.るしふぁ の呟き

堕天使 るしふぁの呟きを 皆さん聞いてあげて下さいね

鹿をさして馬と為す

2012年06月29日 03時07分38秒 | Weblog

鹿をさして馬と為す
 
  さしも栄華をきわめた秦の始皇帝も、寿命には勝てなかった。彼は不
老不死の霊薬をもとめてあせりながら、ついに死んだ。遺言では、太子
の扶蘇を位につけよということだったが、丞相の李斯や、側近の趙高な
どは、その言葉をいつわり、幼い胡亥を立てて皇帝にした。なぜなら、
扶蘇が賢いのにくらべ、胡亥は凡庸であやつりやすかったからだ。これ
が秦の二世皇帝である。
 
 二世皇帝のもとで、またたくまにのしあがり、秦の実権をにぎったの
が、趙高だ。人にいやしまれる。去勢者の宦官である。
 
 胡亥というのは、即位のしたてに、
 
 「朕は天下のありとあらゆる快楽をつくして一生をおくりたい。」
 
 こう言ったという人物だ。趙高はほくそ笑んで答えて言うのに、
 
 「まことにけっこうでございます。
  そのためには、まず法を厳しく、刑を苛酷にして、
  法のおそるべきことを知らせるのが第一。
  つぎに、先帝以来の旧臣をことごとく除き、
  陛下のこのむ新人を登用いたせば、
  これらのものは、陛下のため、
  身を粉にして政治にはげみましょう。
  さすれば陛下は、
  心を安んじて楽しみにお耽りになれると申すものでございます。」
 
 「なるほど、道理じゃ。」
 
 と、胡亥は答えたという。こうして趙高は、競争者の李斯も殺し、先
帝以来の大臣、将軍、それに王子までも殺戮して、丞相にのぼり、実権
をおさめた。そしてついに、胡亥にとって代ろうと企むまでになった。
 
 だがそれには、宮廷の連中がまだ胡亥についているか、それとも自分
につくかを確かめねばならない。それから、もし自分に従わないと為に
ならぬぞ、と示す必要もあった。この目的のために、趙高は、まことに
奇態なデモンストレーションを考えだしたのである。
 
 彼はある日、二世皇帝に鹿をたてまつり、そして、
 
 「馬を献上いたします。」
 
 と言ったものである。二世は笑って、
 
 「丞相はヘンなことをいうぞ。
  鹿のことを馬だなぞと。
  これは鹿かな? 馬かな?」
 
 そう言いながら、左右の臣下を見た。顔をふせて、だまっているもの
もある。趙高におべっかをつかって、馬でござる、と言うものも出た。
だが、「いや、鹿でございます」と直言する臣下もまだ何人かいた。胡亥
は、わけがわからず、ぼんやりしていた。趙高は目を光らせて、鹿だと
言ったものを覚えておいた。そして、そのあとで無実の罪をかぶせて、
その人々を殺してしまったのである。趙高の言に反対するものは、以来
宮中にはいなくなったという。
 
 といって、趙高にひれふしたのは、全中国ではなかった。かえって、
各地に反乱の軍がおこる。項羽・劉邦などの面々もあらわれる。こうし
た混乱のなかで、趙高はじゃまになった胡亥を殺し、扶蘇の子子嬰をた
てて秦王にするが、こんどは自分が子嬰に殺されることになるのだ。
                  (「史記」秦始皇紀、「十八史略」)
 
 
 この話から、「鹿をさして馬と為す」ということばが出た。だからそれ
は、まちがいを威圧もって押しつけ、人をばかにすることや、人をごま
かして理を非とし、非を理として押し通すことを意味する。
 

 
「胡亥は詩書も読めず、聖賢の言も遠ざけられていた。それどころか、
 趙高のような宦官に、残酷な政治術をしこまれた。だから、天下の人
 はみな愚かというのでもなかったが、胡亥のほうは馬と鹿のけじめも
 つかないことになったのだ。」         (「唐書」元シン伝)
 

 
 野田や前原それを裏で操る官僚支配の現在の日本の姿こそが、この「馬鹿」の話の由来と同様に感じられてならない。

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言いたい事、言わなければならない事、そして聞いて欲しい事。

2012年06月16日 04時50分13秒 | Weblog
 言いたい事、言わなければならない事、そして聞いて欲しい事。

日本国民は、余りにも平和ボケしていて、わが身、如いては現在の日本の状況がどれだけ逼迫しているのかかが全く理解されていない様に思えます。

馬耳東風、烏合の衆と呼ばれる様な、日本の国民は一体いつの間にその様な体たらく状態に陥ってしまったのでしょうか?

私は、人の事を言える様な立場にはありませんが、自分の周囲の事、今、日本の社会で起きている事、日本全体の事を見る限り、これは私でなくても、その余りの理不尽な事や異常な事に気が付くはずです。

しかし、事なかれ主義と申しますが、知っていて知らぬ振りなのか、今の日本の社会には、私の頭では、どう考えても到底納得が出来ない、ものを言いたくても言えない様な仕組みが出来上がっている様に感じられてならないのです。

馬鹿首相の原発再起動の話しにしても、消費税増税の話にしても、それが当然の様に信じ込んでいる方、多くありませんか?

日本の財政逼迫の最たるものは、官僚支配下の特権者の為だけにある、天下りの組織構造による税金の無駄遣いに起因します。

一体その御金、金額的にどの位だと思われますか? 1人の官僚の給料、辞める時の退職金、辞めてから天下り先でどれだけの金額が手に渡るのか? それが1人や2人ではありません。そして、その官僚の受け皿となる特殊法人や関係機関の費用が一体幾らになると御思いでしょうか?

その官僚達と組織の事をシロアリと呼んだ方がおりますが、今の日本はそのシロアリによって、崩壊寸前の危機に陥っているという事実。でも、それを巧みに隠そうとする強力な力が存在するのです。

それは、官僚組織に迎合していれば自分達も上手い汁に与れる利権者達の事です。

残念ながら、今の日本の社会構造の中では、政府の集金システムである税金徴収に関する事や、政府の事業費の詳細な使い道を実際に決めたり配分するのは、大本の政府ではなく、官僚が支配する官公庁自体であるという事実です。

元々、頭が頗る良い官僚達ですが、その優秀な頭脳を日本国家国民の為に使うのではなく、もっぱら己の私欲の為だけに使ってしまうのですから、これは本当に大変な事なのです。





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