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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

NHKスペシャル「本土空襲 全記録」とBS-1スペシャル「なぜ日本は焼き尽くされたのか~米空軍幹部が語った“真相”」を観て

2017-10-17 | 本・番組・映画など

今年の夏、NHKを中心に戦争の実相を描く番組が、数多く放送された。そのうち、第2次大戦中の、米軍による日本への大規模空襲を描いた2本を紹介したい。

太平洋戦争末期の1944年11月から1945年8月の敗戦にかけて、日本は延べ2千回にも及ぶ米軍の激しい空襲にさらされた。2040万発の焼夷弾と850万発の銃弾により、46万人もの一般市民が犠牲になり大半の都市が焦土と化した。

その詳しい全貌はこれまで明らかにされていなかったが、NHKが米国の記録文書、フィルム、録音テープを分析して明らかにし、NHKスペシャル「本土空襲 全記録」、BS-1スペシャル「なぜ日本は焼き尽くされたのか」として放送した。

ここで見えてきたものは、自分の身体や家に爆弾や焼夷弾や機銃弾が降り注ぐ恐怖、そして戦争で人は自分の野望のためにどこまで残酷になれるものか、他人の命にどれほど無関心になれるものか、という信じがたい現実だった。

NHKスペシャル「本土空襲 全記録」
BS-1スペシャル「なぜ日本は焼き尽くされたのか~米空軍幹部が語った“真相”」

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日本本土への空襲を可能にしたのは、北マリアナ諸島サイパン島占領と爆撃機B-29の完成である。「超空の要塞」と呼ばれたB-29は航続距離6000kmで片道2400kmの東京―サイパン間を楽に往復できた。

1944年11月から始まった本土空襲の目標は、当初は軍事関連施設、特にはじめは航空機工場に限定されていた。しかしその命中率は極めて低く数%に過ぎなかった。日本軍の迎撃を避けるために高度1万mを飛ぶB-29が日本上空で遭遇した時速200kmの強風(ジェット気流)と厚い雲によって命中精度を狂わされたためである。

しかし、この「目標をはずれた爆弾」も市街地に降り注ぎ、多くの住民が犠牲になったことを忘れてはならない。最初の攻撃目標である中島飛行機武蔵製作所では、当時8歳だった近所の住職が言う。「250kg爆弾で土が口とか目とか耳とかすごく入ってですね」「万歳して『あーん』と腕を伸ばして死んでましたね」。

番組は、空襲が一般市民の甚大な犠牲をもたらした背景に、米軍内部の勢力争いがあったという事実を明らかにしている。当時の米空軍は陸軍の下部組織にすぎず、もっぱら兵器の輸送や偵察などに従事させられ、人員、予算、設備等のすべての点で陸海軍に劣っていた。空軍司令官であったアーノルドは、太平洋戦争が「空軍の力を示すための戦争」であり、空軍を独立した組織に格上げする「チャンスがやってきた」ととらえた。

その切り札がB-29である。4年の歳月と30億ドル(現在の価格で4兆円)もの巨費を投じて開発したB-29の指揮権を、アーノルドはルーズベルト大統領や統合参謀本部を必死に説得して手に入れた。にもかかわらず日本本土空襲でほとんど成果を上げられなかったアーノルドに対して、大統領や統合参謀本部は手厳しい批判を浴びせた。追い詰められたアーノルドは、攻撃目標を軍事関連施設から大都市住宅地区への無差別焼夷弾攻撃に変更した。それを実施するために現場司令官を更迭し、ドイツへの無差別爆撃を指揮した将軍ルメイを後任に据えた。

1945年3月10日ルメイは325機のB-29による東京への無差別焼夷弾攻撃(東京大空襲)を実施した。25万発もの焼夷弾により東京の下町は焦土と化し12万人を越える一般市民が犠牲になった。しかしながら、米国内ではこの無差別爆撃を容認する世論が強かった。なぜなら東京大空襲に先立つ1938年~43年に日本軍が長距離爆撃機で中国重慶への無差別爆撃を200回以上も行い、1万人もの一般市民を殺害していたからである。

日本本土への無差別爆撃は、その後も手を緩めることなく繰り返された。4月からは地方軍事都市が狙われ、7月からは日本への上陸作戦を前提にして南九州に攻撃が集中し、それと並行してあらゆる都市が攻撃目標となった。また、3月からは占領した硫黄島から発進した戦闘機がB-29に合流した。戦闘機の当初の目的はB-29の護衛だったがそのうちに独自に攻撃を始め、飛行場、工場、鉄道などありとあらゆるものを攻撃した。人間のみならず家畜の馬までもが銃撃された。

そして8月には広島、長崎に原子爆弾が投下され21万人を越す市民が犠牲となった。米国内には焼夷弾攻撃には批判的でも原子爆弾なら容認する、という意見もあった。その理由は、「焼夷弾攻撃では焦げた人肉の臭いが航空機につくため、丁寧に洗わないといけない。ガスマスクも必要」というものだ。

太平洋戦争終結後の1947年空軍は晴れて独立を果たした。無差別爆撃を指揮したルメイ将軍は空軍のトップである参謀総長に上り詰めベトナム戦争でナパーム弾攻撃を指揮した。

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米国による空襲は、日本が起こした侵略戦争の結果だ。しかし、敗北がほぼ確実になっていた日本に無残な攻撃(というよりは殺戮)を仕掛けた米国に対して、改めて怒りを感じた。そして、ズルズルと敗戦を引き延ばし数十万人もの国民の命を犠牲にした昭和天皇と日本の軍部・政府指導者に対しても。
                   (T)


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