トムスに所属していたドライバーを紹介します。
黒澤琢弥選手で、父は元・日産ワークスでハコスカGT-Rをドライブした、黒澤元治氏。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/7a/11f999bac7e70f60f6de978b824302e6.jpg)
トムスに入ったのは1988年、F3からスタート、
その後1989年にバイヨ(現在はイクリプス)・トムス・スープラでグループAに参戦、
1990年にはミノルタ・トヨタ89C-VでCカーデビューしました。
ついに全日本F3000までステップアップしました。
グループAは引き続き参戦しました。
しかし1990年のグループAはスカイラインGT-Rの活躍で、
トムスのスープラは完敗しました。
1994年、JTCCでセルモからトヨタ・コロナでツーリングカー復帰、
1995年中嶋悟率いるナカジマレーシングへ移籍し、
途中からホンダ・シビックをドライブしました。
1996年ホンダはアコードを投入し、
琢弥選手は表彰台の常連になりました。
1997年にはJTCCで優勝し、
開幕直前に星野一義がフォーミュラ・ニッポンを引退し、急遽エントリーをすることになり、
フォーミュラカーでも活躍しました。
1998年にホシノ・インパルで、カルソニックスカイラインGT-Rをドライブし、
全日本GT選手権に出ました。
親子二代で、スカイラインGT-Rをドライブしました。
ルマン24時間レースで、日産R390でルマンを走りました。
1999年にトヨタ・チーム・トムスへ復帰し、
初代から、2代目までスープラを操りました。
2000年にはアメリカのCARTに出場し、
シーズン途中で終わってしまいました。
2001年から2003年まで、全日本GT選手権でトムスのスープラをドライブしました。
現在はチーム・ルマンで、GTの監督をやってます。
トムスのライバルです。
コメント
- FAN [2012年10月31日 16:49]
- 黒澤琢也ではなく、黒澤琢弥です。
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