*村ちゃんの古城跡散策!

村ちゃんの城跡写真の紹介!

*村ちゃんの歴史街道!     *一宮市編!     *美濃街道!     *駒塚道!

2017-08-03 | Weblog

   

駒塚追分・碑      駒塚追分道碑

 

 

右・美濃街道・左・駒塚道  

住所=一宮市富田立石字774-1

*駒塚道は、「左駒塚道」と刻む慶応3年(18567)の大きな「道標」がありある。

  尾張藩家老「石河佐渡守」の、在所だった駒塚村(現在の岐阜県羽島市駒塚)より、

  名古屋へ参勤のため開かれたのが「駒塚道」である。

*駒塚道は美濃駒塚領主・石河(いしこ)正章が享保11年(1726)自領から名古屋への、

  参勤の為に「駒塚渡し」とともに開設した街道で、美濃路の脇往還で、  

  大垣城下へ続く「竹鼻街道」と接する。

*追記!

*村ちゃんの妻の「パステル和」アート作品!

  


*村ちゃんの歴史街道!     *一宮市編!     *美濃街道!     *聖徳寺跡!

2017-08-03 | Weblog

    

聖徳寺跡          跡公園

 

     

跡地        碑

 

     

跡説明碑       説明板

*聖徳寺跡! 

*住所=一宮市富田大堀字414

*聖徳寺は、はじめ尾張国葉栗郡(のち美濃国葉栗郡)大浦郷(岐阜県羽島市)にあり、

 洪水や戦火で移転を繰り返したと言います。

 寺伝などによると、のち尾張国中島郡苅安賀(一宮市)へ、再び大浦に戻り、

 その後ここ中島郡富田へ移りました。

 聖徳寺は、戦国時代の永正年間(1504~1521)にこの地に移ったと言います。

 天文年間(1523~1555・天文18年と21年と22年の3説)に、

 尾張の「織田信長」と美濃の「斉藤道三」が会見した寺として知られています。

 道三は、信長に娘の帰蝶(きちょう・濃姫)を嫁がせせており、

 信長が(大うつけ)かを確かめるために会見を申し入れました。

 信長は、うわさ通りの「うつけ者」の姿で聖徳寺に現れましたが、

 正装に改めて会見に臨みました。道三はこの会見で信長の力量を知り、

 ふたりの同盟は確かなものになりました。

 信長にとって、歴史の表舞台へ出るきっかけとなった大きな出来事だったと言えます。

 また、後年には「豊臣秀吉」の「加賀野井城」や「竹鼻城攻め」の本陣にもなりました。

 その後、美濃国葉栗郡三屋(岐阜県笠松町)、尾張国春日井郡清須(清須市)を、

 転々とし、更に名古屋の東寺町(のち東門前町)から松本町(のち富沢町・中区錦)へと、

 移転し、現在は守山区白山の七宝山・聖徳寺と、天白区八事山の八事山・聖徳寺の、

 2ヶ所に分かれています。

*追記!

*村ちゃんの妻の「パステル和」アート作品!

 

  


*村ちゃんの歴史街道!     *一宮市編!     *美濃街道!     *富田一里塚!

2017-08-02 | Weblog

   

富田一里塚(西側)  一里塚(東側・倒壊)

 

  

一里塚碑     一里塚・碑

*美濃街道! 

*住所=一宮市富田字立石778

*一里塚は、道路の両脇に一里(約4キロ)ごとの目印として木を植えた塚をいいます。

  この起源は中国の魏の時代ありましたが、日本では「織田信長」や「豊臣秀吉」が、

  一里塚を築いた記録あり、制度して確立させたのは江戸幕府です。

*一里塚は、一般に京に向かって左側を「左塚」、右側を「右塚」というが、

  地元では方角をつけて「西塚」・「東塚」と呼んでいる。

*富田一里塚東側(台風により・倒壊)

*追記!

*村ちゃんの妻の「パステル和」アート作品!


*村ちゃんの歴史街道!     *一宮市編!     *美濃街道!     孝子・佐吾平由来!

2017-08-01 | Weblog

      

佐五平受難場所     佐五平公園碑

 

    

佐五平公園内    受難碑

 

    

佐五平受難碑   説明板

*孝子・佐吾平受難の碑(由来)!(説明板)

*美濃街道! 

*住所=一宮市萩原町新田橋上南14-2付近

*天保年間に江戸参勤のため、萩原宿近くを通りかかった「明石藩主・松平斉宣」の、

 行列の前を、暴れ馬を取り押さえようと横切った萩原宿の馬方、「佐吾平」を

 先駆の武士が無礼打にした。

 佐五平は、吉藤村風張に生まれ家は貧しかったが、盲目の老母によく仕え、

 孝子の誉れが高かった村人は「佐五平」の死をいたみ、この地に小祠を建て、

 後世に伝えた。

*追記!

*村ちゃんの妻の「パステル和」アート作品!

 


*村ちゃんの歴史街道!     *一宮市編!     *美濃街道!     *市川房枝・生家!

2017-08-01 | Weblog

     

*市川房枝生家!    生家説明板   

*美濃街道! 

*一宮市明地字新田橋上南30-2付近

*大正・昭和の婦人運動家で知られる「市川房枝」は、明治26年(1893)五月十五日生まれ。

  父・藤九郎と母(たつ)の三女として、中島郡明地村藤吉のこの地で生まれる。

  昭和二十八年(1953)に第三回参議院議員に初当選し、通算四期務めた。

  昭和五十五年(1980)の第十二回参議院選挙では、全国区一位当選したが、

  翌年五十六年(1981)二月十一日に、八十七才で没した。

*追記!

*村ちゃんの妻の「パステル和」アート作品!

 


*村ちゃんの歴史街道!     *一宮市編!     *美濃街道!     *正瑞寺!

2017-08-01 | Weblog

    

美濃路・正瑞寺前    正瑞寺碑

 

   

正瑞寺      本堂  

*美濃街道! 

*住所=一宮市萩原町萩原字下町14-1

*美濃街道は萩原宿内を西に進み、「正瑞寺」の前で右折れしばらく進み、

 道が細くなる手前で左に折れる。

 こうして萩原宿を過ぎて往還は「萩原川・萩原古川(現・日光川)」に架かる橋を渡り、

 「吉藤村」に入り北へと向う。

*正瑞寺は、高札場のあったところにある。 元は天台宗のお寺でしたが、

 蓮如上人巡行の際に、浄土真宗に改宗したお寺です。

 このお寺の当主は「小笠原氏」げ、応仁の乱の時、美濃からこの地に逃れきた、

 小笠原兄弟にかかわりがあるとされる。 この地の旧家には「小笠原姓」が多いと聞く。

*追記!

*村ちゃんの妻の「パステル和」アート作品!

 


*村ちゃんの歴史街道!     *一宮市編!     *美濃街道!     *萩原宿!

2017-08-01 | Weblog

    

美濃路萩原宿      美濃路

 

     

萩原宿          問屋跡碑

 

  

問屋跡碑       問屋跡碑

*萩原宿! *美濃街道! 

*住所=一宮市萩原町萩原下町

*萩原宿は、徳川家康の江戸幕府の体制成るとともに、東海道や中山道などの五街道を作った。

  美濃路萩原宿上の問屋には、人足25人、馬25頭が常備されていた。

*現在の一宮市萩原町は宿場としての建物は少なく、商店街になっつている。

  商店街は昭和30~40年代の「レトロ」な感じがある、

  毎年5月には萩原宿(チンドン祭り)が行われている。

*歌手の「舟木一夫・高校三年生」は、ここ萩原町の出身(1944生)である。

 *追記!

*村ちゃんの妻の「パステル和」アート作品!

 


*村ちゃんの歴史街道!     *一宮市編!     *美濃街道!     *高木神社!

2017-08-01 | Weblog

       

美濃路              高木神社前

 

  

(美濃街道)   (高木神社)

*高木神社! *美濃街道! 

*住所=一宮市萩原町高木字蟹子

*高木神社は、一宮市萩原町高木字蟹子に所在する。

創建年代などの由緒や祭神は不詳である。

「寛文村々覚書」には、高木村にある八剱宮が2社あると記載されていて、

本社はこのどちらかに該当する可能性がある。

*追記!

*村ちゃんの妻の「パステル和」アート作品!