1960年代後半にトヨタワークス、
70年代に富士グラチャンシリーズで活躍したレーサーがいました。
鮒子田寛選手はアメリカへ渡った日本人レーサーで、
日本自動車レース界のメジャーリーガーでした。
1960年代後半からトヨタ自工のワークスドライバーとして契約し、トヨタ2000GT、トヨタ7で活躍しました。 1969年にトヨタを離れ、アメリカをメインにレース活動を行いました。
1970年にトヨタのエースだった川合稔選手が鈴鹿でターボを搭載したトヨタ7のテスト走行中に事故で亡くなってしまいました。
もしこのままトヨタに残ってたら、
川合選手ではなく鮒子田寛選手が事故死してたかも知れません。
アメリカに渡りフォーミュラAレース(ヨーロッパにおけるF5000に相当)に参戦し、1971年にもアメリカでTrans-Amシリーズに参戦するが、車両トラブルによる事故で重傷を負い帰国しました。 1972年から富士グラチャンに参戦し、王座に輝きました。
後編に続く
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