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2017-08-08 | Weblog

    

御召屋形船内部    説明板

 

御召屋形船内部

*起渡し場には、常時3隻の定期船のほか、鵜飼船17隻・馬船14隻がおかれ、

  20人の船頭がいて「尾張藩」より扶持米が与えられていました。

  渡し場は藩の御舟手奉行のもとに「船庄屋」と「船方肝煎」がいました。

  藩との関係の深い通行者には、船2隻の上に屋形を組み、「御召船」としました。

  内部は畳3枚分の広さです。 大名などが船に乗り降りのさいには、

  船が揺れないように「船押人足」が、川中から背中で船を両面を押さえました。

     

船橋架け        船橋架け

 

       

船橋        船橋                                                 

*船橋、将軍・朝鮮通信使・八代将軍「徳川吉宗の生母」の通行にさいして、

  船橋を架けました。 長さ855mという日本最大の船はしです。

  木曽川の起に架けられた「船橋」は、全長855m前後、船数270艘を越える、

  日本最大の船橋で、当時は「起川船橋」と呼ばれた。

  宝暦14年(1764)の朝鮮通信使の来朝を最後に、架けられる事はなくなったものの、

  「尾張名所図会」は、起川船橋を「海道第一の壮観」と称し、又、

  朝鮮通信使の一行も、舟橋の壮大さを記録に残している。

  ( 説明板=一宮市起堤町168-1)

(起渡船場跡・船橋跡・説明板) 

昭和四42年8月28日指定(一宮教育委員会)より。

 

 


*村ちゃんの歴史街道!     *一宮市編!     *美濃街道!     *起渡船場・船橋跡碑!

2017-08-08 | Weblog

    

船橋架け跡地     船橋架け跡碑

 

   

架け跡碑     架け橋跡説明板    

 

    

船橋架け全景     船橋

 

   

船橋       船橋

*起渡船場跡(下)・船橋跡・碑! 

*住所=一宮市起字堤町168

*船橋は、船を並べて繋ぎ止め、その上に板などを渡した橋である。

  美濃街道(美濃路)では、木曽川・境川・長良川・揖斐川の渡船場に、

  「将軍・朝鮮通信使」といった特別な通行のためのみ、「船橋」が架けられました。

  将軍・朝鮮通信使・八代将軍吉宗の「生母」の通行にさいしては、橋船をかけました。

  長さ855mという日本最大の「船橋」です。

  延享5年(1748)朝鮮通信使通行のおりには延べ7578人の人足、

  大小277隻の船を近郷の村々から集めて架設と撤去の作業をしました。

  この年5月16日の一行の帰路通過後、7月4日に撤去を終り、

  約4ヶ月半余の日数をかけました。