遊月(ゆづき)の日々これ修行なり~

パワースポット研究家(おたる案内人)でセラピスト遊月のブログ
【パワースポットニッポン(VOICE)北海道担当】

木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)

2022-05-26 22:28:06 | パワースポット情報
✴︎蚕ノ社レポート(2022年5月20日訪問)✴︎


木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)


こちらも2012年4月26日に来ています。
2012年4月26日撮影のもの。
鳥居、新しくなっていますね。

あの時は、ファンタジー小説としてアップするしか人に話せないような、不思議なビジョンを見ました。
ここに祀られていたはずの本来の女神様がボロボロになっていたのを、パワーを取り戻すお手伝いをさせていただいたといいますか。
その時の、ドン!!!と何かが私にぶつかる感覚を今でも覚えていて。

2012年の京都訪問の最後に来たのがこの神社でした。
2012年4月26日撮影のもの


こちらは2022年5月20日に撮影。

10年前、あの衝撃の後フラフラになりまして。
なんとか飛行機に乗り込み、自宅に戻ったのですが。
玄関に入ると実際に倒れてしまいまして。
ベッドまではっていき、そのまま寝込みました。
そのあと数日寝込んだのですが、もともとずっと体調が悪かったので、あれがきっかけで寝たり起きたりの生活がはじまりました。

一年ほどそんな状態が続きまして。
てっきり更年期障害だと思っていたのですが、あまりにひどいので病院に行くと、橋本病が悪化していて、いろんな臓器の機能が低下していると診断されまして。
かなりな状態になっているため、そのまま入院となりました(;^_^A)
一ヶ月ほど入院して、少しずつ改善していきましたが。

それから完全に健康になって、再び飛行機で旅ができるようになるまで、こんなにも長い時間がかかってしまいました。

あの日(2012年4月26日)、関空に向かう列車から見えていた風景。
再びこの地に戻るまで10年かかったわけです。

復活を遂げた私は、再びこの地に立つとき、何を見るのか。
正直、ワクワクと不安の半々でした。
では、レポートの前に、蚕ノ社について簡単に説明します(*^_^*)


名称は「木嶋坐天照御魂(このしまにますあまてるみたま)神社」で、別名「蚕ノ社(かいこのやしろ)」と呼ばれます。
蚕ノ社と呼ばれるのは、境内に蚕をまつる「養蚕神社(こかいじんじゃ)」があるためです。
こちらが養蚕神社。
本殿の右側にあります。

太秦は、養蚕、機織り、染色の技術で繁栄していた秦氏の勢力が盛大だった地域。そのため蚕を祀った神社があり、それが蚕ノ社と呼ばれる由来となっています。
ここはもともと「木島神社(このしまじんじゃ)」と言いました。
『続日本紀』にも「木嶋神」と書かれています。
(伏見)稲荷も(石清水)八幡も木島も人の参らぬ時ぞなきとあり、ひっきりなしに人が訪れていたと記録に残っています。

そして、かつてここには、清水が湧き出る、(元)糺の池がありました。
現在は、下鴨神社の糺の森に移ったとされます。
「元」糺の池となっているのは、こちらがもともとの糺の池だったためだと記されています。

現在、清水は湧いていないのですが。
今でも夏の土用丑の日に、地下水を汲み上げて池に水を満たし、その水に手足を浸すことで無病息災を祈る行事があるそうです(*^_^*)
いつかその日に来てみたい。

そして最大の特徴は、日本で唯一とも言われる「三柱鳥居(みはしらとりい)」です。

わかります?
三つの鳥居が三角を作って立っているのです。

社務所にある由緒書きよると、
「ここは景教(ネトリウス派キリスト教)が渡来し、秦氏と関連があったことの名残をとどめる遺跡として伝えられる」
とあります。
つまり、ダビデの星になっているのは偶然ではなくて、キリスト教関係のものだからなのですね。

この時代、日本に新しく仏教とキリスト教が入ってきて、どちらを中央が採用するかという争いがあった説があります。
そして秦氏はキリスト教を推進していたようです。
秦河勝が支えていた聖徳太子には、厩戸(馬小屋)だ生まれたエピソードがありまして。
馬小屋で生まれたイエスキリストを思い出しますよね。
広隆寺の弥勒菩薩は聖母マリアとも言われていますし。
そんな秦氏の祀っていた神社に、ダビデの星(キリスト教の象徴)の鳥居があることは、むしろ必然な気さえします。

キリスト教は、ザビエルの時代まで伝わってなかったと歴史で習ったと思いますが。
世界中であれほど伝えまくっていた方々が(失礼)、日本だけスルーはしないと思うのです。
実際に、中国に西暦600年ごろに伝わっており、景教なんてものも出来ていますからね。
日本から中国へ遣隋使を出してたくさんのものを取り入れているのに、キリスト教「だけ」全く入ってないというほうが不自然かな、と。
むしろ、全く入っていないことになっているのは、何らかの意図があるのかな、と。
聖徳太子の一族全員をみなご○しにしなくてはならないような何かが。

という歴史の深い闇がここに見え隠れする、そんな三柱鳥居。
あんまり書くと、「とんでも認定」されるので(いや、すでにとんでも系ですが笑)ふわっとしか書きませんが(笑)

今はこの鳥居をくぐることはできませんが。
この真ん中に立つと、どんなエネルギーがあるのか。
鞍馬のダビデの星のように、宇宙へ続く透明な筒に包まれ、どんと上がるし、宇宙パワーどんと来る感じかな。
いつか立ってみたいですね。
潜在意識ノートに書いておこう^ ^

三つの鳥居が作る正三角形の頂点が向いているのは、雙ヶ岡・松尾山(松尾大社)・稲荷山(伏見稲荷大社)。
すべて秦氏の関係のある場所です。

秦氏にまつわる書物を調べていると、かつてはかなりの勢力があったことがわかります。
最初に力があったのは蚕ノ社を祀っていた地域の嵯峨野の秦氏。
やがて松尾の秦氏や深草の秦氏、秦氏と関連のある、加茂氏などが力を持つようになったようです。
松尾大社

伏見稲荷大社

清水が沸き、たくさんの人で賑わっていたこの神社。
それがやがて糺の池は、加茂氏の下鴨に移り、勢力を失っていきます。
下鴨神社糺の森の小川(2012年4月24日撮影)

10年前にわたしがここに来た時に倒れていた女神様。
もともとこちらに祀られていた女神様なのか。
それとも秦河勝さん関係の巫女なのか。
力をもぎ取られる形で、封印されていたように見えました。

改めて歴史を学ぶと、秦氏の力を削ぐ策略があったかと思います。

かつて最も勢力があり、四神相応で守られていた秦河勝さんの屋敷のあった場所に、その四神相応を利用するように築かれた平安京。
平安京ができた後から、勢いを失ったとされる嵯峨野の秦氏とこの蚕ノ社。
四神相応の御朱印(強い守りのエネルギーがあります~)

現代に生きる私たちは、
「古い神社なのね」
「変わった鳥居があるのね」
そんな印象くらいしか持ちませんが。

お社の奥に封印されていたあの女神様(10年前に、私の妄想の中で解放しました)は、かつての誇りを取り戻し、美しく輝いているように見えました。
あの女神様は誰なのか。
名前にも、「このしま」に「まします」(いらっしゃる)「天照御魂」とある。
天照大神とも違う、太陽というか、日の神様な気がします。
だとしたら、松尾大社の末社月読神社が大変においます(気になる)
だかしかし、団子を食べるか、月読神社に行くかで迷って、団子を取ったことは後悔しておりません(自分への励まし笑)
次の調査リストがたくさんできただけですから(笑)

そして、倒れていた女神のくだりは妄想なので、さらっと読んでください(笑)

ではやっとレポートです。

「13:35までに蚕ノ社着く」という当初の予定がありました。
ですが、先に行っていた古墳で、20分ほど時間を押していました。


こちらが古墳から見た景色(*^_^*)

ということで、古墳から歩いて20分かかる蚕ノ社まで、急遽タクシーで行くことにしました。
でも住宅地ですから、車すらあまら来ません。

神様!
タクシープリーズ!
と心で叫ぶと、「用意した」と答えが。
それが聞こえた時、法金剛院というお寺の長い塀の横を走っていました。
お寺の塀が終われば大きな道路かある。
きっとそこにタクシーが来るのねと走って行っても道路にタクシーはいません。

駅前にはタクシーがいるので、5分ロスするけど駅まで行くかと、蚕ノ社と反対方向になるけど、駅に戻るため、お寺の前を通り過ぎようとすると、なんと、門から入ってすぐのところに、空車が!

慌てて乗り込むと、
「たった今お客さんをおろしたばかりでたまたまここにいたんだよ」と運転手さん。
神様!!
となりまして。
お陰でロス時間回収できました。

みんな、タクシーは心で呼ぶ時代だよ(笑)

さて、あっという間に鳥居前につきました。



案内図です

拝所です。



女神様!!お久しぶりですっ!
はやる気持ちを押さえつつ、本殿へ。
品があって美しい本殿。

まるで誰かが置いてくれたかのように女性らしいお花(躑躅)が乗っていました。


お掃除も行き届き、とても清浄です。
女神様!(しばし対話←妄想物語は近いうちにアップします)

向かって左側には三十八所神社 

向かって右側には養蚕神社

末社なども古くて厳かな、独特のエネルギーです。

本殿には、カモさんたちの神社と同じ葵の模様の提灯が。

お参りの後、いよいよ三柱鳥居のある場所へ。
鳥居は、上の写真の、人が建っている奥にあります。

本殿から数段低くなっているところにこのような仕切りがあります。
この竹垣の奥にあるのが三柱鳥居。
ちなみにこの場所が他より低くなっているのは、もともと池だったところです。ここは年に2回、水脈からくみ上げて水を満たすとのことです。

竹垣の間から覗くとこんな感じ。

これは、本殿の横から下を覗いて映したもの。


遠いのでだんだん拡大します。

斜めからなので、上から見ると正三角形なことがわかりにくいかな。
すっごく変わった気を出しています。
三角のビーム的な、幾何学的なエネルギーで、あまり感じたことがありません。

時間もないことですし、鳥居のそばにある稲荷さんたちの祀られた領域に向かいます。

椿丘大明神の碑

こちらは鳥居から入ってすぐ左側にある、お稲荷さんたちのエリアの前にあります。

エリアの入口には橋が架かっていて、別次元のような雰囲気です。


人によっては二の足を踏んでしまうような、どこか人を寄せ付けないエネルギーが。
入口の橋の手前にいらっしゃるキツネさんたち。

稲荷系の神社では、狛狐は、最初とお参りしてからもう一度挨拶するときの表情が違うことがよくあります。
最初は、目がきつくて、やめておいた方がいいのかもと感じることもあります。
せめてご挨拶だけでもと進んでいき、しっかりとご挨拶しているうちに、お社全体から空気がふと和らぐことがあります。
怖い空気が消えて、本来の神様のエネルギーになる、そんなイメージです。

キツネさんたちは、神様があまりにお優しいので、人間たちに付け込まれないよう、必要以上に威圧したり、人を観察しているのかな?と思ったりします。
それもこれも、神様を思うが故のことだと思うと、キツネさんたちに、謎の仲間意識というか、神様をお守りしているんですね!という感謝の気持ちが湧いてくるのです。

さあ、奥に進みましょう。







そして、尋常じゃない気を出している↓こちらの祠↓にお参りします。
実は前回はそのパワーが強すぎて、橋を渡ることができませんでした。
今回は、勇気を出して進みます。

白清神社(白清社と彫られていました)

こちらは古墳のようなイメージです。
古墳時代からあるのでしょうか。
帰って調べたら、古墳をこちらに移築したとのこと。
実は写真アップしませんが、壁の石に色々彫られていて、ほんとうに古墳っぽいと思っていました。

古さの規模が本当に違います。
歴史の重みというか、積み重なっているエネルギーの層の厚さに、圧倒されます。
ずっとこの尊い存在を残していかなくてはと感じました。

たくさんの思うところがあり、まだまだ調べたいことが山ほどありますが、長くなったので、このあたりで次に移動します(*^_^*)



【木嶋坐天照御魂神社(蚕ノ社)】

御祭神:
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
大国魂神(おおくにたまのかみ)
穂々出見命(ほほでみのみこと)
鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
瓊々杵尊(ににぎのみこと)

摂末社:
蚕養神社(こがいじんじゃ)
祭神:保食神、蚕の神、木花咲耶姫命
木嶋神社の通称「蚕の社」は、この蚕養神社に由来する。

顕名神社(あきなじんじゃ)
祭神:三井高安(三井家遠祖)

稲荷神社
稜道神社
魂鎮神社
三園稲荷神社
八坂神社
食国神社
天満神社
三拾八所神社
白清神社
白徳神社
橋姫神社
椿丘神社

創建:603年(一説)
例祭日:

住所:京都府京都市右京区太秦森ケ東町50−1

アクセス:
京福電気鉄道(嵐電)嵐山本線「蚕ノ社」から徒歩5分
JR西日本 嵯峨野線 「花園駅」から徒歩10分

その他:
元糺の池
三柱鳥居

社宝・文化財など:

備考:



~パワースポットの見つけ方や自分にあっているかどうかの見分け方などをレクチャー~
~このブログのパワースポットに関する記事のメニュー~ 
~パワースポットで感じたエネルギーを短編小説にしました~
~北海道の記事と写真担当しました(*^_^*)~


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