既にご存知の通り、1999年のマツモトキヨシトムススープラで走らせ、
富士スピードウェイの山路慎一競技長が、今年の5月26日に死去しました。
山路慎一選手は、レーサーになる前は暴走族でした。
グループAに出場し、
パートナーは現在は参議院で女優の三原じゅん子選手でした。
1998年トムスがカストロールのスポンサーが2台で、
スープラを走らせました。
1999年に3台目のトムスのスープラを走らせる事になり、
マツモトキヨシのスポンサーが付きました。
ドライバーには山路慎一選手が選ばれました。
パートナーにはピエル・アンリ・ラファネル選手でした。
トムスで活動したのは1999年から2001年まででした。
2001年の菅生GTではオートバイの世界チャンピオンのワイン・ガードナー選手と組んで、
優勝しました。
その後は富士スピードウェイの競技長などを務め、
しかし5月25日に緊急入院し、5月26日に死去しました。
1999年の富士1000キロ
2000年8月富士GT
2010年の富士スピードウェイのイベントより
享年50歳です。
ご冥福をお祈りします。