2016年は、どんな年になるんでしょう?
モスクワ・マヨルカ焼 蓋物 天地20センチ
guardian monkey with tropical fruits
今年もよろしくお願いいたします。
(※写真の色がちょっと暗かったですかね)
2016年は、どんな年になるんでしょう?
モスクワ・マヨルカ焼 蓋物 天地20センチ
guardian monkey with tropical fruits
今年もよろしくお願いいたします。
(※写真の色がちょっと暗かったですかね)
放浪芸人と熊
モスクワのマヨルカ焼・飾り皿 直径25センチ
2013年9月号『ユリイカ』のクマ特集で、畑中章宏さんが、
沿海州から西シベリアにかけての森林地帯に棲む狩猟民たちの間には伝説があって、
「昔、クマはもと人間であり、人間はクマの姿であった。
あるときお互いに約束をして着物を取り替えたが、人間はそのまま着物を返さずにいる。
だからクマは森の奥にある家にいるときは、毛皮を脱いで人間の姿をしているのだ」
と紹介していて、オモロ~でした。
↑の絵柄で地面が波打っているのは、悪名高いロシアの泥道ですね、きっと。
日本で、クマを連れてる放浪芸人は……、見ませんね。
昔から熊の胆(クマノイ)は高価な薬です。
アッシの田舎では、農協がつくる豚胆(ブタギモ)で代用してました。
苦いけど、少量で疲れた胃に効くんです。
そういえば、中国のどこだかにクマ農場があって、
檻に監禁されたクマ達から胆汁を採っているというのを何かで読んだことがあります。
オソロシイ、オゾマシイです。
洗練されたガラス細工
7月22日14時30分、多治見で39.4度!!
東京も37度でしたか。
ロシアのガラス細工は、繊細でオシャレ。
delicate で fragile で sophisticated
ここで elaborate を使うのは適切なんだろ~か。
ま、ともかく、ひらひらのヒレが優美です。
チェルノブイリ原発事故から、まもなく28年。
プリピャチ・チェルノブイリ (Припять-Чернобыль ‘86)
200×300ミリ 厚紙に水彩+墨
夜中に事故のあった朝のプリピャチ川を描いた水彩画。
いつものように静かで、こどもたちは公園でサッカーをして遊んでいたといいます。
「チェルノブイリ」の役人や学者や医師たちは、「ヒロシマ・ナガサキ」を参照基準にし、
「フクシマ」は「チェルノブイリ」を基準にして、
「放射線のせいじゃない」、「シンパイイラナイ」という。
放射線が「見えない」、「感じられない」からって、「無いこと」にはできないです。
日本に逃げ場はなく、皆が「ゾーン」暮らしになること、わかってるんですよね。
ラッキーな双頭馬
lucky double-headed horse
★★★★
equine amphibious
ロシアの土人形 左右145ミリ
形は可愛いですけど、
反対向きの双頭だと、互いに前進するのはムズカシイですね。
拮抗して動けないか、横に行ってみるか。
ヒトがマシンと違うのは、
どちらかに決めずに、保留したまま進むことができる点なんだそ~です。
いいような、わるいような。
「記憶の不動産」
モスクワから120キロほどの村の午後4時頃の雪景色。人影もなく静寂。
開高健が、テレビ番組だったか何かのインタビューで
「頭のうしろに轟々と流れるモンゴルの(だったか?)川がある。
記憶の不動産がいっぱいある。
土地や建物持っとらんでも、いつでも思い出せる景色をたくさん持つことや」
みたいなことを言っていたのが残っています。
自ら出向き、深く関わることで得られる不動産ですね。
東京は快晴の大晦日、これからお墓参りに。
スパイシーな温赤ワインか、
リッチな黒生ビールで。
ガラス製 直径12センチ
アーチャンからの今年のクリスマス・プレゼントの1つ。
可愛いです!! ほのぼのです。
冬至は無事に過ぎましたが、本格的な寒さはこれからです。
ズボンをはいた猫のイワン君
【кот иван】 Юля 水彩 274×385ミリ(※少しコントラスト上げてマス。ジツブツはもっとマット)
1990年代半ばに支援していたモスクワの私立小中学校では美術教育が盛んでした。
アッシは、ユーリアちゃんが描く絵がどれも好きで(こういう絵は、大人が真似できません)、
この絵は貰ってきました。
蝶は飛んでいるし、端で半分隠れてますが、虫もいます。
кот(コット)は、ロシア語で「雄猫」
кошка(コーシカ)は、「雌猫」および猫一般
昔、新宿西口の裏路地を上がったところに「コーシカ」という酒場があって、
一度だけ行ったような、結局行かなかったような……、記憶が曖昧。
愛想の無い年輩のロシア人女性がカウンターの中にいたような、いなかったような。
「私の母」だし、「作家Bの父親」でしょう……。
ロシアの土人形 高さ18センチ
なんか、ヘンな感じなんですよ。
先日、NHKの番組で、出演者×××さんが、「僕の父親」と言い、
ナレーションが、「×××さんの父は……」と言っていたのを聞いて、違和感が残り。
ここ数年、インタビューなどで、「(私の)母が……」ではなく「(私の)母親が……」と、
自分の親を「母親」「父親」と呼ぶ人が多いな……と感じてはいたのですが、
「NHKまでが……」と、その普及・混乱ぶりに唖然。
これまで、「私の母」、「私たちの(両)親、うちの親たち」
「〇〇ちゃんのママ」、「××君のお母さん」、「△△課長のお父様」
「少女Aの母親」、「容疑者の父親」ってなふうに、使ってきたように思います。
「私の母親」「僕の父親」って言うようになったのはいつ頃からなんでしょう。
「母親」は、関係性、親としての立場を強調して一般化した言葉。
「母」「父」だと、ベッタリ貼りついてるようで重いんですかね。
生みの母(biological mother:生物学的母)であることより、
世話をし、育て、扶養し保護してくれる親としての「役割」「機能」を評価・強調する。
あるいは、「母親」と呼ぶことで、少し距離をおきたい、
「客観性」を獲得したい、ってことですか?
親子の距離のとり方の混乱が、言葉使いに反映してるってことでしょうか。
「ずっと一緒にいてくれる?」 「それは……、ワカンナイ」
布や糸や紙や棒でできたカップル人形
男子の身長26センチ
結婚するんですかね、この2人。
女子の袖丈が手が出ないほど長いのは、
「貴女に家事なんかさせないよ」という男子の覚悟らしいッス。
井上陽水の FUN の歌詞に、
♪……君が悪いのさ今日は、ひとりで恋なんかして~♪
ってありますね。
Курочка ряба и золотое яйцо
ほぼ原寸 gardner porcelain factory russia
おじいさんとおばあさんが飼ってるめんどりのリャーバが、金の卵を産みました。
卵は固くて割れず、老夫婦はがっかり。
その様子を見たリャーバ、
「おじいさん、おばあさん、明日から普通の卵を産みますね」
と、2人を安心させました。
市場がなかった昔の話です。
食べ物が無いときや、食べ物と交換できなければ金の卵は役に立ちません。
グローバリズム&市場主義が行き過ぎると、
近い将来、生卵や新鮮な野菜にアクセスできなくなりそうで、
へなちょこ消費者のアッシは、暗~い気持になります。
ウズベキスタンのバーボチカ絵皿
だいたい左右140ミリ
ウズベキスタンの土産物店や露店で山ほど売られているポピュラーな蝶形皿。
全部柄が違うので、何枚も欲しくなりますが……ダメダメ。
蝶って、舞ってるときは、もう寿命のラスト・ステージですよね。
重さもほとんど無い。
たくさんの蝶が舞う光景は幻想的だけど、なんかザワザワします。
ヒトへの【バタフライ効果】でしょうか。
この笑顔、「マ、イイカ」な気分になれます。
ロシア陶製 ほぼ原寸
屈託のないこの笑顔。
動きも小刻みですし、
小型・中型の鳥の表情から、「悲しみ」は読みにくいですかね。
ときどき大型鳥は、憂いに満ちた哲学顔をします。
肉魚を喰らうからですかね。
【ハシビロコウ】なんて、捕食して命をつなぐpredator の「悲しみ」そのものスネ。
жёлтый игрок
キャンバスに油絵具 50センチ×60センチ 1991年
1990年代半ばの年末のモスクワの広場、雪が降りしきるなかでゲット。
額縁に積もっていた雪を払って持ち帰りました。
「家族に新年の贈物をするので、急いで換金したい」とは、売り手の若者。
友人の作品らしい。
サインが、Х.М.А……読メナイ。
確認しておけばよかった。
タイトルを見てなかったので、第一印象は【赤い絵】だったんですが、
「黄色」フィーチャーだったんだ。
テーブルは太鼓のようにも、カードはお菓子みたいに見えますし。
ただただ、エキセントリックな表情だけの絵ですが、奇妙に惹かれて。
ドストエフスキーの『賭博者』はルーレットだし、
25歳の主人公は絶望的な恋もしている。
プロコフィエフがオペラ作曲してるんですね。
濃厚生ビールの幸せ
磁器製リキュール・ボトル 高さ24センチ
暮れの掃除を後回しにして、K-Ballet 『くるみ割り人形』@赤坂ACTへ。
【雪の精たち】の群舞、ステージに雪が舞い、まるでスノードーム。
K-Ballet のステージ、
踊りはもちろん、舞台装置も衣装も素晴らしいです。
まだ暗くなっていなかったので、
地下階のデリリウムカフェでデリリウム・ノクトルムを……、美味~!
3杯くらい飲めば、【ピンクの象】が見えるかもしれませんが、1杯で帰ることにしました。
※帽子のクラウン部分が栓になっているリキュール・ボトル。
ARを上下に配した銘が打ってありますが特定できず、勲章らしきリボンも不明。
よき家庭人の一方で、職務では残酷なこともできそーな顔ッスネ。