会社帰りは、今までと変わらず毎日義母のところへ行き、今週からは一緒に夕ご飯を食べてます。
義母のところへ寄るのは慣れてることで、ご飯作りもあまり苦ではないけど、何より今までと違うのは
義父がいないこと。
仮の祭壇に手を合わせ、ああ、やっぱり義父はいないんだなと、思う日々。
あれだけ義母を困らせて、手を取らせて、時には義母に怒られて、それでも義母がそばにいないと
ダメな義父だから、もっともっと長生きするものだと思い込んでたけど、あっけなく旅立ってしまいました。
義母のところからうちへ帰る道すがら、ふと泣けてくることがあります。
今までは、どうしたら義母の負担を軽くすることが出来るかと、義母のことを考えながら流す涙とは
明かに違ってて、今はただただ悲しくて、誰かがいなくなるのはやっぱり寂しいことなんだと
あらためて思います。
葬儀の後、義母や親戚のおばあちゃんたちが口々に言った「まぁ、人は一度は死なんといけんからな」とか
「骨になったらもうおしまいじゃ」という言葉が、深く心の中に染み入りました。
それでも、これを聞いて不思議と絶望感はなくて、自分もいつかは消えゆく身なんだと再確認。
これからは、この悲しみとともに、義父のいない世界で暮らしていく。
あ、そういえば。
始めたことがひとつ。
離れて暮らす子どもらに、義母のことや地域の行事がわかるように、カレンダーが共有できるアプリをDL。
子どもらにもLINEで招待し使ってます。
義母のところへ寄るのは慣れてることで、ご飯作りもあまり苦ではないけど、何より今までと違うのは
義父がいないこと。
仮の祭壇に手を合わせ、ああ、やっぱり義父はいないんだなと、思う日々。
あれだけ義母を困らせて、手を取らせて、時には義母に怒られて、それでも義母がそばにいないと
ダメな義父だから、もっともっと長生きするものだと思い込んでたけど、あっけなく旅立ってしまいました。
義母のところからうちへ帰る道すがら、ふと泣けてくることがあります。
今までは、どうしたら義母の負担を軽くすることが出来るかと、義母のことを考えながら流す涙とは
明かに違ってて、今はただただ悲しくて、誰かがいなくなるのはやっぱり寂しいことなんだと
あらためて思います。
葬儀の後、義母や親戚のおばあちゃんたちが口々に言った「まぁ、人は一度は死なんといけんからな」とか
「骨になったらもうおしまいじゃ」という言葉が、深く心の中に染み入りました。
それでも、これを聞いて不思議と絶望感はなくて、自分もいつかは消えゆく身なんだと再確認。
これからは、この悲しみとともに、義父のいない世界で暮らしていく。
あ、そういえば。
始めたことがひとつ。
離れて暮らす子どもらに、義母のことや地域の行事がわかるように、カレンダーが共有できるアプリをDL。
子どもらにもLINEで招待し使ってます。
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