3月11日は東日本大震災が起き、
2011年の東北が壊滅し、死者、行方不明者が多数出た。
日本に悲しい出来事が起きた。
それからもうひとつの3月11日は、
日本のレース期待の若手だった、舘信吾選手が亡くなった日だった。
舘信吾選手はトムスの舘会長の息子で、
1997年にトムスのF3で日本レースにデビューし、
N1耐久ではセリカ、GT500のオールスター戦でスープラをドライブし、
1998年にはつちやMR2でGT300のチャンピオンに輝いた。
そのときのパートナーはチーム・タイサンで、
フェラーリーやポルシェで活躍した鈴木恵一選手だった。
1999年にチーム・ルマンに移籍し、
GT500でスープラをドライブする予定だったが、
シーズンが開幕する前の岡山のテストで大クラッシュし、21歳の生涯を終えた。
鈴木恵一選手は信吾選手の通夜で号泣し、
レーサーの引退を決めた。
もし信吾選手が生きてたら、
トヨタの代表する国際レーサーになってたかも知れません。
鈴木恵一選手もどこまでレーサーを続けたか、
わかりません。