7月15日~9月24日まで東京国立近代美術館工芸展で開催されていた萩焼の造形美 人間国宝三輪壽雪の世界を見に行った。萩焼といえば、三輪休雪という名前は聞いていたが、これほどたくさんの萩焼を見たのは初めてだった。
萩焼の重要無形文化財保持者(人間国宝)三輪壽雪、96歳で今尚精力的に陶芸家として活動している。その初期から最新作までが飾られていた。
山口県萩の伝統ある三輪家に1910年、九代休雪(雪堂)の三男節夫(さだお)として生まれ、兄の邦廣=十代三輪休雪(のちの休和)に学び、45歳から“休”と号して作家活動を始め、1967年、57歳の時に十一代休雪を襲名、バリエーションに富んだ独創的な茶碗を発表した。1983年、73歳で兄に続き人間国宝に認定された。2003年に長男龍作(りょうさく)に休雪を譲って自らは“壽雪”と号した。
展示品は、修行と“休”時代、十一代休雪襲名時代、大器「鬼焼」創生時代、壽雪時代と4つの時代に分けられていた。それぞれの時代で作風が異なる。やはり芸術家は年を重ねて作品も変化していくものなのでしょうか。近年の鬼焼は抹茶茶碗としては使いずらそう、一般的な萩焼には見られない、小さなことは気にしないようなおおらかさと大胆さ、強さに溢れていました。年を取って侘びるのではなく、情熱的な作品を作る方なのだなあと思いました。所蔵先は山口県立萩美術館や山口銀行など地元の団体が多いが、半分以上が個人蔵で、萩焼がいかに一般に愛されているかがわかる。
土日には先着50名、壽雪作のお茶碗での呈茶もあり、私も期待して出かけたが、残念ながら既に予約が一杯だった。遠めで見たところ、温かみのあるふっくらと大きなお茶碗ばかりだった。
萩焼は山口県萩市一帯で焼かれる陶器。慶長9年に藩主毛利輝元の命で、文禄・慶長の役でつれてこられた朝鮮人の陶工、李勺光と李敬兄弟に城下に御用窯を築かせたのが始まりと言われる。兄の死後、弟李敬は“坂 高麗左衛門”に任ぜられ、その後は様々な作風が加わって多様化していき、萩焼が形成されていった。大きくわけると、坂高麗左衛門の坂窯、三輪休雪の三輪窯、林伴六(泥平)の3流派がある。
三輪窯は寛文5年(1665)に召抱えられた初代忠兵衛利定と四代が藩の御用焼物師として楽焼の習得の為に京都に派遣され、朝鮮風から和風化へ変化していく萩焼の画期的な存在となっている。十代と十一代休雪の時代には従来の白釉に温かみを吹き込んだ“休雪白”と呼ばれる釉薬も完成させた。
現在は、三輪休雪、坂田泥華、坂倉新兵衛、坂高麗左衛門、原陶兵衛などの作家の名が知られている。
萩焼の特徴は焼きあがりの土の柔らかさと吸水性。登り窯で、低温で長時間じっくりと焼くために土が焼きしまっておらず、保湿性がある。また、朝鮮式の蹴り轆轤が使われるために微妙なブレが生かされていて、土の配合や釉薬のかけ具合で様々な表情を見せる。 今回の展覧会も、萩焼と一言にいっても多様で、柄のないシンプルなものほど実は個性豊かなのかもしれないと思ったものでした。
よく“一楽二萩三唐津”と言われるように、萩焼は茶人好みの器として知られている。その理由は、“貫入”と“七化け”による。貫入とは、器の表面の釉薬がひび割れたようになる状態で、七化け(茶馴れともいう)とは、浸透性がある為に長年使い込むことで貫入に茶が染み込んで器の色が変化して行く様子をいう。これを茶人は味わうわけである。
私自身も萩焼のいい茶碗をひとつ買ったらと勧められたことがある。未だ実現していませんが、萩焼の優しい色合いや風情は大好きなので、いつか購入して自分好みの茶碗に仕立てていきたいと思っています。どのように化けていくのでしょうか。
既に萩焼をお持ちの方、いかがですか?
萩焼の重要無形文化財保持者(人間国宝)三輪壽雪、96歳で今尚精力的に陶芸家として活動している。その初期から最新作までが飾られていた。
山口県萩の伝統ある三輪家に1910年、九代休雪(雪堂)の三男節夫(さだお)として生まれ、兄の邦廣=十代三輪休雪(のちの休和)に学び、45歳から“休”と号して作家活動を始め、1967年、57歳の時に十一代休雪を襲名、バリエーションに富んだ独創的な茶碗を発表した。1983年、73歳で兄に続き人間国宝に認定された。2003年に長男龍作(りょうさく)に休雪を譲って自らは“壽雪”と号した。
展示品は、修行と“休”時代、十一代休雪襲名時代、大器「鬼焼」創生時代、壽雪時代と4つの時代に分けられていた。それぞれの時代で作風が異なる。やはり芸術家は年を重ねて作品も変化していくものなのでしょうか。近年の鬼焼は抹茶茶碗としては使いずらそう、一般的な萩焼には見られない、小さなことは気にしないようなおおらかさと大胆さ、強さに溢れていました。年を取って侘びるのではなく、情熱的な作品を作る方なのだなあと思いました。所蔵先は山口県立萩美術館や山口銀行など地元の団体が多いが、半分以上が個人蔵で、萩焼がいかに一般に愛されているかがわかる。
土日には先着50名、壽雪作のお茶碗での呈茶もあり、私も期待して出かけたが、残念ながら既に予約が一杯だった。遠めで見たところ、温かみのあるふっくらと大きなお茶碗ばかりだった。
萩焼は山口県萩市一帯で焼かれる陶器。慶長9年に藩主毛利輝元の命で、文禄・慶長の役でつれてこられた朝鮮人の陶工、李勺光と李敬兄弟に城下に御用窯を築かせたのが始まりと言われる。兄の死後、弟李敬は“坂 高麗左衛門”に任ぜられ、その後は様々な作風が加わって多様化していき、萩焼が形成されていった。大きくわけると、坂高麗左衛門の坂窯、三輪休雪の三輪窯、林伴六(泥平)の3流派がある。
三輪窯は寛文5年(1665)に召抱えられた初代忠兵衛利定と四代が藩の御用焼物師として楽焼の習得の為に京都に派遣され、朝鮮風から和風化へ変化していく萩焼の画期的な存在となっている。十代と十一代休雪の時代には従来の白釉に温かみを吹き込んだ“休雪白”と呼ばれる釉薬も完成させた。
現在は、三輪休雪、坂田泥華、坂倉新兵衛、坂高麗左衛門、原陶兵衛などの作家の名が知られている。
萩焼の特徴は焼きあがりの土の柔らかさと吸水性。登り窯で、低温で長時間じっくりと焼くために土が焼きしまっておらず、保湿性がある。また、朝鮮式の蹴り轆轤が使われるために微妙なブレが生かされていて、土の配合や釉薬のかけ具合で様々な表情を見せる。 今回の展覧会も、萩焼と一言にいっても多様で、柄のないシンプルなものほど実は個性豊かなのかもしれないと思ったものでした。
よく“一楽二萩三唐津”と言われるように、萩焼は茶人好みの器として知られている。その理由は、“貫入”と“七化け”による。貫入とは、器の表面の釉薬がひび割れたようになる状態で、七化け(茶馴れともいう)とは、浸透性がある為に長年使い込むことで貫入に茶が染み込んで器の色が変化して行く様子をいう。これを茶人は味わうわけである。
私自身も萩焼のいい茶碗をひとつ買ったらと勧められたことがある。未だ実現していませんが、萩焼の優しい色合いや風情は大好きなので、いつか購入して自分好みの茶碗に仕立てていきたいと思っています。どのように化けていくのでしょうか。
既に萩焼をお持ちの方、いかがですか?
今年の勅題「笑」のもので、えくぼがふたつついた、ぽってりした温かみのあるお茶碗です。
ちょっと大きめなのですが、手に持っても熱くなく、肌色に白のまだら模様になってていい感じですよ。
今日見ると少~しヒビに色に変化している気がします。写真とっておけばよかった!
萩焼は素敵ですが、扱いが面倒ですよね。初めに水につけて沸かしたり、乾きにくいし、水漏れの心配も。
不精な私には道具の扱いのいい勉強かもしれません。
旅好きのたまごさんも是非旅行ついでにお好みの萩焼を探してはどうでしょうか?
山口も名所いっぱいですよ~。
私は次は唐津に行って二つ目のお茶碗探したいと思っています。
一生手にすることはないので、わかりませんが、自分でお茶碗育てると、かわいいのかもしれませんが。
こちらも会期の早いうちに見てまいりました。わたしはチャチャさんのご意見にまったく同感で、茶碗のオブジェをたくさんひろげて見せられたような気がして、少々疲れました。戦国時代の武将に似合いそうな質実剛健を感じますけれども、これが萩焼きであるということにあらためて驚きます。
「鬼萩」を使う道具組みは、それはむつかしいでしょう。いわゆる「鑑賞陶器」でしょうか。むしろ、受付前のガラスケースに納められていた猪口類のほうに惹かれ、これなら毎日の晩酌に使いたいものだわ、と思いました。(ちなみにわたしは下戸ですけれども‥笑)
追伸: 先日わたしがご紹介しました「日本の美術・アジアの美術」とタイトルのブログは、わたしのものではありません。作者の郁さんは別人です。みなさん誤解されていらしたようなので、お知らせいたします。
萩焼のお茶碗をお持ちなのですね!
”笑み”の萩焼なんて、どう変化していくか益々楽しみですね。
私は萩焼でも真っ白なのより、土の色が透けてピンクっぽくなっているのが好きです。伝統工芸展でまさに桜色という萩焼を見た時はしばし凝視してしまいました。
確かに扱いには気を遣いそうですね。
山口に行ったら萩焼をもとめようと思っています。あのあたり、萩、津和野には行きたいとずっと思い続けているのですが。。。。
>私は次は唐津に行って二つ目のお茶碗探したいと思っています。
旅先で記念のお茶碗を求めるっていいですよね。二つ目を手に入れたらまた教えて下さい。
確かに壽雪の萩は男性的ですね。ぼってりとして、ごつごつした感じ。実際使うというより鑑賞用ですね。
私も鬼萩はどうも好きにはなれず、やっぱり繊細で優しく温かみのある女性らしい萩焼に心惹かれます。
私は会期もギリギリになって出かけ、萩焼についてある程度調べてからなんて思っていたらこんなに遅いアップになってしまいました。
萩焼も時代により、作家により、様々に変化してきたことがわかりますね。
>受付前のガラスケースに納められていた猪口類のほうに惹かれ、これなら毎日の晩酌に使いたいものだわ、と思いました。(ちなみにわたしは下戸ですけれども‥笑)
確かにお猪口は雪が降り積もったようにかわいらしく、使えそうでしたね。
>「日本の美術・アジアの美術」とタイトルのブログは、わたしのものではありません。
すっかり、雪月花さんが名前を変えて書かれているのかと思っていました。お知らせ下さってありがとうございました。
郁さんにはお詫びいたします。また改めてうかがわせて頂きます。