週末の朝日新聞に、『どうぞのつくえ』という記事があった。
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教会前に「ご自由にお持ち帰りください」の貼り紙と共に置かれた
ご寄付された消費期限ぎりぎりのパンやタケノコ。
翌日になると、残っているタケノコの隣に、収穫したての新タマネギが置かれていた。
誰かが置いていってくれたようだ。
牧師さんがフェイスブックに写真入りで様子を投稿すると、
「まるで『どうぞのいす』だ」という反応がいくつも寄せられた。
巷ではマスクやトイレットペーパーの買い占めが続いたころ。
このテーブルの上ではささやかな品々が増えたり減ったり。
コロナ禍で人間同士は触れ合えなくても、モノを通してつながれる。
牧師さんは『どうぞのつくえ』と名付けて教会の活動として続けることにした。
そして、自分の手元にあった食品をテーブルに載せて呼びかけた。
店先にいるのはマスクをつけたクマのぬいぐるみだけ。
<誰かが助かりそうなものや喜びそうなものを一つか二つ、持ってきてください。
そして、欲しいものや要るものがある人は、どうぞ自由にお持ち帰りを>
すると日持ちする食料品が続々と寄せられ、手作りマスクや洗剤、
折り紙のアマビエなども置かれては消えた。
牧師さんは言う
「『どうぞ』と置く人がいて、『ありがとう』と受け取っていく人がいて。
バラバラで小さな善意と感謝の交換がなんとも人間らしくてうれしくて」
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こんな内容だった。
小さな思いやりの連鎖と、見守る優しい牧師さんの様子になんだかほっとした。
そして、久しぶりに『どうぞのいす』を改めて本棚からひっぱりだしてきた。
一つの椅子を舞台に思いやりが連鎖する絵本。
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うさぎさんが小さな椅子を作り、『どうぞのいす』という立て札と共に、
丘の大きな木の下に置きました。
最初にやってきたのはろばさん。
「なんて親切な椅子だろう」と拾ったドングリのかごを椅子に置いて、
しばし木の下でお昼寝。
そこへくまさんがやってきて、椅子の上のドングリをみて、
「これはごちそうさま。どうぞならばえんりょなくいただきましょう。」
どんぐりをみんな食べてしまいました。
「でも、からっぽにしてしまってはあとのひとにおきのどく。」
はちみつの瓶をかごにいれました。
そこへきつねさんがやってきて、はちみつをなめてしまいます。
「でも、からっぽにしてしまってはあとのひとにおきのどく。」
ということで、もっていたやきたてぱんを一本かごにいれていきます。
次に十匹のりすがやってきました。
栗拾い帰りのりすさんたちは、くりはひろいながら食べたけど、
パンは食べていないと、パンを食べてしまいます。
そしてくりをいっぱいかごにいれていきました。
そこでやっと長い昼寝から目覚めたろばさん。
かごをみてびっくり。
「どんぐりってくりのあかちゃんだったかしら。」
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この絵本はまだ2歳半の娘に私の母が贈ってくれた思い出の本で、
ほのぼのとした絵を眺めながら、久しぶりに幸せな気分になりました。
私は両親や友人からもらった本の最後のページに必ず日付と名前を記入しています。
2011.7.14 ばあばより という字から、
今は亡き母の元気だったころの姿が蘇ってきました。
私も自分のことだけでなく、「後の人はどうだろうか」の気持ちを忘れずに、
「どうぞ」と「ありがとう」の気持ちを忘れずに、
過ごさなければと思い返した出来事でした。
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