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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

金学順さんは「me too」運動の先駆け~第15回日本軍「慰安婦」問題解決のためのアジア連帯会議報告

2018-04-13 | 「慰安婦」問題

(写真)45年から73年が経ったことを表すため、73人の被害者たちの写真の蝶々と「共に平和に」というバナーをもって閉会

 

「日韓合意」後2回目、韓国の新方針後初めてのアジア連帯会議が、韓国ソウルにて3月7日~9日まで行われました。「共に平和に」というテーマを掲げ、国際女性デーの3月8日をはさんで開催されました。この会議は1992年に始まり、今回で15回になります。アジア各国の被害者と支援団体が一堂に会し、「慰安婦」問題解決のための共同行動を議論して決議をあげ、日本政府や各国政府、国際機関への要求を出してきました。

 

1.会議名が「慰安婦」から性奴隷へ

 今まで、会議名を漢字圏では「日本軍『慰安婦』問題解決のためのアジア連帯会議」としていました。(英語圏は最初から日本軍性奴隷問題(the Issue of Military Sexual Slavery by Japan)です。)それが、主催団体である韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が「日本軍性奴隷問題解決のためのアジア連帯会議」として開催しました。

 韓国挺対協は、「日韓合意」直後の2016年5月のアジア連帯会議では、まだ「慰安婦」という言葉を使っていました。それが2016年6月正義記憶財団(主体:挺対協、多様な市民団体、労働団体)を正式に設立したときに、初めて「日本軍性奴隷制問題」という言葉を使いました(日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶財団)。だから自然と性奴隷制度と、本質で会議名称を提起したのでしょう。

しかし、性奴隷か「慰安婦」か、この問題をどういう言葉で表すか、言葉の定義だけでアジア連帯会議(第2回、1993年開催)をしたほど重要な問題をさらりと流せませんでした。

「従軍慰安婦」問題として大きく認知された時期である、第二回連帯会議の時に議論して、本質的には性奴隷制問題、英語ではSexual Slavery(性奴隷)と使っているが、日本軍が「慰安婦」という言葉を使った犯罪性を歴史の中に残すべきだ、被害者を性奴隷被害者と紹介するのに当時は被害者自身が抵抗したので、自ら従ったという意味の「従軍」ではなく日本軍「慰安婦」問題としてきました。日本の運動の立場ですれば、日本軍「慰安婦」問題という呼び名でも社会には受け入れられていない状況の中、性奴隷を使うことで一般世論から一層、運動がかけ離れる危惧があります。

しかし、日本政府は「日韓合意」の裏合意で、性奴隷という言葉を使わせないと約束させ、国連の場でも非常に高圧的にこの問題の本質を否定しています。だからこそ本質がなんなのか幾度となく問うていかなければなりません。議論の結果、日本軍性奴隷問題解決のためのアジア連帯会議として決議を上げて、各国の事情で広めやすい翻訳にし、本文で性奴隷制度だと展開しようと決着がつきました。日本ではタイトルに当たる会議の名前だけは「慰安婦」にすることになりました。

決議された「決議と行動計画」を読んでください。タイトルはともかく、本文では本質である性奴隷と言う言葉にあふれています。未だに大手メディアだけでなく、心ある人の中にも「従軍慰安婦」(日本軍「慰安婦」でもなく!)を使っています。この問題の本質は性奴隷で、政策・立案・実行したのは日本政府・日本軍であることを事あるごとに知らせていきましょう。

 https://blog.goo.ne.jp/liveinpeace_925/e/e2cc2a672294422f3545fe0c5a54ebca

 

2.アジアから世界へ

東ティモール、インドネシア、中国、フィリピン、韓国、台湾、日本など、長きにわたり日本軍性奴隷制問題解決のため努力してきたアジア地域の活動家が参加しました。また今回の会議には、アジア地域だけでなくニュージーランド、ドイツ、アメリカ、オーストラリアなど、世界各国で共に声をあげている活動家たちも参加しました。この世界各国の活動家で共通していることはなんでしょうか?吉元玉さんなど生存者が証言活動をし、その刺激を受けて、少女像建立するために闘っておられる方が多かったのです。この運動が世界に広がっていること、しかも被害者自身の手で広がっていることをまざまざと感じました。

 

3.見慣れた被害者が一人だけ

よくお会いする被害者はあまり出席されませんでした。活動家になられた、自らの尊厳を勝ち取られた被害者たちに時間がないことが改めて感じました。

被害者では、吉元玉さん(韓国)、陳連村さん(中国・海南島)、ヌライニさんとジャヘランさん(インドネシア)の4名が会場で証言し、街頭行動に加わりました。

証言に耳を傾けてください。陳連村さん「13歳の時、日本軍三人は私を罵倒し、血が尋常じゃないほど出た。16歳の時に日本軍がまた村を訪れ毎日少なくとも10人を超える日本軍への性接待…家へと逃げようとしたが、連行され、何度も気絶させるほど叩かれ、「牛の姿勢(四つんばい)」(刀を地面に逆さまにたて、その上に牛のように伏せさせる方法。首をあげると鞭で打たれ、倒れ込むと刀に刺さる)で拷問。その時受けた傷が未だにあちこちに残っている」。

ヌライニさん「解放後、“日本兵の残りかす”と呼ばれるよりと思い、他の国に出稼ぎ。たった一人で生きているだれも助けてくれない。そして今は、仕事もなく、夫も家族いない暮らしだ」。

ジャヘランさん「日本軍が連合軍に負けてから、私は両親のもとに帰った。すると父はどこから帰ってきたかわかると突然怒り出し、手に鉈(なた)をもって『お前は家族に恥をかかせたので首を落とす』と言い、近づいてた。すると母がかばってくれた。頭を冷やすよう頼んでくれました。そして、私の父は母の許しに対し自分が間違っていたと冷静になり、私を抱きしめてくれた」。

このように、被害そのものだけでなく、その後の人生も奪われるその責任を取らせなければいけません。そうすることで、自ら尊厳を回復した生存者たちの名誉が回復されるのです。

 

4.運動

 金学順さんは1991年8月14日、責任を認めない日本政府の発言を聞いて怒りを感じ「慰安婦にされた私がここにいる」と後世に伝えるために証言を決意され、名乗りを上げました。それに続けて、韓国だけでなく、アジア地域で被害を受けた生存者たちが名乗りを上げていったのです。これこそ「Me Too」運動の先駆けです。

韓国では今年に入り、性暴力の被害者と連帯する「Me Too」運動が浸透し、社会を変えようと声を上げる女性が増えてきました。そしてその運動を応援して支持するという意の「With You」運動へ発展し、水曜デモも4月7日にはその一環で集会が行われ、多くの運動が集い、少女像に自分の顔を入れたパネルを作成していくという運動など、創意工夫をこらした運動が行われています。

日本の日本軍「慰安婦」問題解決全国行動は、被害者中心のアプローチをしている韓国の新方針に答えさせるために「 声明『日韓合意』は解決ではない 政府は加害責任を果たせ」への賛同署名を集めました。アジア連帯会議はその提出行動に当たる、3月22日の前に行われたわけです。各地で、地道ではあるが、定期的に街頭行動など社会に訴える活動をしていることを再確認できる場にもなりました。今後とも、だれの責任か、どういう被害か明らかにし訴えていきましょう。


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