
2008-02-23 16:36:05
ぶりさん、こんにちは。
おほめの言葉ありがとうございます。
今日も”恥掻処”の短冊を改めて拝見してきました。今日は恥らしきものは掻かずにすみました。
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