遊月(ゆづき)の日々これ修行なり~

パワースポット研究家(おたる案内人)でセラピスト遊月のブログ
【パワースポットニッポン(VOICE)北海道担当】

まるごとの自分と理想像

2023-12-23 08:44:00 | スピリチュアルエッセンス
昨日書いたことに少し近いのですが。
私は時々自己嫌悪に陥ることがあります。


上野公園の最高のパワスポ

先日仕事のミスからちょっとだけ自己嫌悪に陥っており、なぜそんな自分に嫌気がさすのかと深掘りしてみました。

私の中には「こうありたい」と言う理想像があります。
その理想像がとても厄介で。
私が本当になりたいと思うのか?と言われれば、そこまでなりたいかなぁ?と思ってしまう。

世間一般の理想像だから、そうあらねば、に近いものかもしれないですね。
だけどやっぱり、あー、そう言う人になりたいーーと憧れちゃう。

例えば、「誰にでも勝手に優しくできる人」になりたい。
これは、スピ的にというか、世間一般的に素晴らしい人だろうと言う概念の1つかなと。

でも実際の私はすべての人に優しくできるわけではありません。
友達とか大切な人とかには優しくしたいと思わなくても、勝手に優しくすることができます。
でも興味のない人とか、初対面の人とかには、優しくしようと思って優しくする時があります。
そうなると、すべての人に勝手に優しくなる人間でありたいと言う自分と、実際の自分の感情が離れていることに自己嫌悪になるのです。

興味のない人に優しくしている時など、表面的には優しい態度をとったので、相手には優しい人だと思われたけど、あれは意図的に作っていたもので、本当の私じゃないんです、となり。
ああ〜!!!となる。

というのを自分の中に見つけて。
うむ。

でもね、もしこんなことを言っている人を見つけたら、きっと私はこうアドバイスするでしょう。

「みんなそんなもんですよ。
それでも優しくしたいと考えているだけで、素晴らしいし、それを行動にうつしていることだけでもよしとしましょうよ。
他人に全く関心がない人とか、その逆で優しくしたいなんて考えず、むしろ他人を陥れてやりたいとか、自覚もないままに傷つけたりとか、人を振り回してマウントを取ったりとか、いろんな人がいるわけです。
その中で人に優しいくできているのがまず素晴らしくないですか?」

きっと、そう言います(笑)

自分に対してはそんなセリフが出てこないだけなのよね。

たまたま「優しくする」という言葉を使いましたが。
これ以外にも、こういう人間になりたいと言う理想が頭の中にたくさんあるのです。
たとえばテキパキしている人になりたい。
私はダラダラしているのが一番好きで、特に冬など、永遠にストーブの前に座ってココアとか飲んで本を読んでいたい。
それ以外したくないので、買い物も掃除も料理も全部めんどくさくなる。

そんなのは普通だろうけど(違うの?)
問題は、やらなきゃいけないことに対して、めんどくさーーーーと思っちゃう自分がなんか嫌だ、ということ。

理想と今の自分の本音の部分でのギャップに、「いつまでたってもそうなれない自分」に対して落ち込んでしまうわけです。

なるほど。
言語化すると、あるあるな感じの話だけど。

まあ潜在意識で、そうなっている自分をイメージすればいいだけのことだとも、頭ではわかっています。
でも、そこまでしてそうなりたいか?と言えばそうでもなくて(爆)

じゃあ理想の自分になれるように頑張りやー、みたいなことなんですよね(笑)
でも、そんな理想の自分とは程遠い自分のことも、許してやりやーも必須かな。

そんな時は、できない方ではなくて、できている方を見るも大切だしね。

うむ、この後、自分の良いところをノートに書いて、よく頑張った!と褒めてあげよう(笑)

ほんと、言葉にすればありふれたことだったんだけどね(笑)

ちなみにこれを書いた後、ハイヤーセルフさん的な存在から

「すべての人に優しくする必要はない。常に毅然とした態度で、人として誠実に接するだけでいい。
優しくあらねばという概念は多少危険でもある。人の良さに漬け込んで搾取しようとしてくる人間もいるのも事実だ。優しさという概念はもっと正確に行使するように」

みたいなお言葉をいただいたことも追加しておきます(笑)




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