トムスの関谷正徳監督の現役時代の思い出のマシンが、
レイトンハウスのGCカーとF3000で活躍しました。
1986年に菅生でテスト中に事故死した。萩原光選手の代役でシーズン途中から参戦し、
1989年限りでGC最後の優勝者でした。
当時のGCは中古のF3000マシンにMCS(ムーンクラフト)製のボディを載せて、
富士スピードウェイのストレートを駆け抜けました。
富士スピードウェイの周辺は暴走族が見に来てました。
車を違法に改造した車が多く、
御殿場インターで検問が行われました。
しかし1987年からグループAによるツーリングカーレースや、
F1の人気に押され、参加台数は減り、1989年限りで廃止されました。
レイトンハウスのレースファンにとっては忘れられないでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/c4/1f33786e55170a5e5e5a977da055c4f7.jpg)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます