TBA

(仮)

リアルとバーチャル

2017-09-16 | 本と雑誌

雨降ってるけど、じめじめはしない。

冷たい雨。

台風、来ないといいけど。


きのうはつかれた。





ゆうべはセインツとバイキングス。

ブリーズとブラッドフォードで、

おもしろい試合になるといいなあと期待してた。

ところが、序盤はよかったんだけど、なんかがっかり。


去年のセインツはパスはよくても、

タイムコントロールができなくて勝てない感じだったけど、

この試合はラン中心のオフェンスも機能しなくて、

守備もけっこうやられてたような。

強かったころのセインツは守備もよかったのになあ。

せっかくのピーターソンもあまりいいとこなかったし。


NFL JAPANがまた見づらくなってる…





『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』を読んだ。

第1章を読んでいるときは、

どういうスタンスなのかうまくつかめなかったけれど、

読んでいるうちに少しづつわかってきたような。


極端な例が出てくるのも。

社会を変えようっていうなら本気度が足りないよ、

っていうことなんだろう。


門田隆将さんが「これからはリアリストとドリーマーの戦いになる」

って言ってたそうだけど、

この本で語られる「リアル」と「バーチャル」と、

けっこう近いかも。




「内輪のノリ」っていうのがあんまり好きではない。

爆笑問題の太田さんの高校時代で、

学校に一人も友だちがいなかったけれど、

友だちを作らなかっただけで友だちができなかったわけではない、と。

だから、友だちがいないやつが仲間みたいにすり寄ってくるのがイヤだった。

みたいな話をなにかで読んだ気がするけど、

その気持ちがけっこうわかる。


そういうのってけっこういろんなところにあって、

いわゆるオタクの集まりもそうだろうし、

ロックだってそうかもしれない。



現実社会とうまく折り合えない人たちが、

その身を寄せ合って敵を作って傷をなめあってる感じ。

『リア充を厭うデモ充』っていうのが一番わかりやすかった。


デモのためにデモをして現実と向き合わない。

闘う相手は「セカイ」そのもので、

大東亜戦争を絶対悪として日本国憲法は絶対善。


そもそも安保反対の学生運動は、

現実を生きてる人たちをまきこめなかったことで失敗したのに、

その失敗から何も学ばない人たち。


「である」と「する」のくだりがおもしろかった。

国民を守るために、戦争をしないために、

という考えで作られた「憲法9条」だったはずなのに、

「憲法9条」のためなら国が滅びてもいい、

とか言いだしてしまう本末転倒な感じとも似てる。


「意見が違う人」と「立場が違う人」という見方もおもしろいと思った。

善悪の理想だけで死刑を論じている人と、

被害者家族の人とは話がかみ合わないような。



「ドリーマー」の人たちがデモのためのデモをして、

勝手に勝利宣言をしたりしながら、

ほんとに夢だけを見ていてくれればいいんだろうけど、

鳩山元首相のようにまかりまちがって、

そういう人たちが無責任にトップに立ってしまうとか、

考えただけでおそろしい。


アメリカでいま不法移民のことが、

「ドリーマー」って言い換えられてるのも、

なんかイヤな重なり方をしててちょっとこわいかも。
コメント
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