カエサルの世界

今年(2019年)1月中旬から「休載中」ということになっているのだけど、まあ、ときどき更新しています。

・ミッフィーと歩いた60年

2015年12月19日 | ☆読書とか    

 森本俊司さんの『ディック・ブルーナ ミッフィーと歩いた60年』という本を読みました。
 カエサルは、この3年間、ひたすら青空文庫を読み続けています。
 有料の本は、今年の2月に 円城塔『Self-Reference ENGINE』・松崎有理『あがり』を購入して以来だし、紙の本となると、2013年の1月くらいまで遡らなくちゃいけないんじゃないかと思います。
 しかも、この本は、本屋さんに取り寄せを依頼して購入したのですよ。注文したのが12月6日で、入荷したのが16日でした。時代の流れをひしひしと感じる出来事でもありました。


 まずは、「ミッフィー」の話からいきましょう。
 カエサルは、「ミッフィー」と「キティちゃん」の違いがよくわからないような人です。ついでに言っちゃうと、「ミッフィー」と「ミルフィーユ」の違いもよくわかっていませんでした。
 「キティちゃん」というのは、日本のサンリオという会社がデザインしたキャラクターグッズ用のキャラクターなんだそうです。キャラクターとして開発されたのが1974年、最初のグッズが販売されたのが1975年ということなので、40年以上の歴史があるということになります。
 「ミッフィー」というのは、オランダで出版され、30冊以上のシリーズになっている絵本の主人公です。最初の絵本が出版されたのが1955年ということなので、今年、60周年ということになります。カエサルよりも年上なんですね。ちょっとびっくりしました。
 「ミッフィー」の本来の名前は「ナインチェ」というんですが、イギリスでの翻訳本で「ミッフィー」という名前が使われたんだそうです。
 日本では「うさこちゃん」という名前です。最初の訳者である石井桃子さんの命名ということになります。今でも、絵本では「うさこちゃん」です。
 でも、出版社が変わっていた時期があって、そのときの絵本は「ミッフィー」だったんだそうです。現在、そうした絵本は絶版になっていると思うんですけど、グッズのキャラクターなどとして使われるときは「ミッフィー」と呼ばれるみたいです。
 ちなみに、「ミルフィーユ」というのは、フランスのお菓子の名前なんだそうです。「千の葉」という意味があって、薄切りした肉を重ねた料理なんかも「ミルフィーユ」と呼ばれたりするそうです。
 カエサルは、八木山動物公園の森の食堂で「ミルフィーユカツカレー」というのを食べたことがありますが、さんざん待たされて・・・と、そういう話はいらない? こりゃまた失礼しました。


 「ミッフィー」の作者が、ディック・ブルーナさんです。1927年生まれ。今年、88歳ということになります。ご健在です。
 『ディック・ブルーナ ミッフィーと歩いた60年』という本は、ブルーナさんの評伝ということになります。
 著者は、森本俊司さん。朝日新聞の編集委員をされている方ですが、カエサルの大学時代の友人でもあります。別件でメールをもらったときに、この本のことも教えてもらいました。
 そのときに、Amazonで買うこともできるんだけど、できれば、本屋に発注して欲しいという話をされたんですよ。そうすることで、書店や取次店などに出版社の名前を覚えてもらえるんだそうです。「ブルーシープ社」というんですけど、できたてほやほやの出版社のようです。
 正直なところ面倒臭いと思ったんですけど、同時に、面白いとも思いました。その翌日、12月6日に本屋に行って取り寄せを依頼してきました。
 入荷したという連絡があったのは、12月16日です。発注してから10日かかったということになります。この時代に、なかなかすごい体験をしちゃったという感じです。


 さっそく読んでみました。図版がたくさんあるし、本文とは別にコラムというのもあるし、ミッフィーのことをよく知らない人が読んでもスンナリと入っていけるような構成になっています。
 ブルーナさんは1927年(昭和2年)にオランダで生まれました。裕福な家に生まれ育ったんですけど、その青春時代は第二次世界大戦のまっただ中ということになります。オランダ本国はドイツ(ナチスドイツ)に占領され、植民地であったインドネシアは日本(大日本帝国)に奪われます。
 「ミッフィー」の本を読んで、戦争の話が始まるとは思ってもみなかったので、かなり強烈でした。
 終戦のとき、ブルーナさんは18歳。高校の卒業試験を拒否して、中退します。実業家である父親との確執と言ってよいと思います。
 だからと言って、父親を拒否してしまうというわけではなく、拒否されてしまうというのでもなく、父親の庇護の下にグラフィックデザイナーとしての道を歩み始め、成功を収めるということになります。そして、絵本作家としてもデビューすることになります。


 絵本作家になるまでの話、なってからの話は、ある意味、トントン拍子だと言ってもいいと思います。カエサルは、そのように感じました。
 これは、ブルーナさん自身が自分の苦労や苦悩を語らなかったからであろうし、森本さんがその手の話を誇張しようとしたりはしなかったからということになると思います。
 正岡容さんの『小説 圓朝』を読むと、円朝さんがいかにして苦難に耐え困難を乗り越えてきたかという話がてんこ盛りなんだけど、森本さんには、そういうドラマを演出しようという姿勢は微塵も感じられません。まあ、正岡さんのは小説だし、森本さんのは評伝ですから、当然なんですけどね。
 その分、芸術論というか美術論みたいな要素はかなり濃いと思います。でも、高尚で難解な方向に行ってしまうのではなく、シロートにもわかりやすく書かれています。けっこう難しい話もあるんだけど、カエサルなりに納得することができました。


 誰かについて、あるいは、何かについて、ただ客観的に書こうとするのであれば、無味乾燥で、つまらない文章にしかなりません。もちろん、そういう文章が必要な場合はあるのですが、書こうとする対象の魅力が伝わってくるということはありません。
 誰かについて、何かについて書き、その魅力を伝えようとするならば、主観的に書かねばならないのだと思います。「私からはこう見える」「僕はこう感じた」ということです。
 こうした場合、「私からはこう見える」というときの「私」、「僕はこう感じた」というときの「僕」、つまり、「視点」をハッキリさせておく必要があると思います。
 そうした視点の提示がなければ、ただの個人的な感想ということになってしまうか、あるいは、上から目線の嫌みな文章になってしまいます。
 自分が、どのようなものの見方をし、どのような考え方をする人間であるのかを提示しながら、対象について語っていく。
 森本さんの文章は、そうしたところが実に上手いと思います。


 読了して、何が印象に残ったかと言うと、何と言っても「うさこちゃん」です。グッズのキャラクターとしての「ミッフィー」ではなく、絵本の主人公である「うさこちゃん」ですね。
 この本では、ブルーナさんのことを語るとき、美術論に言及するとき、再三にわたって「うさこちゃん」が引用されます。「うさこちゃん」の話のダイジェストが載っているというわけではないのだけど、そのあらましがわかるし、その魅力がビシビシと伝わってきます。
 「ミッフィー」には興味がない、「うさこちゃん」のことなんてまったく知らないという人が読んでも十分に楽しめる本になっていると思います。
 森本俊司『ディック・ブルーナ ミッフィーと歩いた60年』ブルーシープ社、1,944円です。本屋さんに取り寄せを頼んでみてはどうでしょうか。


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