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ここがアブナイ!!共謀罪(2) 何が犯罪になるかは捜査機関の胸先三寸

2017-04-28 | 共謀罪

 共謀罪の大きな問題点のひとつは、何をすれば共謀罪が成立するのかが非常に曖昧である点です。
 政府は、話し合っただけではなく「準備行為」があってはじめて成立すると言っていましたが、4月21日の衆院法務委員会で、テロなどの犯罪計画の疑いがあれば「準備行為」の前でも捜査できるとの見解を示しました。
 具体的な物的証拠もないのに「疑い」があると判断するのは警察です。どんな行為が犯罪と認定されるかが、法で明確に定められておらず捜査機関の主観で決まるというのでは、罪刑法定主義を大きく損なってしまいます。
 それは、近代以前の法体系に社会を引き戻そうとすることであり、「天皇を戴く国家」(自民党新憲法草案)という復古主義と深いつながりを持っています。

 罪刑法定主義とは、どんな行為がとなり、またそれに対してどんなが科せられるかはあらかじめ律で明確にめられていなければならないとする原則のことで、近代刑法の根幹をなす考え方です。
 これが人権を守る上でどれほど重要なことであるかは、この原則が存在しない社会のことを考えてみるといいでしょう。
 例えば、絶対王政の時代、専制君主は強大な権力を握っていました。専制君主の一人フランス王ルイ14世は、自分の気に入らない人物を反逆罪で告発したところ、裁判所では国外追放の判決が下されました。ところが、この刑が軽すぎると見たルイ14世は終身禁固の刑に変えさせ、寒風吹きすさぶ地の牢獄の中で一生を終わらせました。
 このように、近代以前の社会では、何をすれば犯罪となり、どんな刑罰になるかは権力者の胸先三寸で決められていたのです。
 それを打ち破ったのが市民革命でした。17世紀のイギリス革命、18世紀の米独立、フランス革命で罪刑法定主義が憲法に盛り込まれ、それ以降「近代刑法の大原則」とされています。
 もちろん日本国憲法もその系譜を引いています。(第31条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。)

 実のところ、罪刑法定主義は大日本帝国憲法にも盛り込まれていました。この時代に政治圧力に屈せず罪刑法定主義の原則を守り抜いた特筆すべき事例として、大津事件があります。
 大津事件とは1891年に日本訪問中のロシア皇太子が警備の警官に斬りつけられたという事件で、政府は被告人に「大逆罪」(死刑のみ)を適応すべきという圧力を加えました。しかし裁判所は「大逆罪」にはロシアの皇族は含まれないとし、無期懲役の判決を下しました。

 罪刑法定主義にも例外があります。新たに制定した法が被告人の利益になる場合は、過去の行為に遡って適用されることが認められています。
 1973年に起こった尊属殺人事件がその例です。それまで親・祖父母などの「尊属」を殺害した場合の刑罰は死刑と無期懲役だけでした。しかし、この事件は父親が長年にわたり娘に性行為を強要し、それに耐えかねた娘が父親を殺害したというものでした。最高裁は「尊属殺」の規定自体が違憲であるという判断を下し、その効力は同様の事件にも及ぼされました。
 法は人権のために存在するのですから、人権のための例外は法の目的に合致しています。しかし、共謀罪が設けられれば、私達の人権は大きく損なわれることでしょう。(鈴)


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