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浄土真宗・他力信心の境地

「他力信心のお味わい」を「お聖教の引用」ではなく「私の言葉」で書き連ねています。

「平生業成」がわからないのは「親鸞会」だけじゃないよ!

2021-11-02 05:38:50 | 【他力信心の考察】

いやぁ。。。

 

「RCさん」の「2021年10月31日」の記事・・・。

平生業成💡 : RCの如是我聞〜浄土真宗〜 (livedoor.blog)

 

・・・を読んで、思わずツッコミ~!!( ̄▽ ̄)v ニヤリ~♪

 

【ツッコミ①】

「RCさん」の記事より引用~♪

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うん! ナイ!!

・・・と思うよ。。。(´・ω・`)ショボーン

 

だって・・・。

 

「自力」だからさ。。。

 

( ̄m ̄〃)…!!

 

・・・・・・・・・・・・・・。

 

まぁ、こればっかりはねぇ。。。

いっくら「頭が良くても」「知識が有っても」「八万の法蔵(お聖教)を知っていても」

「他力」に遇わなければ「他力」はわからない。。。

「他力」でなければ「他力」は語れない。。。

 

 

ってコトで!!【ツッコミ②】

「自力」と「他力」の「決定的違い」って。。。

「ぶっちゃけコレ!」なんだよねぇ。。。(´・ω・`)ショボーン

 

「れおん」が「2021年6月7日」に書いた記事

親鸞会発行_教学版№116「2つの往生」について - 浄土真宗・他力信心の境地 (goo.ne.jp)

「この図の矢印の向きが逆!!」ってコト!!( ̄▽ ̄;)ノ

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「自力」は「現在」から「死後」を見るんだよ。。。

「他力」は「死後」から「現在」を見るんだよ。。。

 

それが「平生業成」なんですよ。。。(。-∀-)ノ

それが「信疑決判」なんですよ。。。(。-∀-)ノ

それが「真仮の水際」なんですよ。。。(。-∀-)ノ

 

だから「この図に「ツッコミ」が入れられない!」

・・・っていうのはさ~。。。(= ̄∇ ̄=) ニヤニヤ

 

よ~するに・・・。

 

よ~するに・・・。

 

・・・・・・・・・・・・・・。

 

まぁ、そういうこった。。。(´・ω・`)ショボーン

 

アッチもそう。。。

コッチもそう。。。

 

み~んなひっくるめて、そういうコトなのです。。。( ̄▽ ̄;)ノ

ってコトで!!

 

せっかくなので「蓮如上人」の「平生業成」について!!

「れおん」の大好きな「稲城選恵和上」の「お言葉」を載せておきますね~♪(*´▽`*)ノ

 

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「【念仏の土壌】二、臨終説法」より引用(抜粋)

((若干「れおん」が「アレンジ」しています。。。( ̄▽ ̄;)ノ))

 

「私の妹は四十二歳であるが、悪性の癌で余命は残る二十日もないという。

彼女は姉さんに後生の一大事が苦になって夜もろくに眠られない、どうしたら助かるか。」

 

しかるにこの質問に正しい答えを与えているのが浄土真宗の教義であり、特に蓮如上人の『御文章』はこの答えを最も明らかにされたものである。

というのは蓮如上人の教学(御文章)を一貫する立場は平生業成にあるからである。

『御文章』の書き始めの第一通は「一念発起平生業成」を説かれている。というのはこの背景には寛正二年は前年からつづく大飢饉であり、日本人口の三分の一は餓死したといわれる。

現代では全く想像も出来得ない悲惨な時代であったが、その未曽有の大飢饉を背景として出されているのが『御文章』である。

 この餓死線上の民衆を前には難しい高説は誰も通じない。

それ故、一言にしてつくされた言葉で、次の瞬間も保証されていない民衆に平生業成の義を明らかにされたのである。

 『御文章』八十通を一貫するものは平生業成ともいわれる。

平生業成は元来、臨終業成に対する用語ともいわれるが、平生とは具体的には「ただ今」ということであり、今は今ととらえると既に過去に流されるので、ここのほかにはあり得ない。

「今ここ」とは「この私の存在している場」が「今ここ」である。

それ故、この私の存在している場が業因成弁という、往生の因の決定する場所である。

この私の存在している場所は誰しも「人に尋ねることは不要」であるが、

それは浄土真宗の第一前提、何よりも先なのは本願成就であるからである。

本願成就ということが南无阿弥陀仏であり、宗祖は具体的な徳本として「帰命尽十方無碍光如来」 の十字の名号を用いられている。

即ちいつでもどこでもだれにでも既にとどけられているのが南无阿弥陀仏の名号であり、それ故聞信の一念にたすかるといわれる。

聞信の一念にたすかることの前提には本願成就を看過しては通じない。このことを蓮如上人は「たすけたまへとたのむ」という言葉を用いられ、当時の民衆に滲透せしめたのである。

「たすけたまへ」は「たのむ」と同義となるときは、たすけたもう法がこの私の聞くより先に既に与えられていることを前提とするのである。

この場合は「たのむ」も「たすけたまへ」も同義となり、帰命の和訓となるのである。

たすけたもう法がこの私が求めるより先に既に与えられているから、聞信の一念に往生が決定する平生業成の義が成立するのである。 

 

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「臨終説法」は「他力の行者」の最大の娯楽!!

「本願成就」が嬉しすぎて!!

「ワクワクドキドキ」が止まらな~い!!(≧∇≦)ノ

 

以上で~~~す♡(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 

なもあみだぶつ♬ ヾ(=^▽^=)ノ