カエサルの世界

今年(2019年)1月中旬から「休載中」ということになっているのだけど、まあ、ときどき更新しています。

●貴族趣味

2016年06月27日 | ☆その他いろいろ 

 今回は、「貴族趣味」ということについて考えてみたいと思います。
 ここでいう「貴族」とは、お金持ちであるとか、社会的地位が高いとか、まあ、そういう人のことだと思ってもらえばよいわけですけど、もっと広く、かつ曖昧に考えてもらった方がいいと思います。親とか上司とか先輩とかも「貴族」です。
 そこで「貴族趣味」ということになるわけですが、とりあえず、「貴族じゃない人が貴族の真似をすること」だとしておきます。
 貴族じゃないけど貴族になろうとしている人が貴族の真似をするというのも「貴族趣味」だとは思うのですが、貴族になるつもりのない人も貴族の真似をするということがあります。カエサルとしては、後者の方を「貴族趣味」と呼びたいと思っています。


 話がややこしくなってきました。言いたいことと書いていることがズレているという気もします。ちょっと具体的に考えてみましょう。
 グルメで、お金持ちで、高級な料理ばかり食べる人がいます。貴族です。
 グルメなんだけど、お金がないので、生活をやりくりして、高級料理を食べている人がいます。こういうのは「趣味」ですね。
 グルメじゃないし、お金もないのだけど、高級料理を食べるような人っていうのが「貴族趣味」だと思うんですよ。
 本当に好きなものがあって、そのためにお金や時間を使ってしまうというのは、まあ、あたりまえのことだと思います。「趣味」というのはそういうものだと思います。
 でも、特に好きだというわけでもないのに、そのためにお金や時間を使うというのはバカらしいです。そういうのが、カエサルの言うところの「貴族趣味」ということになります。


 世の中には「おつきあい」というものがあります。あるいは、「見栄」というものがあります。
 グルメじゃないんだけど、おつきあいで、高級料理を食べなければならないような場合もあります。それが美味しいということを口にしなければならない場合もあります。それはそれでしかたがないと思うのです。ただし、本人がそのことを自覚していれば、です。
 自覚していないと、かなり滑稽です。グルメ漫画にはそういう人が登場して、聞きかじりのウンチクを語って、主人公にギャフンとやられちゃったりします。実生活では、漫画の主人公のような人が登場することはないので平穏無事にすごすことができるでしょうが、お金や時間を無駄にしているということに変わりはありません。
 お話がグルメのことばかりになってしまったけど、ありとあらゆる分野に同じようなことが言えると思うのです。
 カエサルが、この世の中で最も信じられないのが、宝石や貴金属の存在です。たしかにキレイなものはキレイだけど、何の役に立つわけでもありません。そういうものが好きだという人は「趣味」なんだからしかたないけど、特に好きだというわけでもなく、お金もないような人が無理して買ったりするのはくだらないと思うのです。そういうのが、カエサルの言うところの「貴族趣味」です。
 小説を読んだり、音楽を聴いたりするようなときにも「貴族趣味」はつきまといます。この場合、評論家の先生とかが貴族になるでしょうか。あるいは、周囲の人たちっていうのが貴族でしょうかね。みんなが面白いと言っている映画をつまらないと言うのは勇気が要ります。黙っているのが賢いでしょうし、自分も面白いと思ってしまえば楽になります。


 価値観の問題である・・・という言い方をすることもできます。
 それが貴族であれ、何であれ、「他人の価値観」であることに変わりはありません。法律、上司からの命令、理不尽な暴力などのように、従わざるを得ない「他人の価値観」はあります。でも、従う必要のない「他人の価値観」に唯々諾々と従っているという場合があると思います。
 そうしたものを「貴族趣味」と呼ぶのであれば、「貴族趣味」との戦いは至難を極めることになります。なにしろ、「自分自身の価値観」を形成しなければなりません。
 貴族が美味しいと思うものを市民が美味しいと思う必要はないわけです。それは、インド人が美味しいと思うものを中国人が美味しいと思う必要はないというのと同じことです。
 社会的な立場としては、貴族は高貴で市民は卑賤ということになるかもしれません。しかし、趣味は趣味。貴族の趣味は高貴で、市民の趣味は卑賤だというわけではありません。


 お話がズンズンとまとまらなくなってきました。
 ここで書いたような「貴族趣味」ということを考えるようになって1ヶ月くらい経つのです。ときおり、あれこれと考えてみるのだけど、考えがまとまったというようなわけではありません。
 そういう段階で文章にしちゃえばまとまらないのはあたりまえですが、でも、どれくらいまとまっていないのかがわかってくることになります。
 そういうのを見てみたかったんですね。


 ところで、今回の記事の画像は何なのかと言うと、タバコです。カエサルが愛飲している「echo」です。5年前くらい前からコレにしたのだけど、最初の頃は「恥ずかしい」という気持ちがありました。安いからです。そういう気持ちが「貴族趣味」なんですね。
 このechoは、数日前に見つけました。写真をよく見てもらうとわかるのだけど、消費期限は「H25. 8」です。封を切ってみると、フィルターなどが茶色っぽくなっていました。それでも、吸えないわけではありません。味もちょっとおかしいのだけど、吸えないわけではありません。
 「貴族趣味」っていうのはちょっと問題なんじゃないかと思っているのだけど、「露悪趣味」っていうのも褒められたものではないと思います。


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
カエサリズム再論 (ブアトごのきう)
2016-06-27 14:40:19
このような思索をカエサリズムと呼ばずしてなんとする!
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プアトさん、こんにちは。 (カエサル)
2016-06-27 15:12:32
 カエサルが理想とする社会は「みんながちょっとずつ貧しくなっていく」というのが基本と言っていいんですけど、そこに大きく立ちはだかるものとして「貴族趣味」ということを考えてみたんですけど、「貴族趣味」という言葉の定義が曖昧で、とりとめのない話になってしまいました。
 でも、貴族の人たちって言うのは、市民たちに貴族趣味をもってもらわないと困るんだと思います。

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自己の内なる「貴族趣味」 (ブアトごのきう)
2016-06-27 18:28:32
カエサル氏のいう、自己の内なる「貴族趣味」というのは、「拝金主義」だったり、さまざまなブランド志向だったりするんでしょうが、石川三四郎という人が、人にとっては、最低限の「物欲」は生きていく上で必要だが、人は「物欲」そのものではなく、「物欲の蔭」を追うようになる、こうして人は「迷妄」に陥るといっています。ちょっと似てない!?
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私見 (上総)
2016-06-27 22:08:31
>宝石や貴金属の存在です。たしかにキレイ~~~
同感だったりします。

宝石や貴金属は、買った翌日に売ろうとしたら価値がほぼゼロになっていたりしますよね。
車や、家も実態の価値と購入額に乖離があるような。

そんな事を考えていると、「分相応」という言葉に行きついたりしています。

まとまらないコメントで失礼致しました。
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物欲の蔭 (カエサル)
2016-06-27 22:18:08
 「物欲の蔭を追う」というのは、なるほどと思いました。かなり似ていると思います。さらに、「恋に恋する」というのも似ているという気がします。

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分相応 (カエサル)
2016-06-27 22:40:47
 「分相応」というのは、良い言葉だと思います。
 宝石が好きならば、その「分」を超えて買っちゃうというのもアリだと思います。
 問題は、自分の「分」を勘違いして宝石を買っちゃうような人たちですよね。

 話のついでに「婚約指輪は給料の3ヶ月分」というデビアス社の「提案」について調べてみたら、男性の27.5%、女性の16.7%が支持しているとのことでした。なんか、ビックリしちゃいます。
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