母の膵臓癌日記

膵臓癌を宣告された母の毎日を綴る

いままでの経緯 (14)

2009年09月23日 00時34分04秒 | 日記
9月18日(金)午後
彼岸花はちょうど見ごろで、その市立公園はたぶん一年の中で一番訪れる客が多い時期を迎えていた。

正規の駐車場はきっと満車だから民間の駐車場に車をとめるといいと、あらかじめ弟から聞いていたので
公園の入り口から少し離れた民間の駐車場にとめてそこから歩いて向かう。
この時にあらためて、母の歩くスピードが元気な頃に比べとてもゆっくりになっていることに気づいた。

背中こそ曲がってはいないが、顔はうつむき加減で足元を気にしながら小さな歩幅で一歩一歩確かめながら歩く。
狭い遊歩道を、私たちは母のスピードに合わせて立ち止まって花を眺めたりしつつゆっくり歩く。
元気の良いお年寄りたちが後から来て次々に追い越していく。

彼岸花―正式名曼珠沙華は昔は「彼岸」という言葉のイメージもあってか、不吉な
花としてあまり好かれなかったらしい。
しかし一面に群生するこの紅色の花の艶やかさはそんな歴史を払拭して、見る人々を魅了する。
「きれいねぇ、見事だわ。」
「わざわざ来て見る価値があったな。」と
父母は満足している様子だ。


↑父と母。こうして写真で見るとあらためて母の顔が急に老けたことに驚く。

私は歩きながら、2年半前に母が次女のF子に「大学の入学祝い」としてプレゼントしてくれ、
女3人で行ったハワイ旅行のことを思い出していた。
F子にとっては1歳のときに行った以来2回目、記憶に残るのは初めての海外旅行で
5泊7日の短い日程の中にあれもこれもと、母の年齢のことなど考えずめいっぱいプランを盛り込んだ。
結果、連日朝から晩まで観光地を巡り歩くハードな旅行になってしまったが
母は疲れたと言うこともなく、私たちのペースにしっかりついてきた。

ダイヤモンドヘッドの頂上まで登った後、ふもとのホノルル動物園に行こうとして
私が方向を間違い、入り口を探して動物園の外を一周回ってしまった時には
私も十代のF子もくたくたになったが母は結構平気で、その健脚ぶりに驚いたものだ。

人間は足から弱るという。
近所を散歩するときも、ゆっくり歩いていたのでは運動にならないと言って
背筋を伸ばして大股でさっさと歩く母を見て、この人は長生きするわ、と思ったのは昨年のことだっただろうか。

遊歩道が途切れ、広場の周りににこの時期だけ臨時に建てた出店が数十件並ぶ場所に着く。
出店では、地元の民芸品や農産物、お団子やソフトクリームなどを売っていて賑わっていた。母は
「ちょっと疲れたからお団子食べて休みましょうよ、私はここに座っているからあなたたち人数分お団子買って来てくれる?」
と、広場の中央にたくさん並んだ長椅子に腰掛け、ふうっと息をつく。

結局母の望んだみたらし団子は売り切れで、近くの牧場で作っているアイスクリームというのを2つ買い、
戻ると母はもう席を立って民芸品の出店を覗いている。
後ろから近寄って見ると母は小さな手鞠の飾りを手にして
「これ、5個買ったらすこしまけてもらえる?」と交渉している。
私は長椅子に戻り、F子にそのことを話すとババらしいと笑う。
ほどなく戻った母は
「友達5人と今度会うからお土産を買ったのよ」と言う。
「まけさせたでしょ」と私が笑って言うと
「どうして知ってるの?」と驚き、「見てたわね」と笑う。

私はまたハワイ旅行を思い出す。
球場で開催されていた市場に行ったとき、母はどの店でもまけるまで買わなかった。
英語など全くわからないのに手の指を2本とか3本立てて「OK!?」とせまるのだから大した度胸だ。
私とF子もババを見習って値段の交渉に励んだものだ。あの買い物は楽しかった。

アイスクリームの1つを父母で、もうひとつを私とF子で分け合って食べる。
入り口で渡された公園のパンフレットを開いて園内の地図を見ると、まだ全体の中間地点でこの先も遊歩道は続いているらしい。
「もう戻ろうね、先に行っても同じ風景だと思うから。」と私が言うと
「うん、いっぱい見られたからもういいよ。」と母。

駐車場に戻る道では母の歩くスピードはだんだん落ち、ときどき立ち止まって休む。
川の上に橋が架かりその上から花の絨毯を見下ろせる場所があった。



高いところからの眺めが好きな父は先に歩いて坂を上り橋の上に向かったが、母はすでにかなり疲れていて坂を上るのに大変な様子だ。
見かねた夫が
「おやじさんは俺がついてるから先にお袋さんを連れて車に戻ったら?」と言う。
夫は今日は父の係、と決めてずっと父についてくれている。
「わかった。先に行ってるね」と母を促して駐車場に向かった。

家に帰るともう夕方だった。一日外出していて気も張っていたせいかどっと疲れが出ていつもより早く風呂に入る。
風呂から上るとちょうど9時ごろだった。
母も相当疲れた様子だったけど大丈夫かな、と思い様子を見に階下へ下りて母の部屋を覗く。

母はベッドで仰向けになり口を少し開けて眠っていた。顔色がひどく悪く見えてどきりとし、
思わず側によって息をしているのを確認する。
呼吸の音を聞きほっとして2階に戻ろうとするが、9時はオキシコンチンを飲む時間だということを思い出し
眠っている母に呼びかけながら揺り起こす。
母はすぐに目覚めたがぼうっとした表情で私を見上げる。
「今9時だけど、薬は飲んだの?」
「薬…」
「オキシコンチン。まだ飲んでないんでしょ?飲まなきゃ」
母はしばらく考えている。
「飲んでないかしら…忘れちゃったわ。あれを見ればわかるわね」
「あれ」とは1週間の薬入れのことだとすぐにわかって一緒にダイニングに見に行く。

案の定、金曜の9時の分が残っていて、ほら飲んでないでしょうと私が言うが
母はまだ確信できないようで、考え込んでいる。
しばらくして「うん、やっぱり飲んでないみたい…ね」と言って、やっと飲む。
「起こしてくれてありがとうね。なんだかわからなくなっちゃった」
様子を見に来たのがたまたま9時で良かった。10時だったら薬を飲んだことを疑わずに2階に戻っただろう、と思う。

いままでの経緯 (13)

2009年09月22日 21時29分27秒 | 日記
9月18日(金) 午前
2度目の抗がん剤投与の日。
病院の近くに彼岸花の名所があるので帰りに見に行こうということで
母と私、次女のF子は8時に出発、父と付き添いの夫は隣町の病院で腹部CT検査を受けてから
母の病院に向かうことになっていた。

道路はすいていたので約1時間で着いてしまい、診察予定の11時までにはだいぶ時間があった。
それまでに血液検査、尿検査に呼ばれるがそれは一人で大丈夫だから病院見学でもしてきたら?
と母が、初めて病院に来たF子が退屈するのを心配して言う。
それでは、と私とF子は院内のカフェで飲み物を買いそれを持ちながら院内を歩く。

最近の人気TVドラマのロケ地として使われていたこともあって
「ここはこのまえ映っていた場所だね。」などと話しながら少し離れた大学エリアまでぶらぶら歩き
まだ誰もいない学生食堂のテーブルに着いてF子の大学のことなどでおしゃべりする。

10時頃になって待合室に戻ると母の姿が見えない。
採血室にも検尿用のトイレにもいないので、まだ診察時間ではないが念のため受け付けの女性に尋ねるがまだ診察は受けていないとの返事。
院内だが仕方なく最後の手段で、母の携帯に電話してみるとすぐに母が出た。
「今ね、お友達とカフェテリアでお話してるのよ。あなたたちもおいで。」
カフェテリアに向かおうとする時F子は
「ババ、お友達がいるの??」と言う。
「ババはどこに行ってもお友達作るからね。」と笑って答えた。

カフェテリアは満席状態で、母がどこにいるか探しながら進むと「ここ、ここ。」と手を振る。
見ると2人の見知らぬ女性と一緒にテーブルについている。
一人は母よりずっと若い―たぶん私とそう変わらない年の大柄な人。
もう一人は眼鏡をかけた60代くらいのやせ型の人。どちらもニコニコ私たちに笑いかけてくれて病人ぽくない。
ただひとつ気づいたのは若い方の女性の顔の色だ。
先日、義弟の付き添いで来ていた、自らも大腸がんの女性にそっくりの皮膚の色。
健康な人の色黒と違って、濃い灰色を混ぜたような病的な色は抗がん剤の副作用なのだろうか。

隣のテーブルから空いている椅子を調達し、F子と私は2人に会釈して同じテーブルに座る。
「待合室でぼーっと待ってるより、ここでお話してた方が楽しいから私がお母さんを誘ったのよ。探しちゃいました?」
と、大柄な方の女性が元気な声で話す。表情も病人と思えないほど明るい。
話を聞いていると、この女性は大腸癌4年目、もう一人は胆嚢癌2年目なのだそうだ。
やはりこの人も大腸癌なのか。この顔色は大腸癌に使用する抗がん剤特有の副作用なのだろうか?

その女性は抗がん剤の副作用の辛さ、担当の医師と合わないことなどを話すが
「まったく困っちゃうのよ」といった感じで笑顔で話すので暗さを全く感じない。
もう一人の眼鏡の女性は比較的静かに相槌を打つ感じだが、彼女に話をふられると
白血球値が下がっていて3回続けて抗がん剤が打てなかったので
インフルエンザを移されないためにとても注意していることなどを話す。

「でもお二人とも痛みが全然ないんですって。」と母が私に言う。
そうねえ、痛みは全然ないのよ。と二人がうなずく。
この二人に比べて自分は進行している、と母が気づいて悲観するのではないかと内心ひやりとする。

10時半になると大柄な女性がそろそろ待合室に戻りましょうか、と席を立ち全員で元の場所に帰る。
待合室で彼女は他の知り合いを見つけ隣に座り「今日は抗がん剤できるの?」と訊いている。
シートにあまり空きがなかったのでもう一人の眼鏡の女性は私たちとは少し離れたシートに座った。

母は小声で「痛みがないって…いいわねぇ。」とひとりごとのように言う。
「癌の場所によって違うのかしら。この前話した家族の患者はすごく痛くて1日6回薬を飲んでるって言ってたよね。」
と私が取り繕うように言う。
「ああ、あの人ね…やっぱり膵臓癌は痛いのね」
私は果たして自分の言ったことは慰めになったのだろうかと考え母の表情を横目で伺う。
母は考え事をしているように見え、その後診察室に呼ばれるまで無言だった。

診察室ではまず、検査の結果今日は抗がん剤治療が可能ということでほっとする。
その後痛みが抑えられていることや右わきの下に広範囲でできた湿疹のことなどを話し、患部を診てもらう。
それではこのあと抗がん剤を、というところで母が
「私の癌はどれくらい悪いんですか?」と先生に質問する。
「ここに来ている人はみんな手術ができなくて、それでもなるべく長生きするために頑張って治療している患者さんです。
他の人と比べることは意味ないですから私もご家族もみんな一緒に良い方に向くように頑張りましょう。」
いままで何百回と同じ質問を末期がんの患者から受けているのだろう。
母が他の患者と話をして胸の内で逡巡していることなどお見通しと言わんばかりの
見事なかわし方だ、と私は思った。
「はい、そうですね。わかりました。」と母は笑顔で答えた。

抗がん剤の点滴を受付に通すと今回は初回のベッドとは違い、何十台も並んでいる
電動のリクライニングシートに案内された。
後方のシートにはさきほどの女性二人がそれぞれ座り、点滴を待っていた。
母が座ると私は付属のリモコンを操作してフットレストだけ上げてみる。
次に各シートにひとつずつついている液晶テレビのリモコンもみつけONにする。
私には音声がほとんど聞こえずボリュームをあげようかと母に訊くと、いや大丈夫よく聞こえると答える。
イヤホンを着けなくても座っている本人だけに音声が届く仕組みになっているらしい。
えらくハイテクな機械だ、と感心する。

さきほどの二人のうち眼鏡をかけた女性の方がトイレに行くために母のシートのそばを通った。母が
「今日は(抗がん剤治療を)できて良かったですね」と声をかけると
「ええ、良かったです。」と満面の笑みで答える。

そうしているうちに父と夫が到着し、点滴が始まる頃弟も職場を抜けて来て様子を見ると
「じゃ、今日はこれで」と言って職場に戻る。
私たちもカフェテリアに行き、院内のコンビニでおにぎりやサンドイッチを買ってきて昼食をとりながら点滴が終るのを待つ。
点滴が終ると母もカフェテリアで軽食をとり、その後院外の薬局で処方された薬を買ってから
近くの川沿いにある彼岸花の名所へ車で向かった。

いままでの経緯 (12)

2009年09月21日 21時52分41秒 | 日記
9月17日(木)
昼前、キッチンで娘と昼食を用意していると音もなく階段を上ってきた母がいきなり
「ねえ、幻覚ってどういうのをいうの?」と話しかけてくる。
「わあっ!びっくりした…急に現れて怖いこと言わないで。」
「何が怖いの?」
私はまだドキドキしながら
「だって幻覚って!何か見えたの?幻覚は…たとえばそこにいない虫がいっぱい見えたりするみたいよ。」
「ああ、そういうこと。じゃ私のは違うわ。」と母が安心したように言う。
昨夜は夢か現実かわからないような夢を見てなんども目が覚めてしまい熟睡できなかったと言う。

麻薬のオキシコンチンの量が増えたとき薬局で「たまに副作用で幻覚が見える人がいます」と言われ
母も私も内心どっきりした。母は薬局を出たとき「なんか怖いこと言われちゃった。」と言っていたのだ。
幻覚ではないけれど、そんな夢を見るのも副作用かもしれないね。と話す。

午後に兄から旅行の詳細を報せるメールが私と弟あてに入る。
川口湖畔の、窓から見える富士山の眺めが抜群に良い旅館ということで
景色を眺めるのが大好きな両親にとても喜ばれそうだ。
私も久しぶりの温泉はとても楽しみだ。
返事のメールを打ち、昨夜の電話では躊躇したこのブログのURLを教えるが
「恥ずかしいので誰にも内緒」と書き添える。

夕方、用があって階下へ下りると母が「揚げたてのコロッケ食べる?」と言う。
もらうと言うと、お皿に昔ながらのジャガイモのコロッケを2つ乗せて手渡される。
ダンナは芋が嫌いなのでひとつ食べてアルバイトに出ている次女のF子にひとつ残そうと思ったが
冷めてしまってはまずいしF子はアルバイトから帰っても食べないかもしれないと思い2個とも夕食に食べてしまう。
子どもの頃から慣れ親しんでいる味の熱々コロッケはとても美味しかった。


↑ところどころ焦げていて、見た目はよろしくないが味は「おふくろの味」です。

夕食後、母が青い顔をして2階に上ってくる。
手にはコロッケの中身―つぶしたジャガイモと炒めて味をつけたひき肉、たまねぎを混ぜたもの―が
たっぷり入ったボウル、と小麦粉、パン粉の袋を持っている。
「ジャガイモがいっぱい余ってたから全部コロッケにして冷凍しようと思ったんだけど…
疲れちゃって…代わりに作ってくれない?」
ひどく消耗している様子で体も前屈みの姿勢になっている。
「やるわよ。階段上ってこないでインターフォンで呼び出してくれたらいいのに。」と引き受け、
早くお風呂に入って寝るように言う。

コロッケを作ったくらいであんなに疲れてしまうとは。日に日に母が弱っていると感じて暗い気持ちになる。
ボウルの中の具を小判型にまとめていくと11個のコロッケの中身ができた。
こんなにいっぱいの量のジャガイモを洗って茹でて皮を剥いてつぶし、炒めたひき肉と混ぜたのだから
まあ疲れるのも当然かな、と思いなおす。ひとつひとつ衣をつける作業が大変で
バイトから帰ったF子に手伝ってもらうとあっと言う間に終る。
「私の食べる分はないの?」とF子に責められた。

いままでの経緯 (11)

2009年09月20日 23時32分19秒 | 日記
9月16日(水)
朝、いつものように様子を伺いに階下へ下りる。
「昨夜は息が苦しくて眠れなくて…」
「あなたを起こしても大袈裟になるからパパの部屋に行って話したの」
ひどく苦しいと言うわけではないが呼吸が浅くなり眠れず
夜の12時ということで不安になったと母は言う。
父が病院からもらった抗がん剤の説明書冊子をめくると副作用として起こること
の項目に息苦しくなる、というのがあり
「普通に起こることだから心配ない」と母に言った。
安心したからか、母はその後やっと眠れたと言う。
今も息苦しいのかと訊くと、昨夜と同じように浅い呼吸しかできないし
右わき腹が張ると言う。

午後、兄より電話が入る。
「急に病院に行ったんだって?」と弟から訊いたらしく一昨日のことを言う。
「うん、すごく痛みがきちゃってしゃっくりも出たから…」
「そんなに痛がってるの?」
気がつくといつのまにか母が階段を上ってきていて突然現れたので驚く。
「やっぱりパパが検査とかがあるし行けないって言ってるからそう言って」
「????」私は何のことやらさっぱりわからず、兄に「ちょっと待って」と言って母に話を聞く。

7月の終わりから8月にかけて、母の喜寿のお祝いということで九州の島に父母と
私の家族、弟の家族で行った。
これはもともと母が立案して子ども3人に働きかけたものだったが兄の仕事が忙しいため兄家族は来なかった。
その後1ヶ月も経たないうちに母の病気が発覚し、兄はこの旅行に行けなかったことを悔いたのだろう、
近いうちに親族全員で旅行に行こう、と言っていた。

造影剤を入れて撮りなおしたCTの映像を見て弟が絶句した日、兄に電話して
「旅行に行くならなるべく早い方が良い、ぐずぐずしていると行けなくなる可能性もある」と兄に促した。
それで兄は10月の3、4日の1泊で温泉に行く計画を立てた。

兄は私に電話をする直前に母に電話しこのプランを話し、私のほうにもかけなおすと言って切ったらしい。
しかし電話の後、母が父にこの話をすると父はあまり乗り気でなかった。
それで急いで2階に上って上記のことを言いに来たのだ。

このことを兄に話すと
「そこにお袋が来てるの?じゃ何も話せないな…」
父の入院検査とは日が重ならないから大丈夫、と言うと
「とにかく予約するのに人数を言わなきゃならないから…アンタのとこは何人?」
「3人…だけどもう一度確認して後で電話する。」
母は私たちが話してる間も「でも検査が…」などと言っていたがあきらめたのか階下へ下りていった。

電話が終わり、父を説得しに階下へ下りる。父は食卓の椅子に座って腕を組み浮かない顔をしていた。
「検査って言うより、そんな気になれないんだよ。こんな様子じゃ無理じゃないの?」と母を見る。
「もっと落ち着いてからにしたらどうなの?紅葉もまだだし時期が中途半端だな。」
父は母の病気の実態を知らないのでこんな悠長なことを言う。
「でも兄貴はそこしか空いてなくて後はまた忙しくなっちゃうみたいよ。
せっかく一生懸命計画してくれてるんだから行こうよ。医者がついてるんだから大丈夫だよ。」
とゴリ押し気味に説き伏せる。母も気乗りしないの?と訊くと
「私はいいんだけどね、パパが初めての大腸検査の後だから心配なんじゃない?」と言う。父は
「いや、あんたがそれで気晴らしになるんだったら俺はいいよ。」
「じゃ決定ね。兄貴にそう言っておくから」
母は「でもパパの気持ちもわかるんだよね…」と下を向いて繰言のように言う。
私は無視して2階へ戻った。

夕方兄に電話し、ダンナは飼っている犬猫3匹の世話があるので私と娘2人の計3人と告げる。
そのあとさっきの電話のとき母が来て中断された話の続きをする。
「すごく痛いときはどんなふうに我慢してるの?」と兄。
「寝ると余計に痛くなるから横にもなれなくて、背中を丸めてうずくまってる。」
「そうか…俺は離れて住んでるし忙しくてあまり行けないから病気の様子がわからなくてな…」
兄の声がくぐもる。確かに間近で一部始終を見ている私と違って、離れて聞く母の癌の進行の早さには戸惑うだろうと思う。

このブログの存在を教えれば兄も日々の過程が少しはわかるかな、と思うが
こんな拙いブログを見知らぬ人ならともかく、知り合いに見られるのは恥ずかしいという気持ちが強くて
教えるのを思いとどまる。




ううう(ノ_・。)

2009年09月20日 02時36分08秒 | 日記
いま午前2時35分です。
ついさっき9月16日の日記を書き終えて投稿ボタンを押したら

「アクセスが集中してつながりにくいので時間をおいてもう一度云々」

げげっ!と思って戻るボタンをクリックすると日記が全部消えていました。
ううう…あんまりだ。時間よカムバック~~~
投稿ボタンを押す前にコピっておくべきなのにすっかり忘れてました。
いっぱい書いたのに・・・もう頭が真っ白です(>_<)

過去のことを思い出すのが大変なので
早く現在に追いついて今日の日記は今日書くようになりたいのに
また遅れてしまいました。困ったぞ。